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2009年4月22日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 23)

平成12111日日弁連臨時総会(1

平成12111日,日弁連会館講堂「クレオ」に1400名余,代理出席と合計して12000人以上の会員弁護士を集めて開催された臨時総会では,平成22年(2010年)からの司法試験合格者数を年3000人とすることの受入を内容とする執行部案が,74373425で採決された。

4回の臨時総会中,最多数が出席した上、最長の9時間以上を要し,最も荒れた総会は,しかし,票差にして4000票以上,ダブルスコアを超える大差となった。この差は,過去4回の臨時総会中最も大きい。

この総会に先立つ平成1162日,司法制度改革審議会設置法が成立する。同法の1条は,「内閣に,司法制度改革審議会を置く」と定める。これにより,「司法制度の改正にあたっては法曹三者の意見を一致させて実施するよう努めなければならない」という昭和45年(1970年)の参議院法務委員会付帯決議は覆され,司法制度改革の権限は法曹三者から内閣に移転した。同時に,司法制度改革の調査審議は,法曹三者ではなく,司法制度改革審議会が行うこととなった。

平成11611日,13名の委員が任命される。委員の中には,日弁連,最高裁,法務省の代表者はいない。委員の中に中坊公平もと弁護士はいたが,彼は法的には,日弁連の代表ではない。すなわちこのとき,日弁連は,法曹人口問題に関与する権限を公式に失った。

平成128月,平成22年(2010年)からの司法試験合格者年3000人の構想が,司法制度改革審議会で内定する。これを日弁連として積極的に受け入れるか否かが諮られたのが,111日の臨時総会である。

3回の臨時総会に比べ,決定的に異なるのは,執行部案が可決されようが否決されようが,司法制度改革審議会の意見に対する法的影響が全くない,という点である。そもそも司法制度改革審議会は,法曹人口問題から日弁連を外すことを目的に設置されたのだ。つまり,日弁連の権限が及ばないところで,3000人は内定した。この内定を,日弁連として受け入れるか否かが諮られたのが,この総会である。受け入れなくても,内定に変更はない。

例えとして最適か否か自信がないが,昭和20814日の御前会議で,日本政府はポツダム宣言受諾を決定した。しかし,この決定によって,日本が太平洋戦争に負けたという歴史認識は間違いである。この時日本はすでに太平洋戦争に負けており,これを政府が公式に受け入れたのが,御前会議であるにすぎない。御前会議で政府が選択したのは,本土決戦前にポツダム宣言を受諾するという「負け方」であって,「負けるか否か」を選択したのではない。平成12年の臨時総会で執行部案を否決すれば日弁連が負けることはなかったと主張する弁護士の意見は、このたとえ話で言えば、本土決戦に持ち込めば太平洋戦争に勝てた、という陸軍青年将校の主張に等しい。極左と極右の精神構造は同じ、とは良く言われることだ。

話を戻そう。平成12年(2000年)111日の日弁連臨時総会は,日弁連にとって,ポツダム宣言受託を決した御前会議並みの歴史的意義を有するかもしれないが,それ以上の意味はない。

この時すでに,日弁連は負けていたからだ。(小林)

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