まねきTV事件の射程に関するメモ
まねきTV事件の最高裁判所判決の射程に関する評論は百花繚乱だが、私は「受信者からの求めに応じ」というところがポイントではないかと思うのでメモしておきたい。
池田信夫氏は、この最高裁判決によれば、Eメールもウェブサイトも、著作権法違反として規制の対象になり得るのではないか、と指摘しているが、違うと思う。「受信者からの求めに応じ」るのではなく、送信者が主体的に送付する場合は、この判決の射程外だと考える。
確かに、技術的に厳密にいえば、Eメールもウェブサイト閲覧も、受信者がサーバーにアクセスして(=求めて)データを貰っているのだが、法律的規範的にはそう見ないのではないか。
「受信者からの求めに応じ」がポイントではないかと思う理由は、「1対1」の送受信のうち、「受信者からの求めに応じ」てデータが配信される場合を、特に意識しているのではないかと考えるからだ。
いいかえると、「1対1」の送受信のうち、送信者が誰かに映画の著作物を送付する場合は、原則として「公衆送信可能化」に当たらない(他の著作権法違反になり得る点は措く)。しかし、「1対1」の送受信であっても、「受信者の求めに応じ」てデータが送信される場合は、「公衆送信可能化」に当たりうる。なぜ1対1なのに受信側が「公衆」と解釈されるのかというと、そう解釈しなければ、受信者が数珠つなぎになって著作物データが流れていくモデルを規制できないからだ。「公衆送信」の典型である「1対多」という「熊手」モデルだけではなく、「1対1対1対1対…」とか、「1対1対多」という「数珠つなぎモデル」を規制する必要がある、という政策判断を、最高裁判所はしたのではないだろうか。
「1対1」で送信側に主導権がある場合、何を送信するか、誰に送るか、転送を許すかは、いずれも送信者が決めることだ。ところが、受信側に主導権がある場合は、送信側はその著作物がどうなるか、について何も決められない。つまり、受信側が、受信したファイルをどう使うか(転送や公衆送信に使うか)は、もっぱら受信側に任せられている。このような状態に当該著作物を置くことそれ自体が、著作権を侵害する危険のある「公衆送信可能化」として法規制に値すると、最高裁は判断したのではないだろうか。
私は著作権法についての見識は素人同然なので、この記事は見当違いである可能性が高いから、うかつに信用しないよう注意されたい。万が一、この見解が的を射ているとすれば、それはウィニー事件の最高裁判決で証明されるかもしれない。
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