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2011年5月31日 (火)

理念を語れ

531日の朝日新聞『争論』は、法科大学院制度の要否を巡り、もと法科大学院協会理事長の奥島孝康氏と、中央大法科大学院の安念潤司教授の議論を掲載した。

それぞれの主張を一言でまとめると、奥島氏は司法試験合格者数を年5000人程度まで増やして合格率を上げ、法科大学院の存在価値を高めるべきだと主張し、安念教授は、法科大学院制度など無くても良いと言う。

ネットの世界では、奥島氏の分が悪いようだ。

だが私は、安念教授も、退屈さでは同類だと思う。20年前から全く進化しない議論をして、双方学者として恥ずかしくないのか。

どちらも弁護士増員論者だから支持しない、という狭い了見ではない。増員で結構。大事なのは、弁護士を増やしてどんな司法制度を目指すかだ。奥島氏は、田舎に弁護士を増やすことが目的だと言う。くだらないとは思うが、目的すら語らない安念教授よりマシだ。教授は、増えた弁護士は自由競争にさらせば良いという。しかし自由競争は目的でも理念でもない。語るべきは、自由競争の果てに何を求めるかだ。

日本の司法制度はどうあるべきか。学者なら理念を簡明かつ的確に語れ。それができないなら、憲法の意思を語れ。それすらできないなら、法学者を名乗るな。汝ら最初に淘汰されるべき者なれば也。

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コメント

安念教授には、そのニヒルな安念節(なかなか魅力的かも)
にはリバタリアンの匂いがします。
自由至上主義ですから、「目的」も「理念」も語らない、
それはそれで整合的ではないかという気もします。

奥島氏は、法科大学院協会という組織の立場から発言しているだけで、
「法学者」としての発言ではないと思って読めば腹も立ちませんね。
ただし、そのあまりの脳内妄想ぶりに、当の(法科大学院卒の)教え子たちからもあきれられる事でしょうが。

投稿: 安念ファン | 2011年6月 1日 (水) 18時57分

安念先生の基本的な考えは、「一利をおこすは一害を除くに如かず」ということだと思います。

弁護士になるための参入規制という「一害」について、自らが利害関係を有する法科大学院であっても問題視していることは、高く評価すべきではないでしょうか。

究極の「一利」たる「理念」を語っても、形而上学の争いになるだけで、一歩も前には進みません。

少なくとも、「理念」の立場で安念先生を批判するのは、コーヒーでないことを理由に紅茶を批判するようなものです。

投稿: 安念ファン2号 | 2011年6月 3日 (金) 11時23分

「学者なら」理念を語れ、というのが本エントリの主旨です。理念だけでは無益な空中戦になるというなら、理念から現実解を導いてみせるのも学者の仕事です。現実解だけなら実務家に任せ、辛口で軽妙洒脱な論評だけなら、北野武に任せればよいのです。自分の利害関係を優先しないことは、学者として当然で、特段尊敬に値しません(利害関係を優先する学者が軽蔑されるべきは当然ですが)。何が「利」であり何が「害」であるか。その物差しを示さなければ、学者として失格、というのが私の考えです。

投稿: 小林正啓 | 2011年6月 3日 (金) 11時36分

「おれはコーヒーしか評価しない!」というご主張ですね。「ああそうですか」としか言いようがありません。

>自分の利害関係を優先しないことは、学者として当然で、特段尊敬>に値しません

自分達の既得権益保持しか頭にない弁護士達の醜態を見るにつけ、安念先生の立派さを感じるのです!

学者の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ弁護士の目の中の丸太に気づかないのか不思議ですね。

投稿: 安念ファン2号 | 2011年6月 3日 (金) 21時14分

なぜこのエントリに弁護士の議論が出てくるのか理解できません。仮にご指摘のような弁護士がいるとして、同じ職業であると他職の個人への批判が許されないのかも理解できません。ついでに、コーヒーと紅茶の例えもよく分かりません。一般論としては、不必要なたとえ話は議論を混乱させるだけなのでやめたほうがよいです。

投稿: 小林正啓 | 2011年6月 3日 (金) 22時29分

安念さんの言い分は、規制が駄目。とにかく、規制されないで誰でもスタートラインに立たせる。その上で、弁護士の仕事で食べていけないと考えるのであれば、その職に就くか否かは自分で決める、つまりは、市場に委ねたらいいということにあります。

小林先生は、理念が重要といいますが、人の理念など人それぞれと考えることはしないのですか。リバタリアンの思想を理念とする人がいれば、それはそれで尊重するべきではありませんか。思想のはく奪こそ、悲劇を起こすことは過去の歴史が教えてくれているはずです。しょせん人間のやることは不完全であり、そうであれば、市場で決めようという考えも認められるべきです。小林先生が受け入れることができないだけで、その考えを排斥する必要まではないと思います。


ただ、リバタリアンは、情報の非対称性を是正する必要があると考えています。安念さんは、弁護士も事件の勝訴率、学歴、成績を開示しなければならないと考えているのですかね。それを強調したい弁護士がいれば、情報を開示し、そう考えない弁護士がいれば開示しないという各人の判断に委ねるということでしょう。それにより、消費者にとっても、より弁護士を選択しやすくなると思います。
しかし、安念さんは、自分にすばらしい学歴、経歴があるからこそ、情報を開示したいと考えているのでしょうかね。

投稿: 安念ファン3号 | 2011年6月24日 (金) 21時55分

安念教授がリバタニアリズムを理念として主張するなら、私は一つの理念として尊重し、アダム・スミスが現代に復活したのと同程度の尊敬の念を表明します。ですがこの記事で、安念教授はリバタニアリズムを理念として語っているのですか?

投稿: 小林正啓 | 2011年6月24日 (金) 23時16分

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