« 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (25) | トップページ | 土屋公献弁護士死去 »

2009年9月10日 (木)

日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (26)

私は客観的かつ公平かつ冷静に、この文章を書いている。嘘つけと思われるかもしれないが、主観的にはそうあろうと努めている。しかし、法曹一元に熱狂した弁護士やその遺した資料を紹介する作業については、客観性も公平性も冷静さも保つことがとても困難である。資料を読めば血圧が上がって目がかすみ、パソコンに向かえば指先が震えてキーボードを打ちま間違う。正気を失うほど、彼らの馬鹿さ加減は異常である。

読者諸氏には迷惑だろうが、もう少しだけ、彼らの馬鹿っぷりにお付き合い願いたい。

平成10年(1998年)度の日弁連事務総長、平成13年(2001年)日弁連司法改革実現本部副本部長、平成20年(2008年)日本司法支援センター理事長を歴任した寺井一弘弁護士は、「法曹一元とは、治者と被治者の同一性・一元制を求める思想を端的に表現したもの」であり、「民衆の自由を護り、民主主義を支え、社会の創造的な発展に貢献する生きた正義を貫くことが法曹一元を必要とする理由」であると述べる(法律時報増刊号「シリーズ司法改革Ⅰ」)。これは、「法曹一元は国民が司法を支配者から奪取する行為」であると言った松井康浩もと日弁連事務総長と瓜二つである。つまり法曹一元を求めるたたかい(←あえてサヨクっぽく平仮名で書こう)は階級闘争であり、法曹一元は共産主義革命そのものだ。本稿で共産主義革命の是非を論じる意思はないが、平成12年という時代に、これほどあからさまに共産主義革命思想を論じて、国民に受け入れられると本気で思っていたのだろうか。

弁護士ではないが、日本経済新聞のもと論説委員の藤川忠宏氏は端的に、「司法改革は文化大革命である」と主張した。毛沢東が「司令部を砲撃せよ」と言って文化大革命ののろしをあげたように、我が国は「法の支配」ののろしをあげて司法官僚制を砲撃すべきだという。何とも勇ましい主張であるが、中身は新左翼大学生のアジ演説と同レベルである。頭でっかちで、大袈裟なくせに、薄っぺらだ。毛沢東を引用するあたり、新左翼そのものである。余談だが、このような新左翼思想の持ち主が、よりによって日本経済新聞の論説委員であったのはなぜなのだろう。さらに余談だが、日弁連反主流派の代表格である高山俊吉弁護士は、平成8年(1996年)の法律時報68巻3号に「丙案廃止に向けた闘いのために」と題する論考を寄せ、その末尾に、「われらが到達した峰に主峰を目指す砲台を揺るぎなく据えよ。」と記した。立場は違うのに、「大砲系」の喩えが好きなのはなぜなのだろう。

話を戻そう。平成12年(2000年)の日弁連司法シンポジウム基調報告書は、当時、弁護士任官が進まない理由の筆頭として、「キャリアシステム、官僚司法制度だから」と指摘する。裁判所のキャリアシステムを打破するために法曹一元を導入すると言っておきながら、キャリアシステムのせいで法曹一元が進まないと弁解する矛盾!自分でやらないで、いったい誰がキャリアシステムを打破してくれるというのだろうか。神風が吹くとでもいうのか。

こうして日弁連は、「法曹一元」を旗印に、客観的にはまるで勝算の無いたたかいに、歓喜の声を上げて突進していった。(小林)

掲載中断のお知らせ

おつきあいいただいている読者各位

いつもありがとうございます。事情により、このシリーズの掲載を当面中断します。ご迷惑をおかけしますが、しばらくお待ちくださるようお願いいたします。

|

« 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (25) | トップページ | 土屋公献弁護士死去 »

コメント

いつも感心しながら拝見してきました。
続きを拝見できる日を楽しみにしております。

投稿: tamago | 2009年9月10日 (木) 15時05分

ご連載を読ませていただき,日頃疑問に思っていたこと。すなわち,司法増員の理由が主に経済界から主張される新自由主義的観点からの市場原理の促進と,弁護士会が強調する司法過疎の解消が平然と同居しているのかがわかってきたような気がします。

弁護士会は,ことあるごとに,司法改革は市場競争を目的とするものではなく,法の支配を隅々まで行き渡らせるためであると主張し,事実,大手債務整理系事務所を目の敵にし,車内広告に眉をひそめ,新しい営業形態を批判し,懲戒を厳しくするなど市場競争に乗ろうとする動きを阻害する活動をしているように見受けられます。

さらに,若手弁護士の経済的基盤を弱める一方で,義務を強化し,数年ばかりの会費の減額をようやく始めたようですが,これを譲る気配は見られません。

この姿勢を,革命の実現のためと捉えれば,学園闘争時代の左翼の発想から考えると,彼らが理想を最優先と捉え,現実との迎合を拒否し,末端弁護士の犠牲に鑑みない理由もよくわかります。革命を目的とすれば手段は悪とはならないのですから,反省もするはずはありませんし,これからもしないでしょう。

しかし,弁護士会の理由では,これだけの過激な増員の必要性はなく,やはり現実の増員の真の理由は,経済界側の主張に分があることは明白と思われます。

この両者が勝手に自分たちの理論を振りかざすのはかってですが,それに巻き込まれ被害を被るのは,現実に目を向け市場競争を勝ち抜こうとすれば弁護士会に阻まれ,理想に乗ろうとすれば,ただ働きをさせられる若手新人弁護士であるというのも事実だと思います。

今の増員の真の理由が新自由主義にある以上,自由競争を阻む弁護士会,および弁護士自治はいずれ崩壊するであろうし,自由競争をする以上,そうすべきであると思います。ただ,弁護士会が現実を無視する以上,崩壊は,事態が弁護士会の力を持ってしてもいかんしがたい限界に来たときに生じるでしょうから,一気に津波のように来るのではないかと感じています。

法科大学院制度を導入する際,自らの存立基盤である旧試験制度を批判して導入したものであり,新試験を経た弁護士の多くは,会社法務指向が強く,世代の上の弁護士を尊敬していませんし,おそらく彼らの理想には共感しないでしょう。
いずれ,こんな高い会費を取りながら,自分たちの邪魔しかしない弁護士会は見捨てられるでしょう。

執行部も,この事態を肌で感じたのか以前よりトーンを下げている気がしますが,責任を追及されないよう玉虫色に軟着陸を目指しているようで,大胆な方向転換を出来るのかは,まだ疑問があります。

今後生じうるリスクから,どうのように身を守るか,改めて考える機会を与えていただきました。

長々と失礼いたしました。
連載の再開を楽しみにしております。

投稿: にゃん | 2009年9月15日 (火) 18時08分

tamagoさん、にゃんさん、コメントありがとうございます。
あと3回くらいで終了する予定だったのですが、申し訳ありません。このつたない連載をきっかけに、若い弁護士やこれからの人たちが、いろいろなことを考えていただければ、大変うれしいことです。いつ再開できるか、今のところ見通しが立たないのですが、気長にお待ちくださるようお願いいたします。

投稿: 小林正啓 | 2009年9月17日 (木) 07時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/46140187

この記事へのトラックバック一覧です: 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (26):

« 日弁連はなぜ負けたのか ~司法改革という宗教~ (25) | トップページ | 土屋公献弁護士死去 »