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2009年6月30日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (9)

左右に分裂した日弁連の拮抗の上に支持された中坊公平日弁連会長が唱えた「司法改革」は、実は矢口洪一最高裁長官がその4年前から着手していた。矢口洪一は、「保守反動の司法行政官」と「民意を受けた柔軟な改革者」という、一見矛盾する二つの顔を持つ。

先に述べた青法協系判事補再任拒否事件によって職を追われた宮本康昭弁護士は、「日弁連五十年史」の中で、大要こう述べる。「我が国の司法政策は1960年代後半に始まる司法の危機、官僚統制、密室性、不透明性、つまりは国民からの孤立化を深めた結果、様々な病理現象を呈することとなった。この二十年にわたる司法政策を自ら演出してきた矢口洪一氏は、最高裁長官就任のとき眼前に拡がる空漠とした司法の世界を見て、慄然としたに違いない」と。つまり、矢口洪一は、最高裁長官に就任したとき、自分の過ちに気付き、悔い改めて司法改革に着手したというのである。

これは間違った見方だと思う。36年間、裁判所のトップエリートとして出世競争と政治闘争に勝ち抜いて来た矢口洪一が、最高裁長官に上り詰めた途端に悔い改めることなどありえないと、私は考える。そうだとすれば、一見矛盾する矢口洪一の二つの顔には、一貫する柱があるはずだ。

私は、矢口洪一に一貫していたのは「司法の独立を守る」ことだったと考える。

矢口洪一から見れば、お仕着せの民主主義が導入されてたった数十年しかたたず、権力分立の思想など根付いたはずもない冷戦構造下の日本で、予算的にも法的権限も人的基盤も脆弱な日本の裁判所は、常に政治介入の危険に晒されていた。日米安保条約や自衛隊を憲法違反と言い出しかねない判事を内部に置くことは、政府与党に政治介入の口実を与える。宮本康昭判事補再任拒否事件の背景には、冷戦構造と55年体制下における脆弱な司法の地位があった。

その冷戦が終結し、55年体制が崩壊した80年代後半の日本は、継続的な政権交代時代の到来を予感していた(多少のひいき目を許していただけるなら、後に「大衆民主主義」あるいは「日本型ポピュリズム」と呼ばれることになる時代の到来を、矢口洪一は予感していたのかもしれない、とさえ思う)。これは、裁判所から見れば、時の政権がその都度裁判官人事や予算に口出しする危険を意味する。選挙という民主的基盤に支えられた国会に対し、制度的民主的基盤を持たない裁判所が組織防衛を遂行するためには、司法制度のありさまを国民に支持してもらわなければならない。矢口洪一が司法改革を推進し、かつ、後任に定年までの期間が最も長い裁判官出身者を指名したのは、組織防衛の観点から素直に理解できる。

裁判所のトップエリートである矢口洪一が終生取り組んだのは、組織としての裁判所の独立と自律性の保持であり、その意味で一貫していた。変わったのは時代背景であって、矢口洪一ではないというのが、私の考えである。(小林)

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