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2011年3月 4日 (金)

蓮舫と司法

蓮舫議員は、司法を忘れていないだろうか。

政府の行政刷新会議32日、いわゆる規制仕分けの対象12項目を決定した。規制緩和の趣旨には賛成だが、死に体と化した民主党政権は、官僚機構の敵ではないだろう。

忘れられているようだが、規制緩和は、本来、司法の仕事だ。国民の代表たる立法府は、必要があれば国民自身の自由を規制する法律を作り、これを行政府が執行する。だが、その執行には間違いもあれば、行き過ぎもあるし、時代に合わなくなることもある。不服な国民は、司法府に訴える。司法府は、行政執行の誤りを正し、場合により、法律の不備を指摘する。立法府はそれを参考に、法律の改訂を行う。立法→執行→是正→立法というループ構造が、憲法の想定する民主主義と三権分立のあり方だ。

ところが現実には、司法府の役割は忘れ去られている。規制立法を作るのは、事実上行政府だ。執行を受ける国民の不服は、議員に向かう。行政府と議員の間に持ちつ持たれつの関係が発生し、利権の温床になる。この関係を通じて行政府は、立法府をコントロールできるから、民主党が「政治主導」の旗を振っても涼しい顔だ。

一方、憲法の定める三権分立方式の良いところは、行政府が司法府をコントロールできないよう制度設計されていることだ。それにもかかわらずこの方式が機能していない最大の理由は、行政訴訟制度の不備にある。だから、立法府が本来なすべきことは、行政訴訟制度を改革して、司法の力を強くすることなのだ。

この改革は権力闘争的にも、立法府に有利である。なぜなら、いま蓮舫議員がやっているような行政府との体力を使うガチンコ勝負は司法府に譲り、高みの見物ができるからだ。そして、空いた時間と労力を使って、行政府が抱え込んでいる既得権益を取り戻せる。

これが、司法制度改革の目的だったはずだ。この目的が忘れられているなら、それこそが司法改革の失敗を意味している。

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