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2011年8月31日 (水)

統一修習と給費制のあけぼの(9)

ところで、敗戦後の日本司法界において、法曹一元論が急に盛り上がったのは、GHQが法曹一元の導入準備を日本政府に指示したからだ。それならば、GHQは、どれほど本気で法曹一元を導入しようとしたのだろう。

確かに、前エントリで指摘したとおり、敗戦のわずか3ヶ月後には、GHQから日本政府に対し、法曹一元の導入準備が指示されている。また、現在に残る文書としては、昭和21年(1946年)3月、GHQ民間情報部保安課法律班のマニスカルコ大尉から司法省に示された試案にも、法曹一元の採用が明記されている。

これらを見ると、GHQはかなり本気で、日本に法曹一元を導入しようとしていたようにも見える。

しかし他方、昭和21213日に日本政府に公布されたGHQの憲法草案、いわゆるマッカーサー草案には、法曹一元は定められていない。下級裁判所裁判官の任命方法については、「下級裁判所ノ判事ハ各欠員ニ付最高法院ノ指名スル少クトモ二人以上ノ候補者ノ氏名ヲ包含スル表ノ中ヨリ内閣之ヲ任命スヘシ」(72条)とあり、憲法801項とほぼ同内容であるが、文言上、判事は「最高裁判所の作成した名簿に基づき」「内閣が任命する」となっており、「最高裁判所の作成した名簿」に載せる候補者を主として弁護士に限る(=法曹一元)とは、どこにも書いていない。法曹一元を導入するか否かは、裁判所法に委ねられていた。これらの事実は、GHQ自身、法曹一元導入の意欲は持っていても、わが国の実情にてらし適切かという判断については、慎重だったことを窺わせる。

A.C.オプラー著『日本占領と法制改革』にも興味深い記述がある。オプラーが日本に着任した昭和21年(1946年)2月の後、「憲法草案の変更がまだ可能だった頃」に、GHQ民政局次長のケーディスは、裁判官選挙制の導入を考えていたという。その被選挙資格は不明だが、実際問題として弁護士や法学者に限定されるだろうから、この裁判官選挙制は、法曹一元を意味する。

これに対して、ドイツ裁判官の経歴を持つオプラーは、「断固としてそれに反対した」という。それは、「政党の未熟なこの国で司法を政党政治の騒動に巻き込むことは悲惨な結果をもたらすと確信していた」からだ。この問題を重視したGHQのホイットニー准将は、民政局全体にこの議題を諮り、オプラーは反対の意見を述べたものの、オプラー以外の全員が、裁判官選挙制の導入に賛成票を投じたという。しかし、それにもかかわらず、裁判官選挙制度は、GHQの憲法草案に記載されなかった。

オプラーはこの逸話を、自分がいかにケーディスに信頼されていたかを示すものとして語っているが、GHQがオプラーの見解だけで裁判官選挙制度の導入を断念したとは思われない。GHQとしては、米国の制度を理想としつつも、日本の法制史や民主主義の成熟度をかなり正確に分析し、異質な法制度の押しつけにならないよう、かなり気を配ったと思われる。

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