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2011年9月30日 (金)

東日本大震災から日本のロボット産業を考える

先日、RooBoの定例会から講演の機会をいただいた。標記の大層な題目だが、25分なので、ポイントだけの話である。この問題についての過去エントリはこちら(6月257月15)。

東日本大震災、とりわけ原発事故では、日本のロボットは大いに評判を落とした。はじめこそ、「日本製災害ロボット出番間近 技術力は欧米並み」と期待されたが、「レスキューロボ待機続く 行政受入余裕なく」(319日産経新聞)とトーンダウンし、515日には、痺れを切らした日経に「緊急時に役に立たない防災ロボットなら開発するだけ無駄」と書かれる始末。624日にようやく投入された千葉工業大学のQuinceも、同日、78日、26日のミッションを失敗した。一方、米軍御用達iRobot社製のロボットWarriorは、現場の思いつきで掃除機をテープでくくりつけられても、のしのし働いて成果を出している。

だが、悪いことばかりではない。最大の収穫は、課題が明確になったことだ。「修羅場に強い国産ロボを」(523日日経)や、「実績不足。実戦を経験していない(624日日刊工業新聞)と指摘され、実戦経験の重要性が認識された。一方研究者は「マーケットサイズがネック(510田所諭教授)」「事故発生率が低いハイリスク対応が必要(510日浅間一教授)」「誰でも操作できるロボットが本当に使えるロボットと痛感(97日吉田和哉教授)」と、レスキューロボットに実戦経験させるための問題点を明確に認識するに至っている。

要するに、地震や津波と行った大規模自然災害は、「発生率が低いハイリスク」、つまり滅多に起きないが起きたら大変、というタイプの事象なので、日本一国では実戦のフィールドとして狭すぎる。最低でもアジア・オセアニア程度は活動範囲に含めなければならない。また、熟練した操縦者や研究者をロボットとともに災害現場に投入できるとは限らないのだから、誰でも操作できるロボットをはじめから開発しなければ、役に立たないのである。

ここまで課題が明確になれば、法律家としても、何を考えれば良いかが見えてくる。それは第一に、マーケットサイズを大きくする場合の法的問題点であり、第二に、素人がロボットを操縦して問題が起きたときの法的リスクの見極めだと思う。

第一の点は、さらに、日本に災害支援ロボットを常備して、災害発生後48時間以内にアジア・オセアニア中の災害現場に投入できる体勢を造る、という問題と、はじめから国外の研究者と協働して開発し、外国にレスキューロボットを配置する、という問題に分かれる。両方で問題になるのは外為法だ。災害支援ロボットは、容易に軍事転用が可能なので、開発段階では、輸出許可が下りるか否か、分からないだろう。まして、外国企業との共同開発は、現状の外為法制に照らす限り、無理だと思う。それが開発を萎縮させることが懸念される。

後者の点は、操作中に事故や不具合が起きたとき、誰がどのような責任を問われうるのか、を事前に見極めておくことで、相当程度解決が可能だと思う。要はPL法をはじめとする各種法律のあてはめであり、しかも、災害現場においては、多くの場合、法的免責が得られるであろう。その理屈や、リスク回避手段をあらかじめ考えておき、研究者やメーカー、操作者を安心させることによって、レスキューロボットの展開を側面支援することができるだろう。

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2011年9月29日 (木)

法テラス、日弁連と訣別へ(201×年 朝日新聞朝刊)

法テラス(日本司法支援センター)が、資力制限を事実上撤廃する方針を表明したことから、弁護士会が真二つに割れている。日弁連は、来月開催する臨時総会で、態度を決定する。

法テラスは、総合法律支援法に基づく特定公益法人。司法制度改革の目玉の一つとして、2006年に設立された。経済力のない人の代理人報酬を立替払いする民事扶助事業を推進しており、その条件は、東京都に居住する4人家族の場合、月収合計29万円未満で預貯金残高300万円未満が基本。この条件を満たさない人は、自費で代理人を依頼しなければならない。数年前から法務省は、「法の支配を行き渡らせるという司法制度改革の理念に照らせば、資力制限撤廃の方向性は当然」と主張し、日弁連と協議を続けていた。

