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2010年10月28日 (木)

犯罪と法律のあいだ

問「大病院に勤務する医師は、入院患者に親の仇がいると知り、致死量の毒薬を入れた注射器を看護師に渡して注射を命じた。看護師は、途中で偶然、毒薬に気づいたが、この患者にレイプされた恨みを晴らすため、注射して患者を殺害した。医師の罪を選べ。医師と看護師は互いの事情を一切知らない。」

   殺人既遂罪

   殺人未遂罪

   殺人教唆罪

   無罪

WIKIPEDIAによると、通説は③だそうだ。ええーっ、通説が変わったのかなあ、である。私と同世代の弁護士の多数の回答は、②だろう。

事情を知らない人間を、道具として使って行う犯罪を、講学上「間接正犯」という。昔のテレビドラマに出てきた、催眠術を悪用する殺人鬼のような話だ。あまり現実的とはいえないこの問題は、しかし、様々な刑法上の論点を含むため、刑法の教科書には必ず載っている。

一般市民の感覚としては、①が多いだろう。医師は殺人の目的を達したのだから、殺人既遂罪で何がおかしい、というわけだ。しかし法学者は、因果関係は途中で切れてしまったのだから、既遂か?と考える。そして、既遂ではないとしても、注射器を渡した時点で犯罪が成立するから未遂とする②説と、注射器を渡しただけでは犯罪になり得ないとする④説に分かれる。

しかし、現実に患者が死んでいるのに「未遂」は変じゃないか、まして、無罪は市民感覚とかけ離れている、という批判があろう。そこで、医師の行為は結果的に、看護婦をそそのかして殺人を実行させた場合と同じだから、ということで③説が登場するのだろう。

だが、「教唆」とは「そそのかす」ことである。この設問のどこに、「そそのかす」行為があったのだろう?③説は法文解釈の範囲を逸脱し、罪刑法定主義に違反しているという批判があり得る。

③説にはこういう批判もあるだろう。共謀共同正犯(典型例としては、やくざの親分が子分に殺害を命じ実行させた場合、親分は教唆犯ではなく子分とともに共同正犯になるという考え方)を認める限り、初めから事情を知っている看護婦に注射器を渡して殺害させれば医師は正犯になるのに、事情を知らない看護婦の場合は教唆犯になる、というのはバランスが悪いのではないか?という批判である。このほか、たとえば看護婦が針を刺したが翻意した場合、などとのバランスも問題になる。

法律家ではない読者には誤解しないでいただきたいが、これは、どれが正しい、という話ではない。法律学というのはかくもややこしいものであり、時代とともに通説が変動する世界であり、かつ、その割には、あんまり役に立ちそうにない、というお話のつもりである。ただ、万一、こういう事件が実際に起きたら、裁判員が判断することになる。

お前の立場はどうだって?最近そう批判されることが多いなあ。

受験生時代は②でしたが、今は①です。すいません。

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2010年10月27日 (水)

テロ対策資機材と武器輸出三原則

RISTEX(社会技術研究開発センター)12号(20103月発行)に、「テロ対策資機材は本当に輸出できないのか」と題する論考が掲載されている。文科省の「安全・安心社会技術プロジェクト」等による助成金を得てテロ対策資機材を研究開発しても、日本には武器輸出三原則があるから、輸出できないじゃないか、という懸念に応える目的で寄稿されたものだ。著者は、慶応大学グローバルセキュリティ研究所客員研究員の森本正崇氏である。

内容をおおざっぱにまとめるとこうなる。

1.   テロ対策資機材であっても、外為法の規定する「武器」に該当する場合がある。

2.   しかし、外為法(以下の政省令を含む。以下同じ)上の「武器」に該当しても、武器輸出三原則上の「武器」に該当しない場合はあり得る。

3.   また、武器輸出三原則上の「武器」に該当しても、武器輸出三原則上の「輸出」に該当しない場合はあり得る。

4.   武器輸出三原則上の「武器輸出」に該当しても、政府が定めた「例外」に該当する場合はあり得る。

5.   武器輸出三原則の適用がなければ、武器であっても、輸出許可を受けられる場合もある。

これを読んで研究者がどれほど安心したかは未知数だが、それはさておき、若干の論評を試みたい。

まず、武器輸出三原則とは、佐藤元首相の国会答弁、三木内閣の政府見解等からなる、武器輸出規制の運用方針である。本稿ではその内容には言及しない。指摘したいのは、武器輸出三原則は法令ではない、ということだ。

森本氏は、武器輸出三原則上の「武器」「輸出」と外為法上の「武器」「輸出」は異なりうるという。いいかえれば、外為法の運用基準に、「武器輸出三原則に該当する場合」と「該当しない場合」という、二重の基準(ダブル・スタンダード)が存在することになる。法令である外為法の運用について、法令ではない武器輸出三原則がダブル・スタンダードを設けているのだ。念のため確認しておくと、「格」は当然法令の方が上である。これって、「法律による行政の原理」に照らして、どうなんだろうか?

問題ないとする立場の論理としては、次のものが考えられる。すなわち、外為法に該当する貨物である以上、輸出が禁止されるのであり、それをどの範囲で解除して国民に利益を与えるかは、行政府の自由裁量、というものだ。だがこの論理は、おそらく現代法治国家では通用しない。信州大学経済学部の青井未帆講師(当時)は、「政府の一存によって何が『国際的な平和及び安全の維持の妨げ』に該当し取引が制限され、さらには刑罰の対象となるかが決定されてしまうという点は、憲法41条及び31条に反する可能性が疑われる」という(武器輸出三原則を考える」信州大学法学論集第5)。

ちなみに、森本氏は、外為法に規定されている貨物は輸出「許可」対象であって輸出「禁止」対象ではない、と述べるが間違いである。行政法上「許可」とは、「法令によってある行為が一般的に禁止されているときに、特定の場合にこれを解除し、適法にその行為をすることができるようにする行政行為」とされている(法律学小辞典)。だから、外為法に規定されている貨物は、輸出が禁止されているのだ。ただ、許可を得ることによって、輸出が可能になるだけである。

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2010年10月25日 (月)

「給費制廃止へ、その裏には何が」(国会編)

民主党議員秘書「戦闘教師ケン」氏によると、国会での顛末は次のとおり。

日弁連の給費制復活運動を

1.    公明党が支持して、貸与制施行の再延期法案を準備した。

2.     民主党では、若手を中心に、民公連携の期待もあって、公明党案に追随。以後の処理を国対に丸投げした。

しかし、

3.    日弁連がかつて表向き貸与制に反対しながら、裏で民主党に懇願し、反対から賛成に転じさせた歴史を知る民主党ベテラン議員の支持を得られなかったこと、

4.     日弁連の健闘に危機感を抱いた法務省と最高裁が、与野党の有力議員に陳情攻勢をかけたこと、

5.     自民党が「国民の支持を得られない」との意見と、北海道補選が優勢なので強気がよいとの思惑から、再延期法案に同調しないと決定し、

時間切れで、貸与制の施行が確定した。

 「戦闘教師ケン」氏は、なぜ公明党が最初に日弁連を支持したのかを解説していないが、民-公-自連携への期待が、一つの動機であることは間違いないだろう。そうなれば、公明党が三党のイニシアチブを取れるからだ。

