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2009年4月29日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 26)

平成12111日日弁連臨時総会(4

執行部案反対の討論をご紹介する。

まず,執行部案を通すと日本は戦争になるという意見として,武内更一弁護士(東京)は,「私たちが目指しているのは基本的人権擁護を守る,国民の盾になって権力の攻撃に対して立ち向かう,そういうことに志をもって弁護士になったんじゃありませんか。企業法務,公務員,そういうところにわんさと殺到する弁護士を,国民が望んでいるわけないじゃありませんか。司法審は,周辺事態法,盗聴法,国旗国歌法,憲法調査会設置のための国会法と同時に設置された。司法審の目的は,戦争をするという口実を作ることにあります。そういう国自体に,どんどん向かっているんです。こういうときこそ頑張らなければ戦前のようになります。」と訴えた。

この武内更一弁護士は,平成91015日の日弁連臨時総会で,反執行部案の提案者として,「在野の弁護士は外へ向かって訴えかけ,その民衆の声を背景にしてこそ日弁連は力が出せるんだと私は思っています。それを抜きにして日弁連の闘争はないはずです」と国民運動の必要性を訴えた。ところが,日弁連執行部が国民260万人もの署名を集めると,国民が望むはずがない,翼賛体制で戦争になると言う。このような議論のしかたは卑怯だと思う。

同じく戦争になるという意見として,熊野勝之弁護士(大阪)は,「今回の決議は,(法曹人口を)国民の必要とする数に任せますという,全くの白紙委任です。これは1933年のナチス授権法と同じだと僕は思っています。それぐらい危険な法だと思っています。どうか真剣に国民のためを考えられるなら,本当に真剣にこの法案の決議案の持っている危険性を考えて頂きたい。」と述べた。私は,日弁連が法曹人口増受入の決議をしたくらいで戦争になるというのは、日弁連の影響力を買いかぶりすぎていると思う。

前田知克弁護士(二弁)は,「何のために弁護士法の第一条があるのか。力は弱いけれども正しい理屈をもっている。弱い者の権利をきちっと守ってやる。これが司法であり,それを担うのは弁護士なんです。それをやるためにこそ,弁護士自治があり独立性がある。我々のこのバッヂは,総理大臣ですらはずせないんだ。これを持っているんだ。

久保利英明弁護士は,企業が雇ってくれるというけれども,雇われるために弁護士になるんですか。整理回収機構のような一番厳しい取立屋の手先みたいになって,何でもかんでも法律自治を通して今後やるということが,弁護士に期待されていることなんですか。はっきり言っておくけどね,飯のため稼ぐんだったら,法律事務屋になって雇われればいいんですよ。何のために司法試験を受けて,苦労して弁護士になる必要ないじゃないか。

ロースクールで弁護士を大量につくって,そうして仕事がないからできるだけ企業に雇ってくれ。これが司法の拡大なんですか。そんなことを喜んで,そこへ雇ってもらえる,職域が増えた。こんな情けない弁護士になりたいですか。」と述べた。

前田知克弁護士は,日弁連が法曹人口問題から引きずりおろされる直接のきっかけとなった,平成6年(1994年)1221日の臨時総会関連決議を画策した張本人である。しかし,日弁連の敗北を自ら招いたことに対する言及も弁解も反省も,全くない。

矢野修弁護士(札幌)は,司法改革・法曹一元・陪審制の実現は賛成するとしながらも,その実現可能性や司法基盤の整備が乏しい中で法曹人口のみを増加させることへの危惧を表明した。鈴木秀幸弁護士(名古屋)は,具体的な数字を指摘して,司法基盤整備の不足や,目標を5万人とする弁護士人口論が空想であると主張した。佐久間敬子弁護士(仙台)は,「大きな司法」という執行部のキャッチフレーズは,弁護士の在野性,独立性,自治性を害するものであり,むしろ裁判所の充実や司法基盤の整備を求めるべきであると言う。森重知之弁護士(山口)は,執行部案はいたずらに弁護士を貧窮に追い込み,貧すれば鈍する結果,国民にも被害を及ぼすと述べた。武本夕香子弁護士(兵庫)は,「大きな司法」が国民の利益になるとは限らない,数の増加は質の低下を招く,法曹人口増と弁護士過疎の問題は無関係,などと主張した。

これらの主張は,平成9年までの総会で主張するならともかく,この日の臨時総会で行う議論としてはピントがずれている。なぜなら,この臨時総会で問われているのは,内定済みの3000人体制を日弁連として受け入れるか否かであって,3000人に決定するか否かではないからだ。日弁連に内定を覆す力があれば別だが,それを失ったことが明らかである以上,この場所で3000人の是非を論じることに何の意味もない。もっとも,司法改革,とりわけ法曹一元という「まやかし」(高山俊吉弁護士)によって,問題の本質を誤魔化そうとしたのは久保井一匡日弁連会長以下執行部であって,せっかくの臨時総会にピントのずれた発言を誘発した責任は執行部にもある。

新穂正俊弁護士(埼玉)は,執行部案の実現によって,現実に多くの犠牲や不利益を受けるのは,若手の弁護士と,これから弁護士になる学生ら後進であって,中堅やベテランの弁護士は何の経済的不利益も受けないと安心しているのではないかと問う。「執行部やこの議案に賛成するあなたは,この議案に賛成することによってどのような不利益を受け,どのような自己犠牲を払うのでしょうか。日弁連執行部がいう自己改革を実現するために,誰が多くの犠牲を払い不利益を受けるのでしょうか。」と述べる。

この発言も,議題とピントがずれている点では,上記発言と同様である。しかし,弁護士激増が,世代間の対立を生み,日弁連を(左右にではなく)上下に分裂させていくことを予言した点において,この発言は記憶に留められるべきである。(小林)

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2009年4月27日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 25)

平成12111日日弁連臨時総会(3

次に,執行部案に賛成の討論をいくつかご紹介する。

司法改革,法曹一元を前面に押し出して賛成した意見として,福原弘弁護士(東弁)は,「執行部案は第一に,大きな司法の実現を改革の中心課題とした点,その障害となっていた(少ない)法曹人口について,『国民が必要とする数を確保するように務める』と明言している点は,特に高く評価すべきであります。法曹人口を充実させることにより,社会の隅々にまで法の支配を及ぼす基礎ができます。そして,法曹一元や陪審の実現をより具体的に実現可能な制度として,力強い運動を進めることができるようになります。」などと述べた。

福原弘弁護士は,平成6年(1994年)の日弁連臨時総会においても,執行部案を支持する討論を行い,このときは,「(700人に固執すれば)マスコミの批判を浴び,国民の信頼を失う。そうなったら,司法試験改革から日弁連は外され,簡単に2000人,3000人という大量増員が進められることになる」と述べている。このとき予言した最悪の結果が実現するというときに,これを「高く評価する」というのはいかなる心境の変化によるものか,私には理解できない。

樋口俊二弁護士(東京)は,「先ほど,5万人という弁護士規模について,具体的な根拠がないようにおっしゃいましたけれども,これもちゃんとございます。これは法曹一元という立場からしますと,5万人規模の弁護士がないと法曹一元は実現不可能と。これは東京大学の田中教授もそう言うことをおっしゃっている。」と述べた。すでにのべたように、この総会の前日、司法制度改革審議会において、法曹一元論は葬り去られていた。樋口俊二弁護士の主張は、これを知ってのことなら愚かであるし、知らないでのことなら哀れである。なお、未だに東京弁護士会の意見書は,露と消えた法曹一元論を崇拝しているが,これは樋口俊二弁護士の流れをくむものなのだろうか。

