« 統一修習と給費制のあけぼの(2) | トップページ | 統一修習と給費制のあけぼの(3) »

2011年8月 7日 (日)

日本は「老楽国家」を目指せるのか?

吉本隆明氏(85歳)は、85日の日経インタビュー記事でこう述べた。「(戦中の)東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。…空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没してなくなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。」

6日付日経寄稿記事で、野坂昭如氏(79歳)はこう述べた。「(戦後、空襲の焼跡で)人々はある意味、晴れやかな表情で、てきぱき過ごしていたように思う。…いっそあっけらかんと明るい印象だった。この度は違う。先が見えず、立ち尽くすしかない。」

戦争の焼け跡を実体験した二人の知の巨人が、奇しくも、全く同じ言葉で現在との対比を語った。

佐野眞一氏(62歳)は、『津波と原発』の末尾にこう記している。「私たち日本人があの焦土から立ち直れたのは、そして原子力を経済発展のダイナモとして多くの人びとが迎え入れることができたのは、まだ日本が若かったからである。」

今回の大震災や原発事故が「第二の敗戦」といわれて久しいが、決定的な違いは、「第一の敗戦のときほど、日本は若くない」ということらしい。少なくとも確かなことは、その認識が日本中で共有されつつあることだ。

ではどうすれば良いのか。『日本経済が何をやってもダメな本当の理由』(櫨浩一氏 54歳)によれば、20年も続いた「低迷」を「低迷」とは言わないのであり、低迷前の物差しや計算で解決策を導いてはいけない、とのことだそうだ(87日付け日経書評より)。

それならば、新しい物差しは何だろう。浜矩子氏(57歳)は、日本は老いたことを認めるべきであり、インドや中国といった「若い国」と競争しても無駄で、これからは、イギリスやイタリアを見習って「老楽(おいらく)国家を目指せばいいと思う」と説く(87日毎日新聞)。

この提案をどう思われるだろうか。

私には、異論がある。「目指す」のは結構だが、「目指せる」こととは別問題だ。イギリスやイタリアが老楽国家であるとすれば、それは莫大な資産に恵まれているからであり、いざとなれば自給自足が可能だからだ。わが国にそれほどの国富や資源があるのか。なければ、老国ニッポンに待っているのは、「老楽」ではなく、少ない貯金を奪い合い、体力を失ってのたれ死ぬ未来だ。もちろん、病んで倒れた老人を介護するほど国際社会は甘くない。

浜矩子氏の意見にはもう一つ異論がある。インドや中国を「若い国」と言い切っている点だ。言うまでもなく、二国の歴史は、日本より遙かに長い。そして100年ほど前、老いたこの2国は、体力の有り余っていた西欧諸国に蹂躙され、骨の髄まで略奪された。中国は最後に、当時の「青年」ニッポンにも蹂躙され、その後内戦や文化大革命という苦難を経て、経済的には生まれ変わり、赤ん坊から再出発したのだ。インドや中国が現在「若い国」であるとすれば、それはかつて、「老楽国家」になれず、のたれ死んだ過去があるからだ。

もとより、浜矩子氏ほどの知性が、私ごときの異論を考慮していないはずはない。それにもかかわらず、あっけらかんと「老楽」などと唱えるのは、もしかして、ヤケクソなのだろうか?

注;括弧内の年齢は誕生日経過後の年齢であり、現在の実年齢と異なる可能性があります。

|

« 統一修習と給費制のあけぼの(2) | トップページ | 統一修習と給費制のあけぼの(3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/192469/52413958

この記事へのトラックバック一覧です: 日本は「老楽国家」を目指せるのか?:

« 統一修習と給費制のあけぼの(2) | トップページ | 統一修習と給費制のあけぼの(3) »