« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月31日 (金)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論3)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

ここからが、少しややこしくなる。

第三に、Cの「自己回帰型で端末横断型」はどうか。この場合、自己回帰型である以上、Aと同じで、プライバシー上はほとんど問題がないようにも見える。しかし、上記の例のように、NTT(別にソフトバンクでもauでもよいのだけれど)と契約して2台の携帯電話を持っている人を想定してほしい。この場合、2台の携帯電話を持つということは、それなりの意味があるはずだ。知人の弁護士は、プライベート用と仕事用に携帯電話を使い分けているし、別の弁護士は、銀座のお姉さん用と奥様用に使い分けている(もちろんこの弁護士というのは私ではない)。この場合、銀座のお姉さんからの着信履歴や、絵文字のいっぱいついたメールが、奥様用の携帯電話からも検索できるのは、とても困る(もちろん私は困らない)。同様に、アマゾンで買い物をしようとしているときに、「あなたは楽天でこの商品を購入済ですが、また購入しますか?」と表示されても、やはり困る(困るというより、とても不気味に思うだろう)。このように、ネットに繋がる端末が異なるとき、人は、別の顔を持つ。このとき、同一ユーザーのライフログといえども、端末を横断して統合することには、慎重になる必要がある。具体的には、ユーザーの事前の同意が必要だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月29日 (水)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論2)

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

第一に、Aの「自己回帰型で単一端末型」の例としては、アマゾンドットコムの画面に、ユーザー本人の購買履歴が表示される場合があげられる。この場合には、プライバシーの問題は、とても小さいと考えて良い。もちろん、ユーザーの中には、自分の購買履歴をアマゾンが把握し、自分に教えてくれるというサービスさえ、不愉快に思う人もいる。そのような人には、サービスを断る機会(オプトアウト)を提供すればよい。

第二に、Bの「単一端末型で外部提供型」の例としては、アマゾンドットコムで、ユーザーの購買履歴を他のユーザーに通知するサービスがこれにあたる。冒頭にあげた、「この商品を買った方はこんな商品も買っています」という表示は、Bに該当する。

この場合には、あるユーザーの購買履歴は、当該ユーザーの個人情報にあたるから、これをそのまま、第三者に提供することは、本人の事前の同意がない限り、許されない。「綾波レイのフィギュアを購入した小林正啓さんは、綾瀬はるかのDVDも購入しました」と、他人に勝手に教えられたらたまらない。

しかし、アマゾンも、鈴木花子さんも、私の個人情報を知りたいわけでも、第三者に提供したいわけでもない。利用したいのは、「小林正啓」という個人の属性を取り去った抽象的な情報だ。だから、「単一端末型で外部提供型」の場合、ユーザーの個人情報から個人の属性を除去して抽象的な情報にしてしまえば、プライバシーの問題は起きず、第三者提供は可能になる。アマゾンが実際にやっているのはこのようなサービスであり、法的には全く問題がない。すなわち、抽象化が完全である限り、事前の同意さえ必要ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月27日 (月)

ライフログとプライバシー問題の法的切り分け(試論1)

ライフログビジネスに注目が集まっているらしい。先日私が参加した「ライフログ・サミット」も、高い入場料なのに満員で、すごい熱気だった。

ライフログとは、直訳すれば「生活(life)の記録(log)」である。現代のネットワーク社会では、人は意識的無意識的に、情報の断片をネットワークにまき散らしながら生活している。そのほとんどはゴミのように無価値であるが、これらをコンピューターで統合し,価値のあるサービスを生み出すことができる。これが、ライフログビジネスである。アマゾンドットコムなどが、「この商品を買った方はこんな商品も買っています」と教えてくれるのは、ライフログビジネスの一つである。将来は、SUICAなどのICカード利用履歴を抽象化して統合することによって、東京中の人間の移動状況を刻一刻パソコンの画面に表示する、なんてことが可能になるかもしれない。この画面を見れば、いつ、どこにサービスや広告や営業マンやタクシーを投入すればよいかが手に取るように分かる。そうなれば、莫大な経済的価値が発生することになる。

ところで、ライフログビジネスの振興に障害となりうるのが、プライバシーの問題だ。私が「ライフログ・サミット」に招聘されたのも、プライバシー問題をどう考えるか、という趣旨である。有り体に言って、この問題を考えている法律家(学者を含めて)は、少なくとも日本には、ほとんどいないと思う。私のような小魚が「サミット」などという大層な会合に呼ばれたのがその証拠だ。私自身、恥ずかしながら、呼ばれて初めてこの問題を考えてみたような次第である。そこで、試論ではあるが、このように切り分けて考えてみたらよいのでは?というご提案をして、ご批判を仰ぎたい。

