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2009年6月17日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (4)

 本論に戻ろう。

昭和61年(1986年)、昭和63年(1988年)と続いた日弁連の分裂。これは決して、日弁連という小さなコップの中だけの事象ではない。日本の、そして世界の動きを反映している。それは一言で言えば、イデオロギーという「大きな物語の終わり」だった。そして、イデオロギーが滅びた社会では、宗教が力を持つことがある。

1980年代後半は、東側陣営の標榜する共産主義の失敗が明らかになる時代だった。第二次世界大戦終結時に始まった東西冷戦は、それから40年を経て、経済的には西側資本主義陣営の圧倒的優位を迎える。ロナルド・レーガン米大統領が莫大な国家予算をつぎ込んで軍拡競争を仕掛けると、体力を失った共産主義陣営は自己崩壊を始める。1989年にはベルリンの壁が崩壊し、1991年にはソ連邦が消滅して、東西冷戦は東側の敗北で終結した。

東西冷戦の終結は、国内政治に55年体制の終結をもたらした。すなわち、自由民主党対社会党という対決の構図、とりわけ社会党の存在意義は失われる。社会党は平成元年(1989年)こそ、土井たか子委員長の「マドンナ旋風」で一時的に議席を伸ばすが、その後左右への大きな迷走を繰り返し、分裂し消滅する。

国内政治体制の大変革は、日弁連にも大きな影響を与えた。権力の不当な行使に異議を唱え弱者の人権を守るという日弁連の看板は、理論的には共産主義と無関係である。しかし、55年体制下で「右翼」与党と「左翼」野党という構図が長年間続いた日本において、日弁連の看板が左翼政党のそれと似通ってくることは当然ともいえた。そのため、東西冷戦が左翼勢力の敗北に終わり,55年体制が崩壊すると、弁護士会内の左翼思想もその存在意義を問われ、現実路線(中道左翼)と原理主義路線(極左)に分裂していく。

土屋公献執行部が迷走し、日弁連が解体の危機を迎えた平成7年(1995年)、社会党が自衛隊違憲論を撤回して「右旋回」し、自民党と連立与党となっていたことは、単なる偶然ではない。この後社会党は「左」に揺れ戻し、分裂し、滅びの道をたどる。日弁連の歴史を振り返るとき、社会党との共通点が多いことに気づく。(小林)

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コメント

「弁護士自治」こそ宗教でしょう。
実態は中世のギルドの名残です。

投稿: レインボー | 2009年8月21日 (金) 03時03分

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