これに対して、反対の声を上げたのが、地方の弁護士会だ。その背後には、両者の複雑なお家事情がある。

法テラスは、2010年ころから民事扶助件数が頭打ちになり、減少に転じたため、一部の事務所ではスタッフ弁護士らの余剰が生じており、予算も前年度割れが続いている。そのため、このままでは法テラスの目玉である民事扶助事業の存続が危ぶまれる、との危機感がある。スタッフ弁護士は、もともと、法テラスで経験を積ませ、地域で独立させる予定だったが、「いま独立されたら、法テラスと客の奪い合いになる」(法テラス幹部)。また、来年の任期満了を控えたスタッフ弁護士は、「弁護士が余っているこの時代に独立したくない。半分公務員の安定した今の待遇がいい」と本音をあかす。

一方弁護士会の事情も複雑だ。もともと地方の弁護士会は、法テラスを「商売敵」とみなしていたので、今回の資力制限の撤廃は、火に油を注ぐ結果となった。実際、各弁護士会が行う有料の法律相談業務は、無料の法テラスに対抗できず、相次いで廃止に追い込まれている。だが、法テラスの事件紹介で食いつないでいる弁護士が多いことも事実。ある若手弁護士は「事件を法テラスに持ち込めば、報酬の取りっぱぐれがなくなる。(法テラスの)紹介事件がもっと増えてくれればありがたい」と述べた。

かつて「法テラスは弁護士会獅子身中の虫」と批判した、ある日弁連幹部は、「この問題は司法制度の根幹にかかわる」と警鐘を鳴らす。「法テラスという事実上の行政機関が、潤沢な広告宣伝費と無料相談によって顧客を囲い込み、弁護士報酬をコントロールし、それに飼い慣らされて何とも思わない弁護士が増えている。この制度からは、国家と対峙する弁護士は育たない」という。

しかし法務省は強気だ。「弁護士会は、法テラスの基準によって、弁護士報酬が安く抑えられるのが気に入らないだけ。日弁連が反対決議を採択するなら、スタッフ弁護士ごと、別の弁護士会を設立して、独自にやらせてもらう」と鼻息は荒い。弁護士法上、法務局が受け付ければ新弁護士会の設立は可能だから、新弁護士会の設立は簡単と法務省は言う。日弁連は「地方裁判所所在地に二つ以上の弁護士会を設立することは弁護士法上禁止されている」と反論するが、東京にはすでに3つの弁護士会が存在する。

実は、法テラスと弁護士会の対立は、3年前にもあった。このとき法務省は、それまで弁護士出身の理事長を更迭し、法務官僚出身者に交代させた経緯がある。「法務省が本気を出せば、勝ち目はない」。日弁連には、諦めムードもただよう。

端から見ると、法テラスと日弁連が客の取り合いという内輪げんか。「二割司法(司法は法的トラブル全体の二割しか解決していない)」との認識から始まった司法改革だが、なぜ、小さなパイを奪い合うような事態になったのだろうか。

注;この記事は、全て想像による架空のものです。実在する個人や団体とは一切関係ありません。

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2011年9月28日 (水)

陸山会判決「推論による有罪」批判に思う

陸山会事件判決の評判が悪い。例えば江川紹子氏は、裁判所が多くの被告人調書を証拠採用しなかったにもかかわらず、他の証拠から「大胆な推論」で有罪認定したと批判している。

しかし、この批判はバランスを欠くと思う。江川氏は、自白に依らなければ、推論に頼るしかない、との反論にどう答えるのだろうか。

特に、「密室の犯罪」や「被害者のいない犯罪」を、自白なしで立証するには、推論による有罪認定以外の方法がない場合が多い。政治資金規正法違反はもちろん、贈収賄罪、多くの経済犯罪は、「密室」かつ「被害者のいない犯罪」だし、強姦や強制わいせつ等(痴漢も含む)、共謀共同正犯は、「密室の犯罪」に分類されよう。これら一定の犯罪について、自白に頼らないことは、他の証拠から有罪を推論することと同義である。しかも、自白に頼らない分、今までより「大胆な推論」が必要だ。それもダメだというなら、自白のない事件は無罪で良いと割り切るか、故意や謀議を不要と法改正するところまで認めなければ、一貫しない。

無罪で良いと割り切るのは一つの見識だが、政治資金の透明化という立法目的が損なわれるリスクがある。だから無罪で良いという人は、政治資金の透明化は不要というのでなければ、どう手当てするのか考える責任がある。

