« 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (4) | トップページ | 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (6) »

2009年6月19日 (金)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (5)

東西冷戦構造とその崩壊は、日本の司法、そして弁護士という職業のありかたにも、大きな影響を及ぼした。

東西冷戦下で西側陣営に組み入れられた敗戦後の日本は、1ドル360円という、現在からみれば驚異的な為替レートと「核の傘」とに守られ、輸出産業を振興して復興を遂げる。この間裁判所は「統治行為論」などを用い、日米安保条約や自衛隊の合憲性等、東西軍事バランスにかかわる政治問題に口を出さないという態度を貫き、この態度を日弁連は批判し続けた。

1980年代に入ると、再興した日本の輸出産業が、その庇護者であったアメリカ経済に脅威を与えはじめる。ハンマーで日本車をたたき壊す米国労働者がテレビで報じられたのはこのころだ。産業界の意を受けた米政府は、貿易不均衡是正のため、日本政府に参入障壁撤廃を要求した。その一つに、外国弁護士の国内活動自由化がある。

日弁連は反対した。その理由は、外国弁護士の活動を自由化すれば、弁護士自治が崩壊し、国民の人権が害されるということだった。これが業域保護目的の屁理屈であることは明白だが、政府や産業界は日弁連を擁護した。当時、渉外法律業務に携わる日本の弁護士はせいぜい数百人。外国弁護士の国内活動を解禁すれば、日本の渉外弁護士は駆逐される危険があった。これは日本経済にとってもマイナスである。政府と産業界はおそらくそう考え、日弁連と共同戦線を張って、アメリカの要求に抵抗した。もちろん、これは短期的な話であり、中長期的には、外国弁護士に対抗しうる量と質をもつ国内弁護士を養成することが、政府の課題となった。

いわゆる外弁問題は、日弁連が自分自身の問題として対面した、初めての国際問題であった。同時に、政府と共同戦線を張らなければ解決しない問題でもあった。このとき、企業法務や渉外法務に携わる弁護士は、何かと言えば政府に反対しかしない左翼系人権派弁護士を、苦々しく見ていたことだろう。

昭和60年(1985年)、アメリカの巨額の貿易赤字を解消するため、先進5ヶ国が為替レート介入を行い、円高ドル安誘導を行うことが決まる(プラザ合意)。そして、円高による打撃から国内産業を保護するためとして大規模な金融緩和が行われ、これがもたらした空前の金余り現象は、不動産や金融・株式相場の爆発的な高騰を招いた。いわゆるバブル景気である。

金融経済の発展は、企業法務と呼ばれる弁護士の職域を拡大し、多額の経済的利益を弁護士にもたらした。田中森一もと弁護士著「反転~闇社会の守護神と呼ばれて~」によれば、昭和62年(1987年)に検察官を辞職し弁護士として独立した際、開業祝いとして贈られたゴルフバックに現金6000万円が詰め込まれていたという。これは極端な例であるが、戦後の経済発展とバブル景気は、弁護士という職業のあり方を大きく変えていった。企業法務や渉外法務が花形とされ、若くして司法試験に合格した優秀な司法修習生には、大規模法律事務所が多額の年収を保障し青田買いを競った。

余談になるが、平成元年(1989)、坂本堤弁護士一家がオウム真理教幹部に誘拐された後公開された同弁護士の自宅は、坂本弁護士が経済的にとてもささやかな暮らしをしていたことを示していた。坂本堤弁護士は人権活動に熱心に取り組んでいたが,共産党系法律事務所に所属し神奈川県警と対立していたため,誘拐された後も警察が初動捜査を怠ったという話もある。同じころ、筆者が就職活動のため訪問した大阪の中規模企業法務事務所のパンフレットには、テニスラケットを持って大型のベンツに寄りかかる新人弁護士や、豪華ヨットを借り切っての事務所旅行の写真が掲載されていた。

このころ、若い修習生の多くが弁護士となったため、その割を食って裁判官、検察官志望者が減少し、特に裁判官に比べ転勤が多く定年が早い検察官の志望者が激減して、検察庁と法務省とは危機感を募らせていた。(小林)

                  

|

« 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (4) | トップページ | 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (6) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/45361771

この記事へのトラックバック一覧です: 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (5):

« 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (4) | トップページ | 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (6) »