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2009年4月 5日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 21)

平成91015日日弁連臨時総会(7

鬼追明夫日弁連会長は,法曹一元という,戦前以来の日弁連の悲願を,法曹養成問題,ひいては法曹人口問題に結びつけることによって,法曹人口問題を巡って分裂し迷走した日弁連の多数を再び統合することに成功した。

しかし,鬼追明夫日弁連会長の目的は,もちろん,日弁連の再統合に尽きるのではない。日弁連は仲良しサークルではないのだから,再統合それ自体が目的になるはずもない。鬼追明夫日弁連会長の目的は,法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守ることにあった筈だ。それならば,日弁連は,法曹人口問題におけるイニシアティブを守り得たか。

答えは否である。この臨時総会の後,平成11年(1999年)6月に設置され,翌年8月には司法試験合格者数年3000人を事実上決定する司法制度改革審議会は,日弁連を含む法曹三者を排除して編成された。審議会委員であった中坊公平もと弁護士は,日弁連の法的代表ではなく,13人の委員中3人いた弁護士委員の一人に過ぎない。その意味するところは、日弁連には司法制度改革審議会の決定に反対する方法がなくなった、ということだ。その前の法曹養成制度等改革審議会のときは、少なくとも日弁連として反対することができたし、会議を決裂させることもできた(決裂させた場合どうなったかは別にして)。これに対して司法制度改革審議会では、日弁連はオブザーバーとしてしか参加できなくなった。決裂させることすらできない。つまり、日弁連は,法曹人口問題に関するイニシアティブを失ったのである。

苦渋の決断を重ねて法曹三者協議を合意にこぎ着けたのに,鬼追明夫執行部の何がいけなかったのだろう。答えは明白だ。意思決定が遅すぎたのである。これが1年早ければ,その後の流れは違っていたかもしれない。

法曹養成制度等改革協議会が法曹三者の誠実迅速な協議を促す意見書を採択した平成7年(1995年)からほぼ2年も経ったのに,決まったことと言えば修習期間が2年から1半になっただけ。これを聞いたマスコミは日弁連を冷笑した。「2年もかけて何をやっているんだ。民間企業にやらせたら2週間で足りるよ。」という反応であろう。鬼追明夫会長は,この反応に「一番ショックを受けた」と振り返っている(自由と正義19993月号)。(小林)

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