プライバシーの観点からライフログを考えた場合、ごく単純に言って、二つの切り口が考えられる。

一つ目は、自分のライフログが、自分に返ってくるのか、それとも、他人に渡されるのか、という切り口だ。便宜上、前者を「自己回帰型」、後者を「外部提供型」と名付ける。プライバシーとの関係で言うと、言うまでもなく、外部提供型の方が、プライバシーの問題を生じやすい。

二つ目は、自分のライフログが、単一の端末から発せられたものか、それとも、複数の端末から発せられたものか、という切り口だ。これも便宜上、前者を「単一端末型」、後者を「端末横断型」と名付ける。単一の端末とは、例えば一つの携帯電話を指す。ただ、注意していただきたいのは、機械が一つでも、端末が複数になる場合があることだ。例えば、1台のパソコンでアマゾンと楽天のサイトにアクセスする場合、端末は二つと考える。これは、機械は一つでも、アクセスしている事業体が二つある場合には、端末は二つと考えることを意味する。逆に、アクセスする事業体は一つでも、機械が二つあれば、端末は二つと考える。例えば、NTTと契約している人が携帯電話を二台持ち歩いている場合、事業体は一つだが、端末は二つとなる。ややこしくて申し訳ないが、このように考える理由は追って説明したい。プライバシーとの関係では、「端末横断型」の方が、「単一端末型」に比べ、問題を生じやすい。

さて、「自己回帰型と外部提供型」と「単一端末型と端末横断型」という二つの切り口を組み合わせると、4通りのマトリックスが完成する。このマトリックスに基づいて、ライフログサービスとプライバシーとの関係を考えてみる。

単一端末型

端末横断型

自己回帰型

A

C

外部提供型

B

D

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月23日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (16)

宗教の機能の一つは、死や老病や事故天災など、直面する理不尽な不幸について、これを受け入れる考え方を提供することにある。この考え方を宗教上「救い」という。

法曹人口問題は、日弁連の左右分裂と迷走も一因となって、平成7年(1995年)末には、司法試験合格者数年1500名への流れが決定的となった。頑なに増員に反対した姿勢は、バブル崩壊に伴う不祥事増などと相まって、世論の批判にさらされ、日弁連は存在理由そのものを問われることになった。

後の司法改革推進を担った一人である宮川光治弁護士が編集長を務めた日弁連の機関月刊誌「自由と正義」は、平成8年(1996年)1月号を皮切りに、「あたらしい世紀への弁護士像」に関する日弁連内外の論考を多数掲載した。これらの論考は表向き、国民の期待に応える弁護士増を再構築する試みであったが、より端的には、それ以前の日弁連の総意としては到底受け入れられなかった1500人という数字を、どうやって正当化するかという試みであった。なぜなら、日弁連自身が1500人という数字を正当化して受け入れない限り、失われた国民の信頼を回復できないと考えられたからである。

いま、「日弁連の総意として」と記したが、もちろん、以前から、司法試験合格者の大幅増を受け入れるべしという意見は会内に存在した。土屋公献弁護士と日弁連会長の座を巡って争った川上義隆弁護士が公約として1000名への増加の検討を唱え、土屋候補に比肩する票を集めたこと、これに反対して当選したはずの土屋公献日弁連会長が後に1000ないし1500名に道を開く態度をとったことは、司法試験合格者の大幅増加を容認する勢力が、少なくなかったことを示している。

例えば、樋口俊二弁護士(東弁)は、「司法改革の展望」(東京弁護士会編1982年)で、法曹一元制のもと2000人の裁判官を弁護士から選出するためには、全国で5万人前後の弁護士が必要であり、これを10年で実現するには、司法試験合格者数年3000名、30年で実現するためには司法試験合格者数年1000名への増員が必要であると主張している。同じ書籍で宮川光治弁護士(東弁)は、「我が国の弁護士の数は、先進資本主義国の中では極端に少ない。これは国家の司法政策によるものだが、弁護士側にもこれに安住し国民に疎外感を与えてきた」と主張している。

しかし、土屋公献候補を支持した日弁連の相対多数の意思は、1000人さえとんでもない、せいぜい800人、というものだった。その理由を説明すれば、国民もマスコミも味方になってくれると信じていた。

その理由とは「弁護士の独立性の確保」である。たとえば、日弁連法曹養成問題委員会が作成した「法曹人口問題に関する意見書」(1994年12月号)は、弁護士増員の可否について、「弁護士の使命を果たすための会務活動はもとより、プロボノと言われる活動など対価の伴わない弁護士の公益的な活動は、客観的には弁護士のその他の職務で生計を維持することによって初めて成り立っている」から、「競争によって淘汰される弁護士が質の悪い弁護士とは限らず、会務や再審事件等の人権擁護活動にエネルギーを注ぐ弁護士が淘汰される危険さえある」とある。要するに、法曹人口が増えて弁護士間の競争が激化すると、弁護士の経済的余裕が無くなり、人権擁護と社会正義の実現(弁護士法1条)という弁護士の使命が実現できなくなる、という主張だ。

