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2009年5月 6日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか?(総会編4 ~総集編~)

平成12111日日弁連臨時総会編 ~敗戦処理の総会~

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I.               本総会の意義

平成12111日,日弁連会館講堂「クレオ」に1400名余,代理出席と合計して12000人以上の会員弁護士を集めて開催された臨時総会では,平成22年(2010年)からの司法試験合格者数を年3000人とすることの受入を内容とする執行部案が,74373425で採決された。

4回の臨時総会中,最多数が出席した上、最長の9時間以上を要し,最も荒れた総会は,しかし,票差にして4000票以上,ダブルスコアを超える大差となった。この差は,過去4回の臨時総会中最も大きい。

この総会に先立つ平成1162日,司法制度改革審議会設置法が成立する。同法の1条は,「内閣に,司法制度改革審議会を置く」と定める。これにより,「司法制度の改正にあたっては法曹三者の意見を一致させて実施するよう努めなければならない」という昭和45年(1970年)の参議院法務委員会付帯決議は覆され,司法制度改革の権限は法曹三者から内閣に移転した。同時に,司法制度改革の調査審議は,法曹三者ではなく,司法制度改革審議会が行うこととなった。

平成11611日,13名の委員が任命される。委員の中には,日弁連,最高裁,法務省の代表者はいない。委員の中に中坊公平もと弁護士はいたが,彼は法的には,日弁連の代表ではない。すなわちこのとき,日弁連は,法曹人口問題に関与する権限を公式に失った。

平成128月,平成22年(2010年)からの司法試験合格者年3000人の構想が,司法制度改革審議会で内定する。これを日弁連として積極的に受け入れるか否かが諮られたのが,111日の臨時総会である。

3回の臨時総会に比べ,決定的に異なるのは,執行部案が可決されようが否決されようが,司法制度改革審議会の意見に対する法的影響が全くない,という点である。そもそも司法制度改革審議会は,法曹人口問題から日弁連を外すことを目的に設置されたのだ。つまり,日弁連の権限が及ばないところで,3000人は内定した。この内定を,日弁連として受け入れるか否かが諮られたのが,この総会である。受け入れなくても,内定に変更はない。

例えとして最適か否か自信がないが,昭和20814日の御前会議で,日本政府はポツダム宣言受諾を決定した。しかし,この決定によって,日本が太平洋戦争に負けたという歴史認識は間違いである。この時日本はすでに太平洋戦争に負けており,これを政府が公式に受け入れたのが,御前会議であるにすぎない。御前会議で政府が選択したのは,本土決戦前にポツダム宣言を受諾するという「負け方」であって,「負けるか否か」を選択したのではない。平成12年の臨時総会で執行部案を否決すれば日弁連が負けることはなかったと主張する弁護士の意見は、このたとえ話で言えば、本土決戦に持ち込めば太平洋戦争に勝てた、という陸軍青年将校の主張に等しい。極左と極右の精神構造は同じ、とは良く言われることだ。

話を戻そう。平成12年(2000年)111日の日弁連臨時総会は,日弁連にとって,ポツダム宣言受託を決した御前会議並みの歴史的意義を有するかもしれないが,それ以上の意味はない。

この時すでに,日弁連は負けていたからだ。

II.         執行部の発言

まず,久保井一匡日弁連会長を中心に,執行部の発言を振り返る。(『』は執行部内他者の発言)

「(執行部案が掲げた)司法改革の改革課題は,法曹一元と陪審制の実現,市民に開かれた弁護士制度の構築,それにふさわしい法曹養成システムの構築の3つであり,まとめると,官僚的で小さな司法を見直して,市民に開かれた大きな司法をつくるということであります。日弁連として,その構築の段階から参画することがどうしても必要であり,できあがってから受動的に賛成するとかボイコットするのでは,日弁連としての責務を果たしたことにはなりません。『(年3000人は)従来の日弁連決議とは一貫性がないし,現状は3000名を直ちに吸収できる状況にはないと認識している』(平山正剛副会長)。しかし,明日からすぐ3000人になるというわけではなく,21世紀は行政主導の社会ではなくて,1人1人の個人や企業が自立して活動を展開しなければならない社会になる。そうなれば,トラブルの発生が多発してくる。さらに,国際化,グローバル化,高度情報化,高齢化する複雑な社会では,否応なしに法化社会に進んでいく。消費者被害や破産事件の増加を見ても,それは明らかだと思うわけであります。