同じ問題でも、国会の内側からはこう見えるのかと、大変興味深い。この視点からは、日弁連のアマチュアぶりが際立っている。

 ところで、「こん日」を紹介していただき、ありがとうございました。

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2010年10月24日 (日)

「給費制廃止へ、その裏には何が」

 10月24日のTBS News iは、自民党の平沢勝栄衆議院法務部会長のもとに、22日、「政府内のある幹部から、一本の電話が入った」と報じた。

**************以下引用**************

幹部(吹き替え)「民主党は全然まとまっていない。財務当局も反対だ。(給費制復活は)一部議員の独り相撲だ。」

ナレーション「民主党議員でもあるこの幹部は、あっさりと、党内の声を否定したという。」

平沢「民主党の政策決定はどうなってるんですかね」

ナレーション「自民党は、政府や民主党内で意見がまとまっていないとして、法改正の呼びかけに応じないことを決めた。」

**************引用終わり**************

もちろん、この種の話を頭から信じることは禁物だ。ソースは平沢議員だろうから、同議員の思惑が働いていることは間違いない。

しかし、平沢議員の思惑が働いていることと、この話の真偽は別問題である。

いずれにせよ、この話は、将来の検証を待つべきだろう。ビデオはいずれ消去されるだろうから、備忘としてエントリしておきます。

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日弁連の給費制復活運動に関するいくつかのコメントについて

(貸与制復活に失敗したのは)宇都宮執行部よりも旧執行部の方が責任が重い」という意見がある。(寺本ますみ弁護士「弁護士のため息」の「敗北の責任は誰にある?」より。なお、同弁護士より「ブログの名称も記事の表題も付けないのは、ちょっと失礼ではないのか」とのご指摘があったので、お詫びして付記します)

そりゃそうだ。宇都宮執行部は貸与制移行に抵抗したが、旧執行部は事実上容認した。貸与制移行が良くない、という立場に立つ限り(私は、この立場に立つか否かは述べない)、旧執行部の責任が重いのは当たり前だ。(なお、貸与制の是非についての私の立場は、この問題に関する最初のエントリで明らかにしていることを付記します。)

 でもこの意見は、論点をすり替えている。なぜなら問題は、現執行部が、あれほどの悪条件の中で、貸与制移行反対運動を決断したことの是非だからだ。貸与制移行に反対することが良いことだ、という立場に立つ限り(以下同文)、何のコストもリスクもないなら、貸与制反対運動に何の問題もない。しかし現執行部の行った給費制復活運動には、多大なコストがかかり、大きなリスクをもたらした。また、現執行部の任期のほぼ半分を、この活動に費やした。その評価は、旧執行部と比較する問題ではない。

(給費制復活に反対する)新聞の社説が日本国民の意思を代弁しているかというと大いに疑問である」という意見がある。(引用元は上記に同じ)

そのとおりだと思う。だが、給費制維持を支持する63万の署名が国民の意思を代弁している訳でもない。多くの国民にとって、給費制は、「どちらでも結構。国会で決めてくれ。私には子供手当の方が大事」という類の問題だ。この類の問題だからこそ、マスコミの意見が大きな力を持つのだ。

自民党の反対により、貸与制への移行が確定的になった」という意見がある。 (弁護士猪野亨のブログ「給費制維持ならず貸与制へ 日弁連は敗北か?」より。上記同様の理由によりお詫びして付記します)

これは事実認識を間違っていると思う。まず、民主党(党として一致していないとか政府と合意していないとかいう指摘もあるがこの点はさておき)、公明党その他の政党も、給費制復活自体に賛成したわけではない、と私は考えている。せいぜい、数年の貸与制施行延期ではないか。なぜなら、いまの国会にとって、給費制・貸与制の問題の本質は、給費制が良いのか、悪いのかではないからだ。「一度国会で決めたことを、その施行前に覆してよいのか」である。これは民主主義の基本的なルールと、国会の権威とに関わる問題だ。だからこそ、せいぜい数年の延期しか、国会にはできないと考える(誤解している方がいるので追記するが、重要なのは『施行前に』の部分だ。施行してみたものの、うまくいかないから止めることと、一度決めたことを、施行前に止めることとは、全然違う。民主主義の基本的なルールと国会の権威とに関わるのは、もちろん『施行前に』の方だ)。

次に、自民党も、「(施行延期のための裁判所法改正案を)無審議で衆議院法務委員会を通すこと」に反対しただけだ。もちろん、自民党が反対したから間に合わなくなったのだが、その責は第一に、施行直前に運動を始めた日弁連にある。また、そもそも、この議案を国会無審議で通すことの妥当性は問われなければならない。給費制復活は良いこと(以下同文)だから国会無審議でよい、という考えは危険だと私は思う。

ところで、給費制にコメントしたブログの中で、私の背筋を凍らせたのは、“ちきりん”さんの次の言葉だ(「法律の専門家のお粗末な説明能力」より要約)。

「『裕福な人しか法律家になれなくなる』的な(日弁連の)主張の子供っぽさも頭が痛くなります。ちきりんは、給費制に大反対!というわけでもないのです。ただ、あまりに日弁連側の主張が子供っぽいのであきれているだけです。論理的に説明するのが得意な人が法律家になってんじゃないの?なんかびっくり。」

今回の給費制復活運動で日弁連(と弁護士)が失ったのは、もしかしたら、私が考えたものより大きいかもしれない。

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2010年10月22日 (金)

日弁連はなぜ「また」負けたのか?(承前)

1022日の各紙は、この日開かれた自民党法務部会が、給費制の復活に反対することを決めたと報じた。また数紙は、給費制復活に賛成と報じられた民主党もまとまっておらず、政府との調整もついていないと報じた。

11月から始まる新修習生への支給を貸与金でなく給与金とするには、裁判所法の改正と予算措置が必要であり、そのためには22日の衆議院法務委員会での「可決」(提案ではない)が最終期限だ。審議したのでは間に合わないから、事前に全会派一致を取りつけて、議案提出だけで直ちに採決する。その鍵を握る自民党が給費制に赤信号を出したため、奇跡が起きない限り、11月までの給費制復活は無くなった。日弁連執行部は22日朝まで一縷の望みをつないでいたが、蜘蛛の糸は切れた。