ところがふたを開けてみれば、800人どころか1500人への流れが決定し、かつ轟轟たる世論の非難を浴びる。「それなら初めから1000人と言っておけばよかった。その方が、1500人にならないで済んだかもしれない。800人に固執した土屋公献執行部の作戦は、完全に薮蛇だった」。この考えは、土屋公献候補を支持した弁護士たち、典型的にはいわゆる左翼系人権派弁護士と、地方単位会の弁護士に、大きな挫折感をもたらした。

彼らの挫折感の原因は、もちろん、法曹人口問題に関する作戦ミスに尽きるものではない。人権と弱者救済のために寝食と収入を犠牲にしてたたかっている自分らが説明すれば納得すると信じていた国民に裏切られたという思いこそ、挫折感の最大の原因であった。何を甘ったれたことをと笑ってはいけない。彼らは本当に、心の底から一点の曇りもなくそう思っていたのである。

司法試験合格者数年1500名を正当化して受け入れ、「救い」をうける必要は、これらの弁護士にこそあった。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月21日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (15)

「司法改革」を掲げる一方、司法試験合格者数を年700名からたった100名しか増加しない(しかもこれを5年間据え置く)と決議した日弁連(土屋公献会長)は、「ギルド社会のエゴ」と轟轟たる世論の非難を浴び、800名どころか1500名への増加が事実上決定し、日弁連は手痛い敗北を喫する。存在価値を疑われ、存亡の危機にさらされた日弁連は、抜本的な自己改革を迫られた。これを象徴する一つの出来事が、機関誌「自由と正義」の表紙デザインから左翼臭を払拭することであった。

そしてもう一つが、戦犯を異端として破門することである。

日弁連が大敗北を喫するきっかけとなった上記決議は、土屋公献執行部案でも、反執行部案でもないことに注目されたい。この決議は、当時、日弁連法曹養成問題委員会委員長という要職にあった前田知克弁護士(二弁)が、もと日弁連会長の辻誠弁護士(故人)を提案者に担ぎ出して提出したものであった。そして、前田知克弁護士の率いるグループは、お互いに票を読み切れず、敗北を覚悟していた執行部・反執行部双方に働きかけた。具体的には、「関連決議案賛成を呼びかけるなら、執行部案を通す」という提案を行い、土屋公献会長と反執行部派の領袖の合意を取り付けたのである。この密約に基づき、土屋公献会長は、臨時総会の席上、関連決議案は執行部案の具体化であって修正案ではない、執行部案に賛成する人は修正案にも賛成してほしいと呼びかけた。他方、執行部案反対派も、関連決議案には賛成するよう呼びかけた。その結果として、真っ二つに分かれていた日弁連なのに、関連決議案には圧倒的多数が賛成するという、とても奇妙な決議が誕生したのである。

この密約と陰謀に基づく関連決議が、世論の大バッシングを招き、日弁連を解体の瀬戸際に追いやり、法曹人口論での無残な敗北を招いた。首謀者であった前田知克弁護士と、関連決議を支えた弁護士は、戦犯として日弁連の中枢から破門される。もっとも、関連決議の提出名義人であった辻誠もと日弁連会長は、その年齢(当時82歳)のためか、お咎めなしとなったようだ。

「自由と正義」の表紙デザインを差し替えた編集長の宮川光治弁護士は、平成8年3月号の特集「回顧と展望」で、土屋公献会長に対し、「(年800人とする関連決議案が平場から提案された)あのときに執行部が『いや、執行部案だけで十分であって、関連決議案は不要である』ということを、あの場ではっきりおっしゃっていれば、関連決議案はあのように大多数により賛成されなかったと思われます。そして、執行部案だけが通ったということであれば、その後の展開はかなり違ってきたのではないでしょうか。また、95年の年1000人案は、小さな司法からの脱却を目指す真に積極的な英断であるとして高く評価されたのではないでしょうか。」と追及した。これに対して、土屋公献会長は、一言も発することができなかった。

この企画「回顧と展望」は、会長任期の総まとめとなる座談会だから、どんなに無能な会長であっても、成果を強調し、お疲れさまでしたと締めくくるのが、編集長の役どころである。それにもかかわらず、土屋公献会長を弾劾した宮川光治編集長の行為は、たとえるなら、全社員の面前で、社報編集部長が社長を罵倒したに等しい。そして、罵倒された土屋公献会長自身が弁解も反論もできなかった事実は、このとき同会長が置かれていた立場を端的に示すものである。