また,扶助予算の増額に応じて,弁護士数を増加させる必要があります。国民の必要とする法曹人口数は,年3000人とか全部で5万人とか決まっているわけではなくて,マーケットとか需要とかが法曹人口の一つのファクターになってくる。最終的には,国民なり利用者が決めるということが基本的な原則であると思います。

確かに,法曹人口を増員したときに,懲戒機能を拡充しても,不祥事の発生を完全に妨げるとは言い切れない部分があると思います。しかし,だから遡って必要な人口も増やさないというのは,議論としては逆立ちであると思います。

また,増員した弁護士の就職先として公務員を考える場合,弁護士が公権力側に立つことによって,人権擁護という基本使命と両立し得なくなるのではないかというご質問ですが,法律家が行政の中に入って,法律による正しい行政をやって貰うようにそのコントロールをしていく,一種のコンプライアンスということもあると思います。在野が権力にはいるのは間違いだと機械的にはいかないので,筋を通してやっていけば十分に両立しうると思います。

3000人で増やしていって,5万人になったら打ち切りと言ったって,ロースクールが承知しないのではないかというご質問ですが,大企業でも,社会の養成によって大幅に工場を削減する,減らしていくということだって,当然これはあっていいことと考えます。」

久保井一匡日弁連会長の答弁は,激増する弁護士を支える需要の見通しや,増えすぎた場合の調整について,絵空事というべき発言に終始しており,無責任との誹りを免れない。

ただ,一方,久保井一匡日弁連会長が,なぜこのような夢みたいなことを言ったのかを考えたとき,私としては一抹の同情を禁じ得ないことも事実である。弁護士増員にしても,ロースクールの削減にしても,既に日弁連の関与しうるところではなくなっていたし,頼みの綱の法曹一元さえ,臨時総会前日の司法制度改革審議会での激論の末,事実上葬り去られていた。責任の持てない問題について,やけくそになって夢物語を語ったというのが実情に近いのではないかと,今の私は想像している。

III.      執行部案支持の討論と論評

次に,執行部案に賛成の討論をいくつかご紹介する。

司法改革,法曹一元を前面に押し出して賛成した意見として,福原弘弁護士(東弁)は,「執行部案は第一に,大きな司法の実現を改革の中心課題とした点,その障害となっていた(少ない)法曹人口について,『国民が必要とする数を確保するように務める』と明言している点は,特に高く評価すべきであります。法曹人口を充実させることにより,社会の隅々にまで法の支配を及ぼす基礎ができます。そして,法曹一元や陪審の実現をより具体的に実現可能な制度として,力強い運動を進めることができるようになります。」などと述べた。

福原弘弁護士は,平成6年(1994年)の日弁連臨時総会においても,執行部案を支持する討論を行い,このときは,「(700人に固執すれば)マスコミの批判を浴び,国民の信頼を失う。そうなったら,司法試験改革から日弁連は外され,簡単に2000人,3000人という大量増員が進められることになる」と述べている。このとき予言した最悪の結果が実現するというときに,これを「高く評価する」というのはいかなる心境の変化によるものか,私には理解できない。

樋口俊二弁護士(東京)は,「先ほど,5万人という弁護士規模について,具体的な根拠がないようにおっしゃいましたけれども,これもちゃんとございます。これは法曹一元という立場からしますと,5万人規模の弁護士がないと法曹一元は実現不可能と。これは東京大学の田中教授もそう言うことをおっしゃっている。」と述べた。すでにのべたように、この総会の前日、司法制度改革審議会において、法曹一元論は葬り去られていた。樋口俊二弁護士の主張は、これを知ってのことなら愚かであるし、知らないでのことなら哀れである。なお、未だに東京弁護士会の意見書は,露と消えた法曹一元論を崇拝しているが,これは樋口俊二弁護士の流れをくむものなのだろうか。