日弁連は、負けた。

やや気が早いかもしれないが、メモをしておきたい。

まず、日弁連は案外健闘した。

箸にも棒にもかからず玉砕するかと思っていたが、913日の民主党法務部会では(党首選のごたごたに紛れ?)給費制復活の方針が打ちだされ、これを、自民党を除く野党は基本的に支持した。その背景には、日弁連中枢部の某弁護士と公明党某議員との太いパイプがあったといわれている。また、弁政連を通じて日弁連主流派が地道に培ってきた各党議員とのパイプが効いたともいわれる。海渡日弁連事務総長の政治手腕が発揮されたとの評価もある。もっとも、公明党が中心となって各党とりまとめに動いたことが、一部自民党議員の反発を招いた、との話もあるが。このほか、単位会執行部や、共産党員と共産党系の弁護士を組織的に動員して、署名集めやデモ行進を行ったことも、プラスに作用しただろう。また、給費制復活運動は、現役弁護士自身に直接関係ない、利他行為であったため、それなりに尊重された。尖閣・小沢・特捜と、重大問題目白押しの国会にあって「もう一息」のところまで行ったことは、それなりの評価に値する。

しかし、最大の原因はおそらく日弁連自身にはない。10年前の司法制度改革が、さまざまなほころび(控えめに言って)を見せ始めているとの問題意識を、多くの議員が有していたことが、第一と考える。

他方、敗因もいろいろある。

なんといっても、時間がなさ過ぎた。裁判所法改正から6年間、延期から4年間何もせず、突然半年前に運動を始めたところで、間に合うわけもない。第二に、戦略が拙劣すぎた。東京新聞社説の冒頭は、「情緒的な貧困キャンペーンに惑わされずに考えたい」と、散々な書きぶりだ。ちなみに、中坊公平もと日弁連会長は、「世論とは5大マスコミ論説委員の意見」と喝破し、彼らのご意見を拝聴してから日弁連の意思決定をしたように「見せていた」という。マスコミ全部を敵に回した宇都宮会長との戦略力の差が知れる。そのうえ、15年前と相も変わらぬ「経済的自立論」を主張し、「人権を人質に取るのか」と感情的な反発を招いた。第三に、給費制問題の本質を、お得意の貧困モンダイにすり替え、内外の冷笑を浴びた。第四に、裁判所・法務省を敵に回した。最高裁は、最初は高をくくっていたのだろうが、日弁連健闘と見るや、給費制復活反対のキャンペーンを行い、赤子の手をひねるように日弁連を圧倒した。

弁護士でもある江田五月参議院議員の言葉を引用しよう。「(日弁連が負けたのは)偉い人たちが、『我々の主張は正しいのだから、それが通るはずだ』とばかりに突っ込んでいったからです。大甘もいいところです。『貧弱な戦術手段しか持っていないのに、過大な戦略目標を追求した』のです。孫子は2500年も前に、こういう戦争はやっちゃならんと言っています。曰く『小敵の堅は大敵の擒なり(注 少人数なのに強気で攻めても、大軍の捕虜になるだけだ)』と。」

「こん日」の読者はお気づきのとおり、この言葉は、2000年、日弁連が法曹一元と引き替えに法曹人口大増員と法科大学院構想を支持し、結局法曹一元が露と消えたとき、当時の江田五月弁護士が放ったものだ。この言葉が、今回そのまま当てはまるとすれば、日弁連は、10年前の大敗北から、何一つ学ばず、同じ過ちを繰り返していることを意味する。

次に、今回の給費制復活運動の功罪について考えておきたい。

まず「功」としては、分裂した日弁連の結束をある程度取り戻したことが指摘される。また、今後様々な司法改革の「修正」作業が必要となる中で、国会議員と一定の人脈を構築できたかもしれない。

次に「罪」としては、宇都宮執行部がこの半年、貴重な人材と時間を浪費したことが第一だろう。多数の優秀な弁護士が、多大な労力を傾注したあげく、大きな徒労感を味わったとすれば、今後の求心力と政策実行に深刻な悪影響が出よう。また、宇都宮執行部は、任期の半分近くを給費制復活運動に投じ、結果を出せなかった責任を問われることになろう。日弁連にとって、この半年間は、空費されてはならない、とても重要な時間だったはずだ。第二に、歴代日弁連執行部が回復に努めてきた最高裁・法務省との信頼関係が、かなり深刻に破壊された。これ以上日弁連が「駄々をこねた」場合、彼らが「黙らせる」手段に出てくる可能性は否定できないと思う。たとえば、来年の司法試験合格者を2500人にする(と言う)だけで、日弁連の声を失わせるに十分だろう。第三に、マスコミから総スカンを食ったことも痛い。「一度国会で決まったことを、その施行前に、駄々っ子みたいに反対した」と評価され、評判を落とした。第四に、今回の給費制復活運動を推進した若手弁護士の一部に、とても思慮の浅い人たちが登場したことも、指摘しなければならない。給費制がよいと信じて迷わず、客観的な視点も歴史認識も反対者への理解力も持たない、純粋なお馬鹿さん達だ。こういう手合いは、冷戦と55年体制の終結によって絶滅する筈だったのだが、今回の給費制復活運動を通じて再生産されてしまったように見える。

最後に、今回の敗北を踏まえ、宇都宮執行部が今後どのような行動をとるか、予測してみる。

日弁連が今年度になって突然、給費制復活運動を始めた背景には、宇都宮会長の当選がある、と私は見ている。非主流派として会長選に立候補し、会務経験も乏しく、主流派や各委員会にパイプも無い宇都宮会長にとって、当選後の支持基盤確立は、喫緊の課題だった。折良く今年度は貸与制実施の年であり、同時に修習生の就職問題やワーキングプア弁護士問題などが浮上していたため、得意の市民運動の手法で給費制復活キャンペーンを張れば、日弁連主流派の支持を得られる、と考えたと思う。そして、その目的は、相当程度成功した。いま、日弁連主流派は、選挙であれほど罵倒した宇都宮会長と、がっちりタッグを組んでいることを隠そうともしない。そのうえ、反主流派の高山俊吉弁護士を支持するグループの一部さえ、給費制復活運動では宇都宮会長を支持している。自民・民主・社民が大連立したようなものだ。

この視点から見れば、宇都宮執行部が、今回の敗北を認めることはないだろう、と私は予想する。貸与金の返還が始まる6年後に向けて運動を継続しよう!とか何とか言って、支持基盤の団結を維持しようとするだろう。敗北の総括や反省をしたり、責任をとったりすることはないと思う。

この態度は、2000年、法曹一元の夢が露と消えたにもかかわらず、「足がかりは残った」とか何とか言って、敗北を認めなかった当時の日弁連執行部と全く同じ態度である。

このとき日弁連の先輩が、過ちを語り継がなかったことによって、どれほど甚大な損害を後輩に与えたかは、いま我々が身をもって体験しているとおりだ。

そしてまた、宇都宮執行部と、これを支える日弁連主流派は、同じ過ちを繰り返そうとしている、と私は思う。

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2010年10月20日 (水)

