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2011年6月24日 (金)

司法の危機

政府は622日、東電事故の賠償を巡る交渉でトラブルが生じた場合、裁判外紛争解決手続(ADR)で対応する方針を固めた、と各紙が報じた。これについて、裁判所や弁護士など、司法関係者から反対の声は聞かれない。

確かに、東電事故の賠償巡る交渉が当事者間で決着しなかった場合、いちいち裁判を起こしていたのでは、東京地裁の庁舎をもう一つ作っても追いつかないほど、多量の事件が発生するだろう。その意味で、ADRは現実的な解決策と言うほかはない。しかしこれは、戦後―というより多分、裁判制度開始以来―最大規模の法的紛争が起きるというのに、裁判所が頼りにならない、という認識が確定したに等しい。この事実に、司法に携わる人間は戦慄しなければならない。これは司法の危機だ。この危機を避ける唯一の方法は、日弁連が音頭を取り、裁判所と協力し合って、予想される訴訟をあらかじめ数十個の類型に分類し、人的経済的資源を集中投与する一方、裁判所の容量不足を補うことだった。だが、私が1ヶ月以上前にこの提案をしたにもかかわらず、日弁連中枢にあっさり無視されたことはすでに述べた。宇都宮会長に代わってからの日弁連と裁判所間の冷戦状態が、本件にマイナスに働いていなければ良いのだが。

弁護士の多数は、なぜこれが司法の危機か、理解できないのだろう。

私は今、「司法にハンディキャップをつけた人たち」という連載で、司法には行政と異なる独自性があると論じている。しかし他方、裁判所が現実に処理する事件の中には、裁判所が後見的にかかわる家事事件や、判例が確立した分野など、行政作用に分類して差し支えない事件類型が多く含まれていることも事実だ。これらの事件類型は、ADRによる簡易迅速な処理になじみやすい。すでに、交通事故の損害賠償請求については、ADRである「交通事故紛争解決センター」の方が、裁判所よりずっと多くの事件を処理している。

だが、簡易迅速な処理が可能であるからといって、本来裁判所で処理されていた次の類型が、続々ADRに移ったら、裁判所はどうなるだろう。

過払い請求ADR
債務整理・個人再生ADR
賃貸借紛争処理センター
債権回収機構
境界確定ADR
建築紛争ADR
ネット紛争解決センター
医療過誤ADR
学校事故ADR
婚姻費用・養育費確定ADR

裁判所に提訴される訴訟件数は、ただでさえ減少傾向にあるのに、一気に三分の一以下になるだろう。続いて裁判官のリストラがはじまる。これは、統治機構における裁判所の地位低下をもたらす。規模の低下は、理屈抜きで、地位の低下に直結することがある。

馬鹿な弁護士たちは、ADRの方が、弁護士費用を早期に回収できるから良いと考えているのだろう。だが、ADRの普及は長い目で見れば、間違いなく、弁護士費用の低廉化と弁護士の地位低下をもたらす。なぜなら弁護士の地位は、司法の権威に直結しているからだ。

 国民にとっても人ごとではない。多くの人は、司法の権威が低下しようがどうなろうが、簡易迅速に救済が受けられれば良いと考えているのだろう。だが、目先の利益追求がもたらす司法の権威の低下は、立憲主義の崩壊を意味する。立憲主義が崩壊したところに、国民の幸福はない。ウソだと思うならルソーとかロックとかに聞いてご覧。

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コメント

 裁判外紛争解決手続(ADR)は専門外ですが、ADRが司法の空洞化をもたらしかねないことは分かります。さらに言えば、共感します。

 他方で、いくつものADRは、それぞれの分野の専門家が、その分野では権利救済のためには、訴訟手続よりもADRの方が相応しいと考えた結果、提唱されたり、実現されたりしており、さらに、終局的には訴訟によって救済されるみちが残されているのではないでしょうか。
 また、行政作用に近似する案件がADRで処理されることによって、司法が同程度の予算を確保しながら、本来的な役割に注力することができれば、司法権は一層強くなれるということは、ないでしょうか。