四ノ宮啓弁護士(千葉)は陪審問題を取り上げ,「陪審問題というのは国民が司法の中に入っていくということです。その国民の側から司法の中に根を伸ばしていくということです。それだけでその土壌が十分でしょうか。やはり別の方向からも根を伸ばす必要があるんじゃないでしょうか。私は十分な数の弁護士が,十分な必要な教育を受けて,今度は法曹の方が国民の方に,司法が国民の方に根を伸ばして入っていく。二つの方向から根を伸ばし合って,そして強い土壌をつくっていく。私は地域の法化というものが,このようにして初めて実現できるのではないかと思います。」と述べた。「根」の例えはよく分からないが,四ノ宮弁護士は,現在も裁判員裁判の円滑な実現に向けて奮闘している。

弁護士過疎地域に関連して,相良博美弁護士(奈良)は,奈良弁護士会の歴史と,司法改革への取り組みを訴えたうえ,「常に私たちが抱えてきた(問題)は,会員の少なさでありました。地元に根ざし,地元の人々に真に頼られる弁護士と弁護士会を築いていこうと会一丸になって頑張ってきたその結果が,余りにも仲間が足りなすぎるという厳しい現実であります。私たち弁護士一人一人が文字通り社会生活上の医師として,意気高く国民の中に入っていこうではありませんか。」と述べた。奈良は過去4回の臨時総会ではいずれも,執行部案賛成,法曹増員賛成の立場で討論を行っている。

松原三朗弁護士(島根弁護士会もと会長)は,奈良と同様,弁護士過疎地域における弁護士の圧倒的不足を訴えた。

当時の若手弁護士も意見を述べている。宮岡孝之弁護士(東弁)は,弁護士激増による不安を率直に訴えつつ,「弁護士の質に関する国民の声を聞き,これをロースクールに伝えるべきです。自由競争に任せればよいという考え方は,同じ弁護士という肩書きを持つ弁護士に依頼しながら,不十分な法的サービスしか受けられない国民の出現,すなわち法曹の質の低下による新しい司法過疎が生じることになります。職域については,プロボノ活動を職域の一態様であるかのように説明するのは間違いです。我々が求めているのは,無償で提供する法的サービスや,お布施しかもらえないような仕事ではなく,正当な報酬を得ることができる職域です。執行部は,我々の必要とする情報を会員に提供し,特に若手会員の共感を得られるような存在になることを切望します」と述べた。現在に通じる問題点を的確に指摘していると思う。

池内稚利弁護士(一弁)は,一弁の若手弁護士の代表として,「弁護士のいない町がある。あるいは遅々として進まない訴訟がある。こういった意見がずっと出てきました。それに対して,我々は基盤整備がなってないとか,我々の収入はどうなるんだと,そういう理屈で国民の期待を裏切り続けて来たんじゃないかと。これが改革協で無視されて,弁護士会が参加できないような司法審になってしまった原因があるんではないかと。ここでもう一度我々は原点に立ち戻って,21世紀に向かう国民が望む司法改革を,自らあえて血を流しながら進んでいくべきであろうと思います」と述べた上,弁護士の質の維持やロースクールのあり方に注文を付けた。

正確な現状分析,冷静な意見であると思う。(小林)

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2009年4月24日 (金)

ライフログ・サミット2009

 日経コミュニケーション社等主催のライフログ・サミット2009に弁士の1人として出席してきた。会場の青山ダイヤモンドホールは表参道に面しており、十何年かぶりで表参道を歩くことができたし、初めて表参道ヒルズも見た。完全におのぼりさんである。

 高い受講料なのに、会場は満員御礼の186名が出席され、ライフログビジネスへの関心の高さがうかがわれた。講師は、ITジャーナリストの佐々木俊尚氏をはじめとするこの分野の代表選手であり、私など文字通り末席を汚してきたようなものだ。

 ライフログについておいおいこのブログにも書いていきたいが、なにしろ法整備が全くなく、裁判例も皆無に近い。プライバシー権との関係で問題があることは間違いないが、どこからが違法かは分からない。こういったグレーゾーンを、例えばアメリカ人は青信号と受け取るが、日本人は赤信号と見る。しかしそれでは日本のネットビジネスは再びグーグルやアマゾンの後塵を拝することになるので、是非リスクを怖れず挑戦してほしい、そういう主旨でお話をしたつもりだが、弁護士が話すとどうしてもリスク回避で後ろ向きに取られがちなので、上手く伝わった自信はない。

 終了後、何人かと名刺交換をさせていただき、悩みや目標など、熱い気持ちを伺った。今後も、お力になれればと思う。(小林)

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日弁連はなぜ負けたのか(総会編 24)

平成12111日日弁連臨時総会(2

まず,久保井一匡日弁連会長を中心に,執行部の発言を振り返る。(『』は執行部内他者の発言)

「(執行部案が掲げた)司法改革の改革課題は,法曹一元と陪審制の実現,市民に開かれた弁護士制度の構築,それにふさわしい法曹養成システムの構築の3つであり,まとめると,官僚的で小さな司法を見直して,市民に開かれた大きな司法をつくるということであります。日弁連として,その構築の段階から参画することがどうしても必要であり,できあがってから受動的に賛成するとかボイコットするのでは,日弁連としての責務を果たしたことにはなりません。『(年3000人は)従来の日弁連決議とは一貫性がないし,現状は3000名を直ちに吸収できる状況にはないと認識している』(平山正剛副会長)。しかし,明日からすぐ3000人になるというわけではなく,21世紀は行政主導の社会ではなくて,1人1人の個人や企業が自立して活動を展開しなければならない社会になる。そうなれば,トラブルの発生が多発してくる。さらに,国際化,グローバル化,高度情報化,高齢化する複雑な社会では,否応なしに法化社会に進んでいく。消費者被害や破産事件の増加を見ても,それは明らかだと思うわけであります。

また,扶助予算の増額に応じて,弁護士数を増加させる必要があります。国民の必要とする法曹人口数は,年3000人とか全部で5万人とか決まっているわけではなくて,マーケットとか需要とかが法曹人口の一つのファクターになってくる。最終的には,国民なり利用者が決めるということが基本的な原則であると思います。

確かに,法曹人口を増員したときに,懲戒機能を拡充しても,不祥事の発生を完全に妨げるとは言い切れない部分があると思います。しかし,だから遡って必要な人口も増やさないというのは,議論としては逆立ちであると思います。

また,増員した弁護士の就職先として公務員を考える場合,弁護士が公権力側に立つことによって,人権擁護という基本使命と両立し得なくなるのではないかというご質問ですが,法律家が行政の中に入って,法律による正しい行政をやって貰うようにそのコントロールをしていく,一種のコンプライアンスということもあると思います。在野が権力にはいるのは間違いだと機械的にはいかないので,筋を通してやっていけば十分に両立しうると思います。

3000人で増やしていって,5万人になったら打ち切りと言ったって,ロースクールが承知しないのではないかというご質問ですが,大企業でも,社会の養成によって大幅に工場を削減する,減らしていくということだって,当然これはあっていいことと考えます。」

久保井一匡日弁連会長の答弁は,激増する弁護士を支える需要の見通しや,増えすぎた場合の調整について,絵空事というべき発言に終始しており,無責任との誹りを免れない。

ただ,一方,久保井一匡日弁連会長が,なぜこのような夢みたいなことを言ったのかを考えたとき,私としては一抹の同情を禁じ得ないことも事実である。弁護士増員にしても,ロースクールの削減にしても,既に日弁連の関与しうるところではなくなっていたし,頼みの綱の法曹一元さえ,臨時総会前日の司法制度改革審議会での激論の末,事実上葬り去られていた。責任の持てない問題について,やけくそになって夢物語を語ったというのが実情に近いのではないかと,今の私は想像している。(小林)