技術提供取引規制に関する素朴な疑問

 外為法251項は、特定技術を特定国において「提供することを目的とする取引」を行おうとする者は、この取引について許可を受けなければならないと定める。

 だが、この条文はとても分かりにくい。以下素朴な疑問を呈示したい。

 この条文が規制している「取引」とは何だろうか。

 大辞林によると、「取引」の説明はこうだ。

①商人どうし、また、商人と客との間でなされる商業行為。売買の行為「株を―する」②互いの利益のために双方の主張を取り入れあって妥協すること「主流派と反主流派との間に―が行われた」

 すなわち、「取引」は一般に有償である。また、約束から履行までを含むが、本質的な要素は「約束」だ。

 では第一の問題として、外為法25条の「取引」は有償行為に限られるのだろうか。

 外為法上、「取引」の定義規定は存在しないが、「資本取引」の定義規定は存在する(20条)。ここには、保証契約などの片務契約(当事者の一方だけが義務を負う契約)もあるから、無償行為も含まれるように見える。

 他の法律を見ると、私の知る限り「計量法」のみが、「取引」の定義規定を置き、「有償であると無償であるとを問わず、物又は役務の給付を目的とする業務上の行為」と定めている。これによれば、「取引」は有償無償に限られないことになる。しかし、法律によって言葉の定義は違ってよいし、外為法上の「取引」は「業務上の行為」に限られない。外為法上の「取引」を計量法上の「取引」と同じに解する必要はないのだ。

 ところで、役務通達(正式名称は「外国為替及び外国貿易法第25条第1項及び外国為替令第17条第2項の規定に基づき許可を要する技術を提供する取引又は行為について」という)は、「取引」の定義を「取引とは、有償無償にかかわらず、取引当事者双方の合意に基づくもの」(1(3)サ)と定めている。しかしこれは通達であって法令でないから、行政機関の解釈に過ぎず、裁判所を拘束しない(憲法763項)。つまり法解釈の参考になるだけだ。

 それではどう考えるべきだろうか。文言上、「取引」は無償行為を含むとも含まないとも解釈しうる。しかし無償の技術提供を規制しないというのは(無償であれば兵器製造技術を自由に国外に提供できるというのは)、外為法の目的には明らかに反する。したがって、外為法上の「取引」は無償行為を含むと解釈するべきだろう。

 第二の問題として、「取引」には一方的な行為は含まれないのだろうか。たとえば、公衆の面前で兵器の製造技術を叫ぶ行為は、「取引」にあたらないのだろうか。

すでに指摘したとおり、「取引」の本質は約束である。だから、二人以上の人間の合意が必要だ。一方的な行為は「取引」に含まれない。たとえば誰でもアクセス可能なホームページに兵器の製造技術をアップロードしても、このような単独行為は「取引」にあたらない。外為法の目的に照らせば、規制の必要は明らかだが、「取引」という文言を用いた以上、一方的な公表は規制されない。この点について異論はない。これは法律解釈上そうなるのであり、貿易外省令の規定があるからではない。

「学会発表」や「講演」は、「取引」という語感からは外れるが、「話すよ、聞くよ」という約束に基づく一種の「取引」と解するべきなのだろう。

 第三に、この「取引」と、同じ条文にある「提供」との関係はどうなっているのだろうか。

 通常の用法によれば、「取引」は約束を本質とするものの、約束の履行行為を含む。「今日は大事な取引があってね」という言葉は、契約を指すことも、決済を指すこともある。

しかし条文は、「提供することを目的とする取引」は許可を要すると定めている。仮にこの文言が「提供する取引」や「提供することを内容とする取引」なら、「提供」と「取引」は包含関係に立ち、ほぼ同じ意味となる。しかし、法文は「提供することを目的とする取引」だから、「提供」と「取引」は目的手段の関係に立ち、同じ意味ではあり得ない。ちなみに、「許可を受けないで取引をした者」は原則として7年以下の懲役又は700万円以下の罰金に処せられる(69条の611号)。この条文に「提供」という言葉はない。ここでも、罰せられるのは「取引」であって「提供」ではない。このように、文言解釈としては「提供」と「取引」は違う概念であり、外為法が規制しているのは「取引」であって「提供ではない」と解するほかはない。

ちなみに「役務通達」は「提供することを目的とする取引とは、取引の相手方に対して技術を対外的に提供すること自体を内容とする取引をいう」と定めている。これは、「提供することを目的とする取引」という法律上の文言を「提供することを内容とする取引」に読み替えるものだ。前述したとおり通達は行政機関の解釈であって法令ではない。刑法である外為法の条文を、通達によって読み替えることは、罪刑法定主義に正面から衝突することになる。

「提供」と「取引」を同じと考えるか違うと考えるかで、何が違うのか。時間的な問題と、場所的な問題がある。

まず時間的な問題についていえば、「提供」と「取引」が目的手段の関係に立つ別の概念だと考える場合、外為法は本来、「提供」を罰するのではなく、提供に先立つ「取引」すなわち約束をしただけで罰することになる。

次に場所的な問題は、条文が「外国において提供することを目的とする取引」と定めていることと関係がある。

ポイントは「外国において」だ。「提供」と「取引」が異なる概念であるなら、「外国において」は「提供」にかかり「取引」にかからないから、罰せられる「取引」の場所は、属地主義(刑法1条)の原則により、日本国内に限られることになる(ただし、外為法5条の例外がある)。これに対して、「提供」と「取引」が同じ概念とするなら、罰せられるのは、属地主義の例外として、外国で行われた「提供=取引」である、と解釈する余地が発生することになる。

この問題に関する経産省の解釈は、今ひとつはっきりしない。ただ、この点は別の論点にまたがるし、すでにかなり長文になったので、ひとまず終わりにしたい。

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2010年10月18日 (月)

食品表示違反95%非公表

1017日の産経新聞は一面トップで、農水省が平成21年にJAS法違反で行った処分816件のうち、公表されたのはわずか5%に過ぎなかったと報じた。公表されなかったものの中には、中国産ウナギを静岡産と表示したものなど「悪質」と思われるものもあるという。社会面には関連記事として、農政局や農政事務所の弱腰調査や遅い対応、連携不足などの組織的問題があると指摘し、「農水省には『食の安全』の原点に戻る意識改革こそが必要」と批判している。

農水省の肩を持つわけではないが、これはかなり農水省に厳しいだろう。

行政指導と取締は、少なくとも実態においては似て非なる概念である。

指導とは、任意手続だが、官僚に幅広い裁量権のあるのが特徴だ。事業者を生かすも殺すも官僚次第。だが、官僚はこの生殺与奪権を簡単には行使しない。多くの場合、許してあげる。だから事業者は、官僚に対して自ら非を認め、許しを請い、二度とやらないと誓う。つまり行政指導は、食材、もとい「贖罪と赦しのシステム」だ。このような行政指導の本質から言えば、摘発された違反事例の95%が非公表というのは、あまりに当然の話だ。

