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2011年5月16日 (月)

フクシマの被災者を応援する東京都民が、電気料金値上げに反対するワケ

Chikirinさんは、「福島の原発事故の補償費用をどこから捻出するかという議論において、『電力料金に転するのはおかしい』とか『国民負担が発生するスキームはだめ』的な意見を聞くたびに、『なんでよ?』と思います。」と発言している。東電の資産で賠償金が不足したら、当然国民が負担すべきだし、電気料金も値上げすべきだという。

他電力会社の電気料金についての議論を別にすると、Chikirinさんの意見は正論だ。ただ、この議論の本質は「国民負担の是非」や「電気料金値上げの可否」という結論ではなくて、この結論に至る過程だと思うし、一見反対している論者も、その多くは過程を問題にしているのだと思う。

たしかに、原発政策が国策である以上、その結果について、国民がその責めの一端を負うことは当然だ。「私は原発に終始反対だったから一切責任を負わない」という意見は、民主主義の否定である。

ただ、責任には大小がある。責任の重い人には、重い負担を負ってもらわないといけない。ところが、現実には、重い責任を負うべき人が、強い権力を持っているので、自分だけ知らん顔して、他人に全責任を押しつけたりする。議論もせずに、国民負担を受け入れると、彼らの思うつぼだ。義捐金やボランティアを進んで実行する東京都民が、増税の議論に抵抗する心理は、こういうことだと思う。いいかえると、「国民負担は当然」という正論だけを主張すると、結果として、誰かの責任逃れに協力することになる。

東電管内の電気料金値上げの議論にも、同様の問題がある。電力会社は独占企業だから、電気料金に市場原理は働かず、東電と行政の合意だけで決まる。そのため、東電と行政の負うべき責任が、利用者に転嫁される危険がある。しかも増税と違って、異議申立の制度がない。電気料金値上げに抵抗する理由は、この点にある。

世の中には、結論の適正さを確保することより、過程の適正さを確保することが重要な問題がある。東電問題と増税・電気料金値上げの議論は、その典型だと思う。

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