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2011年7月11日 (月)

給費制と「強い司法」

まだまだ勉強が足りないのだが、時間がないので、給費制に関する私の考えを簡単に書いておきたい。素描に留まるので飛躍もあるが、おいおい補充するゆえ、ご容赦賜りたい。

司法修習生は、その9割以上が弁護士になる。弁護士はいうまでもなく、民間事業者だ。民間事業者を国費丸抱えで養成するわが国の制度を、私はほかに知らない。つまり給費制というのは、とても珍しい制度だ。弁護士は、まずこの点を弁えるべきだ。

給費制は、戦後導入され、64年間維持されてきた。導入当時の弁護士志望者は9割なかったが、それでも相対的に多かったはずだ。しかも国家財政は敗戦で窮乏を極めていた。それにもかかわらず給費制が導入されたのには、深いわけがあるはずだ。

思うに給費制は、「強い司法」を作るという憲法意思の表れであった。「強い司法」を実現するため、すべて法曹は国家が養成する。この断固たる決意表明が、給費制である。

ここに「強い司法」とは「大きい司法」と同義でない。「大きい司法」は「強い司法」の必要条件かもしれないが、十分条件ではない。「強い司法」とは、裁判所が行政府や立法府と拮抗する政治的実力を備えることを意味する。

現行憲法の意思はこうである。明治憲法下の「弱い司法」から脱却させ、権力分立を実効あらしめ、国民の権利保護と健全な民主主義を実現するためには、司法権限の飛躍的強化が必要だ。そこで裁判所に行政裁判権や違憲立法審査権、規則制定権等を賦与し、独立を強く保障し、これを支える法制度の策定を立法府に要請した。これを受け創設されたのが、国費による法曹養成制度である。弁護士をも国費で養成するのは、弁護士が有能でなければ、「強い司法」は実現しないからだ。

これが現在まで続く統一司法修習制度であり、給費制の本質である。

もちろん、「強い司法」が憲法上の要請であるとしても、給費制はそうではない。「強い司法」を実現するのは立法府の義務だが、その手段は給費制に限られない。たとえば仮に、「強い司法」は実現したというのなら、あるいは給費制より優れた「強い司法」実現手段があるなら、給費制をやめてもよい。

しかし、憲法施行後64年経つのに、司法は弱いままだ。そうだとするなら、給費制を支える立法事実は、今なお存在する。

しかも、法曹志望者の極端な減少をはじめとする様々な指標は、司法が今後、さらに弱くなることを示唆している。給費制の廃止が、司法の弱体化に拍車をかけるおそれがあるなら、当分の間続けてみるのも、現実的な解決策の一つだ。

給費制の復活を目指すなら、日弁連は今何をすべきか。給費制が廃止されれば、法曹志望者の減少傾向に拍車がかかると、説得的に主張すべきである。また、法曹志望者の減少傾向に歯止めをかけることが、最優先の政策課題であると論証すべきである。貸与制になれば返済に汲汲として人権活動ができないなどという馬鹿げた主張は頼むから封印してほしい。軽蔑されるだけだ。また、修習専念義務の対価もしくは補償との主張も、給費制の本質に反するから、やめるべきだ。

貸与制の施行は1年延期された。だが、給費制の廃止が決定していること、このまま11月になれば貸与制が施行されることに変わりはない。しかも2004年(平成16年)、日弁連が給費制廃止を容認した歴史的事実は動かせない。だから日弁連には、当時の判断を誤ったと認め、給費制には廃止を許さない価値があると主張・立証する責任がある。

だが、本当に重要なことは、給費制の存続や廃止ではない。戦後の財政窮乏時に、なぜ給費制が導入されたのか。そこに込められた憲法の意思、国家の意思、先達の意思を、確認することだと思う。

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コメント

戦後統一修習になった時点では合計250人程度で過半が裁判官、検察官になっていたはずです。

投稿: 佐藤 | 2011年7月11日 (月) 03時54分

コメントありがとうございます。確かにそう伺いましたが、出典を発見できませんでしたので本文のような表現になりました。そうであるにせよ、当初から「任官原則」の制度でなく、弁護士志望者の割合はその後増加の一途だったにもかかわらず給費制が維持された以上、全体の趣旨には影響ないと考えます。

投稿: 小林正啓 | 2011年7月11日 (月) 06時56分

こんにちは。おっしゃるとおり、給費制の本質が一番大事だと思います。

その点、貸与制移行の法曹志望者減への影響をどのように立証するかがポイントと思われます。
貸与制の法曹志望者減への影響については、2007年の未習者、2008年の既習者の法科大学院の受験者数を分析すると、ある程度見えてくるかもしれません。
彼らはストレートに司法試験に通れば、貸与制導入が予定されていた64期司法修習生になる者たちですから。

ところでよく聞かれる「日弁連は貸与制を賛成していた」という見解ですが、法曹養成検討会第23回会議の議事録によれば、日弁連の川端委員は給費制堅持の少数意見を残しています。

(議事録)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/yousei/dai23/23gijiroku.html

(配布資料「意見の整理」)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/yousei/dai23/23siryou4.pdf

そのため、この点は、正確には「日弁連は貸与制は賛成はしていなかったけれども、当時は積極的な給費制維持のための活動をしなかった」という表現が正しいように思うのですが、この点はどうなのでしょうか。
それとも、日弁連はその後に貸与制を容認する発言を行ったということなのでしょうか。