このシステムの利点は、コストがかからない点にある。事業者が協力してくれるので、捜査に必要な膨大なコストが不要となるからだ。欠点としては、どうしても官民の癒着が発生する。

他方、取締は、強制手続きであり、官僚に幅広い裁量権はない。一度摘発したら、処分するかしないかを決め、処分するなら公表しなければならない(産経新聞はまさに公表を求めているわけだ)。勢い、批判に耐える処分をしなければならないし、間違って処分したら大変だから、綿密な証拠集めと事実認定が必要になる。他方事業者としては、一度摘発されたら、許してもらえないから、自ら不正を告白などしないし、調査に協力もしない。つまり取締は「相互不信と対決のシステム」だ。

このシステムの利点は、処分が公正に行われる点にある。欠点は、コストがかかる。また、事業者は協力してくれない前提で、客観証拠を迅速確実に収集・分析し、事実の筋を見極める能力が、担当者に要求される。

産経新聞の指摘は、今まで何十年間も「指導」を行ってきた農水省に、「取締」をしていないのはおかしい、というものだ。農水省に言わせれば、無理いいなさんな、というところであろう。

しかし、大きな流れや世論という視点から見れば、軍配は産経新聞に上がるのだろう。私自身、その流れに反対はしない。取締は指導より公正だ。現場の官僚に捜査は荷が重いというなら、是非弁護士に外注してほしい。

もちろん、コストがかかる。だが、これが「法化社会」というものの姿であり、わが国は、そのために弁護士を増やしたのだ。

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2010年10月16日 (土)

アンドロイドは電気羊をキモいと思うか?

産業総合研究所アクトロイドの最新型を発表した、女性型ロボットで、豊かな表情を作ったり、人間の動きをまねたりするという。

なぜか薄幸そうな女性だ。

F_3

アクトロイドの初期型を見に、数年前、大阪大学の石黒研究室にお邪魔したことがある。当時は動きも稚拙で、表情も無く、アンドロイドというより、多少動くマネキンといったものだった。

それでも、第一印象は「ぎょっ」としたし、並んで肩に手を置いて記念写真を撮ったときも、ロボットとはいえ女性の肩を抱いて良いものかと遠慮した。

最新型のアクトロイドも、動きはぎくしゃくしているし、「顔の筋肉」も少ないようだ。シリコン樹脂では皮膚の質感の再現に限界があるだろうし(アクトロイドがもっぱら女性なのは、研究者の趣味もあろうが、技術的には化粧をしても違和感がないからだ)、声はまだまだ、といった感じだ。

それでも、幼児やご老人なら「だまされる」割合も高いだろうし、いくつかのブレークスルーがあれば、数年内には、大人もだませるアクトロイドが完成するだろう。アクトロイドは「不気味の谷」を超えつつある。そうなったとき、人間にどのようなインパクトを与えるのだろうか。

石黒教授に、なぜアクトロイドを作るのかと聞いたところ、こういう答えが返ってきた。「私は人間を知りたい。人間そっくりのロボットを作ることは、人間を知ることだ」。

以来、私は石黒教授を「MADイシグロ」と呼んで尊敬している。

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2010年10月14日 (木)

子どもの心拍数を常時測定して見守りになるか?

 10月13日の日本経済新聞によると筑波大学の李昇姫准教授と浜中雅俊講師らの研究グループ、子供の日常生活を親が自宅などで確認できる見守りシステムを開発した

 心拍数計測装置やGPS、カメラなどを搭載した小型機器を装着させ、「子供が走ったり驚いたりして心拍数や動作状況が急激に変化した場合は内蔵カメラが周辺の状況を自動撮影、インターネットを通じて保護者に連絡する」という。「近年、子供を狙った凶悪事件や施設内での事故が相次いでいるが、就学前児童は自分や周囲で起きた問題を言葉で説明することが難しい。カメラやセンサー機器を使い園児の行動を把握することで、保護者は園内で発生した事故やけんかなどの状況をネット上ですぐに確認。安心して子供を保育園などに預けることができるようになる」そうだ。

 うーむ、微妙。

開発した先生方は、子育て経験がないのだろうか。園児にとっては、毎日が激動である。爆笑し号泣し驚愕し激怒し全力疾走し登って落ちて喧嘩して仲直りする。この全部を一日に5回は繰り返すのが園児というものだ。もちろん心拍数も常時激変するだろう。記事どおりのシステムなら、警報が鳴りっぱなしで、実用にならないと思う。警報が鳴る度に撮影される周りの人間にとっても迷惑千万だろう。撮影されるのはタカシくんとかミヨちゃんとかばかりだろうが

 また、誘拐犯にピストルを突きつけられても、心拍数は上昇しないだろうから、逆の意味でも、実用にならない。まあ、幼児にピストルを突きつける誘拐犯もいないだろうけれども。

 むしろ高齢者やある種の病気の持ち主に対する見守りシステムとしてなら、実用性はあるかもしれない。ただこの場合は、本人の承諾を取らないと、プライバシー侵害の問題が発生することになる。

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2010年10月13日 (水)

司法制度改革と日弁連新会長―日弁連は法曹養成制度の改革を逆行させるのか?―

 弁護士でもある萩原金美神奈川大学名誉教授より、神奈川ロージャーナル20103号の贈呈を受けた。中身は、宇都宮新会長に対する批判である。拙著「こん日」も何カ所か引用していただき、「全面的に賛同するわけではない」としつつも、「平明にしてクールな論述で日弁連の問題点を解明した好著」とご紹介いただいた。光栄なことである。

 萩原教授はいう。法曹人口増大は、日弁連が承知した上で、法科大学院による法曹養成制度とワンセットで実施されたものだ。弁護士増による収入減があるからといって、法科大学院制度を根本から覆すような主張は無責任ではないのか。たとえば司法修習生に対する給費制は、予算面から司法試験合格者数を制限しているから、給費制維持を主張することは、法曹志望者を利するように見えて、法科大学院生が法曹になる機会を奪う「悪魔の福音」だ。宇都宮新会長は、その専門分野である多重債務問題や貧困問題といった「虫の目」の延長線上の問題として若手弁護士の貧困問題をとらえるだけで、わが国の司法をどうすべきか、という「鳥の目」を持たない。まるで、派遣村の村長さんが内閣総理大臣になるようなミスキャストではないか、と。

