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2010年9月30日 (木)

『御社の安全保障輸出管理は大丈夫ですか』刊行

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 第一法規から、標記書籍が刊行されました。私は、安全保障輸出管理コンサルタントである樋口禎志(ひぐちさだし)先生の監修のもと、他の三人の弁護士との共同執筆で、この書籍の前半3分の1を書いています。

 弁護士が安全保障輸出管理について書いた体系書は、我が国では唯一であると思います。

 とはいえ、私が安全保障輸出管理の法解釈に精通したかといえば、そんなことは全然ありません。難解すぎて日本語とも思えない条項を相手に、手取り足取りしてもらいながら四苦八苦したというのが、正直なところです。

 自慢ではありませんが、私の弁護士としての法解釈能力は、平均よりかなり下だと思います(自慢にならないか)。そうはいっても、痩せても枯れても一応弁護士です。その弁護士が、条文を何遍読んでも意味が分からないというのは、これは弁護士の責任ではなく、条文が悪いと思います。

 まして武器輸出管理を規定する外為法は特別刑法です。刑法は罪刑法定主義という憲法上の大原則に服します。そうであるなら、法解釈のプロが何遍読んでも理解できない刑罰法規は、罪刑法定主義に違反するというべきではないのでしょうか(おまえの頭が悪いって?そうですか)。

 それはさておき、いろいろな意味で、武器輸出規制の法制度は大変興味深いものです。これからもこのブログで記事を発信したいと思いますが、興味のある方は是非お買い求めください。

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2010年9月26日 (日)

「こん日」に関するご依頼について

未定の話だから特定は差し控えるが、ある単位会の若手弁護士から講演(のようなもの)を依頼され、先日、出張のついでに、打ち合わせを兼ねてその地方の名物料理をごちそうになった。

ありがたいことである。

打ち合わせに参加いただいたのは53期から旧62期までの5名だ。彼らが口にするのは、一言でいうと「とまどい」であろうか。人生を棒に振るリスクを冒してすさまじい努力を重ねて超難関試験に通って、弁護士として日々がんばっているのに、それでも生活の心配をしなければならないのはなぜか。自分は職業選択を間違ったのか。それともこの考えが間違っているのか。そういう戸惑いだ。

ただ、私が応えられるか否かは別問題だ。だいたい自分の事務所経営が綱渡り状態なのに、どうして先輩面ができるのか。まあしかし、「こん日」の執筆動機は若手弁護士に自分の頭で考えてもらうことにあったのだから、そのお手伝いは喜んでさせてもらおうと思う。

申し訳ないと思ったのが、若手が私に連絡を取ろうとしてとても逡巡し、人づてで同期同クラスの弁護士をようやく見つけてその弁護士から私に依頼してもらったことだ。もし同様の企画を考えている弁護士がいらっしゃったら申し上げたい。ご遠慮なく、直接電話をください。どこへでも行きます。ただ、旅費と場合により宿泊費をお願いします。それから参加者はチケット代わりに「こん日」必携でよろしく。

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2010年9月24日 (金)

ニュースを読む視点4

912日の讀賣新聞は、最高裁判所が「給費制を廃止すると富裕層しか法律家になれなくなる」と主張する日弁連に対し、その根拠を求める質問状を発したと報じた。
 この質問状の目的は、翌日明らかになる。民主党の法務部会が、最高裁の担当者らから意見を聞いた上で、給費制を存続させる方針を確認した、と報じられたのだ。
 918日の朝日新聞によれば、質問状は2通発せられている。その内容は質問というより、反論に近い。

 この質問状に対する弁護士の反応は、総じて良くない。司法改革問題に冷淡とお見受けしていた落合洋司弁護士でさえ、「自分の金を出すわけではなく、言われたとおりに動けばよいのに、なぜ、『困惑』するのかが理解できないですね。政策形成能力もないのに、なぜ、日弁連に質問状を出したりするのか、理解に苦しみます。国民の理解がどうのこうのということは、国会で検討すればよいことで、民主的基盤のない、官僚の集まりである裁判所は、この問題については単なるノイズでしかないので引っ込んでいろ、ということでしょう」とまあ、さんざんな評価である。