日弁連の中枢を破門された前田知克弁護士は、平成10年(1998年)度の日弁連会長に立候補し、小堀樹弁護士(東弁)に3081対8238で破れる。その後、日弁連主流派に反旗を翻す仕事は、高山俊吉弁護士(東弁)に引き継がれる。「回顧と展望」で宮川光治「自由と正義」編集長に痛罵された土屋公献会長は、高山俊吉候補の推薦人に名を連ねる。

いわゆる「弁護士法一条の会」と呼ばれ、この10年間、日弁連反主流派の中核となってきたグループには、以上の経緯によって日弁連中枢から破門された弁護士が、相当数流入していると見られる。

もっとも、いわゆる一条の会がいつ設立されたか、その原始会員や現在の中核メンバー、歴代の候補者推薦人が誰かといった資料には接することができていない。ご提供頂ければ幸甚です。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月20日 (月)

「テロリズムの罠」 右巻・左巻 (佐藤優 角川新書)

先日有罪が確定して失職し、「起訴休職中外務事務官」の肩書きが取れてしまった佐藤優氏の随想集。氏がマルクス経済学に傾倒していることは前著「国家の罠」で記されているが、本書は、新自由主義の破綻をマルクス経済学の視点から分析している。

すなわち、マルクスによれば、労働者を搾取することは、資本主義の本能である。しかし、労働者を搾取しすぎると、商品購買力がなくなってしまい、資本主義は自らの首を絞めることになる。東西冷戦の時代、資本主義は、共産主義と対立しつつも、労働者の購買力を支えるために共産主義的政策を取り込むことによって、資本主義を止揚し、発展させてきた。しかし、共産主義諸国が崩壊し、敵を失った資本主義は、本能の赴くまま、新自由主義へと突き進み、大量の絶対的貧困者を作り出した。これらの絶対的貧困者は、寄るべき社会組織を持たず、アトム化しているが、ひとたびカリスマ的リーダーが登場してこれを糾合すると、容易にファシズムを生み出す。ファシズムの行き先は、戦争など、全国民の不幸だ。佐藤氏はこのように述べて、アメリカや日本の将来を憂う。

私はマルクス経済学の素養は全くないが、佐藤優氏に限らず、マルクス経済を語る人は、とてもわかりやすく世界を分析してみせる。あまりに分かりやすすぎるので、天の邪鬼な私は、眉につばをつけずにいられない。全部が間違っているというつもりはないが、政治・経済活動のプレーヤーである個々の人間の、とても人間くさい何かを視点に加える必要があるような気がする。本書の中で著者が、当時の福田首相の退陣を予見できなかったり、オバマ大統領の当選を予見できなかったことは、快刀乱麻のマルクス経済学だけでは足りない何かがあることを示しているのではないか。

また、佐藤優氏は、「年収200万円以下の国民が10000万人を超えるというのは尋常ではない」と繰り返し危機感を煽る。絶対的貧困層が少なからず発生し、喫緊の政治的経済的課題であることは私も同感だが、この数字にはやや疑問がある。日本人のほぼ10人に一人が絶対的貧困層であるという実感に欠けるのだ。

私の尊敬するある人が、この話題についてこう言った。「本当に、年収200万円以下の国民が1000万人以上いるなら、なぜ、自殺者が年3万人しかいないのか?」

いろいろケチをつけたが、本書の基底を流れる著者の憂国の思いには大いに共感できる。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月14日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (14)

平成6年(1994年)から平成7年(1995年)にかけて、司法試験合格者数増に頑強に抵抗した日弁連は世論の大バッシングを浴び、崩壊・解体の危機に直面した。これを機に、日弁連は重大な自己改革を迫られる。これを象徴するのが、日弁連の月刊誌「自由と正義」の表紙デザインだ。

「自由と正義」平成78月号から12月号の表紙は、落成した新会館の写真や絵で飾られた。

Shinkaikan_2

そのため、その前号までの表紙デザインと、平成81月号以降の表紙デザインが差し替えられたことは、弁護士のあいだでさえ、あまり知られていない。大多数の弁護士には、「そういえば昔の表紙は違ったなあ。でも、いつ変わったっけ?」程度の認識しかない。

新弁護士会館落成以前のデザインは、星新一の小説の挿絵や未来的なイラストで昭和に名を残したイラストレーター、真鍋博の手になるものであり、昭和45年(1970年)3月号から25年もの間、「自由と正義」の表紙を飾り続けた。

