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2009年3月10日 (火)

事故米事件を反省するなら(1)

平成209月,三笠フーズ等による政府保管事故米穀の横流しが発覚したことに端を発するいわゆる事故米問題は,「じたばた」発言の太田農水大臣と農水事務次官の辞任など,重大な社会問題に発展した。

政府や農水省は,事故米問題の反省点を探るため,膨大なレポートを作成しているが,どれも非常に難しい。背景が複雑すぎるからである。

そこでいっぺんシンプルに考えてみてはどうかと思う。事故米問題を反省するという視点に立つなら,第一の問題は,「なぜそれを防げなかったのか?」である。

そして,実際には事故米問題を防げなかったのだから,第二の問題は,「なぜもっと早く摘発できなかったのか?」である。

この順番で,事故米問題を見直してみたい。

第一の問題「なぜそれを防げなかったのか?」について,問題を無用に複雑にしているのは,不正転売された事故米が,いわゆる「ミニマムアクセス米」だったという点だ。「ミニマムアクセス米」とは,GATT(関税貿易一般協定)の多角的貿易交渉のウルグアイラウンドで平成5年(1993年)に合意されたものであり,日本は高関税で外国産米の輸入を制限する代わりに年間77万玄米トンの「ミニマムアクセス米」の輸入を行ってきたが,人気がないため余剰米となっていた。そのため,「要りもしない外国産米を輸入するから事故米事件が起きたのだ」という,いささかヒステリックな指摘がなされている。

しかし,ミニマムアクセス米は,不正転売された事故米穀の一部にすぎないから,本来,事故米事件と直接の関係はない。また,報道から推測するに,平成9年(1997年)に三笠フーズに吸収合併された「宮崎商店」は,ミニマムアクセス米の輸入開始より前から,事故米穀の不正規流通ビジネスに手を染めていたと思われる。

政府は,昭和17年(1942年)の東条英機内閣のとき制定された食糧管理法に基づき,すべてのコメを買い上げる政策をとってきた。しかし,戦中戦後の食糧難の時代はともかく,昭和40年代後半になると「古米古々米古々古米」と揶揄されたコメ余り時代を迎える。政府の倉庫で長年保管された古米の中に,カビ等の事故米穀が多量に発生したことは想像に難くない(冷温保存が実施されたのは昭和60年(1985年)からである)。その多くは非主食用または非食用として安価に払い渡されたであろうが,これを不正転売する悪質業者がいたことは,十分想像がつく。事故米問題は,実は昭和40年代後半から発生していたと見るべきである。ただ,それが発覚しなかっただけなのだ。(小林)

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