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2010年11月10日 (水)

移設検知装置について

移設検知装置とは、装着された機械の移設を防止する装置である。クレーンでつり下げられるなどして機械が動かされると、電源を遮断して再起動できなくする。主として工作機械に装着される。再起動するにはパスワードが必要だが、このパスワードは毎回変更され、メーカーの作業員がユーザーに出向いて新しいパスワードを入力する。2000年にシチズンマシナリーが開発し、その後大手工作機械メーカーが軒並み導入した。もちろん、装置をつけた分だけ費用はかさむが、ユーザーには何のメリットもないから、工作機械全体の代金に転嫁されないうえ、上記作業員の派遣費用などが余計にかかる。

 それなのに何でこんなややこしい装置を導入するかといえば、外為法のせいである。日本製の高性能工作機械は軍事転用が可能であるため輸出が許可制とされ、輸出相手国によっては審査が長期に及ぶ。直接の売先に問題が無くても、転売先が怪しかったりするからだ。大手工作機械メーカーがこぞって移設検知装置を導入したのは、それによって、審査機関が大幅に短縮されると期待するからだ。

 買主である外国のユーザーにとっても、移設検知装置は迷惑至極のはずだ。この装置のおかげで、中古化しても転売できないし、担保に入れることもできない。同一工場内や同一企業間で移設するのも面倒だし、地震などによる誤作動のリスクや、メーカーの倒産等により再起動用パスワードが永遠に失われるリスクもある。それにもかかわらず、ユーザーが移設検知装置付機械を購入するのは、かようなデメリットとリスクを考慮してもなお、購入するだけの性能と信頼性を有するからであろう。

 法律実務家の視点から見て、疑問に思う点がある。たとえば、ユーザーが転売したいと言い出したらどうするのだろう。転売禁止の契約書を結んだだけでこのリスクを回避できるとは思われない。そうだとすれば、転売先が怪しいところではないことを、誰が審査するのだろう。これは「輸出」ではないから、明らかに経産省の管轄外だ。かといって、メーカーが審査するときは、転売先に不正利用された場合のリスクをメーカー自身が負うことになる。

 また、転売は必ず機械の移設を伴うとはいえない。機械はそのまま、工場の所有権が代わるということだってある。再起動のため工場に呼ばれ、いつの間にか工場長がイラン人に代わっていることを知った日本のメーカーは、移設検知装置のおかげで、知らなければ幸せだったことを知ってしまうことになる。

 経済政策的に気になるのは、中小機械メーカーは装置のコストや作業員海外派遣のコストを負担できないため、移設検知装置を導入できず、その結果大手メーカーとの輸出競争に敗れている点だ。つまり工作機械自体の性能によってではなく、企業体力の差によって競争に勝てないことになる。このような形でのランキングの固定は、長期的には、我が国の技術力を低下させる方向に働くと思う。

 上述したとおり、これほどのデメリットとリスクがあるにもかかわらず、移設検知装置付きの工作機械が売れているのは、わが国大手メーカー製の工作機械に、それだけの競争力があるからだ。しかし、高性能工作機械も、いつかは陳腐化する。円高と相まって、外国製工作機械の相対的競争力も向上するだろう。その際、移設検知装置が、日本の輸出産業にとって足かせとならなければよいが、と思う。

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2010年11月 8日 (月)

MAD石黒

117日、ATRのユビキタスネットワークロボット研究開発運営協議会に出席した。今回私は評価委員という立場で、様々な研究開発成果のデモンストレーションを拝見し、評価したり批判したりするというお仕事だ。聖アンナ大学のPaolo Dario教授や、カタルーニャ工科大学のAlberto Sanfeliu教授も見えたので、バイリンガルの会議だが、もちろん私には、英語はほぼ100%分からない。

各研究は主としてお年寄りの生活を補助するコミュニケーション・ロボットの開発だ。老人大国日本では介護職員が圧倒的に少ない上、認知症の老人の話し相手は同じ話を延々聞かされるので負担が大きい。そこで、例えば人形のようなロボットに自動的に頷かせたり合いの手を入れさせたりすると、それだけでお年寄りは満足することがある。もちろん双方向性の会話が可能なロボットも開発中だが、まだ、人間のレベルにはほど遠いので、ロボットの自律機能では対応できない部分は、人間が遠隔操作をすることになる。法的見地から見ると、人間側のライフログを、どういうルールでロボット側に伝えるか、という点が問題になると感じた。