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2009年4月22日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 23)

平成12111日日弁連臨時総会(1

平成12111日,日弁連会館講堂「クレオ」に1400名余,代理出席と合計して12000人以上の会員弁護士を集めて開催された臨時総会では,平成22年(2010年)からの司法試験合格者数を年3000人とすることの受入を内容とする執行部案が,74373425で採決された。

4回の臨時総会中,最多数が出席した上、最長の9時間以上を要し,最も荒れた総会は,しかし,票差にして4000票以上,ダブルスコアを超える大差となった。この差は,過去4回の臨時総会中最も大きい。

この総会に先立つ平成1162日,司法制度改革審議会設置法が成立する。同法の1条は,「内閣に,司法制度改革審議会を置く」と定める。これにより,「司法制度の改正にあたっては法曹三者の意見を一致させて実施するよう努めなければならない」という昭和45年(1970年)の参議院法務委員会付帯決議は覆され,司法制度改革の権限は法曹三者から内閣に移転した。同時に,司法制度改革の調査審議は,法曹三者ではなく,司法制度改革審議会が行うこととなった。

平成11611日,13名の委員が任命される。委員の中には,日弁連,最高裁,法務省の代表者はいない。委員の中に中坊公平もと弁護士はいたが,彼は法的には,日弁連の代表ではない。すなわちこのとき,日弁連は,法曹人口問題に関与する権限を公式に失った。

平成128月,平成22年(2010年)からの司法試験合格者年3000人の構想が,司法制度改革審議会で内定する。これを日弁連として積極的に受け入れるか否かが諮られたのが,111日の臨時総会である。

3回の臨時総会に比べ,決定的に異なるのは,執行部案が可決されようが否決されようが,司法制度改革審議会の意見に対する法的影響が全くない,という点である。そもそも司法制度改革審議会は,法曹人口問題から日弁連を外すことを目的に設置されたのだ。つまり,日弁連の権限が及ばないところで,3000人は内定した。この内定を,日弁連として受け入れるか否かが諮られたのが,この総会である。受け入れなくても,内定に変更はない。

例えとして最適か否か自信がないが,昭和20814日の御前会議で,日本政府はポツダム宣言受諾を決定した。しかし,この決定によって,日本が太平洋戦争に負けたという歴史認識は間違いである。この時日本はすでに太平洋戦争に負けており,これを政府が公式に受け入れたのが,御前会議であるにすぎない。御前会議で政府が選択したのは,本土決戦前にポツダム宣言を受諾するという「負け方」であって,「負けるか否か」を選択したのではない。平成12年の臨時総会で執行部案を否決すれば日弁連が負けることはなかったと主張する弁護士の意見は、このたとえ話で言えば、本土決戦に持ち込めば太平洋戦争に勝てた、という陸軍青年将校の主張に等しい。極左と極右の精神構造は同じ、とは良く言われることだ。

話を戻そう。平成12年(2000年)111日の日弁連臨時総会は,日弁連にとって,ポツダム宣言受託を決した御前会議並みの歴史的意義を有するかもしれないが,それ以上の意味はない。

この時すでに,日弁連は負けていたからだ。(小林)

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2009年4月20日 (月)

自国通貨を刷って国の借金を返すと言っていいのだろうか

「日本国は破産しない…のか?」のエントリに対して,「通りすがり」氏から真面目なコメントをいただいたのでお応えをしたい。

「通りすがり」氏は要するに,「日本国債は円建てであり,自国通貨を刷って借金を返すことができるので,日本国は破産しない」と主張する。

そこで,この主張を検証する。

単純に,政府が10年もので,固定利率1%の国債を売り出したいと思っていると想定してみる。この国債が売れるためには,利率以上に自国通貨を刷り増ししない,と信頼してもらうことが必要である。もし利率を超える通貨の刷り増しが行われたら,購入者が割り負けしてしまうからだ。だから,国債を発行する以上は,政府は,安易に自国通貨の刷り増しをしません,という公約をしていることになる。もちろん,政策上多少のインフレ誘導が必要なこともあるだろう。しかし,国債購入者が合理的に予測できる範囲を超えて,自国通貨の刷り増しをしたら,国は,国債購入者の信頼を喪失する。そうなったら,誰も国債を買わないし,中途解約希望者が殺到する。経済的な信頼を喪失するとは,破綻するということだ。

だから,「自国通貨を刷って,借金を返すことができる」というのは,政府は国債をどんなに発行しても問題はない,と言う理由にならない。政府がそう言ったら最後,誰も国債を買わないし,思っただけでも買わない(政府が思ったことは,思っただけで,大概バレるものだ)。

そう主張する人に聞いてみたいものである。政府があなたの意見に従うとき,その政府から国債を買いますか?と。

なお,「日本のインフレ率は世界最低水準だから,多少自国通貨を刷っても問題ない」という主張は,議論をすり替えている。

「自国通貨を刷って借金を返すことができるから」という「通りすがり」氏前半の主張は,「どんなに国債発行を増やしても日本国は理論的に破綻しない」という結論に結びつく。「政府の借金が増えても,国民の資産が増えるから,国家のバランスシート上,債務超過にならない」という日経新聞「越渓」氏の主張もやはり,「どんなに国債発行を増やしても理論的に大丈夫」という結論に結びつく。私は終始この結論について論じている。今この場で,「国債発行を多少増やしても,現実問題としては大丈夫」という議論は一切していない。これは前のエントリの冒頭でお断りしている。

日本国債購入者の95%が日本人,とは知らなかった。しかし結論には何の影響もない。「三橋貴明さんや廣宮考信さんという方のブログをご拝読ください」とのことだが,現時点で拝読できていないので,あしからずご了承ください。(小林)

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2009年4月18日 (土)

アシモやタチコマは自動車か?(3)

以上の通り,陸上を移動するロボットは,現行法の解釈上は,道路運送車両法や道路交通法上の「自動車」や「原動機付自転車」に該当する可能性が高いことを述べた。そして,これらの定義規定は,他の法律にも使用されている。

たとえば,自動車損害賠償保障法は,自動車の運行供用者に損害賠償保険への加入を義務づけるとともに,被害者に対する無過失責任を定めている。同法の定義する自動車は,「道路運送車両法の定める自動車(農耕作業の用に供することを目的として製作した小型特殊自動車を除く)及び同条第3項に規定する原動機付自転車をいう」としているから,次世代ロボットが道路運送車両法の適用を受ける以上は,自賠責法の適用があり,運行供用者は無過失責任を負うことになる。なお,自賠責法の定める「運行」は,「人又は物を運送するとしないとにかかわらず,自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいう」とされているから,公道における運用に限定されない。

また,刑法は,自動車の運転者の刑事責任として危険運転致死罪(刑法208条の2)と自動車運転過失致死傷罪(刑法211条2項)を設けているが,ここでいう「自動車」には,道路交通法の規定する「自動車」と「原動機付自転車」が含まれる。したがって,次世代ロボットが道路交通法の定める「歩行補助車」に該当しない限り,道路交通法の定める自動車または原動機付自転車にあたり,その事故について,刑法の適用を受ける場合があることになる。

もっとも,道路運送車両法も道路交通法も,その制定者が次世代ロボットを想定していなかったことは明らかであること,例えば二足歩行ロボットを自動車と見なすことについては文言上乖離がありすぎること,特に刑罰規定については罪刑法定主義の要請があることから,両法とも次世代ロボットを対象としていないという解釈も十分成り立つところである。結局のところ,次世代ロボットを公道その他公共の場所で用いるためには,これら法令の整備が不可欠ということになる。(小林)

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2009年4月16日 (木)

アシモやタチコマは自動車か?(2)

