« 「新左翼の遺産」大嶽秀夫著 | トップページ | 防犯カメラのニュース4題 »

2009年6月 8日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (2)

宗教書の目的は、その宗教を権威づけることにある。また、宗教が語る理想は、これと正反対の現実があることを示す。

キリスト教徒でなくても、教養のため、あるいは退屈な出張先のホテルで、新訳聖書を読んでみようと思った人は少なくないと思う。そして筆者を含め多くが、1ページ目で挫折する。あの、「ナントカはナントカの父、ナントカはナントカの父…」と延々と続く無意味としか思えない記述は何なんだ、と。余談だが、筒井康隆の「バブリング創世記」は、この部分のパロディとして傑作である。

しかし、聖書の1ページ目である以上、無意味なはずはない。そこには、キリストの出自に正統性を与え権威づけるという、宗教にとって最も重要な意味が込められている。キリスト教が数ある新興宗教の一つだった時代に、教祖の血統が極めて重要だったことは当然である。そして、新約聖書冒頭の名前の羅列を辿ると、キリストは始祖アブラハムとダビデ王の血統と書いてある。

日本文化の「聖書」ともいうべき17条憲法は、「和を以て貴しと為す」で始まる。よく言われるように、当時の日本が平和に満ちていたなら、この言葉は冒頭に来ない。争乱の時代であるからこそ、「和」を説く意味がある。日本人の理想とされる「和の文化」は、争乱の世から生まれたのだ。

大川真郎弁護士(大阪)著「司法改革 日弁連の長く困難なたたかい」は、平成2年の日弁連「司法改革宣言」が、満場一致で採択されたとの記述から始まる。冒頭にこの事実を記したのは、聖書と同様、司法改革という理念に正統性を与え、権威づける意図に基づく。そして、「満場一致」と記されているのは、当時の日弁連が分裂していたことを示している。

平成2年(1990年)の司法改革宣言から、話は4年、すなわち日弁連会長の任期にして2期遡る。昭和61年(1986年)の日弁連会長選挙では、本命と言われた東京弁護士会の児島平候補を破り、神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)の北山六郎候補が勝利した。東京と大阪以外の地方単位会の弁護士が日弁連会長になったのは、当時30年になる日弁連の歴史の中で、初めてだった。朝日新聞は、「異変」と報じ、「会長職をたらい回しにしてきた東京と大阪に対する地方の反感」と、「革新系グループの組織的な運動」が北山六郎候補当選の原因と分析した。選挙の前年には、日弁連執行部の提案した弁護士の広告解禁案が、総会で事実上否決されるというハプニングもあり、波乱の芽はあったとされる。

この選挙では、「都市と地方」「企業系弁護士と人権派弁護士」という対立軸を挟んで、日弁連が二つに分裂した。

また、昭和62年(1987年)になされた、いわゆるスパイ防止法案反対決議に対して、100名を超える弁護士が原告となり、同決議は弁護士会の目的を逸脱し、会員の思想良心の自由を侵害するとする訴訟が提起された。

そして、北山六郎会長の任期が終わる昭和63年(1998年)、日弁連会長職は、再び選挙で争われ、またも波乱が起きた。

この年の日弁連会長選挙は、当初、佐藤庄市郎弁護士(一弁)と、小林宏也弁護士(東弁)の一騎打ちと見られていた。しかし、佐藤庄市郎弁護士が、前年のスパイ防止法案反対決議を念頭に、強制加入団体である弁護士会は、政治的争点やイデオロギーに関わる発言を抑制すべしとする「自制と限界」論を唱えたのに対し、「在野性の危機」を訴える東京弁護士会の中堅・若手弁護士が、人権派の長老とされる藤井英男弁護士を担ぎ出したため、熾烈な三つ巴の闘いが展開された。この「保革対立」という日弁連始まって以来の路線闘争は、藤井英男候補が僅差で制する。

しかし、「保革対立の図式は単純には当てはまらない」と朝日新聞は分析する。藤井英男候補は、地方都市では圧勝するが、大都市では佐藤庄市郎候補とほぼ拮抗していた。企業法務の第一人者であり、後の最高裁判事となる佐藤庄市郎弁護士は、司法試験合格者増を含む司法試験制度改革に積極的な立場をとったが、地方では、「これ以上弁護士が増えると、仕事が減る」と改革に消極的な意見が強く、これが、藤井英男候補への支持に繋がったという分析だ。

このような分析を経て、朝日新聞は、「人権派が在野で革新」「実務派が官庁寄りで保守」という単純な図式ではとらえられず、むしろ人権派が時代の変化に対応しきれず保守化・硬直化しているのではないかという。佐藤庄市郎弁護士の善戦は、「日弁連既存路線への不満や批判が一定の潮流をつくりつつあることを示している」と結んでいる。

藤井英男候補は選挙公報で、「弁護士会の生命は、その在野性にこそある」と力説した。この主張は、現在反主流派の代表である高山俊吉候補の主張と、驚くほど似通っている。このことは、藤井英男候補を支え、現在も司法改革路線の中核となっているグループが、実は反主流派と同じDNAを持つことを示している。つまり、彼らと反主流派は、仲の悪い兄弟なのだ。(小林)

                                                 (1) (3)

|

« 「新左翼の遺産」大嶽秀夫著 | トップページ | 防犯カメラのニュース4題 »

コメント

 旧約聖書は,1頁目から読んでも面白いのですが,新約聖書を1頁目から読もうとするのが間違いです。クリスチャンでも-調べ物のとき以外-あそこは,とばして読みます。
 先生の一連のご論考は,とても興味深いです。自由と正義に連載してもらいたいです。

投稿: Barl-Karth | 2009年6月 8日 (月) 15時53分

コメントありがとうございます。「自由と正義」は無理でしょうねえ。

投稿: 小林正啓 | 2009年6月 8日 (月) 23時24分

では,「法律新聞」でいかが?
これだけクオリティの高い記事なのですから,活字にして,例のお歴々にも読んでもらいたいですね。

投稿: Barl-Karth | 2009年6月 9日 (火) 14時42分

重ね重ね恐縮です。あまりおだてないで下さい。本気にしますから。出版社に売り込んでみようかしら(すでに本気モード)。まぁこの連載は,かなり長く続く予定ですから,末永くおつきあい下さい。

投稿: 小林正啓 | 2009年6月 9日 (火) 22時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/45264962

この記事へのトラックバック一覧です: 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (2):

« 「新左翼の遺産」大嶽秀夫著 | トップページ | 防犯カメラのニュース4題 »