会議の合間に「MAD石黒」こと石黒浩研究室にお邪魔して、Geminoid-FTelenoid-R1の実物を見学させてもらった。

Geminoid-F先日ご紹介したアンドロイドだが、実物を見ると、「ふるいつきたくなるような」超美人である。石黒教授の説明によれば、ロシア人と日本人のハーフのモデルから型を取ったとのこと。ここまでリアルな美人だと、よからぬ目的で使う研究者も出ませんか?と聞いたら、そういう用途には使用しないと契約書に明記したとの返事だった。なるほど。でも、どういう文言で契約したのだろう?見せてもらえばよかった。

Telenoid-R1は、逆に、子どものお化けのような、手足も個性もない、白塗りのアンドロイドだ。口の悪い研究者は「犬神系」と言っていた。石黒教授によると、お年寄りにだっこさせると、人種国籍を問わず、感情移入をして、しばらくすると手放さなくなるという。

二種類のアンドロイドは、どちらも自律的なコミュニケーション能力を持たない。必要があるときは、人間が楽屋からマイクを通じて話をする。しかし、人間は、これらのアンドロイドが一切話さなくても、話しかけ、感情移入し、満足することができる。その様子を見学させてもらうと、いったい、コミュニケーションとは何なのだろう、と考え込んでしまう。

久々にMAD石黒教授のMADぶりを目の当たりにして、より尊敬の念を強くした一日だった。

Telenoid2_2

Geminoidfrobot_3

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2010年11月 5日 (金)

宇都宮執行部が「附則」にこだわったワケ

昨日のエントリ「宇都宮執行部が考える『給費制』の落としどころとは?」で、「附則と附帯決議の格の上下について教えて下さい」と書いたら、複数の方から教えをいただいた。これらの方々には御礼を申し上げたい。ありがとうございました。

さて、これらの教えにより私が理解したところでは、附帯決議(以下国会のそれを前提にする)は、法律ではなく、憲法・法律上の根拠もなく、慣例に基づいて行われるものだが、憲法原則に基づき、行政府はこれを尊重するべし、とされているものであり、附則とは、法律の一部であり、施行日や関連法令の改廃等の事務的な事項が通常定められるもの、ということのようだ。

これによると、附則の方が、法律の一部である分、法律でさえない附帯決議よりは格が上、ということになる。

しかし、日弁連が考えていた「附則案」は、どう見ても施行日や関連法令の改廃と言った事務的なものではなく、施行日までの立法府の(努力)義務を課したものだから、実質的には「附帯決議」の方がふさわしいようにみえる。

それでも、日弁連が「附則」にこだわったとした理由について、ある方は「最近附帯決議の事実上の拘束力がなくなっているからではないか」と述べ、他の方は、「施行日までに必要な措置がとられない場合、附則にしておけば施行できなくなるというカラクリではないか」と指摘した。このカラクリだったとすれば、前田もと検事風に言うとこの附則案は「時限爆弾」ということになり、日弁連執行部がそこまで考えていたなら、宇都宮執行部に対する評価を多少改めなければならない。

しかし、仮に今回、改正裁判所法の延期が実現したとしても、現実問題として、法制局のチェックもあるし、実質的には附帯決議に他ならない上記「附則案」が、附則として通ったかどうかは、おおいに疑問であるが。

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2010年11月 4日 (木)

宇都宮執行部が考える「給費制」の落としどころとは?

大阪弁護士会の金子武嗣会長は、1030日付会員向けメルマガで、給費制活動の経緯を報告した。こういう情報開示は、とても大切だと思う。

メルマガによると、「最終的な立法案」は、裁判所法施行期日の3年延期、その間に、下記附則を定めるというものだったという。「これであれば、大方の政党の賛同を得られる見込みがありました」とのことだ。

メルマガの文意からは、「最終的な立法案」がどういう意味で「最終」なのかは、よく分からない。おそらく自民党が不賛成を決める直前、という意味だろう。また、「大方の政党」が自民党を含むか否かも分からない。しかし、附則の内容に入る前に反対されたことからして、自民党の承諾は得ていないと見るべきだろう(内々の意見交換はあったかもしれないが)。いずれにせよ、宇都宮執行部は、この案で自民党の同意が取れる、と認識していた可能性はある。

 さて、その附則案は次の通りだが、何とも玉虫色で、意味がよく分からない。理解の助けになるかと思い、平成16年の裁判所法改正(給費制廃止が決まった改正)時の衆法務委員会附帯決議文と比べて色分けしてみたら、もっと玉虫色になってしまった。赤字が違うところで、緑字が同じところである。