陸上を移動する次世代ロボットは,車輪ではなく歩行で移動するものであっても,あるいは何も運送しなくても,道路運送車両法上の「自動車」または「原動機付自転車」にあたることは(1)で述べた。

一方,道路交通法上の定義規定によれば,自動車,原動機付自転車,軽車両及び自転車はいずれも「車」であることを条件としているから,車輪による移動を行わないロボットは道路交通法上の自動車等に該当しないとも解釈しうる。しかし,同法は,同じく「車」である「軽車両」に「そり及び牛馬」を含めており,この「そり及び牛馬」は例示と解されること(だって犬や象だって『牛馬』に含まれるだろう),道路交通の安全を図るという同法の目的に照らせば,同法の適用対象は車輪を移動方法とすると否とを問わないというべきだから,次世代ロボットも原則として,道路交通法上の自動車または原動機付自転車に該当することになる。自動車のCMで,自動車がロボットに返信したとたん交通法規を無視してかっ飛ぶものがあるが,法的に見れば,ロボットに変身したからといって道路交通法規を守らなくてもよいとは言えないだろう。但し,道路交通法施行規則によって,いくつかの器具が「歩行補助者等」または「道路交通法の適用外とされていることから,次世代ロボットも,この除外規定に該当する限り,あるいは,将来次世代ロボットを適用対象外とする規定が設けられるならば,道路交通法の適用を受けないことになる。

ちなみに,電動車いす(いわゆるシニアカー)は,道路運送車両法上は原動機付自転車にあたるが,道路交通法上は,道路交通法施行規則によって適用除外となる「歩行補助車」にあたるため,公道を運転するのに免許は不要とされている。(小林)

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2009年4月15日 (水)

日本国は破産しない…のか?

 本日(2009年4月15日)の日本経済新聞朝刊コラム「大機小機」は意味不明だ。

主旨としては、政府は景気対策のため、赤字国債発行を怖れるな、ということであり、それ自体は一つの考え方として理解できる。分からないのは、「日本国は破産しない」という論拠だ。

コラムによると、「所得を上回る借金を抱え、それが年々増加するなら、民間企業であれば破産する。しかし国の借金と企業の借金とでは全く違う。国の公債が多いということは、国民が公債を買い、その金融資産が増えるということである。だから国は破産しない。」のだそうだ。さっぱり分からない。

文字通り解釈すると、国の債務が増えても、その分国民の資産が増えるから、バランスシートの総額は変わらない、という趣旨だろうか。これは、「日本国」というあるひとつの実体を想定して、バランスシートが1枚しかない、という考えを前提にしている。しかしそれなら明らかに間違いだ。仮に「日本国」という何らかの実体を想定できるとしても、「政府」と「国民」は別のバランスシートを持っている。国が返済期限を過ぎても借金を返さない場合、「日本国」のバランスシート上は全く問題ないが、国債を買った国民は、とても困ると思う。これを「国が破産した」というのだ。もし、「日本国」という1枚のバランスシート上の辻褄さえ合えばよいというなら、国債を全部無効にして、国の借金を帳消しにしても、バランスシートに変動はないから、それでも良いことになるが、コラムの執筆者「越渓」氏は、そういう御意見なのか。

そもそも、国の公債を「国民」が買っている、という前提も間違いだろう。詳細は知らないが、外国政府や外国人・外国企業も、大量に日本国債を買っているはずだ。

あるいは、国民は国債を買ってくれるから、国の返済資金は枯渇しないという趣旨だろうか。しかし、国民が国債を買うのは、国が確実に返済してくれる(利息付きで)という信頼があるからだ。「国民が国債を買うから国は破綻しない」という理論は、「国は破綻しないから国民は国債を買う」という理論を前提としている。つまり循環論法である。

私に経済学の基礎知識がないから、このコラムを理解できないのだろうか。このコラムを読んで、「アメリカの住宅は必ず値上がりするから貧乏人にどんどん貸し付けても破綻は発生しない」という理論とどこが違うのか?と思うのは私だけなのだろうか。(小林)

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2009年4月14日 (火)

アシモやタチコマは自動車か?(1)

現在,日本ロボット工業界(JARAの委託で,「サービスロボット運用時の安全確保のためのガイドライン」策定に関わっている。会議でいつも問題になるのは定義規定の文言だ。特に,自動車との関わりが難しい。すでに自動車はロボット化しつつあり,他方,歩行するロボットが街を闊歩する日も遠くない。では,移動手段として車輪を使用しないロボットは,法律上自動車にあたるのだろうか。また,車輪を利用するロボットの中で,自動車に比べればとてもゆっくりとしか移動しないロボットも,法律上自動車として扱われるのだろうか。自動車に関しては,すでに様々な法規制が存在する。とすれば,移動する次世代ロボットも,自動車に関する法規制に服するのだろうか。

自動車の定義に関する主な法律は,道路運送車両法と,道路交通法だ。自動車の所有者や運転者の法的責任に関する法律も,自動車の定義に関しては,道路運送車両法と道路交通法を引用している。

まず,道路運送車両法が定義する自動車は,原動機を動力として陸上を移動するものであれば足り,車輪による移動に限定していないし,速度に関する条件もない。道路「運送」車両法という法律名だが,定義規定上は,人や物を搭載することを条件にしていない。だから,陸上を自力で移動するロボットは,ただ自律的に移動するだけで何も運送しなくても,道路運送車両法の規定する自動車に該当すると解される。そして,原動機の種類や出力,2輪か否かによって,「自動車」か「原動機付自転車」かに分類されることになる。タチコマが自動車で,アシモが原動機付自転車なんて,感覚的にはおかしな話だが,法律の定義上はそうなる。

次世代ロボットが,道路運送車両法上の自動車に該当する場合には,自動車登録ファイルへ登録しなければ公道における運行が禁止される(法4条)ほか,登録が所有権移転の対抗要件になる(法5条)など,様々な規制に服する。

一方,次世代ロボットが原動機付自転車又は軽車両に該当する場合には,道路運送車両法上,サイズ及び接地部と接地圧について国土交通省令の定めに従うほか,同省令所定のブレーキ,前照灯,クラクション,方向指示器などを備えなければ,公道における運行ができない。

ちなみに,セグウェイは,道路運送車両法上の原動機付自転車に該当するから,上記の様々な器具を備えていない以上,道路での使用が禁止される。ムラタセイサク君も,ムラタセイコちゃんも,道路運送車両法上は原動機付自転車にあたる。(小林)

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2009年4月13日 (月)

「クラウドの衝撃」(東洋経済新聞社)

野村総研の城田真琴氏が著したクラウドコンピューティングの概説書である。「わずか5台のコンピュータが世界を席巻する。このパラダイムシフトに対応できなければ、新時代を生き抜くことはできない。」とはずいぶん大袈裟な宣伝文句だが、「クラウドコンピューティング」が、Web2.0に続く流行語になる可能性は十分あるらしい。

クラウドとは雲のことである。インターネットを図で表すとき、モコモコと雲のような絵を描くことが多い。インターネットは本来、複雑なネットワーク網と膨大なコンピュータ群によって構成されるが、それをいちいち書くと煩雑なので、モコモコで誤魔化すわけだ。

クラウドコンピューティングとは、このモコモコをモコモコと認め、ユーザーがインターネット網の向こう岸にあるコンピュータを意識せずに、色々なサービスを利用できるようにする技術である。別に未来の技術ではなく、アマゾンやグーグル、楽天などを利用するユーザーは、既にクラウドコンピューティングを利用している。

本書は、現在普及しつつあるこの技術が、近い将来一般的になり、一般市民や企業は、もはや高価で大きなコンピュータを自宅や会社に置くことなく、インターネットを通じて生活やビジネスができる世の中になる、と予言している。