 いやはや、手厳しい評価である。いうまでもないが(萩原教授は明言していないものの)、「虫」は「鳥」に喰われる運命にある。

 もちろん、教授の主張に異論はあろう。教授は、「(宇都宮氏の)政策が実効化されるならば、それはとりわけ新たな法曹養成制度の健全な成長・発展に対する強大な抑止的・萎縮的効果をもたらす。多くの有為な若者が法曹の道を志すことを断念し、ひいて少なからぬ数の法科大学院が壊滅していく」と懸念する。しかし、法科大学院の大再編が必要なことは、給費制維持運動を批判するマスコミでさえ、大筋で認めていることだ。また現在、法科大学院は宇都宮新会長と無関係に、法曹養成機関としての魅力を喪失しつつある。司法試験合格率以前の問題として、青春の数年間と学費だけで数百万円を費やす価値を法科大学院に認める人間が、激減しているのだ。有為な人材が法曹への道を断念する原因を宇都宮新会長に求めるのは筋違いだと思う。

 とはいえ、私は萩原教授の新会長評には全面的に賛成である。宇都宮新会長は、懐古趣味的な弁護士増を理想に置き、時計の針を逆戻りさせようとしているという指摘は、まさに慧眼である。壊れた時計の針を現在時刻にあわせようとしても、それは修理していることにならないのだ。

 萩原教授の主張に興味のある方は、是非原典をあたっていただきたい。私のような、にわか仕込みの法曹人口評論家にはない、透徹した視点を見ることができる。

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2010年10月12日 (火)

武器輸出三原則を考える

武器輸出三原則の緩和を求める動きがある。大いに議論されるべき問題だと思うが、不思議に法律家(法学者や弁護士)の発言が少ない。私の知る限り、この問題を体系的にまとめている法律家は青井未帆氏(現成城大学法学部准教授)だけである。そこで、同氏の論文をまとめてみた。

〈武器輸出三原則の歴史〉

武器輸出三原則というと、平和憲法下の国是と思われがちだが、歴史的にはそうではない。現行憲法制定(1946年)後、朝鮮戦争(1950-53)を経て、ベトナム戦争(1965?-75)時までは、武器輸出三原則は存在しなかった。太平洋戦争で壊滅した日本の軍需産業は、朝鮮戦争特需で復活し、対米軍供与によって成長したのである。

武器輸出三原則が最初に表明されたのは1967年、佐藤栄作内閣によってである。これは一方で、東西冷戦に対する国民的な反感を背景に、非核三原則、集団的自衛権の否定、防衛費GNP1%枠の設定等の平和政策の一環として表明されたものであるが、他方で、この時点での武器輸出三原則は「無制限な武器輸出をしない」という意味であって、武器輸出を禁止することを意味しなかった。また、ベトナム戦争を戦っていた在日米軍が直接調達した武器は、「輸出」でないことから武器輸出三原則の適用を受けなかった。こうして、わが国は平和国家として武器輸出三原則を表明しつつ、対米軍武器供与を続けたのである。

1976年、三木武夫内閣は武器輸出三原則の強化を宣言する。これは、従前武器輸出自体は禁止していなかったものを、紛争地域については禁輸、それ以外の地域についても武器輸出を「慎む」ものとしたのである。しかし他方、この宣言の発端となった中型輸送機C1多用途飛行艇US1は武器ではないとされ、輸出が認められた。これについては、「防衛庁が企業と共同開発したもので、本来軍用のものといえるのであり、『花火でさえも武器ではないが要輸出承認品目なのであるから』、三木内閣の武器輸出三原則は『実体的に大きな抜け穴を持ったもの』であり、輸出管理上の『武器』の範囲を限定することにより事実上の武器を含めた物質の輸出を図る手法と性格づけられる」とされている。

〈武器輸出三原則の功罪〉

このように、歴史的に見ると日本得意の「本音とタテマエ」使い分けの典型例のような武器輸出三原則であるが、青井氏によると、次のような効果があったとされる。

まず積極的な効果としては、「大きな抜け穴」があったとしても、武器輸出三原則の結果、典型的な、どこから見ても武器武器した軍用の武器輸出は、わが国は行ってこなかった。わが国では一見当たり前のようにとらえられているが、日本以外の国では安全保障政策と武器輸出はワンセットの関係にある。わが国は、武器輸出をせずに安全保障政策をとる、きわめて珍しい国家なのだ(もちろんこれができる背景には日米安保その他の存在は指摘されなければならないが)。この特異性は、国内的には軍需産業の発展を抑制し(最も軍需依存度の高い三菱重工業でさえ13%に過ぎない。ボーイング社38%レイセオン社91%である。2002年現在)、政府への圧力を抑制してきた。また、対外的には、武器輸出に利害関係を持たないわが国の立場が外交上一定の尊敬を集めてきた。たとえば、1991年に日本がEU諸国と国連総会に提出し、圧倒的多数で採択された国連軍備登録制度は、武器輸出三原則を表明しているからこそ、クリーンな立場で各国を説得できたとされている。

消極的効果としては、武器輸出三原則によって海外という市場を失ったため、わが国政府は国内の軍需産業に多大な保護を与えざるを得ない点があるという。平たくいえば、国内で調達する武器の値段がとても高くなる、ということだ。つまり国民は、平和政策のコストとして、割高な防衛装備予算を負担させられていることになる。それでも、冷戦終結後の防衛予算の削減は、外国との共同研究開発や武器輸出といった選択肢を持たないわが国の防衛産業に危機的影響を与えているという。

〈武器輸出三原則の未来〉

武器輸出三原則の背景は、次の2点で大きく変わった。1点は東西冷戦の終結であり、もう1点は汎用技術の高度化である。

すなわち、東西冷戦の終結は、各国の軍事予算を削減させ、もはや1国では軍需技術を開発・維持することができなくなった。また、軍事技術が秘密基地で研究開発される時代は終わり、汎用民生品が軍需技術として転用されるようになった。防衛予算削減に窮した経済界は、1990年代以降、ほぼ毎年のように武器輸出三原則の緩和を提言している。近年の提言は、国内防衛産業の破綻を予言する悲痛な内容になっている。

一方、汎用品の軍事技術化に関しては、ベトナム戦争時、ソニー製のビデオカメラが、スマート爆弾の誘導部に使われたのは有名な話であるし、1980年代のチャド内戦では、砂漠使用の日本車が重宝され「TOYOTA WAR」と呼ばれた。TDKが四国連絡橋の電波障害を防止するために開発した磁性塗料が、ステルス攻撃機の実用化に多大な貢献を果たしたともいわれている。1999年に韓国沿岸で座礁した北朝鮮の「ユーゴ級潜水艦」に使われていた電子部品のほとんどが日本製であったと報道された。現在、米軍はロボット技術をはじめとするわが国の先端技術に強い関心を示している。

