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2010年9月10日 (金)

日弁連はまた負けるのか?(3)

なぜ、司法修習生が、司法修習生であるというだけで、給費制に値すると言えないのだろう。いいかえれば、法曹であるだけで、国費養成に値すると言えないのだろう。国民の理解が得られないからか。ではなぜ、国民の理解が得られないのだろう。弁護士会がその努力を怠ってきたからだ。弱者の味方、貧者の味方、権利の守り手という耳あたりのよい言葉に安住し、権力分立や司法の本質論を怠ってきたからだと思う。

給費制を廃止すると、弁護士のビジネスローヤー化を正当化するという反対論がある。この反対論は、ビジネスローヤー化は良くない、という認識を前提にしている。しかし、弁護士は民間の事業者なのに、わが国は自由経済の国なのに、なぜビジネスローヤー化することが、それだけで、良くないのか。企業法務しかやらない弁護士は、人権活動しかやらない弁護士より格下なのか。知財事件しかやらない弁護士は、特許法と技術にどれだけ精通していても、給費制に値しないのか。

赤字覚悟で人権活動に打ち込む弁護士を、私は心から尊敬する。しかし、尊敬することと、理想にすることとは違う。まして、自分にとって理想だからと、他人に押しつけるのは間違っている。

人権派として有名だった故土屋公献弁護士は、著書「弁護士魂」に、弁護士自治の使命が反戦と人権擁護にある以上、この使命が分からない者は(強制加入団体性の帰結として)弁護士会から去るべきだと記した。この浅はかな考え方は、残念ながら未だに、多くの弁護士に共有されている。大企業やお金持ちの事件しかやっていない弁護士が、ポストに野心を持ったとたん、貧者や弱者の人権と言い出す有様を、我々はよく目にしている。これは偽善か。それとも贖罪か。いずれにせよ、こんな茶番がまかり通っているうちは、国民の理解など得られるはずもない。

誤解を避けるために付言しておくが、上に述べたことは給費制維持の必要条件であって、十分条件ではない。十分条件に関しては、「こん日」123ページに書いたとおりだ。(終わり)

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コメント

>人権派として有名だった故土屋公献弁護士は、著書「弁護士魂」に、弁護士自治の使命が反戦と人権擁護にある以上、この使命が分からない者は(強制加入団体性の帰結として)弁護士会から去るべきだと記した。この浅はかな考え方は、残念ながら未だに、多くの弁護士に共有されている。

そうですかねぇ、この種の先生は今や希少種だと思いますけど・・・(土屋弁護士が「浅はか」には同感ですが。)
若手や中堅は醒めていて、(いい意味でも)リアリスティックになって来ているように思うのですが・・・。


それはさておき、
昨日の合格者発表の結果は、
まさしく先生の予測(『こん日』225頁)のとおりでしたね。
・司法試験を管轄する法務省としても、当面年2000人程度で推移させる。
・2010年頃3000人の閣議決定は達成不能が確定。
・しかし、当面2000人で推移しても、いま以上にひどくならずに済むというだけで、弁護士業界の落日には変わりはない。
ズバリ的中、さすがです。

当面2000人で推移しつつ、行き場のない新人たちがどうなるのか、増える即独にこの業界はどうなるのか・・・
第2版での加筆を楽しみにしております。

投稿: 愛読者 | 2010年9月10日 (金) 14時02分

過分なお言葉をありがとうございます。

>若手や中堅は醒めていて、(いい意味でも)リアリスティックになって来ているように思うのですが・・・。

どの程度までが「中堅」かは分かりませんが、20期台後半から30期台後半にかけて、「司法改革原理主義者」が少なからずいる、というのが私の実感です。案外、20期前半までの人の方が現実主義者であり、その現実主義者が行ったイデオロギー教育に洗脳されてしまった原理主義者が、次代の日弁連の中核を担う、という悪夢のような未来が垣間見えます。

投稿: 小林正啓 | 2010年9月10日 (金) 15時42分

>著書「弁護士魂」に、弁護士自治の使命が反戦と人権擁護にある以上、この使命が分からない者は(強制加入団体性の帰結として)弁護士会から去るべきだと記した。

反対解釈すれば、反戦も人権擁護も関係ない弁護士は、高いコストを
払ってまで弁護士会の自治なんて必要ないと思ってる、という意味
なら案外正解かもしれませんね。

投稿: passenger | 2010年9月12日 (日) 07時00分

「こん日」読ませていただきました。

業界のことはまるで知らない普通のシロート読者ですが、小沢政治資金事件、鈴木宗男事件、村木厚子冤罪事件などを通じて、検察官や裁判官という職業(少なくともその職業をやってる人の一部)について、かなりの侮蔑感と嫌悪感をいだいています。
まあ、自分でも検察・裁判批判論調からの影響を受けすぎなきらいがあるとはおもいますが、そうとうな根拠のある批判とおもっています。

今後、法曹の数は(したがって弁護士が)、大幅に増えていきますが、それが検察官や裁判官の仕事ぶりに、どのような影響を及ぼしてゆくと予想されますか?検察官や裁判官に追従する弁護士ばかりが増えてゆくのでしょうか。