(平成22年附則案)

国は、前項に定める裁判所法の一部を改正する法律の施行の日までに経済的事情から法曹への途を断念する事態を招くことのないよう法曹の役割の公共的な性格司法修習の統一、公平及び平等の理念司法修習生に修習専念義務が課されていること等を踏まえるとともに、個々の司法修習生の経済的な状況及び公的支援の必要性等を勘案し、司法修習生に対する給与の支給または修習資金の貸与を含む法曹養成制度に対する財政支援の在り方について見直しを行い、その結果に基づいて必要な法制上の措置その他の措置を講ずるものとする。

(平成16年附帯決議)

政府並びに最高裁判所は、本法の施行に当たり、次の事項について格段の配慮をすべきである。
一 修習資金の額については、法曹の使命の重要性や公共性にかんがみ、高度の専門的能力と職業倫理を備えた法曹を養成する見地から、引き続き、司法修習生が修習に専念することができるよう、必要かつ十分な額を確保すること。
二 修習資金の返還の期限については、返還の負担が法曹としての活動に影響を与えることがないよう、必要かつ十分な期間を確保するとともに、司法修習を終えてから返還を開始するまでに、一定の据置期間を置くこと。
三 給費制の廃止及び貸与制の導入によって、統一・公平・平等という司法修習の理念が損なわれることがないよう、また、経済的事情から法曹への道を断念する事態を招くことのないよう法曹養成制度全体の財政支援の在り方含め関係機関と十分な協議を行うこと。

上記のとおり、宇都宮執行部と、これに同調する政党は、改正裁判所法施行期日の延期とともに、附則の議決を意図していた。すなわち、宇都宮執行部は、当面の戦術目標としては、できる限り長期の施行延期を獲得し、その後、再施行期日までの間に「落としどころ」を探ろうとしており、その足がかりとして、附則の立法を企図していた。タイトな日程の中では、現実的な選択だろう。

問題は、その落としどころが、「給費制の復活」(改正裁判所法の改正前への改正。ややこしいので以下同じ)か、それ以外か、それ以外だとすれば何か、という点だ。もちろん、日弁連が考える落としどころと、政党が考える落としどころが同じとは限らない。いずれにせよ、宇都宮執行部は、附則案を起案し各党内々の了解を取り付ける中で、「落としどころ」を見極めていったに相違ない。

しかし、このように問題提起をしてみて、改めて附則案を読んだところで、何を目指しているのかはやっぱり分からない。まあ当たり前だ。どんな読み方でもできるから、玉虫色というのだ。

ただ、玉虫色であること自体、宇都宮執行部や各政党の目指す着地点が、「給費制の復活」(以下同文)で統一されていなかったことを示している。少なくとも、「貸与制は延期した、次は給費制の復活だ」というほど、甘いものではないようだ。

次に、各政党の思惑が交錯する中で、宇都宮執行部が「落としどころ」として何を考えていたか(いるか)という点はどうだろうか。

まず、「附帯決議」の冒頭と末尾は「政府並びに最高裁判所は…関係機関と十分な協議を行う」となっているのに対して、「附則案」は「国は…必要な法制上の措置その他の措置を講ずる」となっている。これは、裁判所法の再改正(以下同文)を含む立法措置も、「落としどころ」から排除されていないことを意味する。

しかし他方、たとえば、「経済的事情から法曹への途を断念する事態を招くことのないよう」の文脈上の位置づけは、「附則案」と「附帯決議」で同じだが、「司法修習の統一、公平及び平等の理念」の位置づけは、「附則案」の方が後退している。ちなみに統一修習とは、判・検・弁の志望にかかわらず、同じ修習を受けることをいう。平成16年の裁判所改正の折には、裁判官・検察官任官者の貸与金免除が主張され、日弁連は統一修習の理念に反し分離修習を招くとして、強硬に反対した経緯がある。「附則案」ではこの反対意思が、多少後退しているといえる。

また、「附帯決議」には「法曹養成制度全体への財政支援」となっているのに、「附則案」からは「全体」が消え、代わりに「個々の」「司法修習生の経済的な状況及び公的支援の必要性等を勘案し」という文言が入っている。