それはそれで結構な話だが、法律家としてこの話を聞くとき、プライバシー情報やセキュリティは一体どうなるのか、という疑問を持たずにはいられない。膨大なコンピュータ群をクラウドと総称したところで、具体的なデータ保管やその処理は、どこかのサーバーやコンピュータで行われているのだから、そのサーバーやコンピュータがどの国に置かれているかで、適用法律やプライバシー情報の保護内容が変わってくる。プライバシーやセキュリティの保護が曖昧になってくるというリスクもある。

本書もそのあたりは意識しており、EU(欧州連合)は「データ保護指令」の中でEU内の住民の個人データに関して、十分なレベルの保護が行われていない第3国へのデータ移動を禁止していることや、カナダの公的機関が米国の愛国者法の適用を懸念して、米国内のサーバーの利用を禁止していること、各国でプライバシーやセキュリティの懸念が高まっていることに触れている。

日本政府もクラウドコンピューティングへの関心を高めており、「霞ヶ関クラウド」とか、「ICTニューディール」とか、言い始めている。これらのトレンドの中で、プライバシーやセキュリティは、再び、インターネットとどう付き合うか、という問題を突きつけられることになるのだろう。(小林)

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2009年4月 9日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか?(総会編 3 ~総集編~)

平成9年10月15日日弁連臨時総会編~鬼追明夫執行部の奮闘と挫折~

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I.   臨時総会開催に至る経緯

対外的には日弁連の迷走と分裂と頑迷さと勘違い,そして意思決定能力の欠如を明らかにしただけの土屋公献日弁連会長が任期満了で退任し,平成8,9年の日弁連会長選挙では司法改革路線の継承を謳う鬼追明夫弁護士(大阪)と,同じ大阪弁護士会の小野良一弁護士の一騎打ちとなった。鬼追明夫弁護士は,法曹養成制度等改革協議会の日弁連側中核メンバーであり,法曹人口大幅増員推進論者であって,これに反対する立場から見れば,悪の親玉のような存在である。しかし増員反対派は,選挙の3ヶ月前の日弁連総会では3500票以上を集約したにもかかわらず,日弁連会長選挙では活動しなかった。鬼追明夫候補8731票,小野良一候補1672票と,大差で鬼追明夫日弁連会長が誕生した。

鬼追執行部1年目の平成8年(1996年)7月から法曹三者協議が始まる。この三者協議は、「今後、法曹三者は、本意見書の趣旨を尊重して、真に国民的見地にたった司法試験制度及び法曹養成制度の抜本的改革を実現させるため、直ちに協議を行い、速やかに具体的な方策を採らなければならない。」とした前年の法曹養成制度等改革協議会の付帯条項に基づくものだ。この三者協議では,司法試験合格者「当面の1000人」と「中期目標の1500人」の司法修習生をどのような体制で養成するかが協議された。最高裁判所と法務省は,修習期間を短縮しなければ対応できないと主張し,それは本末転倒と日弁連は抵抗する。結局,修習期間は1年半で妥結する。しかし,日弁連は平成7年11月2日の臨時総会で,司法試験合格者年1000人と修習期間2年堅持を決議していたので,この決議を変更しなければならない。そこで,平成9(1997年)年10月15日の臨時総会が招集された。

執行部案は長文だが,要点は次の3点である。

1.         法曹一元制度の実現

2.         1000人体制下での検証を経た1500人体制の協議

3.         修習期間1年半の受け入れ

これに対して,修習期間2年堅持を主旨とする反執行部案が提案された。

執行部案は,冒頭に法曹一元の実現を掲げている点が注目される。司法試験合格者年3000名を受け入れる平成12年(2000年)の日弁連総会は僅か3年後であるが,この総会決議文に42も用いられた「法曹一元」という文言は,この総会で公式に復活した。

II. 執行部支持派と反執行部派の論理

この時の日弁連臨時総会で,法曹一元という文言が公式に復活した。とはいえ,この総会では,法曹一元の内容には全く触れられていない。坂本秀文副会長(大阪 故人)により,「法曹一元を志向する第一歩として,研修弁護士制度を非公式ながら三者協議で打診した」と紹介されているのみである。この総会において重要なことは,法曹一元の中身ではなく,法曹一元が,法曹人口増員と,修習期間短縮の根拠として用いられていることである。これは,2000年12月1日の日弁連臨時総会で,より端的に用いられるレトリックとなる。

これに対して,反執行部派は,修習期間の短縮は分離修習への道を開くものだから絶対反対するべきだし,その結果三者協議が決裂してもやむなしという。また,執行部派が論拠とする法曹一連論は,法曹人口増や修習期間の短縮とは無関係であるという。

さすが弁護士というべきか,あるいは,3回目の臨時総会で敵味方双方とも論点の整理ができてきたというべきか,この臨時総会での議論は整理しやすく,分かりやすい。佐藤幸治風に整理すると,議論はA執行部派とB反執行部派に分かれ,執行部派の論拠はA’三者協議を決裂させることは現実的な戦略でないとするもの,A’’法曹一元のためには,執行部案を支持すべきとするものに分類される。一方反執行部派は,B’三者協議は決裂やむなし,国民に正当性を訴えるべきとするもの,B’’法曹一元と法曹人口増ないし修習期間短縮は無関係とするもの,に分類される。それぞれの主張を概観しよう。

法曹三者協議

法曹一元

A執行部派

A’維持

A’’推進

B反執行部派

B’決裂やむなし

B’’修習期間短縮と無関係

まずB’の,三者協議決裂やむなし,という意見としては,「戦前の官尊民卑を克服し,民主的法曹を育てる制度としてスタートした司法修習制度の中心は実務修習であり,これには最低2年間の期間が不可欠である。修習期間1年半を認める執行部案は,残りの6ヶ月で裁判官・検察官の独自修習を想定するものであり,戦前の分離修習への道を開くものであって,司法官僚制確立の一手段であり,法曹の質を低下させる。これと闘っても負けるという執行部案の議論ほど偽りに満ちたものはない。日弁連は正論を国民に訴えるべきであり,国民に理解されないはずがない。現時点で成功していないのは,日弁連全体で国民に本気で訴えかける運動をしていないから。執行部の翼賛体質を改めさせないといけない」(上野登子弁護士 二弁,岡村茂樹弁護士 埼玉,瀧康暢弁護士 愛知,池本誠司弁護士 埼玉,武内更一弁護士 東弁,北條神一郎弁護士 埼玉,佐久間敬子弁護士 仙台,野間美喜子弁護士 愛知,前田知克弁護士 二弁),などがある。

これに対してA’の現実的な戦略をとるべきだとの意見としては,「反執行部案の意見はまことにもっともだが,実現可能性がない。国民の支持も得られていない」(金子光邦弁護士 東弁),「重要なことは修習期間ではなく修習の質。三者協議を決裂させることは,弁護士会の修習への取組の障害になる」(古口章弁護士 東弁)などがある。

また,A’’法曹一元のためには,執行部案を支持するべしとする意見としては,「矢口洪一元最高裁長官でさえ,法曹一元を採用すべきであると述べている」(川中宏弁護士 京都),「日弁連が法曹一元実現のため国民運動を起こすことが執行部案の延長にあると構想して,執行部案を支持する」(斉藤浩弁護士 大阪),「弁護士はまだまだ足りない,研修弁護士制度を積極的に発展させて,日弁連が法曹養成の担い手になるべき」(吉野正弁護士 福岡)「元最高裁長官やマスコミの論者も,真っ正面から法曹一元の必要性を訴えている。ここ3,4年こそが大きな司法改革,法曹一元に向かって前進する好機」(中村洋二郎弁護士 新潟),「私が執行部案を積極的に支持するのは,研修弁護士案が入ったから」(高野嘉雄弁護士 奈良)などがある。