Old

このデザインを採用した編集委員長、故山本忠義弁護士(~2002年)は、後の日弁連会長(昭和57年、58(1982年、1983))である。デザインの概要は、抽象化された若者の横顔と、その後頭部付近にはためく二本の旗からなっている。若者の横顔は、理想を象徴している。そして二本の旗は、真鍋自身の言葉によれば、「生きて動く自由と正義」の象徴である。旗は交差し躍動していて、その下で旗を振りかざし行進する民衆を想起させる。ちなみに、このデザインが採用された最初の号の特集は東西冷戦構造の象徴、日米安保条約だ。

端的に言おう。このデザインは、左翼臭がする。真鍋博や山本忠義編集委員長が意図したか否かはわからないが、このデザインは、旧社会主義・共産主義国に残る「革命記念碑」にとてもよく似ている。ハンマーや銃を持った筋肉質の男女が加われば、革命記念碑そのものだ。

弁護士人口増に頑なに抵抗する日弁連が世論の大バッシングを浴びた平成7年が暮れ、明けて平成8年(1996年)1月号の「自由と正義」の表紙は、眼を想起させる幾何学模様に変更されていた。

New

このとき表紙デザインを差し替えた編集委員長は宮川光治弁護士。後の司法改革の推進役を担った一人であり、平成20年(2008年)に最高裁判所判事に就任した。

25年間続いた表紙のデザインを差し替えた理由について、宮川光治編集長は、「変化してやまないこの時代に、私たちの機関誌である『自由と正義』は、このままでよいのであろうか」と述べる。このとき日弁連は、左翼臭の染みついた衣(ころも)を脱ぎ捨てたのだ。宮川光治編集長は、日弁連が解体の危機を免れるためには、「何でも反対のサヨク集団」という世間に染みついた日弁連のイメージを何としても払拭する必要があると考えたのだろう。

それはさておき、旧デザインに左翼臭があるなら、新デザインの眼の意匠には宗教色がある、というのはできすぎだろうか。(小林)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」 大屋雄裕 ちくま書房

新宿歌舞伎町には50台以上の監視カメラが設置されており,もはや撮影されずに歌舞伎町に行くことは不可能らしい。アメリカでは,1994年以降,性犯罪前歴者の情報は基本的にアメリカ全土において,インターネットで公開されている。また,一部の州では,前歴者にGPS付足輪を装着させ,小学校など一定の場所に近づくと警告を与える制度が実施されている。

このような,先端技術を用いた監視システムに対して,いわゆる人権派から,個人の自由に対する不当な侵害だ監視社会だという非難がなされている。これに対して大屋は,そもそも犯罪を行う自由はないし,一般市民に~被監視者に対してさえ~一定の利益をもたらしているのは事実だし,適切に運用される限り一般市民の自由を不当に侵害することはないと言う。「監視の背後に人々を幸福にしたいという信念や善意があることは,多くの場合に事実であり,我々は,監視が親切であることを認めることから出発しなければならない」。そして,「監視」に対立する「自由」とはそもそも何かと大屋は問う。近代市民社会に想定する人間は,自由で自律的な意思決定が可能なものであることが前提とされているが,それが人間の実態とかけ離れていることは,すでに証明されている。そうだとすれば,こんな観念上の「自由」をそれほど尊重する必要があるのかと。そもそも近代市民社会が想定した個人の自由が擬制であり,個人と社会の幸福実現のツールに過ぎないのならば,監視強化によって個人と社会の幸福が実現できるとき,「自由」は必要なのだろうか。

この問いに対して大屋は共感を吐露しつつ,「自由を擬制し,自由に基づく選択の結果(リスク)を個人に負担させる」という近代社会のシステムは「まだ」尊重すべき価値があるという認識を本書の結論とする。

刺激的な内容が平易な言葉で論じられており(法哲学書に「がちょーん」が引用されるとは…),大変興味深く読んだ。あえて注文を付けるとすれば,この問題を論じる場合,監視技術の(近い将来における)技術的限界点はどこかという問題と,監視技術濫用のリスクをどの程度見るか,という問題を避けて通ることができないのに,本書はあえてこれらの問題を回避しているように見える点である。著者の大屋氏はまだ30代半ばであり,今後のご活躍を期待したい。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (13)

東西冷戦の終結と55年体制の崩壊、戦後経済の復興とバブル景気がもたらした弁護士会の左右分裂は、平成2年(1990年)、中坊公平氏が掲げた「司法改革」によって表向き再統合された。しかし平成78年(19941995年)の日弁連は、法曹人口問題を巡って再び左右に分裂し、意思決定能力の無さを露呈する。

このとき、とても「高い筋」から、土屋公献日弁連会長に対して、日弁連への介入、端的にはお取りつぶしを示唆する露骨な脅迫があったという噂がある。あくまで噂であり、確認のしようがないが、私は事実だと思う。土屋執行部の滑稽なほどのうろたえぶりと、その後の方向転換が、よほど強力な外圧があったことを証明している。