この「個々の」という文言の挿入は、かなり重要だと思う。

これらの文言比較によれば、宇都宮執行部としては、あくまで給費制の復活(以下同文)を理想に掲げているものの、現実的な「落としどころ」としては、貸与制を施行した上で、判事・検事については任官後の返還義務免除、弁護士については「個々の」事情により、公的業務遂行と引き替えの返還義務免除制度の導入を考えていた(いる)、というのが、私の解釈である。

 なお、「附則」と「附帯決議」の格の上下がどうなっているのかは、私には分からないので考慮していない。知っている方がいたら教えてください。

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2010年11月 2日 (火)

武器輸出三原則と司法

1029日の毎日新聞は、民主党の外交・安全保障調査会が、武器輸出三原則について「時代に合わせた新たな原則を作る」ことを骨子とする提言案をまとめた、と報じた。

最近、武器輸出三原則についての報道が多い。安全保障政策は国政の重要問題だから、国会で多いに議論すればよい。ただ、気になるのは、緩和を求める側も反対する側も、司法との関係について全く触れていないことだ。武器を輸出するのは政府でなく、民間企業なのに。

たとえば、自衛隊の海外派兵を行うのは、政府だ。だから、国会がこれを事前又は事後に監督すべき、という議論はあっても、司法が介入すべき、という議論はあまりない。わが国の司法は、事件性や処分性を要件にしており、政策そのものの是非を抽象的に裁判所で判断する、という仕組みを持っていないからだ。

しかし、武器輸出三原則の緩和や厳格化に直接の利害関係を持つのは、政府でなく、民間企業だ。武器輸出三原則の適用範囲が広がったり狭まったりすることによって、民間企業の輸出できる範囲が変わる。しかも、輸出が禁止される武器の範囲は、どうやら、とても曖昧だ。いうなれば、制度上、官僚の胸三寸であり、不当な処分が発生しうる。

日本には、不当な法律や、不当な処分によって、民間企業が不利益を被った場合は、司法で争う権利が、憲法上保障されている。だから、武器輸出三原則に基づく武器輸出規制処分についても、当然、これを司法で争う機会が保障されていなければならない。自衛隊の海外派兵のような政府内部の問題については、これを監督するのは国会だが、武器輸出三原則のような政府対民間の問題については、これを監督するのは司法である。だから、武器輸出三原則の適用範囲について議論を行うなら、当然、司法によって武器輸出三原則の運用を適切にチェックするにはどうしたらよいか、ということを議論してもらわなければいけない。

しかし民主党の議員・官僚・当該民間企業幹部にさえ、そのような発想は皆無だろう。それどころか、法律家の中にも、そのような発想は無い。言っているのは私くらいだろう。

これが、わが国における司法の地位である。法の支配というなら、こういうところを変えていかなければダメだと思う。

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2010年11月 1日 (月)

漁夫の利?

1031日、ちきりんさんが、「日弁連ってそうなんだ!」とうエントリで「ん日」を紹介してくれた。これを受けて、町村泰貴先生が、ちきりんさんにやや批判的なコメントを寄せた111日午前零時に、池田信夫先生が「司法の劣化」というエントリで「こん日」を紹介してくれた。これらの効果だと思うが、最近5万番台以下だったAmazonのランキングが、111日午前7時現在、何と300番台に急騰した。まことにありがたいことで、これらの方々には、まず心よりお礼を申し上げたい。しかしネットの力というのはすごい。本当にすごい。

“ちきりん”さんは「本の感想を書こうかと思ったけど、興味ある方はちゃんと本を読まれたほうがいい」ということで、要約は無いが、その論は、「こん日」の言おうとしたことの一つを明確に指摘している。

“ちきりん”さんのすごいところは、高度な専門知識と、その専門知識に惑わされない、確かな常識力・直感力を併せ持つ点だ。その確かさは、林真理子を凌駕するかもしれない。

池田信夫先生のエントリは、引用がやや不正確な点に不満があるが、「(問題の)根本には、日本の国家機構に法の支配が欠如しているという問題がある。(中略)問題が起きても、ルールにもとづいて当事者間で解決するシステムの確立していない国で、弁護士だけ増やしたら失業するのは当然だ。」との指摘には、全く同感である。

ただ、池田先生もやや誤解されているようだが、私が「こん日」で言いたかったのは、「左翼」も悪いが、より悪いのは左翼「的」なものの考え方だ、ということだ。この違いはとても重要なのだが、私の筆力不足が誤解を招いている。この点は“ちきりん”さんの指摘と、町村先生の理解の方が正しい、と思う。

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