政治資金規正法違反を過失犯に法改正すれば、「単なる記載ミス」との弁解は通用せず、「ミスで結構。有罪!」となる。もちろんこの場合、刑を故意犯なみに重くしないと、立法目的は達成できない。その代わり、本当のうっかりミスも重く罰せられてしまうし、ひいては、故意犯処罰という刑法の原則を大きく崩し、結果処罰に近づける可能性がある。

誤解を恐れず言うと、自白重視は、えん罪を防止する一つの方法だった。「犯罪者でなければ、身代わり等よほどの事情が無い限り、罪を認めるはずがない」という「常識」が存在したからだ。だが、この「常識」は、これを逆手に取り、無理矢理自白させる捜査手法を生み、えん罪につながった。ここに、脱(自白)調書裁判の根拠がある。

だが、脱(自白)調書裁判は、「大胆な推論による有罪認定」を帰結するから、「一貫して否認する無実の被告人」を有罪に陥れるリスクを増やす。あってはならないことだが、裁判官も人間だ。人間は、必ずミスを犯すし、どんな制度にも、絶対安全はない。われわれは、それを半年前に学んだばかりだ。

私は、石川議員らが無実か否かを知らないし、判決文すら読まずに、推論過程の是非を論評する意図もない(大胆な推論が許されるとしても、どんな飛躍も許されるわけではない)。私が言いたいのは、制度というものは、常に長所と短所を抱えているものであり、しかも、多種多様な要素が複雑に絡み合い、かろうじてバランスを保っているものだから、一つの要素を理想に近づければ、必ず全体がうまくいく、というものではないし、逆効果の場合もある、ということである。

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2011年9月27日 (火)

統一修習と給費制のあけぼの(14)

戦前、判事検事と弁護士は、国家試験は同一だったが、研修制度は別だった。このままでは、将来、弁護士の中から判事・検事を選任する法曹一元制度導入の妨げになることから、戦後の裁判所法制定過程において、統一修習制度の導入が決まった。そして、司法修習生には、国庫から給与を支払う、と第3次裁判所法案に記載される。

ところが、大蔵省から文句が入った。弁護士は民間の事業者だから、その志望者に国が給与を出すことは、例えば医師のインターンと比べ不公平、というのである。

畔上元判事の『戦後50年想い出すまま』(法の支配108号)によれば、「これに対しては、司法官試補(注;判事・検事の修習生にあたる)時代にも給料を出していたが、一部任官しない者があっても給料の返還をさせなかったとか、修習中でも検察庁では検事代理として捜査の補佐を担当するなどと主張して給料以外でも公務員扱いとした」という。

また、内藤頼博は、「司法修習生は、いわゆる判検事のみならず、弁護士にもなれる、というように、司法官試補よりも、ひろい資格が与えられたものと考えれば、従来の試補のように給与を受けることは当然であるし、また、その年限を恩給年限に参入してもよいと考えられる。
 もし、弁護士の地位も、国家機関的なものとすれば、弁護士にも、執達吏の場合と同様、国庫から補助を受けることが必要であるとも言い得るであろう。
 結局、司法修習生は、裁判官、検察官になるのには、必ず経なければならないものであるから、給与を支給する。また、弁護士も、国家事務を行うものであるから、弁護士になる者についても、同様のことがいえる、ということになる。」と、法制局への説明に向けた自らのメモに記している。

畔上もと判事が実務的観点から許容性を論じているのに対して、内藤頼博は理念的観点から必要性を論じている。執筆時80歳を超えていた畔上元判事と、当時38歳だった内藤頼博とを同列に論じては畔上元判事に気の毒だが、内藤頼博の記述の方が圧倒的に優れており、説得的だ。

そしてなにより、内藤頼博のこの文章には、革命的とさえいえる、既存の価値基準の転換がある。それは、この当時、内藤頼博が描いていた司法のあり方と密接不可分なものであった。

詳細は別の機会に譲るが、内藤頼博には、判事、検事、弁護士の三者で担う「司法」という国家機関の存在が、明確に意識されていたことが分かる。国家機関の構成員である以上、公務員であろうが民間人であろうが、養成に国費を投じるのは当然であり、区別する理由はない、ということである。

