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2010年9月21日 (火)

ソ連軍北海道侵攻

講演のため青森駅で降りた。

青森駅の北隣に青森港があり、引退した青函連絡船「十和田丸」が係留されている。記念碑から繰り返し流れる「津軽海峡冬景色」。ベタである。

記念碑によれば、太平洋戦争末期の714日、青函連絡船12隻は米軍の空襲を受けて壊滅した。同月28日夜には青森大空襲で、1767名が死亡した。

もはや日本の負けが決定しているこの時期の空襲は、どのような意味があるのだろう。

1945年初、ドイツの敗戦は決定的で、ソ連は日ソ中立条約を守る動機を失っていた。2月のヤルタ会談では、ソ連の千島列島侵攻が約束され、45日、ソ連は中立条約更新拒絶の通知を日本に送った。726日、日本降伏を求めるポツダム宣言が発せられる。
 
一方日本は、6月末には沖縄を奪われ、本土決戦の準備に入っていた。729日、鈴木貫太郎首相はポツダム宣言の黙殺を発表する。青森大空襲は、日本政府がポツダム宣言の無視を決めた日の晩に実行されたのだ。

714日の青函連絡船空襲と28日の青森大空襲は、本州・北海道間の兵站を断絶する目的で行われた。これは、「ポツダム宣言を拒否すれば、北海道を失うぞ」という連合国側の明確なメッセージである。もちろん、北海道に侵攻するのは米軍とは限らない。青函連絡船と青森への空襲は、ソ連参戦に向けた地ならしとの解釈も可能だ。一方ソ連としては、千島列島と樺太だけで満足するとは思えない。北海道を手に入れれば、オホーツク海を独占できるのだ。19457月末は、ソ連軍北海道侵攻がにわかに現実味を帯びてきた時期だったと思う。その先にあるのは、ドイツと同じ、東西分割統治だ。

しかし、ソ連に北海道侵攻の意図があったとしても、それは果たされなかった。

青函連絡船が空襲された直後の716日、米国コロラド州で、人類最初の原子爆弾が産声を上げた。翌86日と9日、廣島と長崎に原子爆弾が投下される。8日、ソ連軍が対日宣戦布告を行い、千島列島等に侵攻を始める。ソ連の目的が日本降伏になかったことは、815日後も侵攻が継続したことから明らかだ。しかし、ソ連の侵攻は北海道の一歩手前で終わる。

こうしてみると、815日というポツダム宣言受諾のタイミングは、本当にギリギリであったことがわかる。もし1週間遅れていたら、いまの青森港に、「津軽海峡冬景色」は流れていなかったろう。代わりに、「返せ北海道」という石碑が建っていたかもしれない。

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コメント

なるほどそういうことでしたか。

投稿: 井上信三 | 2010年9月22日 (水) 10時19分

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