しかし、感情的な評価は、ニュースを読む視点としては、正しくないと思う。

このニュースのポイントは簡単である。それは、給費制存続に「最高裁判所が反対している」ということだ。それも、かなり強く反対している。最高裁判所とは、具体的には最高裁判所事務総局を指す。エリート裁判官の集団であり、権力組織としての裁判所を代表する部署だ。その部署が給費制の存続に強く反対している(質問状を2通も出して、しかもその事実と内容をマスコミに話している)からには、必ず何か理由がある。面倒くさいとか、もう受付が始まっちゃったしとかいう理由もあろうが、それだけならこんなに強く反対しないと思う。もちろん、その理由を受け入れるか否かは別問題だが、引っ込んでいろ、と罵声を浴びせる前に、その理由を冷静に考えるべきだ。

その理由については、私なりの意見もあるが、ここでは触れない。もう一つ、気がかりなことがあるからだ。それは、給費制存続に必要な裁判所法の改正に、裁判所自身が強く反対している、という事実である。実体法や手続法ではない、裁判所の組織法を、日弁連の圧力で、裁判所の反対を押し切って改正しようとしているのだ。これは、将来に怨念を残すよ。ピンとこないなら、こう想像したらよい。

日弁連が強く反対しているのに、弁護士法が改正される事態を。

そうなったときに泣きついても、最高裁は守ってくれないよ。

念のため付言するが、私は、最高裁が反対するから給費制運動をやめろ、と言っているわけではない。あらゆる反対を押し切ってでも、すべてを犠牲にしてでも、守るべき価値はある。私は、給費制維持の価値とコストとリスクの話をしているのだ。日弁連執行部は、このあたりの調査や根回しを事前にやっているのでしょうね?

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2010年9月23日 (木)

ダビンチも筆の誤り?

 9月23日の讀賣新聞によれば、遠隔操作による手術ロボット「ダビンチ」による胃がんの手術後、70歳代の男性が死亡した。

 ダビンチとは米国製の手術ロボットで、数本のアームを遠隔操作して手術を行う。遠隔操作といっても数メートルでしかない。つまり、人間が手にメスを持つより、ロボットに持たせた方が手ぶれ等がないのでロボットを使うのだ。日本には13台しかないが、米国では1万台以上普及している。特に前立腺がんの手術については、ダビンチなしではできないといわれるまでになっているらしい。

 ところで、報道によれば、術中に膵臓を損傷し縫合したが、翌日に腸管壊死が発生し多臓器不全で死亡したという。

 もちろん現在のところ原因は不明だが、医療過誤として訴訟が起きた場合、ロボットを介した手術については新たな論点が発生する可能性がある。

 報道によれば、「厚生労働省のモデル事業で診療関連死の原因究明を行う第三者機関」による調査が行われる見通しのようだ。

 この第三者機関ってあれですよね?阿部寛が関わっているヤツですよね?

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2010年9月21日 (火)

ソ連軍北海道侵攻

講演のため青森駅で降りた。

青森駅の北隣に青森港があり、引退した青函連絡船「十和田丸」が係留されている。記念碑から繰り返し流れる「津軽海峡冬景色」。ベタである。

記念碑によれば、太平洋戦争末期の714日、青函連絡船12隻は米軍の空襲を受けて壊滅した。同月28日夜には青森大空襲で、1767名が死亡した。

もはや日本の負けが決定しているこの時期の空襲は、どのような意味があるのだろう。

1945年初、ドイツの敗戦は決定的で、ソ連は日ソ中立条約を守る動機を失っていた。2月のヤルタ会談では、ソ連の千島列島侵攻が約束され、45日、ソ連は中立条約更新拒絶の通知を日本に送った。726日、日本降伏を求めるポツダム宣言が発せられる。
 
一方日本は、6月末には沖縄を奪われ、本土決戦の準備に入っていた。729日、鈴木貫太郎首相はポツダム宣言の黙殺を発表する。青森大空襲は、日本政府がポツダム宣言の無視を決めた日の晩に実行されたのだ。

714日の青函連絡船空襲と28日の青森大空襲は、本州・北海道間の兵站を断絶する目的で行われた。これは、「ポツダム宣言を拒否すれば、北海道を失うぞ」という連合国側の明確なメッセージである。もちろん、北海道に侵攻するのは米軍とは限らない。青函連絡船と青森への空襲は、ソ連参戦に向けた地ならしとの解釈も可能だ。一方ソ連としては、千島列島と樺太だけで満足するとは思えない。北海道を手に入れれば、オホーツク海を独占できるのだ。19457月末は、ソ連軍北海道侵攻がにわかに現実味を帯びてきた時期だったと思う。その先にあるのは、ドイツと同じ、東西分割統治だ。

