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2009年8月25日 (火)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (23)

平成2年(1990年)以降、日弁連は、「司法改革」を理念として掲げ、法曹人口問題をはじめとする内外の諸問題に司法改革の視点から取り組もうとした。しかし法曹人口問題では、平成7年(1995年)から平成9年(1997年)にかけて大敗北を喫する。そればかりか、日弁連は、その存在意義さえ疑われる。

ところが、その翌年、日弁連は熱気に包まれていた。それは、矢口洪一もと最高裁判所長官が口火を切り、自由民主党が正式な検討課題に掲げた法曹一元論がきっかけだった。

法曹一元論の詳細な内容は別稿でふれたから、本稿では代表的な見解をご紹介するに止める。

松井康浩もと日弁連事務総長(1973年、1974年度)は、自由と正義49巻8号「司法制度の改革と法曹一元制度」(1998年)で、我が国は「支配者」と「国民」に二分されており、法曹一元は司法を支配者から国民が奪取する行為であって、法曹一元が実現されれば、「誰が見ても違憲の」自衛隊は違憲となり、日米安保条約も当然破棄されると言う。そして、これを実現できるのは、法秩序と正義のために、官僚司法と闘う在野法曹である弁護士だけであって、弁護士であれば誰でも良いわけではなく、適切な弁護士を選任する制度がもっとも重要であるという(松井康浩著「法曹一元論」1992年より)。

松井康浩弁護士は、昭和58年(1983年)の東京都知事選に日本共産党推薦の候補者として出馬を取りざたされた人物であり、その旗幟は鮮明だ。その主張する法曹一元は、司法改革を通じて日本に共産主義革命を起こそうというものである。萩原金美神奈川大学教授も、「日弁連型法曹一元論(は)革命の名にふさわしい」と述べている(「法曹一元(論)の試論的検討」神奈川大学法学研究所研究年報4号(1983))。そのほか、このとき積極的に法曹一元を推進しようとした主だった弁護士には、左翼系が目立つ。つまり、法曹一元論は、日弁連の中でも特に左翼系主流派の弁護士を熱狂させたのだ。

もちろん、平成10年(1998年)の日弁連執行部が公式に採用する法曹一元論は、松井康浩弁護士が唱えるような過激なものではない。しかし、思想的な源流は、松井康浩弁護士の唱える法曹一元論にあると見てよい。なぜなら、松井康浩弁護士の唱える法曹一元論に見られる致命的な欠陥を、日弁連執行部が公式採用する法曹一元論は、そのまま引き継いでいるからだ。(小林)

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