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2011年6月15日 (水)

司法の本質は市民サービスではない。

614日の朝日新聞社説「司法改革10年」は、法曹養成問題が厚い壁に直面しているとして、政府検討会による見直しを期待し、「その際、何より大切なのは市民・利用者の視点」と述べた。社説のトイ面では、過疎地で働いた法テラススタッフの太田晃弘弁護士、ダニエル・フット東大教授、宇都宮健児日弁連会長3者の談話を掲載した。社説も各談話も、法曹人口増加を支持する内容だ。

まずは素直に、他紙が何ら関心を示さない今、司法改革10年目の検証に紙面をさいた朝日新聞に敬意を表したい。

だが、朝日新聞の視点は、根本的なところで誤っていると思う。それは、「何より大切なのは市民・利用者の視点」という社説に端的に表れている。朝日新聞は、司法の本質は市民に対するサービスだと考えているのではないか。そうだとしたら、間違いだ。市民派を標榜する宇都宮会長も、法テラススタッフの太田弁護士も、同じ意味で間違っていると思う。

市民に対するサービスが重要であることは当然だ。民主国家においては、どれほど権力的な公務(たとえば警察や軍隊)であっても、市民サービス抜きには成立しない。だが、だからといって、市民サービスが司法の本質(=何より大切な視点)と考えるのは間違っている。なぜなら、司法の本質であり、司法のあり方を論じる上で何より大切なのは、司法が「統治機構」であることであり、その視点だからだ。

これは私の単独少数説ではない。ウソだと思うなら、憲法の教科書を見てほしい。大概の教科書には、「司法」が「統治機構」の章で記述されている。

実は、ダニエル・フット教授は、とても慎重な言い回しながら、「司法=市民サービス」論に立たないことを示唆している。米国における司法サービス分野の拡大は、統治機構としての司法が日本より遙かに確立した上でのことだ。司法の本丸が極めて脆弱なわが国において、無理にサービスを広げようとすると、天守閣が崩れかねない、と私は危惧する。

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コメント

たしかに「司法」は「統治機構」でしょうが、司法権の行使は「裁判所」の役割であって、「弁護士」の役割ではないのではないでしょうか。

その意味で、裁判所の役割の本質は、市民サービスではないと思います。
しかし弁護士は、司法権を行使するわけではなく、司法権の行使に際して、当事者の立場を代弁するサービスを提供しているといえるので、市民サービスも弁護士業務の本質の一つとみてよいと思いますが、いかがでしょうか。

司法改革すべてを市民サービスの視点で語るのはよくないかもしれませんが、弁護士の養成については、意味がある視点だと思います。

投稿: | 2011年6月22日 (水) 08時47分

コメントありがとうございます。ご指摘の点は、まことにもっともと思います。私自身、弁護士業務に市民サービスの面がないとは思いません。要はバランスの問題だと思いますし、そのバランスの取り方について、意見が分かれるのだと思います。
この問題はもっと議論を深めなければいけないのですが、まずは司法権の中心にいる裁判所の役割を考えるのが先だと思っています。その上でいつか、弁護士の問題に戻りますので、よろしくお付き合い下さい。

投稿: 小林正啓 | 2011年6月22日 (水) 10時03分

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