よろしくお願いいたします。

投稿: 給費制維持活動弁護士 | 2011年7月11日 (月) 11時02分

2004年の経緯については非公開の部分があるので実情は不明ですが、私は、当時裁判所法改正反対票を投じようとしていた民主党に対し、日弁連として賛成票を投じるよう説得し翻意させたと認識しています。また、その後6年間給費制復活に向けた運動を何ら行ってこなかったと認識しています。これらの事実から、「日弁連は給費制廃止を容認した」という記述をしました。

投稿: 小林正啓 | 2011年7月11日 (月) 11時46分

 2004年当時の日弁連の政治への働きかけは、あくまで、給費制存続を求めるものであり、当初2年だった周知期間を6年に延長したこと、衆参法務委員会での附帯決議を得たことは、2004年当時の日弁連の給費制存続運動の成果として理解されるべきであり、この当時の運動の成果なくして、今回の運動もなかったというべきです。
 民主党に対する要請は、この周知期間6年と衆参法務委員会での附帯決議を獲得する手段とみるべきであり、「賛成票を投じるよう説得して翻意させた」という部分のみを切り取って評価することはフェアではないように感じます。

投稿: なしゅ@東京 | 2011年7月12日 (火) 23時40分

 法曹志望者の激減を放置してよいかという問題意識は、法曹養成フォーラムにおいても有識者・政務を含めて一応の理解が得られる可能性はあるといえるでしょう。
 しかし、フォーラムにおいて「強い司法」の実現を目指すべきとまで言ってよいかというと、政務などからの反発は少なくないと思われます。
 小さな司法でよいとする考え方は、民主党にも自民党にも少なくないようですね。

投稿: | 2011年7月12日 (火) 23時46分

ご指摘の通りです。そして最も大事なのは、この国の司法をどうするのか、という国民的議論であると考えます。この国は、なぜここ何十年も低迷が続いているのか、それを立て直すにはどうすれば良いか、という議論の中に、司法を加えるべきだと思います。民主党が唱えた「政治主導」も、問題意識としては同じだったと思います。彼らが失敗した一つの理由は、議員の力だけで官僚を押さえようとしたことにある、とは言えないでしょうか。

投稿: 小林正啓 | 2011年7月13日 (水) 05時38分

なしゅ@東京さん、コメントありがとうございます。ですが、ご主張の解釈が成立するためには、2004年以降、日弁連が継続して(2010年の施行期日に照準を合わせて)給費制維持の運動をしていなければならない、というのが私の考えです。もちろん、お定まりの会長声明程度では運動したとは言えません。平たく言い換えれば、宇都宮会長にならなければ、日弁連はここまでの運動はしなかったでしょう。そうだとするなら、それ以前の歴代執行部は、本気で給費制を復活させる気が無かったと言わざるを得ません。また、日弁連内部の認識としてご指摘の通りであるとしても、民主党にしてみれば、6年前に賛成票を投じるように言ってきたくせに何だ、と思われて当然だと思います(実際そう言って怒っている議員がいたと側聞しています)。

投稿: 小林正啓 | 2011年7月13日 (水) 05時40分

論旨、拝見いたしました。
目的は強き司法、手段の一つとしての給費制の見解、これまでの筋道についての理解としては、同意するところが大です。

ですが、それが論理的に給費制の「維持」とはつながらない、現状維持の消極的理由にすぎないと思料します。

この点、
〉弁護士をも国費で養成するのは、弁護士が有能でなければ、「強い司法」は実現しないからだ
〉給費制より優れた「強い司法」実現手段があるなら、給費制をやめてもよい
〉しかし、憲法施行後64年経つのに、司法は弱いままだ。そうだとするなら、給費制を支える立法事実は、今なお存在する。
と記事にある点について、疑問があります。

まず、国費養成でなければ、なぜ、有能な弁護士が輩出できないのでしょうか?費用と能力については、相関しないものと思います。また、能力面については、そもそも司法試験というフィルターのもとに一定の能力保証(保障?)があるので、その後の司法修習についての費用の多寡は影響しないはずです。
費用の多寡が志願者数に影響する、ということであっても、(合格水準を維持する限り)極端にいえば倍率1を下回らない限り、影響しないこととなります。合格水準を維持しないのであれば、それはそもそも試験のありようとして、先生の理解する法曹養成とは異なる試験となるので国費養成の意味を失い、結局国費養成の根拠足りえないものと思います。

実現手段については、給費制以外にも奨学金、貸与制で返済年限長期化等の代替手段があると思います。なぜ、給費制が唯一無二の手段なのか、の検証を要すると思います。

立法事実については、現在も存在するとの趣旨は理解しますが、戦後間もなくの状況と比較し、「いまだに弱い司法だ」との点について、検証が必要と思います。立法事実の存在はあっても、その「強度」においては、相対的に司法の強化がされていることも事実だと思いますので、給費制レベルの「強度な」制度が必要であるか、検討すべきです。

私は、現時点で「手習い」の状況にありますので、将来において制度の受益者になりたい(なれるといいなぁ)と思っている利害関係者ですが、貸与制を行うべきと考えています。
先生の記事にある「これまでの筋道についての理解」には同意するものの、給費制を維持すべきほど「弱き司法」ではないと考えるためです。
さらには、導入予定であった貸与制の制度を検証しても、それが負担になる程の水準ではないと考えられるレベルにあるからです。

余談ですが、弁護士が金策に走って、人権擁護ができるのか、といった論調は、(先生は取るべきでないとされているとおり)本当の苦しみを理解できない司法に人権擁護ができるのか、との問いを発したいと思って聞いています。

投稿: 場末の手習い | 2011年7月13日 (水) 14時15分

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