しかし、ソ連に北海道侵攻の意図があったとしても、それは果たされなかった。

青函連絡船が空襲された直後の716日、米国コロラド州で、人類最初の原子爆弾が産声を上げた。翌86日と9日、廣島と長崎に原子爆弾が投下される。8日、ソ連軍が対日宣戦布告を行い、千島列島等に侵攻を始める。ソ連の目的が日本降伏になかったことは、815日後も侵攻が継続したことから明らかだ。しかし、ソ連の侵攻は北海道の一歩手前で終わる。

こうしてみると、815日というポツダム宣言受諾のタイミングは、本当にギリギリであったことがわかる。もし1週間遅れていたら、いまの青森港に、「津軽海峡冬景色」は流れていなかったろう。代わりに、「返せ北海道」という石碑が建っていたかもしれない。

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2010年9月17日 (金)

介護ロボット開発規制の国際比較

日本総研が内閣府の社会還元加速プロジェクトの委託を受けて作成した「革新的な介護機器等の開発促進に向けた基準・認証制度に関する国際比較調査研究」報告書を入手した。112ページと大部の報告書だが、米・欧・日の比較に関する要点を引用すると次の通りである。

アメリカ

介護ロボット等の革新的機器を開発した場合、まずFDA(連邦食品医薬品局)に事前審査を行う必要がある。その際、510(K)(という審査制度)においては、機器のリスクにかかわらずクラスⅢという最もリスクの高い機器として位置づけられる。しかしながら、開発企業がその安全性についてデータを添えて申し立てを行うことができる。申し立てが認められれば、そのリスクに応じて、クラスⅡやⅠに分類される。FDAは、リスクについて新たに検討を行い、要求事項を作成、必要に応じて510(k)の製品カテゴリーを見直し、新設することもある(少なくとも年1回見直す)。企業にとって、革新的機器の510(k)への対応は、手間はかかるものの決して困難なものではない。

欧州

介護ロボット等の革新的機器を開発する際には、明確な基準が必要なCEマークはハードルとなっている状況が見受けられる。車いすのような従来品の機能向上のレベルであれば、従来の認証基準を踏まえて自社で基準を定めることもできるが、全く新しい機能を持つような製品を開発する場合は、自社で基準を策定しなければならないというハードルが高く、開発に躊躇する状況であると言わざるを得ない。こうした革新的な製品に関しては、CEマークが必須でない、施設への直接販売から普及を図るといった工夫もみられる。

日本

介護ロボット等の革新的機器の開発については、現状、世界各国から日本企業の技術力は高く評価されているものの、実用化、製品化という点では海外に遅れをとっている。特に薬事法の対象となるか否かで、日本の基準は両極端の構造になっている。

   薬事法(医療機器)における認証までの期間や手続きや費用を含めハードルが高い。

   PL法に伴う企業イメージの低下や賠償責任といったリスクの大きさから、国が安全基準を定めないことを理由に企業が製品化を躊躇している(企業によるリスク回避)

   企業は高い安全基準を定めた自主基準によって自らを縛るかたちになっている。(実用化を視野に入れない)先端技術を駆使した商品開発が価格高騰につながっている。

   こうした状況を背景に、生活支援ロボットに関する基準作りの動きが経済産業省によって進められており、基準策定を見越した開発を進めていくことが求められる。

違いが分からない?私の責任ではないのでご勘弁いただきたい。

かなり詰めの甘い調査と言わざるを得ないと思う。これでは、漠然とした想像通りの違いしか分からないし、我が国としてどうすればよいかも分からない。

また、法律の分野で言えば、PL法による訴訟リスクが革新的機器開発の障害になっているという指摘は、事実とは思えない。もしそうだというなら、欧米におけるPL訴訟の実態を調査してほしい。

一方では弁護士は少ない、もっと増やせという声があり、他方では、ありもしない訴訟リスクを指摘する声がある。腹立たしいことである。

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2010年9月15日 (水)

もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだだけで甲子園に行けるなら

すいません。根がひねくれているもので、こういう(↑)表題にしてしまったが、正直言って、とてもおもしろかった。私はしかるべきところで笑い、しかるべきところで(不覚にも)泣いた。

この年になると、ドラッガーの言っていることはどれも既知のものであったり、自分の確信を補強するものでしかなかったりするが、それでよいのだと思う。真理とは普遍的で、陳腐なもので、でも時々こうやって指摘してもらわないと、気づかないものだからだ。

最も大事な真理として、「マネジメント」にはこうあるそうだ。「企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。」