日弁連から政治的影響力を奪うのはとても簡単である。強制加入や弁護士自治の廃止などといった、過激で抵抗の強い手段をとる必要は全くない。一つの地方裁判所所在地に一つしかない弁護士会を、二つ以上認めるように「運用を変える」だけでよい。それには弁護士法32条の改正が望ましいが、改正しないでも解釈上不可能ではない。なぜなら、明文の禁止規定がなく、かつ、東京にだけ3つもの弁護士会を認める理由はないからだ。

会の分裂を公認しさえすれば、ただでさえ分裂している弁護士会だから、勝手に第二愛知県弁護士会や第二埼玉弁護士会を作ってくれる。そうして地方単位会が分裂していけば、第二日弁連を作らせてくれという声が、弁護士会内部からわき上がってくる。弁護士自身が、第二日弁連の設立を頼みに来る日を寝て待てばよい。もちろん、日弁連が分裂しても弁護士という職業は無くならない。強制加入団体性や弁護士自治も無事だ。しかし、双方足の引っ張り合いをしてくれるから、政治的影響力は無に帰するであろう。余談だが、現在(2009年)の状況を見ると、東京に4つめの弁護士会ができる日は遠くないと思う。

平成8年(1995年)秋、日弁連は破綻・崩壊の危機に瀕していた。これを回避するため、日弁連は、二つの課題を突きつけられた。一つは分裂状態の修復であり、一つは自己改革をしてみせることである。(小林)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (12)

宗教の持つ政治的な意義は、分裂した集団を統合することにある。

中坊公平日弁連会長は、「司法改革」(=裁判所・裁判制度改革)を掲げ、左右に分裂した日弁連を再統合し、一定の成果を挙げた。しかし中坊公平氏が先送りした法曹人口問題は、結局、日弁連の再度の分裂を招く。左派右派二人の日弁連会長候補はともに「司法改革路線の継承」を掲げ、「左」の土屋公献候補が当選し、法曹人口問題に取り組むことになる。当選直後である平成6年(1994年)31日の日弁連新聞で、土屋公献会長は喫緊の課題として司法改革問題と外弁問題を挙げ、「国際化時代の中で、弁護士の使命である社会正義・人権擁護を言って肩を怒らすのはどうか、と疑問を差し挟む人がいます。市民のための弁護士が必要であって、単なる利益追求・サービス産業化に満足し、公益的な任務を忘れては困ります。外弁問題も司法改革もこの姿勢を貫きます」と大見得を切った。

会の約半分からしか支持されなかったにもかかわらず、融和への配慮を欠いたこの発言によって、土屋公献日弁連会長の失敗は約束されたといえよう。「この姿勢を貫く」どころか、土屋公献会長は、執行部内では増員容認派へと舵を切るという「公約違反」を冒し、これに怒った増員反対派が招集した平成6年(1994年)1221日の臨時総会では、執行部案危うし、と見てあっさり増員反対派へと転向し、これが世論の非難を浴びると再度増員容認へ舵を切り直した(この経緯は「日弁連はなぜ負けたのか~総会編1、2~」に詳述した)。こうして、左右の小舟に片足ずつを乗せた愚かな水夫のように、土屋公献日弁連会長は、滑稽な踊りを踊った挙げ句に転落した。

民意の応援を背景に裁判所に改革を促すという中坊公平氏の取った路線も、土屋公献日弁連会長には裏目に出た。中坊公平氏の路線を支持していたマスコミは、頑なに法曹人口増員に抵抗する日弁連を、「司法改革の流れに逆行する」とこぞって非難したのだ。

しかもこの年(1995年)は、これまでにないほど弁護士の不祥事が多発した年だった。バブルに踊り、投機に手を出し、バブルが崩壊した後預かり金を着服する弁護士が続出していた。弁護士に対する懲戒請求はバブル経済が崩壊した平成3年(1991年)、初めて年300件を超え、平成5年(1993年)には439件に達した。そして、平成6年(1994年)には、1ヶ月に3人もの弁護士が東京地検特捜部に逮捕された。一人はゴルフ場経営会社の巨額脱税に荷担した共犯容疑、二人はそれぞれ預かり金を1億円以上横領した容疑である。これを受け、1012日には土屋公献日弁連会長と佐伯弘東京弁護士会長が記者会見して謝罪するという、異例の事態となった。この年の1129日には、衆議院法務委員会に日弁連の稲田寛事務局長が呼ばれて謝罪し、弁護士会の自浄能力が足りないと糾弾された。当時の新聞の見出しを列挙してみよう。「『あしき隣人』は願い下げだ」(毎日新聞社説)、「『金儲けの道具…弁護士業が崩壊』相次ぐ弁護士逮捕で日弁連会長おわび会見」(讀賣)、「相次ぐ弁護士の不祥事、不十分な綱紀粛正-法曹関係者に衝撃。」(日本経済新聞)、「弁護士むしばむカネ社会 不祥事相次ぐ 責任感の希薄化も」(讀賣)。

