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2009年7月 2日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (10)

宗教には教義が必要である。ただし、教祖の掲げた教義が、そのまま弟子達に受け継がれるとは限らない。

矢口洪一最高裁判所長官が実行した「司法改革」は、民意を受けた自己改革を宣言することによって、政治による介入を阻止することが目的だった。そして、中坊公平日弁連会長は、矢口洪一の取り組みを念頭に置きつつ、分裂した日弁連を再統合する理念として「司法改革」を掲げた。そのため、中坊公平氏が掲げ、平成2年(1990年)の日弁連総会で決議された「司法改革」の主たる目的は、裁判所改革ないし裁判制度改革になる。後に司法改革の主題となる弁護士・弁護士会の自己改革は、副次的な目的でしかない。まして、後の「司法改革」では必ず言及される法曹人口論も、中坊公平執行部の掲げる「司法改革」には全く出てこない。つまり、中坊公平氏が掲げた「司法改革」と、現在の日弁連執行部が主張している「司法改革」は、似て非なる理念である。

中坊公平氏が掲げる「司法改革」が第一に裁判所ないし裁判制度改革を意味するものであるとすれば、これに反対する弁護士はいない。右だろうが左だろうが、都市だろうが地方だろうが、弁護士として仕事をする中で、裁判所という組織や制度に対して不満を持たない弁護士はいないからだ。これが、平成元年(1990年)の日弁連総会で司法改革宣言が全会一致で採択されたカラクリである。つまり、裁判制度改革は、分裂した日弁連を再統合するに最適の目標だった。これに加え、当時の最高裁判所にとって、日弁連の批判を受け、日弁連と協議を重ねて自己改革に取り組むことは、独善的な司法改革という批判をかわすため歓迎すべきことだった。翻ってこれは、日弁連にとって、裁判所改革の要求が、単なる批判に終わらず、具体的成果をもたらすことを意味した。

中坊公平氏は、優れた政治的バランス感覚を発揮して、ためにする批判に陥ることなく、協力すべきところは協力し、譲るべきところは譲るという態度をとったため、最高裁判所から一定の信頼を受けた。その結果、中坊公平会長下の日弁連は、弁護士任官や当番弁護士制度の推進等、それまで批判ばかりだった頃に比べ、めざましい成果を挙げるし、法廷傍聴の国民運動を通じて、裁判所改革の必要性と日弁連の主張の正当性をマスコミにアピールできた。

豊田商事の破産管財人などの経験を経た中坊公平氏は、世論を味方につけることの強さを体得していたのだと思う。

もちろん、中坊公平日弁連会長が、将来の法曹人口増を見据えていなかったはずはない。しかし、同会長下二度行われた司法改革宣言には、法曹人口を増員させると一言も書かれていないことも事実である。中坊公平氏は、法曹人口増の地固め・基盤整備として、あるいは、将来の法曹人口問題を巡る折衝において日弁連の交渉能力を上げる手段として、司法改革を位置づけていたのだと思う。

ともあれ、中坊公平日弁連会長が提唱した「司法改革」という理念は、分裂した日弁連を再統合する機能を果たしたかに見えた。しかし、これは長くは続かなかった。日弁連は再び分裂することになる。(小林)

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