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2009年6月 1日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (1)

1980年代後半以降、日弁連は法曹人口の増員に一生懸命反対しつつ,後退と敗北を繰り返してきた。筆者は様々な視点から法曹人口問題の歴史を振り返ってみたが,どの断面から見ても,日弁連の敗北は明らかだ。

それはそれでやむをえない。誰にでも,負ける時がある。大事なことは,負けを負けと認め,そこから何を学び、次世代に受け継ぐかだ。敗北体験を伝承しない者は、過ちを繰り返して滅びる。歴史を学ぶ意義はここにある。

しかし,平成12年(2000年)からの10年間,日弁連執行部は,法曹人口問題で敗北を重ねた歴史をひた隠しにし、封印してきた。それどころか、「司法改革」の名の下、法曹人口増員を推進してきたかのように喧伝している。その結果、日弁連が負けた事実すら知らない若手弁護士が多い。

後述するように、日弁連は、平成9年(1997年)末ころまでは、法曹人口増員に一生懸命抵抗し、敗北を重ねてきた。ところが、平成10年(1998年)ころ以降、まるで人格が入れ替わったかのように、法曹人口増員を推進する立場に転じている。この転換はなぜ生じたのか。これが、法曹人口問題における、最大の謎と言って過言ではない。

そこで本稿では、「司法改革」という視点から、法曹人口増員の歴史を振り返ってみたい。更新頻度は遅めになる予定だが、のんびりとお付き合い下さい。

さて、司法改革を宗教とするなら、その最新にして正統な伝道書は、平成15年(2003年)の日弁連事務総長である大川真郎弁護士(大阪)著「司法改革 日弁連の長く困難なたたかい」である。

同著の冒頭には、平成2年(1990年)5月に高知市で開催された日弁連定期総会で、「司法改革に関する宣言」が満場一致で採択されたとの記述がある。日弁連が「司法改革」という言葉を公式に採用したのはこのときが最初であるため、「高知弁護士会の中には、この宣言が坂本龍馬出生の地で採択されたことを、今も誇りにする弁護士がいる」という。

この文章からは、日弁連は平成2年(1990年)以降、一致団結して司法改革に向けた「長く困難なたたかい」を続けてきたように見える。

しかし、実態は正反対である。

このとき、日弁連は真っ二つに分裂していた。(小林)

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