« 司法にハンディキャップをつけた人たち(2) | トップページ | 司法にハンディキャップをつけた人たち(3) »

2011年6月21日 (火)

村上春樹と凡庸さについて

「女の子には、いくつも小さな引き出しがあって、あまり意味のないがらくたがたくさん入っている。そのがらくたを一つ一つ取り出して、ほこりを払い、きれいに拭いて、引き出しに戻してあげる。女の子にもてるというのは、要するにこういうことだと思う」

記憶を優先するためあえて原典にあたらないが(原典はたぶん自宅の本棚にある)、たぶん「鼠」がこう言っていた。当時大学生の私はいたく感銘を受け、これを座右の銘にしようと心に誓った。

村上春樹論を展開する能力も実績もない(『ノルウェイの森』上下巻を出版当日に購入し読了して以来、彼の小説を読んでいない)が、私にとって村上春樹は、凡庸さを拒絶する作家だった。少なくとも、凡庸な人間に寄り添いつつ、自らは非凡であり続けようとする作家だった。あるいは、凡庸なことを、非凡な言葉で語る作家だった。これ以上ないほど凡庸なくせに、非凡な人間になりたいと願う、生意気盛りの大学生だった私が、「もてたい」というとても凡庸な動機にせよ、村上春樹をむさぼり読んだ理由だった。

壁より卵を支持するというスピーチは、凡庸な思想を凡庸な言葉で語るものだった。ただ、壁の前で卵を支持した点で、多少の救いがあった。だが、カタルーニャ国際賞受賞式では、津波にせよ日本人論にせよ原発にせよ、凡庸な思想を凡庸な言葉で語っただけで、それ以上のものは何もなかった。念のため言うと、反原発だから凡庸だというのではない。親原発でも凡庸だったと思う。私が今、村上春樹から聞きたいのは、もっと非凡な話だった。

|

« 司法にハンディキャップをつけた人たち(2) | トップページ | 司法にハンディキャップをつけた人たち(3) »

コメント

オーディナリーピープル(もしくは計算士)がやみくろに襲われる世界と、オーディナリーピープル(もしくは弁護士)が朝のニュースから流れる「今日の放射能情報」をチェックする世界は、どこかで(音の抜かれたエレベーターで?)つながっているはずなのに、なぜハルキはそれを話してくれないのか。というラブレターですよね、これは。

投稿: | 2011年6月21日 (火) 17時19分

 学生当時、異性にモテる友人に「どうしてそんなにモテるのか?」と聞くと、彼は、手元の小説を開いて、「この小説の台詞を、繰り返し繰り返し読み返して暗記して、いざというときに使うんだよ。」と教えてくれました。
 それが、私と村上春樹との出会いでした。

投稿: なしゅ@東京 | 2011年6月21日 (火) 21時27分

コメントありがとうございます。『世界の終わり』大好きです。今でも地下鉄の一番前に乗ると、線路の先にやみくろを探しています。

投稿: 小林正啓 | 2011年6月21日 (火) 21時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/51984270

この記事へのトラックバック一覧です: 村上春樹と凡庸さについて:

« 司法にハンディキャップをつけた人たち(2) | トップページ | 司法にハンディキャップをつけた人たち(3) »