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2011年6月29日 (水)

司法にハンディキャップをつけた人たち(5)

「司法権の独立」が実際に問題になった例としては、明治憲法下だが「大津事件」がある。1891年(明治24年)、ロシア皇太子に切りつけた巡査に対し、死刑しか選択刑のない皇族に対する罪の適用を要求した政府に対し、大審院は、この罪は条文上日本の皇族にしか適用がないとして、一般の殺人未遂罪を適用して無期懲役と判決した。結果として巡査の命は助かったわけだが、当時の児島惟謙大審院長の意見書を見ても、巡査の人権に配慮した形跡は一切見られない。また、鎌倉利行弁護士によれば、巡査は心神耗弱として罪一等を減じられるべきであった可能性があるという。そうだとすれば、大審院は重大な誤判を犯したことになる。おそらく、大審院長が死守したのは、巡査の人権ではなく、罪刑法定主義であり、これをおろそかにすれば、日本は国際的に軽蔑されるという政治的確信だった。

戦後に「司法権の独立」が問題になった例としては、「長沼ナイキ訴訟」がある。1969年(昭和44年)、北海道夕張郡長沼町に自衛隊のナイキ地対空ミサイル基地が建築されることになり、現地の保安林指定が解除されたところ、これに反対する住民が、自衛隊は憲法違反だから保安林解除も違法だとして起こした行政訴訟だ(『こん日』36頁ご参照)。

この事件を担当した福島重雄裁判官が、左翼系といわれる団体「青年法律家協会」に所属していたことから、「偏向裁判」との批判が起き、国会は福島裁判官を弾劾するかどうかの検討に入る。また、同裁判官の上司が、判決の内容に干渉するとも取れる文書(平賀書簡)を福島裁判官に渡したことも問題となった。これらの出来事は、いずれも「裁判所の独立」と「裁判官の独立」を脅かすものであり、現行憲法上容認しがたいことは疑いない。

だが、この事件が、本稿で問題にしている疑問、すなわち「司法の独立の目的は少数者の人権保護にあるか?」という疑問についてはどうだろう。この裁判は保安林指定解除に関する行政訴訟であり、形式的には、少数者どころか、誰の人権の問題でもない。実質的にみても、この訴訟の争点は自衛隊(法)が憲法違反であるか否か、という点であって、それ自体が、少数者の人権にかかわるわけでもない。

「自衛隊が憲法違反か否かは、日本の安全保障、ひいては国民の生命という究極の人権にかかわる問題だ!」と思ったあなた、語るに落ちています。その立場に立つなら、この訴訟は国民「全員」の生命にかかわる問題であって、「少数者の人権」の問題ではない。

結局のところ、長沼ナイキ事件で実質的に争点となったのは、原告の主張する、自衛隊(法)は憲法違反であるという「議会少数派」の憲法解釈を取るのか、それとも、被告の主張する自衛隊(法)は合憲であるという「議会多数派の憲法解釈」を取るのか、あるいは「どちらでもない解釈を取るのか」という問題であって、少数者の人権を守るかどうか、という問題ではなかった、というべきだろう。

このように見てくると、「司法権の独立」の目的とするところは、少数者の人権保護ではない、ということが分かる。「司法権の独立」の目的は、何よりまず、憲法と法律を解釈し、具体的な事件に適用する最終的な権限を、裁判所(官)が独占することにある。

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