青井氏によれば、日本政府は現時点では、武器輸出三原則の運用によって対応しているように見えるという。

1997年に設立され、武器輸出三原則の緩和を求めてきた日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)の2002年提言には、「日本政府が輸出の際に軍用品と民生品の区分けに関して、より現実に即した運用を行うようになったことを評価している」とあるという。これは、「1997年から2002までのどこかの時点で」、日本政府が「武器」の範囲を狭くしたのではないかと青井氏は推測している。しかしこのようなやり方が、法治主義の観点から許されるのかは疑問である。また、汎用品規制に関し、青井氏は、「〈武器輸出〉三原則は汎用品規制問題との関係で限界を抱えており、平和憲法の下で汎用品をどのように、そしていかなる基準によって規制してゆくべきかは、新たな課題として考察を必要とするのではないだろうか」とし、「『平和主義に基づく汎用品規制とは』という、三原則をより発展的に解釈する必要のある課題の存在を指摘したい」としている。

 以上は、青井氏の次の3つの論文をまとめたものである。

武器輸出三原則を考える」 信州大学法学論集第5

「安全保障と民間会社の関わり-武器移転の視座から」 法学セミナー20071月号

「武器輸出三原則の見直し」について 法律時報2010年増刊

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2010年10月11日 (月)

ライフ&グリーンイノベーションロボットに関する調査研究委員会合宿

 1089日、逗子で標記合宿が行われたので参加した。この会議の趣旨は、ロボット技術は進化しているのに、市場が拡大しないのはなぜか、いいかえると、「シーズとニーズ」のギャップをどう克服するかについて、知恵を集めようというものだ。

 私は弁護士という立場から参加し、大要、次のようなことを話した。

 ロボット開発が閉塞状況にある原因が法律にあるという声を聞く。たとえば、PL法の存在が企業を萎縮させているという。そこで考えてみると、次世代ロボット開発と法制度の関係は、次の3類型に分類できると思う。一つは、法制度の存在が次世代ロボット開発の妨げとなっている場合、二つ目は、法制度の不存在が次世代ロボット開発の妨げとなっている場合、三つ目は、閉塞状況の責任を、法制度に転嫁している場合である。

 我が国ではPL法の訴訟リスクなど、微々たるものにすぎない。遙かに訴訟リスクの高いアメリカでのロボット開発が日本より進んでいることからも、PL法のせいで次世代ロボット開発が進まないというのは、いいわけに過ぎない。これに対して、外為法は、次世代ロボットの重大な輸出障壁になると懸念される。同様のものとして、おそらく薬事法がある。要するに官庁が広大な許認可権限を独占している領域だ。また、プライバシー保護法制度に関しては、法制度の不存在が、研究開発を萎縮させているところがある。この分野について、諸外国に比較しても日本は後進国に属する。法制度の整備が必要である。

 蒼々たる出席者のプレゼンが行われたが、私が特に感銘を受けたのは、「これからは個々の先進技術が市場を生むのではない。新しい社会や新しいライフスタイルそのものの提案が市場を生むのだ」という趣旨の発言が、研究者や研究者以外の出席者から、相次いでなされたことだった。

 合宿は丸24時間行われ、深夜には酒を飲みながらのロボット談義となった(私はここのところの出張疲れが出て寝てしまったが)。閉塞状況にあるのは、司法の世界も同じことだが、ロボットの世界の住人は、いかなる時でも前しか見ない。この姿勢がうれしくて、私はロボットの世界と関わり続けている。

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2010年10月 8日 (金)

弁護士廃業

 「一日一冊 弁護士の読書日記」氏が、弁護士を廃業した。理由は「もちろん、この業界のお先が『真っ暗』だからですよ。(中略)もう業界全体が沈みかけの船みたいな状態です。こんな船からは一刻も早く逃げ出さなければならない、そう思ったからです」とのことだ。

 面識はないが、「こん日」228ページに引用させていただいたこともあり、人ごととは思えない。とても残念だ。

 その決断については、賛否があって当然である。だが肝心なことは、氏が直面した危機感は、多かれ少なかれ、(少なくとも若手から中堅までの)すべての弁護士に共有されていることだと思う。「このまま弁護士業を続けて、本当に大丈夫ですか?」と聞かれて「大丈夫です(キリッ)」と言える弁護士はどれほどいるのだろう。

 「所詮競争に敗れただけじゃないか」という意見もあろう。しかし氏は、間違いなく優秀な弁護士だった。しかも勉強家である。この事実が示すことは、競争に敗れるのは法律実務家として無能な者に限らない、ということだ。

 法曹養成制度の失敗は、志ある優秀な人材の法曹離れを招く。そして法曹人口政策の失敗は、若くて優秀な弁護士の廃業をもたらす。その先にある破滅の淵に、日弁連は立っているのかもしれない。

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2010年10月 7日 (木)

法務大臣 給費制 法曹人口

10月1日閣議後の柳田法相記者会見要旨が公開された。中に、「法曹養成制度に関する質疑」として、次のやりとりがある。

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Q:司法修習生の給費制の件について,貸与制の施行期日が迫っていることもありまして,各党動き始めており,昨日,自民党がヒアリングをして法務省に依頼をして,法務省の方では立法府にまかせるとの発言をされたということですが,大臣としての御所見をお伺いしたいのですが。

A:私も国会の動き等をいろいろ聞いています。国会の御要望があれば,それに従うつもりです。

Q:民主党はまだまとまっていないということなのですが,そこについては何か大臣としておありですか。

A:民主党も決まれば決まるでしょうし,他の各党も決まれば決まるでしょうし,国会がどういう意思表示をされるかだと思っています。

Q:期日まであまりない中なのですが,そこについては,法務省としてはやはり今までどおりでいきたいと思っていらっしゃるのでしょうか。

A:自民党,公明党が出した法案でしたけれども,民主党も賛成して成立した法律ですから,現在それを施行するしかないという立場です。ただ国会がしっかりとした意思表示をされれば,それに従うというところです。

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全体としては、「行政府は国会に従う」という、ごく当たり障りのないことを言っているだけだが、細部を見ると、「国会のご要望」→「国会がどういう意思表示をされるか」→「国会がしっかりとした意思表示」と微妙に言い回しが変わっているのがおもしろい。この点と、「自民党,公明党が出した法案でしたけれども,民主党も賛成して成立した法律ですから」という下りをあわせて読めば、法務省の意向はおぼろげに見えてくる。要は国会と政党に対して、一度議決したことの重みを問うているのだ。

ところで10月5日の読売新聞は、合同インタビューでの柳田法相の発言として、次のように報じた。

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政府が2002年に閣議決定した司法試験の合格者を「2010年頃には年間3000人程度とする」とした目標について「今は過渡期だが、遠くないうちに3000人は必要な数になっていく」と述べた。

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このインタビューは各新聞社合同のものだが、他紙は法曹人口問題に触れていない。したがってこの記事は、読売新聞自身の意図も反映していると思われるが、この点はさておき、柳田法相のこの発言は少なくとも、司法試験合格者数の減少という、宇都宮日弁連会長の要望に応じる気は全くない、という意思表明と読める。