これに対して,B’’法曹一元論は法曹人口増や修習期間短縮とは無関係という見解としては,「最高裁と法務省は戦後50年間続いた司法養成制度,統一修習制度を根幹とするこれを壊そうとしている。戦前の日弁連が戦争に翼賛していった一つの大きな根幹に,分離した不平等な修習による害悪があったことは,だれでもが認めるでしょう。執行部は法曹一元と言って,そこから目をそらしています」(鈴木達夫弁護士 二弁)などがある。

III.          名演説のご紹介

長文になるが,名演説を抜粋してご紹介しよう。

反執行部派からは高山俊吉弁護士(東京)である。

「執行部案は分かりにくい。簡単な事件を起こしたときに,わけの分からない対応が出てきた経験は皆さんもおありでしょう。問題の本質はかなり単純である。それをやたら難しいさまざまな問題で粉飾をしている。粉飾を全部取り払ってみよう。添加剤や可塑剤を払ってみてみよう。そこにあるのは何か,単なるただの1年半受け入れ案だ,それ以外のものではない。

法曹一元,まことに正しい,誤りのない方針である。しかしこのときに法曹一元を言うから,これを我々はまやかしという。1年半は正しいのか正しくないのか,なぜ正面から問わないのか。外圧があるというなら,それは正義の要求なのかを明らかにすべきである。正面から問題を考えようとすることを,一貫してサボタージュしているのが執行部である。

なぜそのような欺瞞的な態度を一貫するのか。条件もないのにあれこれのことを言いつのる。そうすれば本当に真剣に,あるいは善意に考えている多くの人たちが,その中にもしかしたら我々の一歩前進が期待できるかもしれないとはかない期待をも含めて賛同してくる。その賛同を,善意をかすめ取ろうとしている。

我々は賛成できないことは賛成できないと言うことによって,この次の反撃の機会をつくる,その橋頭堡を築いてきた。さまざまな闘いというのは,必ず私たちはそうしてきたのではないか。歴史の教訓ではないか。一歩譲歩をすれば,そこからその次の譲歩への道をつくる。このことは,これまた歴史の教えるところである。仕方がない,仕方がないという言葉を千,万集めても何の力にもならない。そういう集まりを『烏合の衆』という。日弁連の意思決定のプロセスの中にまやかし,ごまかしを混入させる,そういう機会を絶対につくってはならない」

執行部案の本質を的確に捉え,説得力をも備えた名演説だと思う。

執行部案支持の意見として,藤本齊弁護士(二弁)を紹介する。

「私はこの問題について,ある意味で静かに再出発をするというときを迎えているんではないかというふうに思います。そのために,やはり事実に基づいてリアルに見ていくというふうにしたいと思っています。この問題が運動になるかという問題を私は提起しました。日弁連としては現行の統一・平等・公正の制度を高く評価するという点では一致しておりますが,修習期間の問題では,必ずしも一致していないことが明らかになってきました。これで何を訴えていくかというときに,期間の問題を前面に掲げて訴えていくということが人々の理解を得られるとは思えないし,得られてこなかったというのが実際ではないかというふうに思っています。

それからも一つ,日弁連は,サークルのような任意団体でなく,公法人であり,行政権を行使しているにもかかわらず,政府から独立した自治団体であるということによって,その使命を国民から付託されている,責任ある組織であります。我々は法曹養成制度等改革協議会のなかで孤立してきたという事実があります。多数意見に対して批判的な見地を持ち続けるということは当然でありますけれども,事実は事実として,あそこで孤立したのだということは見なければならないだろうというふうに思います。そして多数意見と少数意見を並べて書かれて,これを尊重して具体的な方策を速やかにとれと言われて,とりましょうということでやっている三者協議の中で,少数意見でいけばええねんというふうには,やはり開き直るわけにはいかない。ここが実に苦しいところだということを,やはり冷静に見る必要があるだろうというふうに思います。

『決裂辞さず,国民運動で』と言うのは楽でございますが,多数意見の方も全く国民の声でないとは,ちょっと言えないでしょう。そのときに決裂辞さずということでいった場合には,やっぱり弁護士どもというのは,見てみろ,国民の声が気に入らないと,自分の気に入る国民を,国民運動で,とかいって探しに出かけていくような,そういうやつなんだというふうに言われかねない。国法上の組織である日弁連が,この問題について鈍感であっていいというふうには,私は到底思えません。

運動論を語るときに,やる気の問題などというのは,それは全くの主観主義です。運動を考えるときも一つ一つ事実に基づいてリアルに考えていく必要があると思います。」

反執行部派の矛盾を的確に突き,日弁連の苦しい立場を明確に弁護する名演説である。高山俊吉弁護士が動の名演説とするなら,藤本齊弁護士は静の名演説。炎の高山俊吉に対して氷の藤本齊。両者とも見事だと思う。

IV.         総会の結果

この臨時総会における議題は,修習期間1年半への短縮と,司法試験合格者数を将来1500人に増加することの承認であった。この二つの議題と法曹一元とは,論理的に無関係である。だから,法曹一元をもってくるのはまやかしである,という高山俊吉弁護士の指摘は正しい。

しかしこの総会における問題点は,執行部の態度が仮にまやかしであるとしてもなお,これをやむを得ないものとして承認するか否かであろう。

採決の結果,7455対3903で執行部案が承認され,臨時総会は終了した。3500票差,ダブルスコアに近い大差であり,それ以前の臨時総会に比べ,歴然とした差がある。日弁連総会は投票の9割が委任状によるものだから,事前に勝敗は完全に決していたことになる。

この臨時総会の顛末を鬼追明夫日弁連会長ら執行部について総括するならば,土屋公献前会長の任期中,分裂し迷走した日弁連を,「法曹一元」という錦の御旗によって再統合しようとした試みは,一応の成功を収めたと言えるだろう。この試みによって執行部は,「法曹人口増や修習期間の短縮には基本的に反対だが,法曹一元が実現するならOKとする相当数の弁護士」を執行部派に取り込むことに成功する。これによって,現在まで続く「司法改革路線」のレールが完成したともいえる。そして,この「法曹一元」崇拝者(=高山俊吉弁護士によって,『(執行部案に賛成すれば)もしかしたらわれわれの一歩前進が期待できるかもしれないというはかない期待をも含めて賛同してきた,本当に真剣に,あるいは善意に考えている多くの人たち』と表現された弁護士)たちは,その後日弁連が司法試験合格者年3000人を積極的に受け入れる一つの勢力になっていく。

一方反執行部派について総括するならば,鬼追明夫弁護士が日弁連会長候補に立つことはその前年,つまり平成7年(1995年)の夏には分かっていたことなのだから,本気で執行部案を阻止する気があるなら,有力な対立候補を立てるべきだったし,鬼追明夫日弁連会長当選後も,この臨時総会までの1年半のうちに,打てる手はあったはずである。臨時総会でいくら正論を述べても,委任状が投票の9割を占める以上,委任状集めで五分五分程度に持ち込まなければ勝ち目のあるはずもない。日弁連内部の多数を結集する力もないのに,国民運動を巻き起こすと言っても,一般会員がついてくるわけがない。結局のところ,反執行部派は口だけで,はじめから勝つ意思が全く無かったのである。

最後に一般会員について一言だけ述べるなら,連戦連敗で,あきらめムードが支配していたというのが,最も適切な評ではないかと思う。

とにもかくにも,鬼追明夫日弁連会長は,反執行部に勝つための戦略を練り,その戦略によって勝利した。しかし,この臨時総会には致命的な欠陥があった。それは平成9年10月15日という,総会の日付にあった。

