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2009年9月27日 (日)

土屋公献弁護士死去

 9月25日、1994年、95年度の日弁連会長、土屋公献弁護士が死去した。86歳だった。

 土屋公献弁護士は、1994年12月21日の日弁臨時総会において、それまで年700名とされていた司法試験合格者数を年800人かつ5年間据え置きとする決議案を支持し、圧倒的多数での裁決に持ち込んだ。そして、当時の法曹養成制度等改革審議会では年1000名か、1500名かという議論をしていたときに800名の5年据え置き案を持っていき、案の定、世論と政府の袋だたきにあい、うろたえたあげく迷走して発言力を失った。

 歴史にIFはないが、このとき日弁連が年1000名以上への増員を決議していれば(そして、もともとの土屋執行部案は、それを企図していた)、今の年3000名はなかった。

 現在最高裁判所判事となっている宮川光治弁護士は、自由と正義平成8年3月号の特集「回顧と展望」で、土屋公献会長に対し、「(年800人とする関連決議案が平場から提案された)あのときに執行部が『いや、執行部案だけで十分であって、関連決議案は不要である』ということを、あの場ではっきりおっしゃっていれば、関連決議案はあのように大多数により賛成されなかったと思われます。そして、執行部案だけが通ったということであれば、その後の展開はかなり違ってきたのではないでしょうか。」と追及した。これに対して、土屋公献会長は、一言も発することができなかった。

 私はその後の文献等を調べてみたが、この後も、土屋公献弁護士の弁解に接することができていない。その機会は永久に失われてしまった。私としては、それが残念でならない。(小林)

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コメント

問題の本質は、司法制度を決めるのは国民なのに、日弁連の決議が単なる参考以上の意味を持ってしまうことです。

ちなみに、憲法を読むと最高裁は弁護士に関する規則を決める権限があると定められています。一方、弁護士自治なんて一言も出てきません。

日本国憲法は、裁判所が弁護士を監督する権限を持つアメリカ型の司法制度を前提にしているように思えます。

弁護士会や日弁連が司法制度の中で力を持ち過ぎている状況は一般の国民から見れば異常です。少なくとも懲戒権まで業界団体が持っているのは日本だけですし、それが原因で弁護士が自由に法的サービスを提供できてこなかった状況を考えれば、改革の本丸は弁護士法の改正にあることはいうまでもないでしょう。

ちなみに、日弁連解体までいかなくても、懲戒権が裁判所に移れば、憲法審査を受けることを意味します。そうすると、懲戒の前提になる日弁連の規則も個別の懲戒事件の際に憲法審査を受けるので、創意工夫をしている新しい事務所の業務内容を会規で縛って伸びないようにしようとしても、裁判所が公正に判断し、違憲判決が出る可能性が期待できます。

広告規制も公正取引委員会の力を借りるまでもなく、憲法により直接弁護士の人権が救済されることになるのです。

増員問題にしろ、日弁連によるさまざまな統制にしろ、司法制度を国民の手に取り戻すことで解決できるものが多いですね。そして、守旧派とマーケットや業務方法をめぐって対立している新しい弁護士たちの多くはそれを望んでいるでしょう。内部に造反を抱えた組織がどうなるか、自民党がなぜ崩壊したか、それを考えてみれば、希望が見えてきますね。

増員は市民のためには飛躍的に進めるべきです。弁護士が身近にいないから事件屋に頼ったら本来回収できる債権の9割をとられたなんて話が地方では珍しくありません。そういう問題を解決するためにも、政府は、増員を推し進め、さらに電話や郵送、インターネットでの相談、受任も推進し、誰でも気楽に相談できる体制を目指すべきです。

投稿: トミー | 2009年10月18日 (日) 11時21分

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