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2010年10月12日 (火)

武器輸出三原則を考える

武器輸出三原則の緩和を求める動きがある。大いに議論されるべき問題だと思うが、不思議に法律家(法学者や弁護士)の発言が少ない。私の知る限り、この問題を体系的にまとめている法律家は青井未帆氏(現成城大学法学部准教授)だけである。そこで、同氏の論文をまとめてみた。

〈武器輸出三原則の歴史〉

武器輸出三原則というと、平和憲法下の国是と思われがちだが、歴史的にはそうではない。現行憲法制定(1946年)後、朝鮮戦争(1950-53)を経て、ベトナム戦争(1965?-75)時までは、武器輸出三原則は存在しなかった。太平洋戦争で壊滅した日本の軍需産業は、朝鮮戦争特需で復活し、対米軍供与によって成長したのである。

武器輸出三原則が最初に表明されたのは1967年、佐藤栄作内閣によってである。これは一方で、東西冷戦に対する国民的な反感を背景に、非核三原則、集団的自衛権の否定、防衛費GNP1%枠の設定等の平和政策の一環として表明されたものであるが、他方で、この時点での武器輸出三原則は「無制限な武器輸出をしない」という意味であって、武器輸出を禁止することを意味しなかった。また、ベトナム戦争を戦っていた在日米軍が直接調達した武器は、「輸出」でないことから武器輸出三原則の適用を受けなかった。こうして、わが国は平和国家として武器輸出三原則を表明しつつ、対米軍武器供与を続けたのである。

1976年、三木武夫内閣は武器輸出三原則の強化を宣言する。これは、従前武器輸出自体は禁止していなかったものを、紛争地域については禁輸、それ以外の地域についても武器輸出を「慎む」ものとしたのである。しかし他方、この宣言の発端となった中型輸送機C1多用途飛行艇US1は武器ではないとされ、輸出が認められた。これについては、「防衛庁が企業と共同開発したもので、本来軍用のものといえるのであり、『花火でさえも武器ではないが要輸出承認品目なのであるから』、三木内閣の武器輸出三原則は『実体的に大きな抜け穴を持ったもの』であり、輸出管理上の『武器』の範囲を限定することにより事実上の武器を含めた物質の輸出を図る手法と性格づけられる」とされている。

〈武器輸出三原則の功罪〉

このように、歴史的に見ると日本得意の「本音とタテマエ」使い分けの典型例のような武器輸出三原則であるが、青井氏によると、次のような効果があったとされる。

まず積極的な効果としては、「大きな抜け穴」があったとしても、武器輸出三原則の結果、典型的な、どこから見ても武器武器した軍用の武器輸出は、わが国は行ってこなかった。わが国では一見当たり前のようにとらえられているが、日本以外の国では安全保障政策と武器輸出はワンセットの関係にある。わが国は、武器輸出をせずに安全保障政策をとる、きわめて珍しい国家なのだ(もちろんこれができる背景には日米安保その他の存在は指摘されなければならないが)。この特異性は、国内的には軍需産業の発展を抑制し(最も軍需依存度の高い三菱重工業でさえ13%に過ぎない。ボーイング社38%レイセオン社91%である。2002年現在)、政府への圧力を抑制してきた。また、対外的には、武器輸出に利害関係を持たないわが国の立場が外交上一定の尊敬を集めてきた。たとえば、1991年に日本がEU諸国と国連総会に提出し、圧倒的多数で採択された国連軍備登録制度は、武器輸出三原則を表明しているからこそ、クリーンな立場で各国を説得できたとされている。

消極的効果としては、武器輸出三原則によって海外という市場を失ったため、わが国政府は国内の軍需産業に多大な保護を与えざるを得ない点があるという。平たくいえば、国内で調達する武器の値段がとても高くなる、ということだ。つまり国民は、平和政策のコストとして、割高な防衛装備予算を負担させられていることになる。それでも、冷戦終結後の防衛予算の削減は、外国との共同研究開発や武器輸出といった選択肢を持たないわが国の防衛産業に危機的影響を与えているという。

〈武器輸出三原則の未来〉

武器輸出三原則の背景は、次の2点で大きく変わった。1点は東西冷戦の終結であり、もう1点は汎用技術の高度化である。

すなわち、東西冷戦の終結は、各国の軍事予算を削減させ、もはや1国では軍需技術を開発・維持することができなくなった。また、軍事技術が秘密基地で研究開発される時代は終わり、汎用民生品が軍需技術として転用されるようになった。防衛予算削減に窮した経済界は、1990年代以降、ほぼ毎年のように武器輸出三原則の緩和を提言している。近年の提言は、国内防衛産業の破綻を予言する悲痛な内容になっている。

一方、汎用品の軍事技術化に関しては、ベトナム戦争時、ソニー製のビデオカメラが、スマート爆弾の誘導部に使われたのは有名な話であるし、1980年代のチャド内戦では、砂漠使用の日本車が重宝され「TOYOTA WAR」と呼ばれた。TDKが四国連絡橋の電波障害を防止するために開発した磁性塗料が、ステルス攻撃機の実用化に多大な貢献を果たしたともいわれている。1999年に韓国沿岸で座礁した北朝鮮の「ユーゴ級潜水艦」に使われていた電子部品のほとんどが日本製であったと報道された。現在、米軍はロボット技術をはじめとするわが国の先端技術に強い関心を示している。

青井氏によれば、日本政府は現時点では、武器輸出三原則の運用によって対応しているように見えるという。

1997年に設立され、武器輸出三原則の緩和を求めてきた日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)の2002年提言には、「日本政府が輸出の際に軍用品と民生品の区分けに関して、より現実に即した運用を行うようになったことを評価している」とあるという。これは、「1997年から2002までのどこかの時点で」、日本政府が「武器」の範囲を狭くしたのではないかと青井氏は推測している。しかしこのようなやり方が、法治主義の観点から許されるのかは疑問である。また、汎用品規制に関し、青井氏は、「〈武器輸出〉三原則は汎用品規制問題との関係で限界を抱えており、平和憲法の下で汎用品をどのように、そしていかなる基準によって規制してゆくべきかは、新たな課題として考察を必要とするのではないだろうか」とし、「『平和主義に基づく汎用品規制とは』という、三原則をより発展的に解釈する必要のある課題の存在を指摘したい」としている。

 以上は、青井氏の次の3つの論文をまとめたものである。

武器輸出三原則を考える」 信州大学法学論集第5

「安全保障と民間会社の関わり-武器移転の視座から」 法学セミナー20071月号

「武器輸出三原則の見直し」について 法律時報2010年増刊

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