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2009年4月24日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 24)

平成12111日日弁連臨時総会(2

まず,久保井一匡日弁連会長を中心に,執行部の発言を振り返る。(『』は執行部内他者の発言)

「(執行部案が掲げた)司法改革の改革課題は,法曹一元と陪審制の実現,市民に開かれた弁護士制度の構築,それにふさわしい法曹養成システムの構築の3つであり,まとめると,官僚的で小さな司法を見直して,市民に開かれた大きな司法をつくるということであります。日弁連として,その構築の段階から参画することがどうしても必要であり,できあがってから受動的に賛成するとかボイコットするのでは,日弁連としての責務を果たしたことにはなりません。『(年3000人は)従来の日弁連決議とは一貫性がないし,現状は3000名を直ちに吸収できる状況にはないと認識している』(平山正剛副会長)。しかし,明日からすぐ3000人になるというわけではなく,21世紀は行政主導の社会ではなくて,1人1人の個人や企業が自立して活動を展開しなければならない社会になる。そうなれば,トラブルの発生が多発してくる。さらに,国際化,グローバル化,高度情報化,高齢化する複雑な社会では,否応なしに法化社会に進んでいく。消費者被害や破産事件の増加を見ても,それは明らかだと思うわけであります。

また,扶助予算の増額に応じて,弁護士数を増加させる必要があります。国民の必要とする法曹人口数は,年3000人とか全部で5万人とか決まっているわけではなくて,マーケットとか需要とかが法曹人口の一つのファクターになってくる。最終的には,国民なり利用者が決めるということが基本的な原則であると思います。

確かに,法曹人口を増員したときに,懲戒機能を拡充しても,不祥事の発生を完全に妨げるとは言い切れない部分があると思います。しかし,だから遡って必要な人口も増やさないというのは,議論としては逆立ちであると思います。

また,増員した弁護士の就職先として公務員を考える場合,弁護士が公権力側に立つことによって,人権擁護という基本使命と両立し得なくなるのではないかというご質問ですが,法律家が行政の中に入って,法律による正しい行政をやって貰うようにそのコントロールをしていく,一種のコンプライアンスということもあると思います。在野が権力にはいるのは間違いだと機械的にはいかないので,筋を通してやっていけば十分に両立しうると思います。

3000人で増やしていって,5万人になったら打ち切りと言ったって,ロースクールが承知しないのではないかというご質問ですが,大企業でも,社会の養成によって大幅に工場を削減する,減らしていくということだって,当然これはあっていいことと考えます。」

久保井一匡日弁連会長の答弁は,激増する弁護士を支える需要の見通しや,増えすぎた場合の調整について,絵空事というべき発言に終始しており,無責任との誹りを免れない。

ただ,一方,久保井一匡日弁連会長が,なぜこのような夢みたいなことを言ったのかを考えたとき,私としては一抹の同情を禁じ得ないことも事実である。弁護士増員にしても,ロースクールの削減にしても,既に日弁連の関与しうるところではなくなっていたし,頼みの綱の法曹一元さえ,臨時総会前日の司法制度改革審議会での激論の末,事実上葬り去られていた。責任の持てない問題について,やけくそになって夢物語を語ったというのが実情に近いのではないかと,今の私は想像している。(小林)

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