投稿: なしゅ@東京 | 2011年6月26日 (日) 23時19分

コメントありがとうございます。私も勉強不足ですが、「行政作用的な紛争解決と本来的な司法の役割の分離」という発想は、制度論としては憲法裁判所の創設に結びつくのではないでしょうか。アメリカ型の司法制度を取った日本にADRを創設することは、司法の空洞化そのものではないのでしょうか。
ADR創設の需要は、司法の使い勝手が悪いという国民の不満と一体であり、それに応えなかった司法の怠慢が最も責められるべきことはいうまでもありません。そして、司法の使い勝手が悪いと思っているからこそ、ADRの利用者は、制度的に保障されていても、紛争を裁判所に持って行くことはないのです。裁判所よりADRの方が信頼できると考える国民からすれば、裁判所がADRの上級審になるという考えは幻想に過ぎません。

投稿: NO | 2011年6月27日 (月) 08時04分

以下、まとめきれていないですが、企業におりますと違和感があるので、一言。

先生の論調については、実は、私個人は大意について同意するものです。
が、正論が必ずしも受け入れられるわけではない、というのは、先生の著書にもある通りです。

この記事の論調を、一般市民として読むと、次のような感情に囚われるのです。(以下、言葉が乱暴ですが、ご容赦。)
・そもそも、司法が対応できていないから問題なんだろ。
・その現実的対応策を取ると、司法の崩壊、というオバケで脅すのかい。

法曹人口問題の際に感じたもやもやと、上記の乱暴な感情は、似通っていると思います。

投稿: 場末の手習い | 2011年7月 4日 (月) 01時19分

たくさんのコメントありがとうございます。
「そもそも、司法が対応できていないから問題なんだろ。」というご指摘はまさしくその通りだと思います。その責めの多くは我々が負っています。ただ、対応できていないからといって、パッシングして良いのか、今更司法の危機を叫ぶことが許されないのか、というのは別問題だと思います。例えば、今回のADRは、簡易迅速な救済、という表向きの理由のほかに、責任や原因を明白にしたくないという政府の意図が働いていると考えています。他方、「その現実的対応策を取ると、司法の崩壊、というオバケで脅すのかい。」というご指摘については、「司法の崩壊」はオバケというほど恐れられているのかな?と思います。

投稿: 小林正啓 | 2011年7月 4日 (月) 07時32分

先生、コメントありがとうございます。
「司法の危機を叫ぶことが許されないか」というと、そういうつもりは全くありません。
(前のコメントのとおり、大意について同意するものです。)

ただ、それが「一般受け」するか、という点において疑義があると思っている次第です。司法改革なり、法曹人口問題なり、呼び名はともかく、いずれも国民の支持なく最終的な決着はしないでしょうから、「正しいことは理解される」の態度では問題があり、説得についても論理のほかに感情を加味して行う必要があります。
この点は、理性・論理による説得を生業としている司法三者には、むしろ苦手である点は致し方ないとしても、避けては通れない道であり、なぜならこれらの問題は、まさに「政治」だからだと思います。

また、
〉「司法の崩壊」はオバケというほど恐れられているのかな?と思います。
という点ですが、これは国民側から見て、司法改革において常に日弁連サイドからでた論法を指しています。国民は先生のご指摘のとおり、恐れていません(たとえそれが誤った認識であったとしても、です。)。

何かと言えば司法の崩壊、民主制の崩壊、といった大上段の議論になるので、国民には実感がない、ということに尽きるでしょう。
平和ボケといえばそれまでですが、憲法学習をしていても感じます(ハンドルネームのとおり「手習い」中です。)が、この時代に「立憲主義の崩壊」などど言われてもピンとこないのは、仕方ないと思います。
もはや、時代の流れが議論の説得力を欠く要因となっていると思います。

ですので、結論的には賛成なのですが、議論の説得の方向としては同意できない、といったところです。たとえ論理的に正しくとも、決めるのは民主政の主たる「国民」であり、「法曹三者」ではないのですから。

投稿: 場末の手習い | 2011年7月 4日 (月) 22時50分

私の議論が、一般国民に対する説得力に欠けるというご批判は、重々承知のつもりです。そして、自分自身の文章力を棚に上げるなら、新憲法施行後60年以上経つのに、三権分立の思想を国民に植え付けることのできなかったことが、戦後司法最大の罪である、というのが私の意見です。

投稿: 小林正啓 | 2011年7月 4日 (月) 23時45分

たびたびのコメントにお返事ありがとうございます。

最近になって「手習い」となった身からは、そのギャップが埋まることはないものか、と痛感する次第です。

これからも参考にさせていただきたいと思います。
重ねて、ありがとうございました。

投稿: 場末の手習い | 2011年7月 6日 (水) 01時20分

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