« テロ対策資機材と武器輸出三原則 | トップページ | 漁夫の利? »

2010年10月28日 (木)

犯罪と法律のあいだ

問「大病院に勤務する医師は、入院患者に親の仇がいると知り、致死量の毒薬を入れた注射器を看護師に渡して注射を命じた。看護師は、途中で偶然、毒薬に気づいたが、この患者にレイプされた恨みを晴らすため、注射して患者を殺害した。医師の罪を選べ。医師と看護師は互いの事情を一切知らない。」

   殺人既遂罪

   殺人未遂罪

   殺人教唆罪

   無罪

WIKIPEDIAによると、通説は③だそうだ。ええーっ、通説が変わったのかなあ、である。私と同世代の弁護士の多数の回答は、②だろう。

事情を知らない人間を、道具として使って行う犯罪を、講学上「間接正犯」という。昔のテレビドラマに出てきた、催眠術を悪用する殺人鬼のような話だ。あまり現実的とはいえないこの問題は、しかし、様々な刑法上の論点を含むため、刑法の教科書には必ず載っている。

一般市民の感覚としては、①が多いだろう。医師は殺人の目的を達したのだから、殺人既遂罪で何がおかしい、というわけだ。しかし法学者は、因果関係は途中で切れてしまったのだから、既遂か?と考える。そして、既遂ではないとしても、注射器を渡した時点で犯罪が成立するから未遂とする②説と、注射器を渡しただけでは犯罪になり得ないとする④説に分かれる。

しかし、現実に患者が死んでいるのに「未遂」は変じゃないか、まして、無罪は市民感覚とかけ離れている、という批判があろう。そこで、医師の行為は結果的に、看護婦をそそのかして殺人を実行させた場合と同じだから、ということで③説が登場するのだろう。

だが、「教唆」とは「そそのかす」ことである。この設問のどこに、「そそのかす」行為があったのだろう?③説は法文解釈の範囲を逸脱し、罪刑法定主義に違反しているという批判があり得る。

③説にはこういう批判もあるだろう。共謀共同正犯(典型例としては、やくざの親分が子分に殺害を命じ実行させた場合、親分は教唆犯ではなく子分とともに共同正犯になるという考え方)を認める限り、初めから事情を知っている看護婦に注射器を渡して殺害させれば医師は正犯になるのに、事情を知らない看護婦の場合は教唆犯になる、というのはバランスが悪いのではないか?という批判である。このほか、たとえば看護婦が針を刺したが翻意した場合、などとのバランスも問題になる。

法律家ではない読者には誤解しないでいただきたいが、これは、どれが正しい、という話ではない。法律学というのはかくもややこしいものであり、時代とともに通説が変動する世界であり、かつ、その割には、あんまり役に立ちそうにない、というお話のつもりである。ただ、万一、こういう事件が実際に起きたら、裁判員が判断することになる。

お前の立場はどうだって?最近そう批判されることが多いなあ。

受験生時代は②でしたが、今は①です。すいません。

|

« テロ対策資機材と武器輸出三原則 | トップページ | 漁夫の利? »

コメント

 2年前まで受験生だった身としては、②が通説というのは少し疑問です。利用者行為標準説に立ち、注射器を渡した時点で看護士が気付いた場合には殺人の故意で殺人教唆の結果ということで重なり合う殺人教唆罪、看護士が渡された後で途中で気付いたのにやっちゃった場合には殺人の実行行為はあるが結果との因果関係なしとして殺人未遂罪という立場で答案を書いている人が多かったかなあと。このアンバランスさは当時から変な感じはしましたが。
 今では①というのは、僕もです。殺人の結果の生じる現実的危険性のある行為をし、殺人の結果が生じたなら、帰責やむ無しではないかと思います。関係ないですが、「もしドラ」来春NHKでアニメ化だそうですね。キャストが楽しみです。

投稿: yh@63期 | 2010年10月28日 (木) 21時48分

コメントありがとうございます。「もしドラ」楽しみですね。設定としては是非、「ドラッガーを実践する女子マネ」が率いる弱小野球チームと、「試合に勝ったらおっぱいを見せると約束してしまった女子マネ」が率いる弱小野球チームの対決にしてほしいかと。もちろん後者の女子マネは綾瀬はるかでお願いします。

投稿: 小林正啓 | 2010年10月29日 (金) 10時07分

看護婦はどういう責任を問われますか、教えてください。

 それと、どうしてこういう事件の真相が発覚したのでしょうか。

 主治医は患者の容態を良く知っていたはずですから、毒殺するにしても、死亡原因が患者の病気に起因するものであることを、疑いをもたれない程度に示唆するような毒薬を用いたはずですから、注射の途中で看護婦が注射している薬が毒薬である事に気づく筈はないし、死んだ原因が毒薬であると気づかれる事もないでしょう。

 ご面倒でも詳しくお教えください。

 なお、司法修習生に対する給費制廃止が実施されるようになったようで、まことにおめでたい事であります。

投稿: 井上信三 | 2010年10月31日 (日) 13時31分

井上様、コメントありがとうございます。
看護師のについては、殺人罪が成立するとの見解が多数でしょう。
本問は講学上の設問なので、書いてない部分は常識の範囲内で適宜補ってください。患者は死に至る病とは限りませんし、病気とも限りません。毒薬が何かも書いていません。何を補うかも法律学のセンスのうちです。

投稿: 小林正啓 | 2010年10月31日 (日) 16時18分

 お答えありがとうございます。

 私は法律には全くの素人ですので、あまり難しい法律論議は理解できない事をご承知いただくとして。

 従来の通説が、医師については殺人未遂罪、と言う事が全く理解できません。看護婦が毒薬に気づいて注射を中止したならば、患者は殺されなかったのですから殺人未遂ということは理解できますが、上述の理由で殺人が実行されたのですから、未遂と言うことはありえないと思うのですが。

 後この件については法律の素人なりに書くことがたくさんありますが、あとは殺人未遂となる理由を伺ってから書こうと思っています。お忙しいでしょうがお答え願います。裁判員制度もどうやら順調に動き始めたようですが、素人の法律的考えと玄人のそれとの違いがこの問題によっても垣間見る事ができる事でしょうから、ぜひ素人の法律談義にお付き合い願います。

投稿: 井上信三 | 2010年10月31日 (日) 18時20分

この問題は、相当因果関係の問題として論じられます。たとえば、殺人の意図で銃撃したが致命傷とはほど遠い傷を負わせた相手が、救急搬送途中、交通事故に遭って死亡した場合、殺人未遂か殺人既遂かという問題です。刑法の教科書には必ず書いてあることですので、詳細はそちらをご覧ください。

投稿: 小林正啓 | 2010年10月31日 (日) 21時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/49870150

この記事へのトラックバック一覧です: 犯罪と法律のあいだ:

« テロ対策資機材と武器輸出三原則 | トップページ | 漁夫の利? »