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2009年4月 7日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 22)

平成91015日日弁連臨時総会(8

もちろんこの2年間,日弁連執行部を含め法曹三者は,決して怠けていたわけではない。その経緯は自由と正義4711号(山本孝宏弁護士)や491号(岩井重一弁護士)に詳しい。しかし,月1回の協議ペースに加え,法曹養成制度等改革協議会意見書の文言解釈争いに時間を費やすという,いかにも法曹的な協議のあり方は,外部からは冷笑の対象にしかならなかった。確かに,後の司法制度改革審議会が,2年間に63回,ほぼ10日に1回開催されたことに比べれば,ペースの遅さを批判されてもやむを得ない。日弁連は,全国49弁護士会を束ねるとはいえ上命下服の関係になく,各弁護士会と日弁連担当委員会のボトムアップで意思決定をせざるを得ないという制度上の限界,強制加入団体である故に様々な考えを持つ弁護士の集合体であり,かつ,1人ひとりの会員弁護士が様々な思想と利害関係に基づいて一匹狼的に意見を闘わせるという弁護士会独特の気風などの要因が,致命的な意思決定の遅さを招いていた。最高裁・法務省と日弁連との間に横たわる,昭和30年代から続く根強い相互不信も,協議の進行を妨げた。加えて,先進諸外国に比べ圧倒的に少ない司法予算の範囲内で,一定の質を維持しつつ法曹を養成するためには,司法試験合格者年1500人,修習期間1年ないし1年半が物理的限界であることも明らかになってきた。

法曹三者に任せた結果遅々として進まない協議と,そして司法予算から来る物理的限界が,平成9年(1997年)末,政府に,司法制度改革の担当者から法曹三者(特に日弁連)を外す,という決断をさせることになる。

「法曹一元という錦の御旗を掲げて,日弁連の相対多数の支持を得て,法曹三者協議の決裂を回避することによって,法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守る」という鬼追明夫日弁連会長の政策。この政策の是非は今問わない。大事なことは,鬼追明夫日弁連会長とその執行部は,この政策に基づいてやれるだけのことはやった,ということであり,それにもかかわらず,「法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守る」という目的は獲得できなかった,ということである。つまり,鬼追明夫日弁連会長は,失敗したのだ。

そしてまた,三者協議の決裂を回避しても駄目だったのだから,三者協議を決裂させれば,なおさら駄目だったことも明らかであろう。

結局のところ,平成91015日に日弁連総会が開催される前に,流れは決していたのである。(小林)

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