平成7年(1995年)516日、オウム真理教教祖松本智津夫が逮捕されると、その私選弁護人を買って出た老弁護士が、「やめてぇ~」「ばっかもん!」などのパフォーマンスで世間の嘲笑を浴びる。

こうして、平成7年(1995年)の日弁連は、「内に融和を欠き、外から侮蔑を受ける」(自由と正義473号 児玉公男弁護士(一弁))状態となった。このとき日弁連は、組織として存在すること自体が、危ぶまれていたと言えよう。

こうして、日弁連という組織と「司法改革」の理念は、発足・発生後最大の危機を迎えた。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (11)

中坊公平日弁連会長が掲げた「司法改革」という理念は、民意を背景に、裁判所と裁判制度を改革することが第一義であり、この理念をもって、分裂した日弁連の再統合を図るものだった。そして、法曹人口問題や外弁問題などを「各論」として「司法改革」の理念の中に体系づけることによって、日弁連の分裂を避けようとしたのである。

そうは言っても、中坊公平執行部自身が、これら諸問題の体系化を果たしたわけではない。そんな悠長な作業を許さないほど事態は切迫していた。平成3年(1991年)年初、井田惠子日弁連事務総長(故人)が「自由と正義」に記した「当面する重要問題」の筆頭は外弁問題、2番目は法曹人口問題であるが、いずれの問題についても、各論に「司法改革」という言葉は一切出てこない。

法曹人口問題、すなわち司法試験の合格者数問題に関しては、バブル経済の影響等により、若くて優秀な人材が多く弁護士になってしまうことに危機感を強めていた最高裁判所と法務省が、日弁連に対して、「丙案」すなわち若手受験者にゲタを履かせて優遇する案の受諾を強硬に要求していた。日弁連は中坊公平執行部以前に、合格者数年700名への引き上げを提案していたが、最高裁と法務省は、単純増では効果がないと拒否する。中坊執行部1年目の7月には、丙案を受諾するか否かで、日弁連内部が再び分裂する危機が訪れた。ここで中坊公平氏は、「当面5年間、700名への単純増員で様子を見る。それでも企図したとおり若手合格者が増加しなければ、丙案に匹敵する抜本的改革案がない限り、丙案を受諾する」という「解除条件付の妥協案」をひねり出し、会内合意と法曹三者合意に漕ぎ着ける(このあたりの生々しい経緯は「自由と正義」423号に詳しい)。これは中坊公平氏の政治的才覚ともいえるが、問題の先送りに過ぎないともいえた。

しかし、5年経っても期待どおりには若手合格者は増えず、このままでは丙案に匹敵する「抜本的改革案」を日弁連が提示できない限り、丙案実施は必至という情勢になった。

そして平成6年、平成7年度の日弁連会長選挙は、川上義隆弁護士と土屋公献弁護士の一騎打ちとなる。どちらも「司法改革路線の継承」を掲げたから、この選挙はさながら宗派対立である。そして川上義隆候補が「抜本的改革案」として司法試験合格者数年1000人への増員も選択肢に入れるべしと主張したのに対して、これに反対した土屋公献候補が当選した。それぞれの得票数は川上義隆候補4817票に対し土屋公献候補6669。但し東京3会ではほぼ拮抗ないし川上義隆候補が制したのに対し、地方単位会では軒並み土屋公献候補が制した。

つまりこの選挙結果は、中坊公平日弁連会長が当選する以前の分裂した会長選挙の再現である。企業渉外系弁護士側(+都市部)が推したのが川上義隆候補であり、左翼系人権派弁護士側(+地方単位会)が土屋公献候補だ。そして土屋公献日弁連会長は、分裂した一方勢力のみの支持を基盤に、追い詰められた法曹人口問題解決に取り組むことになる。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 6日 (月)

「司法改革の時代」 但木敬一 中公新書

バブル経済崩壊からグローバル化を迎え、日本の司法のあり方は大きく変わった。刑事司法の分野でも、国民参加の時代を迎え、裁判員制度が実施されることになったが、司馬遼太郎が言うとおり、日本人の知的水準はとても高いので大丈夫。いままでの刑事司法の良いところを残しつつ、国民から支持される検察になれる。信じて頑張れ若手検事諸君。

だいたいこんな内容の本である。司法改革に対する検察トップの考えを知る上で大変興味深い。当然のことだが、弁護士会が考える刑事司法改革のあり方とは全く違う。もちろん、弁護士会が正しいと言うつもりはない。

