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2009年8月20日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (22)

中坊公平日弁連会長(1990年~1991年)の時代、司法改革とは、左右に分裂した日弁連を統合し、来るべき法曹人口問題において裁判所・法務省に対抗できる交渉力を身につけるための手段であった。

鬼追明夫日弁連会長(1996年~1997年)の時代、司法改革とは、司法試験合格者数年1500名という「敗北」を受け入れ、正統化する一方、さらなる増員を防止するための理念となった。中坊時代にしろ、鬼追時代にしろ、司法改革は、法曹人口問題に対抗する手段として位置づけられてきた。

ところが平成9年(1997年)末ころ、司法改革と法曹人口問題の目的手段関係が逆転をはじめる。つまり、従前の、司法改革=手段、法曹人口問題=目的という関係が逆転して、司法改革=目的、法曹人口問題=手段とされたのだ。すなわち、司法改革を実現する手段として、さらなる法曹人口増を行うべきだという考えが、日弁連内部に台頭する。そのきっかけとなったのが、法曹一元論3度目の復活だった。

思い起こせば、平成元年(1989年)に中坊公平日弁連会長が司法改革を提唱したのは、これに先立つ矢口洪一最高裁判所長官の実践した司法改革を踏まえてのことだった。そして、平成9年(1997年)、法曹人口問題で無残な敗北を喫した日弁連が、法曹人口増推進へと大きく舵を切るきっかけとなったのも、退官した矢口洪一氏の発言だった。

平成8年(1996年)12月23日の毎日新聞で、矢口洪一氏は、法曹一元制度の採用、司法研修所の民間(日弁連を含む)への移管が必要と述べ、陪審制の採用にも積極的な態度を示した。

翌平成9年(1997年)8月30日に日弁連から発行された「あたらしい世紀への弁護士像」のあとがきで、宮川光治弁護士は、矢口洪一氏の発言に「注目すべきである」と記し、日弁連は法曹一元の実現と日弁連が司法研修所を所管することに向けて積極的に行動すべきであると述べた。

同年8月6日、法曹一元をテーマとする日弁連司法改革推進センターの合宿が京都で開催され、この種の集まりとしては異例となる100名以上の弁護士が全国から終結して、熱い議論を交わしたと報じられた(9月1日毎日新聞)。

平成9年(1997年)10月15日の日弁連臨時総会では、決議文の筆頭に法曹一元の実現と記され、これを実現するためとして、司法試験合格者数年1500名と、司法修習期間1年半の受入とが記された。参加者からも、「矢口洪一元最高裁長官でさえ、法曹一元を採用すべきであると述べている」川中宏弁護士 京都)、「日弁連が法曹一元実現のため国民運動を起こすことが執行部案の延長にあると構想して、執行部案を支持する」(斉藤浩弁護士 大阪)、「元最高裁長官やマスコミの論者も、真っ正面から法曹一元の必要性を訴えている。ここ3、4年こそが大きな司法改革、法曹一元に向かって前進する好機」(中村洋二郎弁護士 新潟)といった発言が相次いだ。

平成10年(1998年)6月16日、自由民主党特別調査会は、「21世紀司法の確かな指針」と題する報告書を発表し、法曹一元を検討課題として掲げた。

平成10年(1998年)11月6日、日弁連が高松市で開催した司法シンポジウムは、法曹一元をテーマに据え、全体会はもちろん、3つの分科会すべてで法曹一元を論じ、その成果は450頁を超える書籍「市民に身近な裁判所へ 法曹一元をめざして」にまとめられた。その様子を紹介する日弁連新聞第299号は、「経団連から自民党までが法曹一元導入に賛成しているので、その実現は極めて近づいている」という萩原金美神奈川大学教授の発言を紹介した(しかし同教授の「幻想としての法曹一元(論)」(「民事司法・訴訟の現在課題」所収)によると、条件整備が全くなされていない現状では法曹一元の実現は無理なのに、上記シンポジウムは反対論者も呼ばない『仲良しクラブのイヴェント』であって、このような日弁連サイドの論調に少なからぬ懸念を感じる。もっとも、バブル崩壊と外圧の中、実体を欠いたまま法曹一元の制度だけが実現しちゃうかもしれない、とある。これは日弁連新聞の上記記事とは大分ニュアンスが異なる)。

このシンポジウムの資料によれば、アンケート回答者1685名中9割以上を法曹一元制度導入に積極的な意見が占めたという。しかし先に紹介した萩原教授は、上記論考の中で、「弁護士の側が国民は強く法曹一元を望んでいると無条件的に考えているならばそれは傲慢の謗りを免れない」と厳しく批判している。

同年11月20日、日弁連理事会で全会一致をもって採択された「司法改革ビジョン 市民に身近で信頼される司法をめざして」は、日本国憲法の理念を達成するには、市民に身近な司法を実現する必要があり、そのために法曹一元を導入する必要があると宣言する。

平成9年(1997年)まで、必死で抵抗した法曹人口増問題で敗北を喫し、打ちのめされていた日弁連は、その翌年、法曹一元の実現に向けた熱気に浮かれていた。この子供じみた振幅の大きさに呆れる。このような時に浮かれると大火傷することは経験則だし、なにより、うまい話ほど眉に唾を付けて聞くことは、弁護士として最低持つべき能力の一つであると思う。(小林)

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