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2011年8月24日 (水)

統一修習と給費制のあけぼの(6)

戦後法曹養成制度が統一修習を採用したのは、弁護士会と司法省の妥協の産物ではなく、裁判所と弁護士会が共闘して司法官僚と闘った結果である。

だが、裁判所はなぜ、法曹一元につながりうる統一修習制度の採用をOKしたのか。裁判所にとって、法曹一元は絶対に受け入れられなかったと『こん日』にも書いてあるではないか、と思った読者もおられよう。

この点については、少し解説が必要かもしれない。

法曹一元は、判事の任命方法に関する制度だ。判事の任命方法に関して、憲法801項は、最高裁判所の作成した名簿の中から、内閣が任命すると定めた。すなわち、判事を新たに任命するためには、最高裁判所が候補者名簿を内閣に提出し、内閣がその中から選ぶ。候補者以外の判事は選べないし、名簿が気に入らないと突き返すこともできない。文言上は、最高裁判所は定員ぴったりの名簿を作成すれば、内閣の任命権を事実上剥奪することだってできる。実際には、定員プラス1名の名簿が作成されており、しかもその1名には鉛筆で印が付けてあって、内閣はその1名以外を任命する慣例になっているそうだが。

つまり、憲法上、判事の最終的な任命権者は内閣だが、内閣の任命権は、最高裁判所の作成した名簿の範囲に限られている。これが、わが憲法の三権分立におけるバランスの取り方だ。

言い換えるとこうである。憲法は、組織としての司法権の独立を、強く保障した。組織の独立とは、組織内規則制定権、予算編成権、所属建物の独立であり、そして、人事権の独立である。この人事権は当然に採用人事を含む。そして憲法は、判事の採用人事権を、形式的には内閣に与えつつ、実質的には最高裁判所に賦与したのだ。つまり、判事候補者の名簿作成権は、憲法が保障する司法権の独立の一内容、ということになる。

このことは、われわれ法律家が持つ憲法学の常識にてらすと、ちょっと面白い論点を提起する。それは、名簿作成権が憲法上保障された最高裁判所の権利であるとするなら、法律によってそれを制限できるのか?という論点だ。実際のところ、裁判所法40条から43条は、名簿の作成について定めているから、最高裁判所はこの定めに反する者を判事候補者に指名することができない。これは、最高裁判所の権限を立法によって制限することだから、司法権の独立を侵し、憲法違反となるのだろうか?

もちろん、憲法違反ではない。その理由は、実も蓋もないが、「最高裁判所が納得しているから」という点に求めるほかない。逆に言えば、最高裁判所が反対しているのに、裁判所法を改正して、判事候補者名簿搭載者の資格を制限することは、司法権の独立を侵し、憲法違反になる可能性がある。

GHQが憲法施行日と同時に施行するよう、裁判所法の制定を急いだ理由もここにある。憲法が施行されてしまえば、いかにGHQといえども、国会の決定に逆らえない。GHQは、国会の「反動勢力」によって裁判所法が制定され、憲法の定める司法権の独立が骨抜きにされることをおそれたのだ。

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