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2011年3月 3日 (木)

河童の『法曹の質低下』論

 河﨑健一郎弁護士の標記論考を読んだ。

 弁護士登録3年目にして、業界的議論の甘えを見切った堂々の論陣。見事である。

 「法曹界の内部では依然として、二回試験不合格率や『昔は良かった』式の感覚論に基づいた『法曹の質の低下』の議論が幅を利かせ、そもそも社会が法曹界に何を求めているのか、それを十分に提供できているのかどうかといった抜本的な議論からは遠ざかる一方である。『法曹の質の低下』を巡る議論の多くは、その背景に法曹人口の増員の是非を巡る大きな政治的な綱引きが横渡っており、無益なポジショントークの消耗戦を延々と続けている」とまで言われた以上、「質の低下」による減員論者の反論を期待したい。

 私は懐古趣味ではないつもりだが、ささやかな指摘をさせていただくと、減員論者を「『昔は良かった』式の感覚論」と切り捨てる手並みは見事なものの、翻って現状に対する評価はどうか。その論拠は、「新制度で法曹となった周囲を見渡せば、人格識見ともに優れ、これはと唸らされる人物の枚挙にいとまがない」だけという、それこそ「『今が良いのだ』『古いゼおっさん』式の感覚論」ではないのかどうか。

 昔がいいのか、今がいいのかという議論は、いつまでも平行線だ。昔にだって、今にだって、いいところと悪いところがある。制度というのは、そういうものだ。だからこそ、「法曹が何を求められているのかという抜本的議論が必要」という結論は、そのとおりだと思う。

問題は、この議論の際、取るべき視点である。ご指摘の「顧客満足度調査」も大事だが、それで足りるのか。

「膨張する一方の知の体系に網目を張り巡らし、必要な時に必要なリソースにアクセスして最適解を導く『コーディネーター』としての資質の必要性が一層高まっている。」というご主張は、原稿字数の関係で端折られたのかもしれないが、新入社員の覚えたての営業トークのようでもあり、心に響いてこない。

 私が考えるに、司法制度を考える視点として最も大切なものは、社会が何を要求しているか、何に満足してくれるか、ではない。自分自身さえ気づいていない(から当然要求もない)うえ、満足どころか口に苦い、しかし本当に必要な何か、それを見極めることだと思う。

 それが何か、というお話はまた今度書きます。すみません。

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