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2009年7月23日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (16)

宗教の機能の一つは、死や老病や事故天災など、直面する理不尽な不幸について、これを受け入れる考え方を提供することにある。この考え方を宗教上「救い」という。

法曹人口問題は、日弁連の左右分裂と迷走も一因となって、平成7年(1995年)末には、司法試験合格者数年1500名への流れが決定的となった。頑なに増員に反対した姿勢は、バブル崩壊に伴う不祥事増などと相まって、世論の批判にさらされ、日弁連は存在理由そのものを問われることになった。

後の司法改革推進を担った一人である宮川光治弁護士が編集長を務めた日弁連の機関月刊誌「自由と正義」は、平成8年(1996年)1月号を皮切りに、「あたらしい世紀への弁護士像」に関する日弁連内外の論考を多数掲載した。これらの論考は表向き、国民の期待に応える弁護士増を再構築する試みであったが、より端的には、それ以前の日弁連の総意としては到底受け入れられなかった1500人という数字を、どうやって正当化するかという試みであった。なぜなら、日弁連自身が1500人という数字を正当化して受け入れない限り、失われた国民の信頼を回復できないと考えられたからである。

いま、「日弁連の総意として」と記したが、もちろん、以前から、司法試験合格者の大幅増を受け入れるべしという意見は会内に存在した。土屋公献弁護士と日弁連会長の座を巡って争った川上義隆弁護士が公約として1000名への増加の検討を唱え、土屋候補に比肩する票を集めたこと、これに反対して当選したはずの土屋公献日弁連会長が後に1000ないし1500名に道を開く態度をとったことは、司法試験合格者の大幅増加を容認する勢力が、少なくなかったことを示している。

例えば、樋口俊二弁護士(東弁)は、「司法改革の展望」(東京弁護士会編1982年)で、法曹一元制のもと2000人の裁判官を弁護士から選出するためには、全国で5万人前後の弁護士が必要であり、これを10年で実現するには、司法試験合格者数年3000名、30年で実現するためには司法試験合格者数年1000名への増員が必要であると主張している。同じ書籍で宮川光治弁護士(東弁)は、「我が国の弁護士の数は、先進資本主義国の中では極端に少ない。これは国家の司法政策によるものだが、弁護士側にもこれに安住し国民に疎外感を与えてきた」と主張している。

しかし、土屋公献候補を支持した日弁連の相対多数の意思は、1000人さえとんでもない、せいぜい800人、というものだった。その理由を説明すれば、国民もマスコミも味方になってくれると信じていた。

その理由とは「弁護士の独立性の確保」である。たとえば、日弁連法曹養成問題委員会が作成した「法曹人口問題に関する意見書」(1994年12月号)は、弁護士増員の可否について、「弁護士の使命を果たすための会務活動はもとより、プロボノと言われる活動など対価の伴わない弁護士の公益的な活動は、客観的には弁護士のその他の職務で生計を維持することによって初めて成り立っている」から、「競争によって淘汰される弁護士が質の悪い弁護士とは限らず、会務や再審事件等の人権擁護活動にエネルギーを注ぐ弁護士が淘汰される危険さえある」とある。要するに、法曹人口が増えて弁護士間の競争が激化すると、弁護士の経済的余裕が無くなり、人権擁護と社会正義の実現(弁護士法1条)という弁護士の使命が実現できなくなる、という主張だ。

ところがふたを開けてみれば、800人どころか1500人への流れが決定し、かつ轟轟たる世論の非難を浴びる。「それなら初めから1000人と言っておけばよかった。その方が、1500人にならないで済んだかもしれない。800人に固執した土屋公献執行部の作戦は、完全に薮蛇だった」。この考えは、土屋公献候補を支持した弁護士たち、典型的にはいわゆる左翼系人権派弁護士と、地方単位会の弁護士に、大きな挫折感をもたらした。

彼らの挫折感の原因は、もちろん、法曹人口問題に関する作戦ミスに尽きるものではない。人権と弱者救済のために寝食と収入を犠牲にしてたたかっている自分らが説明すれば納得すると信じていた国民に裏切られたという思いこそ、挫折感の最大の原因であった。何を甘ったれたことをと笑ってはいけない。彼らは本当に、心の底から一点の曇りもなくそう思っていたのである。

司法試験合格者数年1500名を正当化して受け入れ、「救い」をうける必要は、これらの弁護士にこそあった。(小林)

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