では弁護士会の目的と使命は何だろう。その出発点となる顧客とは何だろう。大変残念なことに、顧客の定義を論じただけで、弁護士会は分裂するだろう。弁護士会が好む「顧客」として「市民」という言葉がある。しかし市民とは何かは、決して明らかにされない。

つまりこういうことなのだろう。ドラッガーのマネジメントには、「何が大事か」は書いてあるが、「大事なことをどうやって決めるか」は書いていない。だから、弁護士会みたいな組織のマネージャーは、ドラッガーを読んだだけでは、甲子園に行けないのだ。

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2010年9月12日 (日)

米軍研究費の日本流入と武器輸出規制

910日の朝日新聞やasParaによると、米陸海空軍の研究費が、日本の大学や公的研究機関に流入しているという。東京大学75000ドル(05年)、理化学研究所6万ドル(06年)といった案配だ。

技術的見地や時代背景からは、当然の傾向と言えよう。「秘密基地で軍事技術を開発し、陳腐化したら民生化する」という「スピンオフ」の時代は終わり、民生技術を軍事応用する「スピンイン」の時代だからだ。これに加えて、高度の民生技術を持つ日本の研究施設や、年々予算を削られる大学の事情などが相まって、米軍研究費の流入を招いているのだろう。

朝日新聞の意図はさておき、私がとても気になるのは、我が国の武器輸出規制との関係だ。

なぜなら、こういった米軍研究費の成果物として製作された機械を米国に送付することは、ほぼ間違いなく、外為法48条によって禁止される。研究成果や、その技術情報を米国に向け送信することも、メールに添付することも、外国の研究者に渡すためUSBファイルに保存して出国することも、外為法25条によって禁止される。経済産業大臣の許可があれば可能だが、その手続は一般的に、とても面倒だ。一般企業の輸出許可管理担当者で、武器輸出規制の複雑な手続を呪わない者は、おそらく一人もいない。

とするなら、米軍研究費の成果物や技術情報は、どうやって米軍に送付されているのだろう。全く送付されないなら、米軍に何のメリットもない。送付されているとしても、メール1通を送信するたびに経済産業大臣の許可が必要なら、日本の研究者は手続に忙殺されて、研究どころではなくなる。

そうだとすると、考えられる可能性は次の二つだ。

一つ目の可能性は、米国大使館を通じて機械や情報のやりとりをしている可能性だ。この場合、もしかしたら、外為法の適用を外すことが可能かもしれない(詳細な検討をしていないので責任は持てませんが)。日本人が日本国内にある米国大使館員に機械を渡しても「輸出」にはならないし、米国大使館員が外交貨物としてその機械を米国に送付しても、外為法の特例により許可が不要となるからだ。

二つ目は、上記のような米軍助成による研究成果については、許可申請不要の運用がなされている可能性だ。しかし法律的には、なぜこの場合だけ、許可申請不要の運用が許されるのか、疑問である。日々面倒な許可申請業務に忙殺されている一般企業との関係で、あまりに不公平でないのか。あるいは米軍研究費に基づく成果物だけについて、法律の根拠無く特別扱いをすることが許されるのか。そもそも、スポンサーが米軍のみであることの確実な証明が可能か。逆に、日本の研究者が本当に米軍宛送付している確実な確認はできるのか。輸出物(情報)の第三者への伝播について、あれほど神経質な規定と運用を行っている外為法なのに、米軍が日本の研究者に開発させた技術を第三国に移転することについては、全くお構いなしでよいのか。

朝日新聞の意図にはたぶん反するのだろうが、とても気になる記事である。

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2010年9月10日 (金)

日弁連はまた負けるのか?(3)

なぜ、司法修習生が、司法修習生であるというだけで、給費制に値すると言えないのだろう。いいかえれば、法曹であるだけで、国費養成に値すると言えないのだろう。国民の理解が得られないからか。ではなぜ、国民の理解が得られないのだろう。弁護士会がその努力を怠ってきたからだ。弱者の味方、貧者の味方、権利の守り手という耳あたりのよい言葉に安住し、権力分立や司法の本質論を怠ってきたからだと思う。

給費制を廃止すると、弁護士のビジネスローヤー化を正当化するという反対論がある。この反対論は、ビジネスローヤー化は良くない、という認識を前提にしている。しかし、弁護士は民間の事業者なのに、わが国は自由経済の国なのに、なぜビジネスローヤー化することが、それだけで、良くないのか。企業法務しかやらない弁護士は、人権活動しかやらない弁護士より格下なのか。知財事件しかやらない弁護士は、特許法と技術にどれだけ精通していても、給費制に値しないのか。

