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2009年6月24日 (水)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (7)

中坊公平もと日弁連会長の地位は、衰退する左翼系人権派弁護士と、勃興する企業・渉外法務系弁護士という、分裂する二勢力の微妙な拮抗の上に成立していた。そういえば高校生時代、フランスの絶対王政は衰退する封建貴族と勃興する市民階級との均衡の上に成立したと教わった。中坊公平氏を知る人は、同氏を絶対君主にたとえることに賛成すると思う。

その「絶対君主」中坊公平氏が、日弁連会長としての公約を明らかにするため、選挙公報(平成2(1990)1月発行)で用いたのが「司法改革」という言葉である。つまり、「司法改革」という言葉は、分裂する二勢力を統合する役目を担っていた。

中坊公平氏はなぜ「司法改革」という言葉を使ったのだろう。

実は、「司法改革」は中坊公平氏の専売特許ではない。同時期に「司法改革」という言葉を使った人がいる。もと最高裁判所長官、矢口洪一(故人)である。

平成2(1990)216日、矢口洪一は19日の定年退官前に記者会見を行い、「司法改革が今後の課題」と述べた。この日付は、中坊公平氏が同じ言葉を選挙公報で用いたときより約1ヶ月遅い。しかし、矢口洪一は昭和60年(1985年)の最高裁判所長官就任後、法廷傍聴人のメモ解禁、陪審制度の研究や弁護士任官制度の採用など、裁判所の様々な制度改革に取り組んでいた。一方、選挙公報で中坊公平氏が唱えた「司法改革」は、「法廷に一輪の花」というスローガンが象徴するとおり、裁判所改革と裁判制度改革を意味していた。つまり、中坊公平氏は、矢口洪一の改革を受けて、「司法改革」を唱えたのである。そうだとすれば、中坊公平氏の掲げた「司法改革」の意味を知るためには、矢口洪一の実践した「司法改革」の本質をとらえる作業が不可欠である。(小林)

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