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2009年8月11日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (19)

日弁連は、平成7年(1995年)までは、法曹人口増に頑強に提供した。しかし、同年臨時総会で議決した「年800名の5年据置」案は、轟々たる非難を浴び、弁護士会の存在意義そのものを問われることになった。そこで翌平成8年(1996年)渋々認めた「年1000名」の案も、法曹養成制度等改革協議会の単独少数意見に止まり、年1500名への流れが事実上決定する。そして法曹養成制度等改革協議会は、「法曹三者は、本意見書の趣旨を尊重して、真に国民的見地にたった司法試験制度及び法曹養成制度の抜本的改革を実現させるため、直ちに協議を行い、速やかに具体的な方策を採らなければならない。」と法曹3者にゲタを返した。

法曹人口問題に関する法曹三者協議では決着がつかず、外部委員を交えた法曹養成制度等改革協議会を創設したのに、なぜまた法曹三者にゲタを返すのか?と読者は思われるだろう。

その理由は、「司法制度の改正にあたっては法曹三者の意見を一致させて実施するよう努めなければならない」という昭和45年(1970年)の参議院法務委員会附帯決議にある。この決議によって、法曹三者が合意しない限り、司法制度は改正されないとされていたのだ。これは、昭和45年(1970年)、法務省が簡易裁判所の事物管轄を10万円から30万円に引き上げる法案を日弁連の反対を押し切って提出したため国会審議が混乱したことを受けて決議されたものである。

平成9年(1997年)に就任した鬼追明夫日弁連会長の仕事は、「直ちに」この三者協議を始め、「速やかに」遂行することにあった。しかし、この法曹三者協議は、その後2年もかけたにもかかわらず、「司法修習期間を2年から1年半に短縮する」ことだけしか決まらなかった。あまりの遅さは、当時の法務大臣が「司法制度改革は日弁連抜きで」と発言したほどだった。

もちろん、鬼追明夫執行部が故意にサボタージュを行ったわけではない。執行部としては、年1500名を日弁連として受け入れるための理論づけや、会内合意の取りまとめを行いながらの法曹三者協議なので、必然的に時間がかかる。長年続いた法曹三者間の相互不信もあり、法曹三者協議では解決できない、国家予算という重大な障害もあった。また、これは推測だが、日弁連に限らず、最高裁や法務省も、年1500名への増員に直ちに着手する意欲を欠いていたのではないかと思う。いずれにせよ、外部から見て遅々として進まない法曹三者協議の有様は、政府与党からは、「法曹三者協議」という枠組み、ひいては昭和45年(1970年)の参議委員法務委員会附帯決議そのものの機能不全として認識されることになった。(小林)

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コメント

毎回興味深く読ませて頂いてますが、いよいよ佳境ですね。

3000人を方向付けた司法制度改革審議会よりも
その「前史」で既に勝負は決まっていたという先生の解釈は、
スターウォーズの本史前の「エピソード1~3」を観てるようです。

投稿: 一会員(大阪) | 2009年8月11日 (火) 09時53分

コメントありがとうございます。スターウォーズに喩えていただくなど、身に余る光栄です。ただ、ルークとレイアは出てきません(T_T)。

投稿: 小林正啓 | 2009年8月11日 (火) 16時46分

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