官尊民卑の否定と言えばそれまでだが、当時、この思想は、とても過激なものであり、しかも、この過激思想を制度に落とし込む能力は、並外れたものであったと思う。ちなみに、内藤頼博は、その後の裁判所内で重用されるが、結果としては最高裁判所判事になれずに終わる。このことは、内藤頼博の優れた実務能力の証左であると同時に、その理想を戦後の裁判所が受け入れなかったことを示すものと思われる。

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2011年9月22日 (木)

どうでもGOODな会議

会議には二種類ある。「過去に関する会議」と、「未来に関する会議」だ。

たとえば、「連続殺人事件捜査本部」において、被害者の足取りを確定するための会議は「過去に関する会議」であり、犯人が次に現れる場所を絞り込むための会議は「未来に関する会議」である。

「過去に関する会議」は、原則として、出席者が多く、情報が多く、時間をかけるほど、良い会議だ。たとえると、「過去に関する会議」は宝探しのようなものであり、人数をかけて長時間探すほど、見つかる確率は上がることになる。

一方、「未来に関する会議」をたとえると、釣りに近い。どの時間、どの場所で、どの深さに針を垂らせば釣果があがるかを多人数で長時間話し合っても無駄だ。「未来に関する会議」に人数や時間をかけても、せいぜい、選択肢や長所短所を洗い出す作業としての意味があるに過ぎない。その作業が終わったら、後は誰か一人(せいぜい23人)で決断するしかない。

この決断は、決断した時点では、どのような決断でも、常にGOODな決断とみなされる。時間の長短を問わず、人数の多寡を問わず、出た結論は常に良い結論なのだから、短時間・少人数の方が合理的だ。

だから私は、「未来に関する会議」を「どうでもGOODな会議」と呼ぶことにしている。「どうでもGOODな会議」は、短時間・少人数の会議の方が良い会議なのである。その証拠に、伸びる会社の未来に関する決断は、少人数に即決させているはずだ。

ところで、弁護士の仕事の多くは、過去に何があったかを探求することだ。そのため、「過去に関する会議」が多い。多くの弁護士が、たくさんの情報を持ち寄り、長時間かけて議論する。それはそれで有益なのだが、「未来に関する会議」でも同じことをやりがちなので、ウンザリすることが多い。しかも議論好きと来ているから、「どうでもGOOODな会議」なのに、多人数が長時間、ぐるぐるぐるぐる、会議が踊るばかりで、結論が出ない。

御社でも、同じような現象が起きていたら、注意した方がよい。「未来に関する会議」に人数と時間をかける会社には、未来がない。弁護士会も同じだけど。

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2011年9月21日 (水)

法科大学院は教育機関か

新司法試験の平成23年度の合格率が23.5%と「史上最低」を記録したことについて、20日の毎日新聞社説は「教員のレベルを含め、教育の質に問題がある」と指摘した。

これに関して、名古屋大学の大屋雄裕准教授が、真っ当なご意見を述べているのでご紹介したい。

曰く、出願者では3割程度の上位校が合格者の6割以上を輩出し、逆に出願者の約半数を占める下位校からは2割程度の合格者しか出ていない。このような上位校は14校、中位校が11校あり、下位校は49校もある。つまり問題は合格者を出せない下位校にあり、法科大学院全体にはない。しかも、受け控えを指導する下位校もあるから、実際の格差はもっと大きい。これを学生から見ると、「まず上位校に行けるか、というところで一つ何かが決まっている」のであり、その点を無視して合格率23.5%だけに着目されても困る、というわけである。

新司法試験逆転満塁サヨナラHRも同じことを指摘している。「上位に顔を出す学校がなぜか毎回同じような学校。なぜ?俺が思うにそれこそ、ロースクールって意味がないというか、おそらくロースクールに入学したときの実力差がそのまま司法試験のときまで続いてるということ。それは各ロースクールの教授がどんなに頑張っても埋められない差なのかもしれない」と。

こう言ったら実も蓋もないが、データを分析するまでも無く当たり前のことだ。法科大学院間に学力差(司法試験合格率の差)が発生すれば、優秀な学生は競って上位校を目指すから、格差はますます拡大する(『こん日』153頁)。東大を頂点とする「偏差値カースト制度」の上に構築された法科大学院制度が、「偏差値カースト制度」に服しない筈がないのである。

法科大学院制度不要論者はもちろん、擁護論者すら、教育内容がよくないとか、教員が低レベルだと主張する。こういう議論をする人は、専門職養成制度というものの冷徹な本質を理解していないか、嘘をついていると思う。

法科大学院の本質は教育ではない。選抜だ。一見石ころと区別がつかないが、磨けば光る原石を見つけ出すことだ。もちろん、多くの学生にとって、適切な指導は大事だが、能力のない者を、いかに指導しても、どうにもならない。指導する教員も大変だが、気の毒なのは学生本人だ。早く転身すれば、別の才能を開花させるチャンスもあるのだから。

お目出度い社説氏と異なり、学生と直に接する教員は、この真実を理解している。だが大概は、認めない。認めることは、自己否定と思っているからだ。まして、法科大学院の場合、どう考えても学生数が多すぎること、多くの学生の別のチャンスを潰していることを認めることになるからだ。冒頭にご紹介した大屋准教授は、とても正直な人だと思う。

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2011年9月20日 (火)

統一修習と給費制のあけぼの(13)

裁判所法案の改訂経緯はこうだ。

3次法案 892項 「司法修習生は、その修習期間中国庫から一定額の給与を受ける。」

4次法案  条2項 「司法修習生は、その修習期間中、別に法律で定めるところにより、国庫から一定額の給与を受ける。」

5次法案 752項 「司法修習生は、その修習期間中国庫から一定額の給与を受ける。」

給費制に関する裁判所法の条文案は、一見、殆ど改訂がなく、特に異論もないまま、成案に至ったように見える。だが、第4次法案に着目すると、そうでないことが分かる。

内藤頼博著『終戦後の司法制度改革の経過』によると、昭和21114日に始まった法制局の審査では、「第三次法案と第五次法案が審査の対象になった」とあり、第四次法案が抜けている。また、第三次法案と第五次法案には、条文に番号が振られているのに、第四次法案では、「第 条」となっており、条文の番号が振られていない。番号が振られていないことは、番号が分からなかったことを意味する。

このことは、第三次法案に対して、法制局からダメ出しがあったとき、差し替え用として、第四次法案が用意されていたことを意味すると思われる。

なぜ、第4次法案には「別に法律で定めるところにより」との文言が挿入されているのか。すでに述べたとおり、裁判所法案は、新憲法の附属法という重要な法律だから、新憲法の施行と同時に施行することは、GHQの至上命令であった。他方、司法修習生に給費制を導入するか否かという条項それ自体は、何が何でも新憲法と同時に施行しなければならないほどの重要性はない。そこで、この条項に何らかの問題が発生し、裁判所法施行までに解決しない見通しとなった場合には、裁判所法施行後に別の法律を定めることにして、問題の先送りを図る意図であったことを意味する。

では、何らかの問題とは何か。

私の調査した限り、この点に言及しているのは、畔上英治もと判事による『戦後50年想い出すまま』(「法の支配」108号)のみであり、そこには、こうある。

「大蔵省は、医師はインターン中は国から給料を受けていないのに、弁護士になる者にも給料を支払うのは不公平であるとして、給料支払いに反対した」

これによれば、大蔵省が、給費制に反対したことになる。

余談になるが、現在、財務省は給費制に反対している。そして、畔上元判事の記憶によれば、60年前も、大蔵省が給費制に反対したというのである。官僚組織のしつこさには感銘を受けると同時に、組織の意思というものが100年単位で存続する、という点にも留意が必要だと思う。もちろん、弁護士会という組織も例外ではない。

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2011年9月15日 (木)

弁護士が訴訟リスクにさらされる時代

9月9日の産経ニュースによると、京都市内の家主と管理業者が、借主の代理人弁護士らを被告として、払い戻した更新料と慰謝料計約240万円の返還請求訴訟を提起したという。弁護士を被告にした理由は、「敷引特約は消費者契約法違反で無効。判例も確立されている」などと虚偽の事実が書かれた通知書を発送したからだそうだ。

家主ら側の代理人は、京都弁護士会の田中伸弁護士。借家契約の更新料は有効という最高裁判所判決(8月15日)を勝ち取った家主の代理人であり、30年以上のベテランだ。訴えられた弁護士は不明だが、この事件で借主側の代理人を務めた、京都の弁護士の一人だろう。

もし、上記訴訟で家主側が勝てば、被告の弁護士は、慰謝料等を支払わされた借主からも賠償請求を受けるリスクを負う。借主にも、同様の「虚偽の説明」をしたことになるからだ。

弁護士が訴訟の相手方代理人弁護士(しかも同じ弁護士会)を訴えることは、業界の従来の常識に照らせば、尋常ではない。もしかしたら、とても特殊な事情があるのかもしれない。しかし、そうだとしても、この事件は、弁護士自身が普通に訴訟リスクにさらされる時代の嚆矢になるだろうと思う。

内部通報のため不当な配置転換をされたというオリンパス社員の訴えが東京高裁に認められた事件に関し、ある電子日刊紙は、「弁護士のブラック過ぎる手口」と題して、同社の代理人である大手法律事務所の「T谷弁護士がかねてから(オリンパス社ほかの)産業医とグルになり、陰湿な手口で社員を社会的に抹殺してきた疑いがある」と報じた。記事上、弁護士が誰かの特定は容易だ。

ソースは相手方一方のようだし、記事を読んでも、弁護士がどの程度具体的に関与していたかは分からない。しかし、当該大手法律事務所と弁護士から名誉毀損等で訴訟を起こされるリスクを承知で記事を書いた以上、記者氏と出版社はそれなりの覚悟と根拠をお持ちなのだろう。

この記事からもいえることは、一方当事者の代理人弁護士本人が、普通に指弾される時代が来た、ということだと思う。

余談だが、私はこの記事を「ボ○○○」で知ったが、数日後、リンクが消えてしまっていた。なぜだろう。

追記

「福岡若手弁護士のblog」さんが、「貸金債務者側弁護士の控訴理由書中の表現が慰謝料支払対象に」というエントリを公開していたのでご紹介しておきます。

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2011年9月14日 (水)

盗人にも三分の理

9月13日読売新聞は、化学兵器製造に転用可能な特殊ポンプを、無許可で日中合弁会社に輸出した疑いが強まったとして、「新東洋機械工業」社長の男らが、近く外為法違反(無許可輸出)容疑で書類送検される、と報じた。報道によれば、許可申請に時間がかかり、納品の遅れを避けるため、規制対象外と偽装したとみられているという。

「化学兵器製造に転用可能」としか分からないが、輸出貿易管理令別表第一の三の9「ポンプ又はその部分品」に該当するなら、輸出許可申請が必要であり、それを規制対象外と偽装すれば、違法の責を免れない。

ただ、「許可申請に時間がかかり」という点は汲んでほしいと思う。

2008年にも、ホーコス社(広島県)の外為法違反事件があった。これは工作機械だが、やはり輸出許可申請に時間がかかるとして、規制対象外と偽装して輸出し、担当者らが逮捕・起訴され、同社も行政処分を受けた。報道によれば、「ドイツ企業なら12ヶ月で(輸出)審査が済むところが(日本では)半年、一年とかかる」「競争上不利でこのままでは市場を失う」というメーカーの焦りが背景にあるという(2010216日日刊工業新聞)。

かつては性能や信頼性で他国の追随を許さなかった日本工業製品も、技術革新や円高によって、競争力が低下している。12ヶ月で納品されるドイツ製品と、1年かかる日本製品では、それだけで、重大なハンディキャップだ。この点、「ドイツと日本では、中国に対する安全保障意識が異なる」と指摘し、日本政府の許可に時間がかかりすぎるのは中国に特殊な問題とする見解もあるが、たぶん嘘だと思う。輸出先がトルコであっても、日本の方が許可に時間を要するだろう。世界に冠たる真面目と厳格さで知られるドイツにしてこうなら、他国は推して知るべしである。こうして日本は、「輸出の自主規制」によって、工業製品の国際競争力を失いつつある。

いうまでもなく、だからといって、法網をかいくぐろうとするのは愚かなことだ。それは、露見して処罰されるリスクだけでなく、規制をどんどん強化させるリスクがあるからだ。輸出企業がなすべきことは、不合理な輸出規制に手を携えて異議を述べることなのだが、残念ながら、未だその声を聞かない。

外為法の他のエントリ

「武器輸出三原則」と「法の支配」

ガンダムの「ハロ」と『攻殻機動隊』を地でいくお話

移設検知装置について

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2011年9月13日 (火)

統一修習と給費制のあけぼの(12)

給費制に戻ろう。

復習しておくと、戦前、判事・検事・弁護士の資格試験は同一だったが、判事検事と弁護士とでは、修習が別であり、前者(司法官試補)には給与が出されたが、弁護士試補には出されなかった。同じ高等文官司法試験に合格しても、希望者の中で成績の良い者から司法官試補が採用されたため、弁護士には一生、ぬぐえぬ劣等感がついて回ることになった。戦前弁護士会が主張した法曹一元論には、判事検事と弁護士の地位を同一にして劣等感を克服したいという弁護士の悲願があったことは否定できない。

一方判事は、法廷では検事より上位であったが、司法省の人事権を検事が握ったため、組織的には検事より下であり、検事に睨まれると僻地に飛ばされるなどの人事的報復が待っていた。そのため、大正時代から、裁判所を司法省から独立させることは、裁判所の悲願となっていた。

敗戦後、GHQは日本政府に対して、司法権の独立と、法曹一元の導入を要求した。これらは、判事にとっても弁護士にとっても悲願であったため、両者は手を携えて(一部同床異夢もあったが)、これを推し進める。司法権の独立は、基本的には憲法で保障されたものの、人事権や予算の独立については裁判所法に委ねられ、権限を手放すまいとする司法官僚と裁判所の激闘が繰り広げられた。その中で、採用人事の中核をなす司法研修所は最高裁判所の管轄となり、司法試験の合格者は、判事・検事・弁護士という志望にかかわらず、等しく司法修習生として、同一の教育を受けることとなったことは、判事と弁護士の共闘の賜であった。すなわち、採用人事権を独占したいという裁判所と、将来の法曹一元導入の前提として統一修習が必須と考える弁護士会の利害が一致して、最高裁判所の管轄による統一修習制度が実現したのである。

さて、統一修習が確定すると、司法修習生の給与はどうするのか、という問題が発生する。戦前は、司法官試補は判事・検事といずれも公務員となるから、給与をもらって何の問題も無いが、弁護士は民間の事業主だから、その志望者に給与を払う根拠が必要となる。この点、裁判所法の制定過程はどうだったのだろうか。

『終戦後司法制度改革の経過』を紐解き、裁判所法案の改訂経緯を見ると、給費制の規定が登場するのは第二次法案が最初だ。そして、第二次法案には、「司法修習生は、その修習期間中国庫より一定額の給与を受ける。」とあり、第三次法案も同じである。

これに対して、第四次法案では、「司法修習生は、その修習期間中、別に法律で定めるところにより、国庫から一定額の給与を受ける」と、文言の一部が改訂されるが、第五次法案では、「司法修習生は、その修習期間中国庫から一定額の給与を受ける」に再改訂されて、成案に至っている。第三次法案と比べると、「、」が加わっている。

一見、殆ど改訂がなく、異論もなしに給費制が導入されたかに見えるが、実際にはそうではない。

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2011年9月12日 (月)

日本は衰退する「海の国家」か

『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(水野和夫著 日本経済新聞出版社)を読んだ。

欧米と日本における近代(資本主義)は1970年代に終わっていたと著者は言う。その後の40年間は、「技術への宗教的信仰」に基づいて、無理矢理近代化を推し進めてきた。日本では、不動産価格高騰と、先端技術を駆使した工業製品の高付加価値化によって、アメリカでは、電脳空間における金融商品(=サブプライムローン)の開発によって。

「無理矢理近代化」とは要するにバブルであり、バブルはいつか必ずはじけて、より大きな損失を出す。グローバリゼーションはごく一部に富を集中させるためのイデオロギーであり、中間所得層を没落させるだけだ。だから、「失われた20年」を近代化の推進によって解決することは間違いであり、しかも、他国の先駆けである日本は、欧米に範を求めることもできない。

近代の終焉という終わりなき危機の時代においては、英米や日本という、交易を支配する「海の国」から、これに遅れを取っていた中国など、資源を産出する「陸の国」への権力移行が進行するだろう。

