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2011年8月12日 (金)

統一修習と給費制のあけぼの(5)

明治憲法下、司法権の独立は、大津事件を始めとする裁判所の努力によって、それなりに守られてきた。しかし、裁判所は司法省の監督下にあり、司法行政権や裁判官の人事権、予算に関する権限は司法省が有し、司法省の幹部は検事の独壇場であった。そのため検事は、裁判所における職制上は判事の下であっても、人事権や司法行政権を通じて裁判所に影響力を行使することができた。裁判官が無罪判決を出すことは、検事の怒りを買うことでもあった。『最高裁物語』(山本祐司)には、「裁判官の地位を高めて、誰からも干渉されない『司法(裁判)の独立』の理念は、裁判官にとっては長い間の悲願だった」とある(『こん日』62頁)。

GHQ民政局のA.C.オプラーも、来日早々細野長良大審院長と会談し、「細野氏が純真で、ほとんど怒りを露わにした情熱をもって司法の行政府からの独立を主張した」と記している。

実は、昭和3年(1928年)、裁判所から検事局を分離する法改正が試みられたことがある。このときは、裁判所法案と検察庁法案が作成され枢密院諮詢の運びまで行ったが、行政庁に属する検察機関の組織を法律によって定めることは明治憲法10条の官制大権を侵害するのではないかと疑義が出て、頓挫することになった。もちろん、裁判所の独立を阻止せんとする司法省が動いたことに間違いはあるまい。

司法省からの独立を悲願とする裁判所にとって、敗戦により憲法が大改正され、司法権の独立が明記されることは、またとない好機に見えたはずである。内藤頼博『その頃―戦後司法改革当時の思い出』(自由と正義37巻8号)には、「裁判官を行政の下流に措かないためには、大審院長を天皇直属にして、全国の裁判所を監督させるほかないという考えは、従来から大審院を中心に日本の裁判官の中にもあった。憲法改正草案要綱が裁判所関係の方面で歓迎されたことはいうまでもない」とある。果たして昭和20年(194511月に設置された司法制度改革審議会では、「裁判所と検事局の分離及び司法省の廃止」が、第一の議題とされた。

一方司法省としては、組織存亡の危機だ。司法権の独立は、法制度上、①人事権の独立、②予算編成権の独立、③司法行政権(規則制定権を含む)の独立を意味するが、司法省は、あらゆる点で抵抗した。予算については、日本側の協議では最終的に司法省の管轄とすることに成功するが、昭和21年(1946年)12月、GHQの指示により逆転し、裁判所予算の分離が決まった。

人事は当然、採用人事と新人教育を含む。裁判所は司法官試補の採用と修習は最高裁判所の管轄であるべきと主張し、司法省は徹底して反対した。もともと司法省の所管とされていた司法官試補の修習及び考試は、「第三次裁判所法改正案要綱」において最高裁判所の管轄と提案されたが、昭和21年(1946年)88日の司法法制審議会第12回第一小委員会において、108の多数決により司法大臣の所管と修正された。しかし、昭和21年(1946年)814日の司法法制審議会第6回総会では、41人中21人の賛成により、最高裁判所の所管にすると再修正される。その後、昭和21年(1946年)1023日の臨時法制調査会第3回総会の第2日において、司法省の意を体した原夫次郎古島義英衆議院議員らが、司法大臣の所管とする修正案を提案し強硬に意見を述べたが否決され、最高裁判所の所管とすることで確定した。

以上から確実にいえることは、試補の研修を司法省の管轄とするか、最高裁判所の管轄とするかは、司法法制審議会おいて1票を争う、勢力拮抗した争点だった、ということだ。そうだとするなら、試補研修の管轄を是非とも獲得したい裁判所としては、統一修習制度を採用することにより、弁護士委員の賛成票を得ようとした、との推論は、十分成り立つと思う。一方、法曹一元を悲願とする弁護士会としては、統一修習は当然の前提である。また、司法省からの独立を最大目標の一つとしていた弁護士会の立場からすれば、統一修習を足がかりに独立を勝ち取りたい。

すなわち、統一修習制度の採用は、これを法曹一元の前提とする弁護士会と、人事権の独立を勝ち取りたい裁判所の思惑が一致し、「打倒司法省」で共闘した結果ではないか、というのが、私の推測である。根拠資料が乏しいので推測と断らざるを得ないが、たぶん間違いない。

余談になるが、以上の経緯で策定された裁判所法の第一次案では、修習生の採用試験(司法試験)も最高裁判所の管轄になっているが、第二次案では、「高等文官司法科試験」に戻り、第四次案では、「政令に定める試験」と修正され、最終的には「司法試験」となり、この司法試験は、司法省が廃止された後に設立された法務省の管轄となった。つまり敗戦と新憲法成立を背景に、裁判所が「試補の考試と修習」の管轄を司法省から奪い、このうち「考試」だけを法務省が奪い返したのである。記憶をたどれば、われわれは確かに、司法修習生の採用通知は、最高裁判所からもらったが、司法試験の願書は、法務省宛に郵送した。その背景に、こんな血みどろの権限争いがあったのだ。権限に対する官僚の執着恐るべし、である。

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