四ノ宮啓弁護士(千葉)は陪審問題を取り上げ,「陪審問題というのは国民が司法の中に入っていくということです。その国民の側から司法の中に根を伸ばしていくということです。それだけでその土壌が十分でしょうか。やはり別の方向からも根を伸ばす必要があるんじゃないでしょうか。私は十分な数の弁護士が,十分な必要な教育を受けて,今度は法曹の方が国民の方に,司法が国民の方に根を伸ばして入っていく。二つの方向から根を伸ばし合って,そして強い土壌をつくっていく。私は地域の法化というものが,このようにして初めて実現できるのではないかと思います。」と述べた。「根」の例えはよく分からないが,四ノ宮弁護士は,現在も裁判員裁判の円滑な実現に向けて奮闘している。

弁護士過疎地域に関連して,相良博美弁護士(奈良)は,奈良弁護士会の歴史と,司法改革への取り組みを訴えたうえ,「常に私たちが抱えてきた(問題)は,会員の少なさでありました。地元に根ざし,地元の人々に真に頼られる弁護士と弁護士会を築いていこうと会一丸になって頑張ってきたその結果が,余りにも仲間が足りなすぎるという厳しい現実であります。私たち弁護士一人一人が文字通り社会生活上の医師として,意気高く国民の中に入っていこうではありませんか。」と述べた。奈良は過去4回の臨時総会ではいずれも,執行部案賛成,法曹増員賛成の立場で討論を行っている。

松原三朗弁護士(島根弁護士会もと会長)は,奈良と同様,弁護士過疎地域における弁護士の圧倒的不足を訴えた。

当時の若手弁護士も意見を述べている。宮岡孝之弁護士(東弁)は,弁護士激増による不安を率直に訴えつつ,「弁護士の質に関する国民の声を聞き,これをロースクールに伝えるべきです。自由競争に任せればよいという考え方は,同じ弁護士という肩書きを持つ弁護士に依頼しながら,不十分な法的サービスしか受けられない国民の出現,すなわち法曹の質の低下による新しい司法過疎が生じることになります。職域については,プロボノ活動を職域の一態様であるかのように説明するのは間違いです。我々が求めているのは,無償で提供する法的サービスや,お布施しかもらえないような仕事ではなく,正当な報酬を得ることができる職域です。執行部は,我々の必要とする情報を会員に提供し,特に若手会員の共感を得られるような存在になることを切望します」と述べた。現在に通じる問題点を的確に指摘していると思う。

池内稚利弁護士(一弁)は,一弁の若手弁護士の代表として,「弁護士のいない町がある。あるいは遅々として進まない訴訟がある。こういった意見がずっと出てきました。それに対して,我々は基盤整備がなってないとか,我々の収入はどうなるんだと,そういう理屈で国民の期待を裏切り続けて来たんじゃないかと。これが改革協で無視されて,弁護士会が参加できないような司法審になってしまった原因があるんではないかと。ここでもう一度我々は原点に立ち戻って,21世紀に向かう国民が望む司法改革を,自らあえて血を流しながら進んでいくべきであろうと思います」と述べた上,弁護士の質の維持やロースクールのあり方に注文を付けた。

正確な現状分析,冷静な意見であると思う。

IV.         執行部案反対の討論と論評

執行部案反対の討論をご紹介する。

まず,執行部案を通すと日本は戦争になるという意見として,武内更一弁護士(東京)は,「私たちが目指しているのは基本的人権擁護を守る,国民の盾になって権力の攻撃に対して立ち向かう,そういうことに志をもって弁護士になったんじゃありませんか。企業法務,公務員,そういうところにわんさと殺到する弁護士を,国民が望んでいるわけないじゃありませんか。司法審は,周辺事態法,盗聴法,国旗国歌法,憲法調査会設置のための国会法と同時に設置された。司法審の目的は,戦争をするという口実を作ることにあります。そういう国自体に,どんどん向かっているんです。こういうときこそ頑張らなければ戦前のようになります。」と訴えた。

この武内更一弁護士は,平成91015日の日弁連臨時総会で,反執行部案の提案者として,「在野の弁護士は外へ向かって訴えかけ,その民衆の声を背景にしてこそ日弁連は力が出せるんだと私は思っています。それを抜きにして日弁連の闘争はないはずです」と国民運動の必要性を訴えた。ところが,日弁連執行部が国民260万人もの署名を集めると,国民が望むはずがない,翼賛体制で戦争になると言う。このような議論のしかたは卑怯だと思う。