たとえば取り調べの録画は、自白の任意性を証明するための手段だから、自白場面の録画で十分、ということになる。違法な取り調べは、録画をしなくても、高潔で厳格な捜査官の職業倫理で防げるというわけだ。

司法改革に関する著者の歴史認識は私と大きく変わらないし、著者のたつ穏健改革派とでも言うべきスタンスも支持できる。ただ、著者が故意に事実と異なることを言っている点を1つだけ指摘しておきたい。日本の治安が悪化している根拠として強盗認知件数の急上昇を指摘している点だ。これは、それまで窃盗として処理されてきたひったくりのうち悪質なものを強盗として処理した結果であるから、事実としての犯罪そのものの増加を示すデータではない。著者は検事だから、当然それを知っているし、同じ本の別の場所で、強盗と同じく暗数の少ない殺人は減少していると言って矛盾を顧みようともしない。問題は、なぜこんないい加減なデータを引用してまで、治安の悪化を強調するのか、という点にあるから、考えてみてほしい。

裁判員制度になっても、日本が誇る精密司法は維持しなければならない、というお立場は理解できるが、裁判員制度と精密司法の両立は無理じゃないかと思う。裁判員制度は原理的に、実体的真実主義から手続的正義方向に重心を移動するものと考えるからだ。そもそも、99%を超える日本の有罪判決率は国際的に異常だし、そんな有罪判決率を維持できなくなったって恥ずかしくない、という視点を検察自体が持ってもよいと思う。そんなに肩肘を張ったら続かないよ、きっと。続けたくないのかもしれないけど。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (10)

宗教には教義が必要である。ただし、教祖の掲げた教義が、そのまま弟子達に受け継がれるとは限らない。

矢口洪一最高裁判所長官が実行した「司法改革」は、民意を受けた自己改革を宣言することによって、政治による介入を阻止することが目的だった。そして、中坊公平日弁連会長は、矢口洪一の取り組みを念頭に置きつつ、分裂した日弁連を再統合する理念として「司法改革」を掲げた。そのため、中坊公平氏が掲げ、平成2年(1990年)の日弁連総会で決議された「司法改革」の主たる目的は、裁判所改革ないし裁判制度改革になる。後に司法改革の主題となる弁護士・弁護士会の自己改革は、副次的な目的でしかない。まして、後の「司法改革」では必ず言及される法曹人口論も、中坊公平執行部の掲げる「司法改革」には全く出てこない。つまり、中坊公平氏が掲げた「司法改革」と、現在の日弁連執行部が主張している「司法改革」は、似て非なる理念である。

中坊公平氏が掲げる「司法改革」が第一に裁判所ないし裁判制度改革を意味するものであるとすれば、これに反対する弁護士はいない。右だろうが左だろうが、都市だろうが地方だろうが、弁護士として仕事をする中で、裁判所という組織や制度に対して不満を持たない弁護士はいないからだ。これが、平成元年(1990年)の日弁連総会で司法改革宣言が全会一致で採択されたカラクリである。つまり、裁判制度改革は、分裂した日弁連を再統合するに最適の目標だった。これに加え、当時の最高裁判所にとって、日弁連の批判を受け、日弁連と協議を重ねて自己改革に取り組むことは、独善的な司法改革という批判をかわすため歓迎すべきことだった。翻ってこれは、日弁連にとって、裁判所改革の要求が、単なる批判に終わらず、具体的成果をもたらすことを意味した。

中坊公平氏は、優れた政治的バランス感覚を発揮して、ためにする批判に陥ることなく、協力すべきところは協力し、譲るべきところは譲るという態度をとったため、最高裁判所から一定の信頼を受けた。その結果、中坊公平会長下の日弁連は、弁護士任官や当番弁護士制度の推進等、それまで批判ばかりだった頃に比べ、めざましい成果を挙げるし、法廷傍聴の国民運動を通じて、裁判所改革の必要性と日弁連の主張の正当性をマスコミにアピールできた。

豊田商事の破産管財人などの経験を経た中坊公平氏は、世論を味方につけることの強さを体得していたのだと思う。

もちろん、中坊公平日弁連会長が、将来の法曹人口増を見据えていなかったはずはない。しかし、同会長下二度行われた司法改革宣言には、法曹人口を増員させると一言も書かれていないことも事実である。中坊公平氏は、法曹人口増の地固め・基盤整備として、あるいは、将来の法曹人口問題を巡る折衝において日弁連の交渉能力を上げる手段として、司法改革を位置づけていたのだと思う。

ともあれ、中坊公平日弁連会長が提唱した「司法改革」という理念は、分裂した日弁連を再統合する機能を果たしたかに見えた。しかし、これは長くは続かなかった。日弁連は再び分裂することになる。(小林)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »