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2011年8月18日 (木)

法科大学院問題に関する二弁提言について

前回のエントリのついでに、標記提言について、もう少し詳しくご紹介する。なお、全体の流れの中での二弁提言の位置づけについては、拙著『こんな日弁連に誰がした?』をご参照されたい(以下、太字は筆者)。

さて、この提言は、1999年(平成11年)1021日付、「第二東京弁護士会」名義でなされた提言であり、「当会の多数意見を集約し」たものであるという。

提言の内容は多岐にわたるが、骨子としては、「日本の司法を真に国民主権に根ざした市民の司法に転換し『法の支配』が貫徹する社会を実現するために、現在の法曹養成制度は抜本的改正を必要とする」として、「法曹一元制を実現するためには、法曹の…量の拡大が必要であるし、法曹養成制度の運営主体が司法官僚であってはならない」からとして、法科大学院制度の設立と、司法修習制度の廃止を提言している。法科大学院制度については、修学年限23年、法学部は存置、定員は当面2000人、合格率目標80%を想定している。一方司法研修所については、「最高裁判所が…その理想とする法曹像の再生産を行う場」であって、「弁護士さえも、その未だに未熟な出発点において裁判所組織の中に組み込んで、要件事実に従った判決書の作成など現在の裁判所実務の判断枠組みを教え込み、それに同化させる制度として機能してしまった」と総括し、官僚による法曹養成は法曹一元と矛盾するものであって、「法曹一元の下では、弁護士会による弁護士養成を唯一のシステムとするべきである」という。また、この場合の問題点として、「法科大学院と法曹一元がワンセットで実現しなかった場合、裁判官は最高裁判所の用意する枠の中で純粋培養される危険が残る」ので、「法曹一元制を法科大学院構想の前提として条件付けることで対応するべきである」と結んでいる。勿体ぶった表現だが、要は、「法曹一元制にするのでなければ、法科大学院は設立すべきでない」という意味だと思う。

これに対する司法研修所民事弁護教官12名連名による111日付の意見書も多岐にわたるが、まとめると、弁護士会が関与して過去半世紀にわたって行ってきた司法修習の成果や統一修習の意義を全面的に否定して「かかるドラスティックな提言をするについては、果たして従来の制度を十分に調査・研究し、正しくこれを分析・評価しているかどうかが厳しく問われなければならない。」「また、(弁護士会)自らがいわば運営主体としてかかわることが想定されているその代替的な法曹養成制度の提案が、真に実現可能なものかどうか、またそのために解決すべき様々な問題点がどのようなところにあるのかという制度的基盤を考える前提作業」が不可欠であるにもかかわらず、「『二弁提言』は、司法制度改革審議会などでの議論に乗り遅れまいとするあまり、この点の十分な検証を欠き、司法研修所でこれまで行われてきた実務教育の意義や役割を、極めて不十分な論拠で否定し去ろうとするものであり、将来の法曹養成制度をどのようなものとして構築するかを今後議論するにあたって、その障害となりかねない」と危惧を表明している。その後、司法研修所で行われている実務教育の長所について個別に主張した後、「私たちは、現在の司法研修所における実務教育を最善のものとして墨守しようとするものではない。…しかし、(将来司法研修制度を大幅に変更する)場合でも、これまでの法曹養成制度について、積極消極双方の評価分析を冷静に行ったうえで、司法研修所の担ってきた積極的な役割・機能をどこにどのように承継させていくのか、また、仮に『法科大学院』といったものを構想するとしても、…必要な人的・物的・財政的基盤を具体的にどのように確保して、法曹に基本的に要求される質を落とさない形で、多様な法的ニーズに対応し得る法律実務家をいかにして養成していくのか、といった様々な課題について、現実的視点に立って、英知を集めて検討していく必要がある」とまとめ、最後に、「私たちは、残念ながら、『二弁提言』における司法研修所廃止論とその論拠は、現在の司法研修所における実務教育の実情を正しく理解・評価せず、その積極的意義を無視した、あまりに独善的で偏狭な議論であると考えるものであり、これが現在の司法修習制度の一端を担っている弁護士会の公式意見として発表されたことの重大性に照らすと」看過できない、という激烈な文言で終わっている。

これに対して、二弁の山岸良太副会長(当時)が「二弁提言の根底にあるもの―民弁教官の意見書を読んで―」という意見書を寄せ、「司法研修所が果たしてきた歴史的意義や現在における役割については十分承知しており、かつ、訴訟実務教育が法曹養成に不可欠であることは十分認識している」としつつ、「統一修習の名のもと官による国費の養成制度に安住し、弁護士側の負担としては、民弁教官や刑弁教官の献身的な自己犠牲に依存するばかりという状況を是認し続けるのでは、法曹一元を真に目指す方向性と言うことは出来ない」「この意味からも、弁護士側からの決意表明として、司法研修所(を廃止して、これ)にかわり研修弁護士制度を提言せざるを得ない」とし、上記提言の後である1999123日に開催された法曹養成シンポジウムでも、太田誠一議員、宮沢節生・新堂幸司・長谷部恭男各教授らによる賛同の意見があったと結んでいる。

以上が、いわゆる「二弁提言」と、これに対する司法研修所民弁教官の反論、二弁副会長の再反論の要約である。客観的記述を旨としたが、興味がある方は是非原典に当たってほしい。ジュリスト1172号に掲載されている。

私の知る限り、二弁はこの提言を公式には撤回していないはずである。したがって、法科大学院制度の支持はもちろん、司法研修所廃止も二弁の公式見解となるし、スジとしては給費制廃止になる筈だ。

民弁教官の意見書ではないが、上記のごとき提言をした以上、二弁は最低でも、次の疑問に答える責任がある。第一に、「法曹一元制を法科大学院構想の前提として条件付けることで対応」できなかった結果、法曹一元は実現せずに法科大学院制度が実現してしまったことをどう考えるのか。

第二に、「法科大学院制度が真に実現可能か」、「必要な人的・物的・財政的基盤を具体的にどのように確保」するのか。裁判官や検察官の教員を迎え、しかしその大半が学者であり、その経営を国費補助に頼る法科大学院の現状が、「弁護士会による法曹養成」といえるのか。大宮法科大学院大学の末路を踏まえ、その見解を明らかにする責任があろう。

また、二弁の会員弁護士に申し上げたい。もちろん、個人の見解と会の見解は別でもよい。しかし、二弁の看板を事実上背負って発言するなら(例えば、「自由と正義」の特集記事になぜか二弁の弁護士だけが論考を載せるような場合には)、会としての公式見解との関係を明らかにして貰わないと、話が混乱する。

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コメント

『こんな日弁連に誰がした?』は大変勉強になりました。

司法制度(なかんずく法曹人口)の問題は、なるようにしかならないと諦めていますが、どうにも我慢ならないのは、弁護士会のごく一部の連中が、自らの個人的な政治的信条の表明に弁護士会の名前を使おうとする姿勢です。

意見表明したければ勝手にすればいい。ただし、名義は個人ないし私的グループにするべきで、決して弁護士会を名乗らないでもらいたい。強制加入団体である弁護士会においては、国家と同程度に、精神的自由が保障されなければなりません。団体の存続に必要不可欠でない限り、一部の構成員の思想信条が当該団体を代表するものと扱われてはならないと思います。

投稿: ねどべど | 2011年8月24日 (水) 02時44分

いつも興味深く拝見しております。
二弁が提言していた内容に驚愕致しました。

当時における現状認識,戦略・戦術的な観点からも
オツムが足りなさすぎると考えざるを得ません。
弁護士のレベルに達していませんね。

スタート地点でこういう大きな間違いを犯したから,
現在の誰のためにもならない「改革」が推進されているのですね。

提言をされた当の本人達が,問題が顕在化した現在においても
現実を直視せず,
懲りずにうわ言のように同じ主張を繰り返している姿を見ると,
怒りを抑えることができません。

投稿: 匿名弁護士(東京) | 2011年9月 4日 (日) 21時56分

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