同じく戦争になるという意見として,熊野勝之弁護士(大阪)は,「今回の決議は,(法曹人口を)国民の必要とする数に任せますという,全くの白紙委任です。これは1933年のナチス授権法と同じだと僕は思っています。それぐらい危険な法だと思っています。どうか真剣に国民のためを考えられるなら,本当に真剣にこの法案の決議案の持っている危険性を考えて頂きたい。」と述べた。私は,日弁連が法曹人口増受入の決議をしたくらいで戦争になるというのは、日弁連の影響力を買いかぶりすぎていると思う。

前田知克弁護士(二弁)は,「何のために弁護士法の第一条があるのか。力は弱いけれども正しい理屈をもっている。弱い者の権利をきちっと守ってやる。これが司法であり,それを担うのは弁護士なんです。それをやるためにこそ,弁護士自治があり独立性がある。我々のこのバッヂは,総理大臣ですらはずせないんだ。これを持っているんだ。

久保利英明弁護士は,企業が雇ってくれるというけれども,雇われるために弁護士になるんですか。整理回収機構のような一番厳しい取立屋の手先みたいになって,何でもかんでも法律自治を通して今後やるということが,弁護士に期待されていることなんですか。はっきり言っておくけどね,飯のため稼ぐんだったら,法律事務屋になって雇われればいいんですよ。何のために司法試験を受けて,苦労して弁護士になる必要ないじゃないか。

ロースクールで弁護士を大量につくって,そうして仕事がないからできるだけ企業に雇ってくれ。これが司法の拡大なんですか。そんなことを喜んで,そこへ雇ってもらえる,職域が増えた。こんな情けない弁護士になりたいですか。」と述べた。

前田知克弁護士は,日弁連が法曹人口問題から引きずりおろされる直接のきっかけとなった,平成6年(1994年)1221日の臨時総会関連決議を画策した張本人である。しかし,日弁連の敗北を自ら招いたことに対する言及も弁解も反省も,全くない。

矢野修弁護士(札幌)は,司法改革・法曹一元・陪審制の実現は賛成するとしながらも,その実現可能性や司法基盤の整備が乏しい中で法曹人口のみを増加させることへの危惧を表明した。鈴木秀幸弁護士(名古屋)は,具体的な数字を指摘して,司法基盤整備の不足や,目標を5万人とする弁護士人口論が空想であると主張した。佐久間敬子弁護士(仙台)は,「大きな司法」という執行部のキャッチフレーズは,弁護士の在野性,独立性,自治性を害するものであり,むしろ裁判所の充実や司法基盤の整備を求めるべきであると言う。森重知之弁護士(山口)は,執行部案はいたずらに弁護士を貧窮に追い込み,貧すれば鈍する結果,国民にも被害を及ぼすと述べた。武本夕香子弁護士(兵庫)は,「大きな司法」が国民の利益になるとは限らない,数の増加は質の低下を招く,法曹人口増と弁護士過疎の問題は無関係,などと主張した。

これらの主張は,平成9年までの総会で主張するならともかく,この日の臨時総会で行う議論としてはピントがずれている。なぜなら,この臨時総会で問われているのは,内定済みの3000人体制を日弁連として受け入れるか否かであって,3000人に決定するか否かではないからだ。日弁連に内定を覆す力があれば別だが,それを失ったことが明らかである以上,この場所で3000人の是非を論じることに何の意味もない。もっとも,司法改革,とりわけ法曹一元という「まやかし」(高山俊吉弁護士)によって,問題の本質を誤魔化そうとしたのは久保井一匡日弁連会長以下執行部であって,せっかくの臨時総会にピントのずれた発言を誘発した責任は執行部にもある。

新穂正俊弁護士(埼玉)は,執行部案の実現によって,現実に多くの犠牲や不利益を受けるのは,若手の弁護士と,これから弁護士になる学生ら後進であって,中堅やベテランの弁護士は何の経済的不利益も受けないと安心しているのではないかと問う。「執行部やこの議案に賛成するあなたは,この議案に賛成することによってどのような不利益を受け,どのような自己犠牲を払うのでしょうか。日弁連執行部がいう自己改革を実現するために,誰が多くの犠牲を払い不利益を受けるのでしょうか。」と述べる。

この発言も,議題とピントがずれている点では,上記発言と同様である。しかし,弁護士激増が,世代間の対立を生み,日弁連を(左右にではなく)上下に分裂させていくことを予言した点において,この発言は記憶に留められるべきである。(小林)

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