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2011年8月 8日 (月)

統一修習と給費制のあけぼの(3)

司法修習制度を定める裁判所法は、昭和22年(1947年)53日に施行された。日本国憲法の施行日である。416日公布後2週間というスピード施行は、言うまでもなく、日本国憲法と同時であることに意味があったからだ。

GHQ民政局として法改正に携わったA.C.オプラーによれば、新憲法に適合しない他の法律は応急処置としての臨時法案で対処できるとしても、「司法組織に関する憲法条項の実行には、明らかに有効ではなかった」から、裁判所法案については、憲法公布から施行までの半年間に可決されなければならなかったし、実際に可決された。「これは、私たちが日本人を加えた公式会議の方法に訴えた最初の法典化作業であった」という(『日本占領と法制改革66頁)。

GHQ民政局にとって、裁判所法はそれ自体が「憲法条項の実行」つまり憲法の附属法であって憲法理念の実現であり、つまるところ憲法の一部なのだから、憲法と同時に施行されなければならなかったのだ。

法律案を策定するには、まず「法案要綱」を作成して改正のポイントを押さえ、要綱の確定を経て法律案を練る。裁判所法案は「第7次法案要綱」と「第11次法案」まで作成され、GHQの了承と国会審議を経て成立した。

終戦後の司法制度改革の経過』(内藤頼博)によれば、司法修習に関する定めは、昭和21年(1946年)87日の司法制度審議会第11回第一小委員会に提出された、「裁判所法改正第三次要綱案」が初出である。そこには、「試補の制度」として、

(イ)司法官試補及び弁護士試補の別を廃して、司法修習生(仮称)とする。

(ロ)試補の実務の修習及び考試は最高裁判所の長官の定めるところによるものとすること。

とある。給費に関する条項はない。

 これが、統一修習制度に関する最初の記録である。そして、多少の修正を経つつも、統一修習制度自体は維持され、成案に至った。議事録を見ても、統一修習の是非それ自体に関する議論は、一切ない。これは、弁護士会にとって統一修習が悲願であり、戦前に実現しようとしてできなかったことからすれば、驚くべき変化である。

統一修習は、なぜ、一切の異論なく採用されたのだろうか。

「saibanshohouann.xlsx」をダウンロード←(参考資料)裁判所法案策定経過

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