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2011年6月28日 (火)

司法にハンディキャップをつけた人たち(4)

司法権の独立は、国民主権とある意味で対立し矛盾する原理である。そのため、国民の選任していない裁判官の判断を権威づける仕組みが必要になる。そこで現行憲法とその下の法制度は、国民から信用されるに足る優れた人材を、裁判官として登用する仕組みを整えようとした。身分保障や好待遇、過酷な選抜試験制度は、そのあらわれである。

さて、ここで疑問は最初に戻っていく。

憲法はなぜ、ここまで苦労を重ねて、国民主権と矛盾する原理を司法に持ち込んだのだろう。「司法の独立」それ自体が憲法の目的ではない以上、憲法は、この原理を採用することによって、何を目指したのだろう。

「少数者の人権救済!」

という声が聞こえる。よくできました。確かにそう書いた教科書もあるし、私の時代の受験参考書には判で押したようにそう書いてあった。民主主義は多数派の横暴によって少数者の人権を侵害することがあるから、議会から独立した裁判所が少数者の人権を守る砦となるというわけだ。

だが本当にそうだろうか。いまの私には、少し乱暴な議論に思える。裁判所の独立を保障すれば、なぜ少数派の人権が守られるのだろう。確かに、守られる場合もあるだろう。だが担当裁判官だって、多数派に属する確率が高いはずだ。それに、民主主義が普通に機能している限り、「少数派の人権を違法に侵害する」法律はそう簡単にできるものではない。せいぜい、「少数派に不利な」法律ができる程度だ。その是正は民主主義手続で行うべきであって、裁判所の仕事ではない。また、行政府による人権侵害は、その被害者が少数派だから起きるというわけではない。行政府が誰かの人権を侵害するのは、経験則に照らすと、端的に、その人独特の事情を考慮することが面倒くさいからだ。

この問題については、もう少し考えてみる必要があると思う。

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