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2011年1月12日 (水)

著作者人格権の歴史的背景について(3)

このような歴史的経緯によって成立した「譲渡できない」著作者人格権だが、権利を強く保護しすぎた結果、現代社会においては、面倒な問題が発生している。例えば、有名人が自伝をゴーストライターに書かせたいとき、ゴーストライターが後で「作者は私だ」と名乗りでないようにするためには、どうしたらよいのか。あるいは、キャラクターの著作権を譲り受けた者が、そのキャラクターに名前をつけたり、性格付けをしたりすることは、著作者人格権の侵害に当たるのか。事前にどのような予防措置を講じればよいのか。そもそも、予防措置を講じることができるのか、といった問題である。

そこで、現代社会において、実務上は「著作者人格権不行使特約」という条項が用いられている。たとえば、2004年(平成16年)、ライブドアブログの規約が次のように変更されたことが話題になった。

(変更前)

本サービスにて作成されている全てのウェブログについて、当サイトの宣伝を目的として利用者への通知なしに自由に利用することができるものとします。

(変更後)

本サービスにて作成されている全てのコメントおよびトラックバックを含むウェブログについて、弊社は、利用者への通知なしに無償で利用することができるものとし、利用者は、弊社及び弊社の指定する者に対し、著作権等(著作者人格権の行使も含む)を行使しないものとします

ライブドア側としては、ブログの内容を転載する際、内容の要約や多少の改変は不可欠なのに、いちいちブログ主の承諾を取っていたのではやってられない、という事情があるのだろう。しかし、だからといって、法律上「譲渡できない」と明記してあるのに、「放棄」なら許されるという理屈は成り立つのだろうか。

この問題については、いろいろな意見が出た(町村教授の見解と、小倉弁護士の見解を紹介しておく)。私としては、いかに存在意義が薄れたとはいえ、譲渡を禁止している条文が存在している以上、これに真っ向から反するような契約をすることは許されないと思う。「著作者人格権を行使しない」と一言書けば、いかなる場合でも著作者人格権の行使ができないというのは、条文解釈の限界を超えている。たとえば、「著作者人格権の放棄」はできないが、「同一性保持権」の放棄だけなら可能、というなら、ずるいようだが、まだ法解釈の限界内といえるのではないだろうか。

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