赤字覚悟で人権活動に打ち込む弁護士を、私は心から尊敬する。しかし、尊敬することと、理想にすることとは違う。まして、自分にとって理想だからと、他人に押しつけるのは間違っている。

人権派として有名だった故土屋公献弁護士は、著書「弁護士魂」に、弁護士自治の使命が反戦と人権擁護にある以上、この使命が分からない者は(強制加入団体性の帰結として)弁護士会から去るべきだと記した。この浅はかな考え方は、残念ながら未だに、多くの弁護士に共有されている。大企業やお金持ちの事件しかやっていない弁護士が、ポストに野心を持ったとたん、貧者や弱者の人権と言い出す有様を、我々はよく目にしている。これは偽善か。それとも贖罪か。いずれにせよ、こんな茶番がまかり通っているうちは、国民の理解など得られるはずもない。

誤解を避けるために付言しておくが、上に述べたことは給費制維持の必要条件であって、十分条件ではない。十分条件に関しては、「こん日」123ページに書いたとおりだ。(終わり)

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2010年9月 9日 (木)

日弁連はまた負けるのか?(2)

川上弁護士は給費制維持の第二の論拠として、給費制が廃止されると貧乏人が法曹になれないと主張する。

これに対して朝日新聞社説は、そんなの関係ねえ、といっている。大事なのは、貧乏人が法曹になることではない。国民の利益になる人材が法曹になることだ。そのためなら、給費制に代わる国庫負担も行うべきだという。どう見ても、朝日新聞の主張に分がある。

だいたい、貧乏人だから貧乏人や弱者の味方とは限らない。同様に、金持ちだから貧乏人や弱者の敵とは限らない。エンゲルスだって、チェ・ゲバラだって、フィデル・カストロだって、金持ちの息子だ(カストロは弁護士だし)。

また、この社説に対しては、猪野亨弁護士が、公益・非公益活動の区別は困難だし、弊害が大きいと反論している。その通りかもしれないが、議論を方法論に堕としてはいけないと思う。方法論はしょせん方法論だ。満点さえ求めなければ、何とかなるものだ。

給費制の本質は、司法修習生全員が、国家負担で養成されることにある。だから、修習生の一部(である貧乏人)が給費制に値すると主張したり、公益活動を志す(一部の)弁護士が給費制に値すると主張したりしたところで、給費制維持の必要性を論証したことにならない。給費制の維持を主張するなら、司法修習生が司法修習生であるというだけで、言い換えれば、司法試験に合格しただけで、その全員は国費養成に値する、と主張しなければダメなのだ。(続く)

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2010年9月 8日 (水)

日弁連はまた負けるのか?(1)

8月29日の朝日新聞は、日弁連の給費制維持運動を批判する社説を掲載した。

給費制を維持するためには、司法試験合格者年2000名として、年間約60億円の国民負担が必要になる。この国民負担に応える公益活動を行う法律家に限り、償還義務を緩和・免除すればよい、司法修習生全員への給費制を維持するくらいなら、貧しい人が権利救済を受け易くする方に予算を回せばよい、と社説はいう。

これに対して、日弁連の給費制維持対策本部長代行の川上明彦弁護士が、9月2日付朝日新聞「私の視点」に反論を寄せた。しかし、同業者として恥ずかしくなるほど説得力がない。

川上弁護士が給費制に反対する理由は二つだ。第一は、給費制が廃止されると、若い弁護士は「最初から」借金返済に向けてお金にこだわりギラギラした目つきで仕事をすることになるという。

これは違うと思う。

すでに指摘したとおり、貸与制の返済期限は弁護士登録後6年目からであり、返済額は原則月額約2万3000円である。弁護士登録の「最初から」、6年後の月額2万3000円の借金返済に向けて「ギラギラした目つき」になるわけがない。もし、その程度でギラギラするほど神経が細いなら、弁護士は辞めた方が良い。君たちの未来は、月2万3000円の38倍くらいは厳しいからだ。そもそも、6年後の月額2万3000円が許せないなら、弁護士登録の「最初から」課される、月額5万円を超える(地方によっては10万円を超える)弁護士会費がなぜ許せるのか。

給費制維持を主張するのは結構だが、こういう主張はやめてほしい。本当にがっかりする。(続く)

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