V. 鬼追明夫執行部の奮闘と挫折

鬼追明夫日弁連会長は,法曹一元という,戦前以来の日弁連の悲願を,法曹養成問題,ひいては法曹人口問題に結びつけることによって,法曹人口問題を巡って分裂し迷走した日弁連の多数を再び統合することに成功した。

しかし,鬼追明夫日弁連会長の目的は,もちろん,日弁連の再統合に尽きるのではない。日弁連は仲良しサークルではないのだから,再統合それ自体が目的になるはずもない。鬼追明夫日弁連会長の目的は,法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守ることにあった筈だ。それならば,日弁連は,法曹人口問題におけるイニシアティブを守り得たか。

答えは否である。この臨時総会の後,平成11年(1999年)6月に設置され,翌年8月には司法試験合格者数年3000人を事実上決定する司法制度改革審議会は,日弁連を含む法曹三者を排除して編成された。審議会委員であった中坊公平もと弁護士は,日弁連の法的代表ではなく,13人の委員中3人いた弁護士委員の一人に過ぎない。その意味するところは、日弁連には司法制度改革審議会の決定に反対する方法がなくなった、ということだ。その前の法曹養成制度等改革審議会のときは、少なくとも日弁連として反対することができたし、会議を決裂させることもできた(決裂させた場合どうなったかは別にして)。これに対して司法制度改革審議会では、日弁連はオブザーバーとしてしか参加できなくなった。決裂させることすらできない。つまり、日弁連は,法曹人口問題に関するイニシアティブを失ったのである。

苦渋の決断を重ねて法曹三者協議を合意にこぎ着けたのに,鬼追明夫執行部の何がいけなかったのだろう。答えは明白だ。意思決定が遅すぎたのである。これが1年早ければ,その後の流れは違っていたかもしれない。

法曹養成制度等改革協議会が法曹三者の誠実迅速な協議を促す意見書を採択した平成7年(1995年)からほぼ2年も経ったのに,決まったことと言えば修習期間が2年から1半になっただけ。これを聞いたマスコミは日弁連を冷笑した。「2年もかけて何をやっているんだ。民間企業にやらせたら2週間で足りるよ。」という反応であろう。鬼追明夫会長は,この反応に「一番ショックを受けた」と振り返っている(自由と正義1999年3月号)。

もちろんこの2年間,日弁連執行部を含め法曹三者は,決して怠けていたわけではない。その経緯は自由と正義47巻11号(山本孝宏弁護士)や49巻1号(岩井重一弁護士)に詳しい。しかし,月1回の協議ペースに加え,法曹養成制度等改革協議会意見書の文言解釈争いに時間を費やすという,いかにも法曹的な協議のあり方は,外部からは冷笑の対象にしかならなかった。確かに,後の司法制度改革審議会が,2年間に63回,ほぼ10日に1回開催されたことに比べれば,ペースの遅さを批判されてもやむを得ない。日弁連は,全国49弁護士会を束ねるとはいえ上命下服の関係になく,各弁護士会と日弁連担当委員会のボトムアップで意思決定をせざるを得ないという制度上の限界,強制加入団体である故に様々な考えを持つ弁護士の集合体であり,かつ,1人ひとりの会員弁護士が様々な思想と利害関係に基づいて一匹狼的に意見を闘わせるという弁護士会独特の気風などの要因が,致命的な意思決定の遅さを招いていた。最高裁・法務省と日弁連との間に横たわる,昭和30年代から続く根強い相互不信も,協議の進行を妨げた。加えて,先進諸外国に比べ圧倒的に少ない司法予算の範囲内で,一定の質を維持しつつ法曹を養成するためには,司法試験合格者年1500人,修習期間1年ないし1年半が物理的限界であることも明らかになってきた。

法曹三者に任せた結果遅々として進まない協議と,そして司法予算から来る物理的限界が,平成9年(1997年)末,政府に,司法制度改革の担当者から法曹三者(特に日弁連)を外す,という決断をさせることになる。

「法曹一元という錦の御旗を掲げて,日弁連の相対多数の支持を得て,法曹三者協議の決裂を回避することによって,法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守る」という鬼追明夫日弁連会長の政策。この政策の是非は今問わない。大事なことは,鬼追明夫日弁連会長とその執行部は,この政策に基づいてやれるだけのことはやった,ということであり,それにもかかわらず,「法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守る」という目的は獲得できなかった,ということである。つまり,鬼追明夫日弁連会長は,失敗したのだ。

そしてまた,三者協議の決裂を回避しても駄目だったのだから,三者協議を決裂させれば,なおさら駄目だったことも明らかであろう。

結局のところ,平成9年10月15日に日弁連総会が開催される前に,3000人への流れは決していたのである。(小林)

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2009年4月 7日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 22)

平成91015日日弁連臨時総会(8

もちろんこの2年間,日弁連執行部を含め法曹三者は,決して怠けていたわけではない。その経緯は自由と正義4711号(山本孝宏弁護士)や491号(岩井重一弁護士)に詳しい。しかし,月1回の協議ペースに加え,法曹養成制度等改革協議会意見書の文言解釈争いに時間を費やすという,いかにも法曹的な協議のあり方は,外部からは冷笑の対象にしかならなかった。確かに,後の司法制度改革審議会が,2年間に63回,ほぼ10日に1回開催されたことに比べれば,ペースの遅さを批判されてもやむを得ない。日弁連は,全国49弁護士会を束ねるとはいえ上命下服の関係になく,各弁護士会と日弁連担当委員会のボトムアップで意思決定をせざるを得ないという制度上の限界,強制加入団体である故に様々な考えを持つ弁護士の集合体であり,かつ,1人ひとりの会員弁護士が様々な思想と利害関係に基づいて一匹狼的に意見を闘わせるという弁護士会独特の気風などの要因が,致命的な意思決定の遅さを招いていた。最高裁・法務省と日弁連との間に横たわる,昭和30年代から続く根強い相互不信も,協議の進行を妨げた。加えて,先進諸外国に比べ圧倒的に少ない司法予算の範囲内で,一定の質を維持しつつ法曹を養成するためには,司法試験合格者年1500人,修習期間1年ないし1年半が物理的限界であることも明らかになってきた。

法曹三者に任せた結果遅々として進まない協議と,そして司法予算から来る物理的限界が,平成9年(1997年)末,政府に,司法制度改革の担当者から法曹三者(特に日弁連)を外す,という決断をさせることになる。

「法曹一元という錦の御旗を掲げて,日弁連の相対多数の支持を得て,法曹三者協議の決裂を回避することによって,法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守る」という鬼追明夫日弁連会長の政策。この政策の是非は今問わない。大事なことは,鬼追明夫日弁連会長とその執行部は,この政策に基づいてやれるだけのことはやった,ということであり,それにもかかわらず,「法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守る」という目的は獲得できなかった,ということである。つまり,鬼追明夫日弁連会長は,失敗したのだ。

そしてまた,三者協議の決裂を回避しても駄目だったのだから,三者協議を決裂させれば,なおさら駄目だったことも明らかであろう。

結局のところ,平成91015日に日弁連総会が開催される前に,流れは決していたのである。(小林)

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2009年4月 5日 (日)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 21)

平成91015日日弁連臨時総会(7

鬼追明夫日弁連会長は,法曹一元という,戦前以来の日弁連の悲願を,法曹養成問題,ひいては法曹人口問題に結びつけることによって,法曹人口問題を巡って分裂し迷走した日弁連の多数を再び統合することに成功した。