問題はこの発言と給費制問題との関係だ。関係ないはずはないと思うが、この記事だけでは、柳田法相の意思を確定できない。論理的な可能性としては、

   給費制問題で(一度決まったことを施行前に撤回せよという)横車を押すなら、司法試験合格者数を増やすぞ、という日弁連執行部へのメッセージ

   給費制を復活させるなら、司法試験合格者数年3000人になることを前提に予算措置を講じてくださいよ、という国会へのメッセージ

   今後司法試験合格者数を増やすには、人材に集まってもらうために、給費制を復活させる必要がありますよ、という国会へのメッセージ

あたりが考えられるが、どうだろうか。

 私は、迷いつつも②に一票である。これが、「しっかりした意思表示」という言葉の中身ではないかと思う。ついでに言うと、給費制の問題が国家予算の問題であることが、日弁連では不当に軽んじられていると思う。

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2010年10月 3日 (日)

学会発表と外為法の技術移転規制について

「たか」さんから、標記の質問がありましたのでご回答します。

この点について、貿易関係貿易外取引等に関する省令(いわゆる貿易外省令)929号は、経済産業大臣による許可が不要の場合として、次のように定めています。

9号 公知の技術を提供する取引又は技術を公知とするために当該技術を提供する取引であって、以下のいずれかに該当するもの

ロ 学会誌(中略)公開シンポジウムの議事録等、不特定多数の者が入手可能な技術を提供する取引
ホ 学会発表用の原稿(中略)の送付、雑誌への投稿等、当該技術を不特定多数の者が入手又は閲覧可能とすることを目的とする取引

上記に該当する場合には、許可は不要です。

もっとも、厳密に考えると、難しい問題がたくさん出てきます。

たとえば、ご質問の、学会での発表行為は上記ロまたはホに当たるのでしょうか。「貿易外省令」929号柱書は、「以下のいずれかに該当するもの」と規定しています。「いずれか」とある以上、許されるのは学会誌等への投稿か学会誌等の提供に限られ、学会での発表行為は許されないようにも思われます。

しかし、学会誌やシンポジウムの議事録及びその原稿の提供が許されるなら、その元となる発表行為が許されない筈はありません。したがって、学会での発表行為も含まれると解するべきでしょう。「貿易外省令」929号柱書の文言上問題はありますが、例示列挙と解するほか無いと考えます。

次に問題となるのは、「不特定多数」という文言です。「貿易外省令」929号上「不特定多数」が要件である以上、「不特定多数」に対する発表行為でなければ禁止されてしまいます。ところで、「不特定多数」という文言を用いる法令はほかにもありますが、定義は統一されていないように思われます。では、貿易外省令が定める「不特定多数」とは「不特定」かつ「多数」なのでしょうか?「不特定」または「多数」なのでしょうか。また、「多数」とは、何名以上を意味するのでしょうか?一般市民にも参加を呼びかけたが、顔見知りの学会員だけ集まった場合は「不特定」性は満たされるのでしょうか。逆に、1000人入る会場に知らない人が3人参加しただけの寂しい学会は、「多数」性を満たすのでしょうか?

私は、貿易外省令929号柱書は、「技術を公知とするために当該技術を提供する取引」と規定していることに照らし、「不特定多数」とは、提供された技術が、その「不特定多数」人を経由して「公知」になっていくことを示す、一つの指標に過ぎないと考えます。「不特定」であろうが「多数」であろうが、100人であろうが3人であろうが、その人たちを通じて、当該技術が公知になるといえるなら、「技術を公知とするため」の提供行為であり、許可は不要と考えます。いいかえれば、出席者に守秘義務を課すような、秘密の会議での発表には、貿易外省令の適用はないことになります。

このほか気をつけていただきたいのは、今問題にしているのは、外国為替令別表に列挙されている技術情報の提供についてであって、それ以外の技術情報については、外為法の規制は一切及ばない、という点です。

ただし、外国為替令別表の規制する範囲はきわめて広範である上、あいまいで、あてはめが非常に難しいのです。結果的に、大学の担当者としては、学会で発表するくらいのレベルの理工系の先端技術はたいがい当てはまる、と考えても不思議ではありません。この規制が学問の自由や技術の発展に与える萎縮効果は、きわめて大きいと懸念されます。

また、日本国内での技術提供が禁止されるのは、居住者が非居住者に提供する場合だけです(251項後段)。ここで「居住者」「非居住者」概念の説明はしませんが、典型的には「居住者」は日本の住民であり「非居住者は」短期滞在の外国人です。日本国内における学会発表の場合、禁止されているのは発表者が「居住者」であり聴講者が「非居住者」の場合だけで、聴講者が全員「居住者」の場合や、発表者が「非居住者」の場合には、外為法の適用がない(=禁止されていない)ということになります。ただ、インターネットを経由して海外から聴講できるようにする場合には、別の問題が発生する可能性があります。

以上をまとめると、国内で研究成果を発表する場合、外為法によって禁止されうるのは、非居住者(典型的には短期滞在外国人)を相手とするものであって、かつ、外国為替令の定める特定技術を提供するものに限定されます。しかも、この要件を満たす場合であっても、学会のような、公知性を満たす場で発表することは禁止されていない、ということになります。

極端な例でいうと、「猿でも作れる原子爆弾セミナー」をTV広告して、参加資格を限定せず日本国内で開催する場合、結果的に参加者が3人で、うち一人がオサマ・ビンラディンであったとしても、外為法25条には違反しないことになります(もちろん、他の法令違反は別問題ですが)。

ほかにも問題はあります。ややマニアックになるので、問題提起にとどめたいと思います。

外為法25条が禁止しているのは、「(特定技術を)提供することを目的とする取引」です。でも「取引」って何でしょうか。学会発表行為が「取引」に当たるのでしょうか。普通の言語感覚では当たらないですよね。そうだとするならば、学会発表は「取引」ではない以上、省令の定める例外に当たるか当たらないかという検討以前の問題として、そもそも外為法によって禁止されていないという解釈も成り立ちうることになります。

最後に、お尋ねの「学問の自由」と「安全保障」の問題に関係に触れたいと思います。

一般的に、「学問の自由」と「安全保障」のどちらの価値が優先する、ということはありません。どちらも重要な価値だからです。同様に、大学と、それ以外の場所で、優先順位が変わるということもありません。

ただ、大学の関係者には、是非こう考えていただきたいと思います。

大学は学問の府です。そして学問の出発点は、懐疑にあると思います。法律であろうが物理公式であろうが、「本当だろうか?」と疑うことが、学問の本質です。だから、お上からの「お達し」があっただけで、墨守しようとすることは、懐疑の放棄であり、学問の自殺だと思います。

回答が遅れて申し訳ありませんでした。ご質問があれば回答しますので、ご遠慮なくお願いします。

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