投稿: 普通の読者 | 2010年9月13日 (月) 08時39分

普通の読者さん
 コメントありがとうございます。答えになるか分かりませんが、私が言いたかったのはこういうことです。
 戦後日本は権力分立制度を採用しました。権力分立制は、その反対概念である独裁制に比べ、意志決定が遅い、リーダーシップがとれない等の欠点がある反面、大間違いはない等の利点があるとされています。
 ところで新憲法が権力分立制を採用するにあたり、もっとも出世したのは「司法」です。「司法」は、さらにその内部に「裁判所、検察官、弁護士」という権力分立制度を採用しています。
 この権力分立制度がうまく機能する最も重要な条件は、国政を運営するに足る人材が集まることです。ところが、法曹人口の極端な増員政策は、司法の職業としての魅力を低下させ、怒濤の人材離れをもたらしつつあります。
 人材の枯渇は、まず弁護士において始まり、やがて裁判所や検察庁に及ぶでしょう。貴殿が指摘する司法に対するご批判が人材の枯渇によるものか否かは分かりませんが、長期的に見れば、司法は権力分立の一端を担う実力を失っていくと予想されます。
 「こん日」で私が言いたかったのは、この失態をもたらした一つの大きな原因が、司法をよくしよう、日本をよくしようという、紛れもない善意を持った弁護士たちの理想主義にあった、ということでした。

投稿: 小林正啓 | 2010年9月13日 (月) 11時50分

丁寧なおこたえをいただき、ありがとうございました。

>>人材の枯渇は、まず弁護士において始まり、
>>やがて裁判所や検察庁に及ぶでしょう

この点は、気づいていませんでした。そのとおりでしょうね。
また、「善意と理想主義の逆説」を提示なさる鮮やかさについては、
妙な言い方ですが、感動をおぼえます。


もしお手数でなかったら、もう少し質問させてください。

>>長期的に見れば、司法は権力分立の一端を担う実力を
>>失っていくと予想されます

とおっしゃいますが、そのとき、たとえば20年後、
司法が権力分立の一端を担う実力を今よりも失った結果、

私のような普通の社会人個々人にとって、
どういう不都合がおきることが予想されるのでしょうか。
(弁護士の不祥事とか、裁判のミスとかといったことは
私にも予想できますが)。

また、日本国が、諸外国に伍して生き延びてゆく上で、
どういう不都合がおきることが予想されるのでしょうか。

漠然とした質問であるし、そういう質問に答える趣旨で
「こん日」をお書きになったのではないのかもしれませんが、
やはり普通の社会人にとっては、これらの点がどう予想される
のかが、重要であり、可能であれば知りたくおもいます。

投稿: 普通の読者 | 2010年9月13日 (月) 17時16分

専門外ですが、私の考えはこうです。
明治以来、戦前戦後を通じ、日本の政治は官僚主導で発展してきました。建前上、三権分立が導入された戦後も、この権力構造は基本的には変わりませんでした。しかし冷戦終結・バブル崩壊後、その必勝パターンは崩壊し、日本は失われた20年と呼ばれる低迷期に入ります。このとき、建前だけではなく実質的にも三権分立を復活させようとする考えが巻き起こります。今次の司法改革や法曹大増員も、その考えの一環ではあります。しかしその理想主義や性急さ、国民の我慢のなさその他の理由により、この試みは失敗に終わろうとしています。そうなったとき残るのは、旧態依然(とはいえ従来ほどは力のない)官僚主導の政治です。塩野七生の言葉に、「国家は発展したのと同じ原因で滅びる」というものがあります。このまま司法の力が失われれば、官僚主導が原因で発展した我が国は、官僚主導が原因で滅びることになりかねないと考えます。

投稿: 小林正啓 | 2010年9月14日 (火) 00時28分

お返事ありがとうございます。

新聞等を読んだり、「こん日」を読ませていただいて、進行中の事情やその原因については一応の知識が得られましたが、結局それが普通の社会人の自分にとって(あるいは日本にとって)はどういうことなのかがシロートの身にはよくわからず、心底問題がわかったという気になりませんでした。私のさせていただいた質問の根本にはそれがあります。

先生のおこたえは、考えるための大きなヒントとなりました。

ただ、普通の読者としての身勝手な望みを言わせていただけるなら、先生が、「専門外ですが」としておこたえくださった部分に、大きな関心があります。

たとえば「官僚主導から政治主導へ」と言う政治家が多数いますが、それは、今後司法が没落してゆく権力分立のなかで、どう位置づけられようとし、どういう結果になろうとしているのか、といったようなことに興味があります。

今後の御著書等で、その部分についての先生のお考えをさらに読むことができれば、幸せにおもいます。勝手に期待させていただきます。

最後になりましたが、貴重な時間と手間をおかけいただいたことに、深謝いたします。ありがとうございました。

投稿: 普通の読者 | 2010年9月15日 (水) 11時46分

>ところが、法曹人口の極端な増員政策は、司法の職業としての魅力を低下させ、怒濤の人材離れをもたらしつつあります。
 人材の枯渇は、まず弁護士において始まり、やがて裁判所や検察庁に及ぶでしょう。

  厚労省事件の検事による証拠捏造や、足利事件、石川県(?)人違い冤罪事件、その他財田川事件をはじめとする数件に及ぶ死刑再審無罪事件等々、裁判所や検察庁における人材枯渇というか腐敗は何十年も前からおきています。

 裁判官でも、第2代最高裁判所長官田中耕太郎、同最高裁判事小野幹雄を初めとして屑判事は掃いて捨てるほど存在したいた(いる)事は周知の事実です。

 したがって、人員増加の帰結として司法界の人材離れをもたらすというのは認識不足であります。日本においては司法は誕生のときから腐敗し始めていた、というのが真実でしょう。

投稿: 井上信三 | 2010年9月26日 (日) 12時28分

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