しかし,鬼追明夫日弁連会長の目的は,もちろん,日弁連の再統合に尽きるのではない。日弁連は仲良しサークルではないのだから,再統合それ自体が目的になるはずもない。鬼追明夫日弁連会長の目的は,法曹人口問題における日弁連のイニシアティブを守ることにあった筈だ。それならば,日弁連は,法曹人口問題におけるイニシアティブを守り得たか。

答えは否である。この臨時総会の後,平成11年(1999年)6月に設置され,翌年8月には司法試験合格者数年3000人を事実上決定する司法制度改革審議会は,日弁連を含む法曹三者を排除して編成された。審議会委員であった中坊公平もと弁護士は,日弁連の法的代表ではなく,13人の委員中3人いた弁護士委員の一人に過ぎない。その意味するところは、日弁連には司法制度改革審議会の決定に反対する方法がなくなった、ということだ。その前の法曹養成制度等改革審議会のときは、少なくとも日弁連として反対することができたし、会議を決裂させることもできた(決裂させた場合どうなったかは別にして)。これに対して司法制度改革審議会では、日弁連はオブザーバーとしてしか参加できなくなった。決裂させることすらできない。つまり、日弁連は,法曹人口問題に関するイニシアティブを失ったのである。

苦渋の決断を重ねて法曹三者協議を合意にこぎ着けたのに,鬼追明夫執行部の何がいけなかったのだろう。答えは明白だ。意思決定が遅すぎたのである。これが1年早ければ,その後の流れは違っていたかもしれない。

法曹養成制度等改革協議会が法曹三者の誠実迅速な協議を促す意見書を採択した平成7年(1995年)からほぼ2年も経ったのに,決まったことと言えば修習期間が2年から1半になっただけ。これを聞いたマスコミは日弁連を冷笑した。「2年もかけて何をやっているんだ。民間企業にやらせたら2週間で足りるよ。」という反応であろう。鬼追明夫会長は,この反応に「一番ショックを受けた」と振り返っている(自由と正義19993月号)。(小林)

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2009年4月 2日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか(総会編 20)

平成91015日日弁連臨時総会(6

この臨時総会における議題は,修習期間1年半への短縮と,司法試験合格者数を将来1500人に増加することの承認であった。この二つの議題と法曹一元とは,論理的に無関係である。だから,法曹一元をもってくるのはまやかしである,という高山俊吉弁護士の指摘は正しい。

しかしこの総会における問題点は,執行部の態度が仮にまやかしであるとしてもなお,これをやむを得ないものとして承認するか否かであろう。

採決の結果,74553903で執行部案が承認され,臨時総会は終了した。3500票差,ダブルスコアに近い大差であり,それ以前の臨時総会に比べ,歴然とした差がある。日弁連総会は投票の9割が委任状によるものだから,事前に勝敗は完全に決していたことになる。

この臨時総会の顛末を鬼追明夫日弁連会長ら執行部について総括するならば,土屋公献前会長の任期中,分裂し迷走した日弁連を,「法曹一元」という錦の御旗によって再統合しようとした試みは,一応の成功を収めたと言えるだろう。この試みによって執行部は,「法曹人口増や修習期間の短縮には基本的に反対だが,法曹一元が実現するならOKとする相当数の弁護士」を執行部派に取り込むことに成功する。これによって,現在まで続く「司法改革路線」のレールが完成したともいえる。そして,この「法曹一元」崇拝者(=高山俊吉弁護士によって,『(執行部案に賛成すれば)もしかしたらわれわれの一歩前進が期待できるかもしれないというはかない期待をも含めて賛同してきた,本当に真剣に,あるいは善意に考えている多くの人たち』と表現された弁護士)たちは,その後日弁連が司法試験合格者年3000人を積極的に受け入れる一つの勢力になっていく。

一方反執行部派について総括するならば,鬼追明夫弁護士が日弁連会長候補に立つことはその前年,つまり平成7年(1995年)の夏には分かっていたことなのだから,本気で執行部案を阻止する気があるなら,有力な対立候補を立てるべきだったし,鬼追明夫日弁連会長当選後も,この臨時総会までの1年半のうちに,打てる手はあったはずである。臨時総会でいくら正論を述べても,委任状が投票の9割を占める以上,委任状集めで五分五分程度に持ち込まなければ勝ち目のあるはずもない。日弁連内部の多数を結集する力もないのに,国民運動を巻き起こすと言っても,一般会員がついてくるわけがない。結局のところ,反執行部派は口だけで,はじめから勝つ意思が全く無かったのである。

最後に一般会員について一言だけ述べるなら,連戦連敗で,あきらめムードが支配していたというのが,最も適切な評ではないかと思う。

とにもかくにも,鬼追明夫日弁連会長は,反執行部に勝つための戦略を練り,その戦略によって勝利した。しかし,この臨時総会には致命的な欠陥があった。それは平成91015日という,総会の日付にあった。(小林)

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BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)は二種類あるらしい

先日、内閣府の社会還元加速プロジェクトに委員として出席し、中島八十一医学博士からBMI研究の進捗状況について話を聞いた。BMIとは要するに、脳とコンピューターを直接結び、考えただけで機械が動くようにする、未来の技術である。

しかし、話を聞いてみると、BMIには二種類あるらしい。もしこの理解が間違っていたら誰か教えて下さい。

一番目は、体の動作など、比較的単純(というより動物的な)なものに関するBMIである。言い換えると、人種や性別などの影響を受けず、個性もない脳の命令に関するBMIである。例えば、「右手を挙げる」という動作を命じる脳の信号は、おそらく、全人類共通だから、誰からも同じ脳波が検出される。そしてこの信号は筋電より明確らしいので、電子義手や電子義足を動かすためには、BMIの方が有効と思われる。

二番目は、言語や思想など、高級な(人間的な)脳の命令である。たとえば「A」という文字を表示させたいと考えたとする。このとき発せられる脳波は、全人類共通であるとは限らない。より複雑な、たとえば「テレビの電源を入れる」という思想の脳波には、強く個性が反映され、たぶん各人まちまちであろう。このほか空間把握の方法が男女で全く違うことは、よく指摘されているところである。このような場合、特定の脳波と、機械の特定の動作を、直接結びつけることができない。その人の個性を介在させる必要がある。

中島博士によるBMIのプレゼンでは、考えただけで動作するワープロが紹介されていた。特別な訓練をしなくても、平均1文字7秒でワープロが打てるという。確かに画期的な技術だが、プレゼンで紹介された動画によれば、被験者はパソコンの画面上に点滅する文字に集中することで、その文字を出力している。つまり、「被験者が『A』と考えたから『A』と表示した」のではなく、「画面に『A』という文字が表示されたとき、被験者の脳波が昂進する点をとらえ、被験者が『A』と考えていることを推測する」ということなのだろう。これは人間の個性というやっかいな障害を回避するアイデアとしては評価できるが、厳密な意味でのBMIと呼べるかについてはやや疑問が残る。最大の問題は、このやり方の場合、処理速度の向上には本質的な限界があるという点だ。文字通り「考えただけで機械が動く」ようにするには、二番目のBMI技術しか無いと思う。

二番目のBMIの場合、その人の個性を介在させる必要がある、ということの意味は、その人の脳波を、機械による特定の動作に対応するよう翻訳するシステムを設ける必要がある、ということだ。太郎君が「テレビの電源を入れる」と考えたときの脳波と、花子さんが同じことを考えたときの脳波は違うので、それぞれを、同じ「テレビの電源を入れる」という機械の動作に翻訳する必要がある。そのためには、太郎君の脳波と、花子さんの様々な脳波パターンを登録し、機械動作との対応関係表を作成しておかないといけない。

これは「人格のコピーをつくる」ということに、かなり接近する問題である。とすると、法律上、倫理上の問題を避けて通ることができない。BMIにも、将来、このような問題が発生することになろう。(小林)

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