乱暴に要約すると、こんなところだろうか。細かい突っ込みどころはいろいろあるが、全体としては、素人の私には新鮮な指摘が多く、知的好奇心を刺激する良書だと思う。また、法律家としては、発展した資本主義によって、中間層が没落し、民主主義が機能不全に陥るとの主張がこたえた。

著者に一つだけ質問できるなら、「陸の国家」はこれからどうなるかを聞きたい。始めから資源が乏しいイギリス、オランダ、日本等の「海の国家」と異なり、最初「陸の国家」だったアメリカは、第一次世界大戦後、海洋覇権国家になった。このように、「陸の国家」は、自己完結してもそれなりに幸福だが、富への限りなき欲望は、「陸の国家」を「海の国家」に変貌させる。そうだとするなら、「陸の国家」の代表となる中国とロシアは、今後「海の国家」に変貌することになる。おりしも中国は、初の航空母艦を建造して太平洋への欲望を隠さず、ロシアは8日、戦略爆撃機が日本を一周したばかりか、9日、24隻の軍艦が宗谷海峡を通過して太平洋に進んだ。いずれも、極めて異例という。

つまり、アメリカとともに衰退する「海の国家」である日本は、日本海と東シナ海を挟んで、勃興する「陸の国家」2国と対峙することになる。このことは、われわれに、どのような影響を与えるのだろうか。また、地政学的にその中心にある朝鮮半島は、台風の目になるのだろうか。

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2011年9月11日 (日)

日本で内戦リスクの高い場所

『人口から見た安全保障』(財団法人アジア人口・開発協会 2005)によると、若年(1529歳)が成人人口の40%以上を占める国では、そうでない国と比べて、内戦勃発の確率が2倍以上ある。また、一人あたりの利用可能な耕地や再生可能な淡水資源が少ない国は、そうでない国と比べて、1.5倍ほど内戦が勃発しやすい。暴動を起こしやすいのは男性で、エリート若年人口の膨張が潜在的に最も大きい不安定要因であるという。同書は、非常に高い人口学的な内戦リスクを持つ国として、東チモール、ソマリア、ブルキナファソ等25カ国を挙げている。

日本でも、いわゆるベビーブーマーが15歳前後の1960年、若年人口比率が40%であり、この頃以降10年間が、学生運動の時代だった(安田講堂事件が1969年である)。その中心になったのは、東大生らエリート大学生だ。

しかし、その後の日本で若年人口割合は減少をし続けており、2000年には10%に満たない。不況だが生活に困るほどではなく、「草食系」に見られる男性の女性化が指摘される。これでは、雨宮処凛氏が旗振れど、内戦も革命も起きるはずがない。

たとえば中国は一見、経済格差に対する不満から内戦リスクが高まるように思われるが、冒頭の分析によれば、若年人口割合が低いので、内戦リスクの少ない国に分類されるだろう。ただ、地域を限定してみると、一人っ子政策が徹底されなかった僻地は、社会不安要因を孕んでいる可能性があるし、都市部に流入した若者や、一人っ子政策がもたらした極端な男性過多が、社会不安要因になると思われる。

日本でも、地域を限れば、内戦リスクの非常に高い場所がある。

例えば各地の地方裁判所周辺に見られる「弁護士村」では、無茶苦茶な人口激増政策の結果、10年目までの弁護士数がほぼ5割に達していて、その人口ピラミッドは、途上国も驚く裾広がりを見せている。男性が圧倒的に多く、全員知的エリートに属する(一応)。しかも弁護士にとって利用可能な耕地は少なく、老人または大手が独占している。冒頭に掲げた分析に照らせば、人口学的な内戦リスクは、極めて高い。

但し、気をつけなければならない点もある。『人口から見た安全保障』は、「内戦」と言っており、「革命」とは言っていない。内戦の中には、被支配層が支配層を覆す革命もあるが、支配層の内部抗争に被支配層が利用され、若者同士が血を流し合う内戦もある。若手弁護士は、老人に利用されて分裂しないよう、注意しなければならない。

Risk

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2011年9月 9日 (金)

統一修習と給費制のあけぼの(11)

名前が出たついでに、後藤富士子弁護士にも言及しておこう。

後藤富士子弁護士は、いわゆる市民派の弁護士であるとともに、法曹一元論の論客である。平成3年(1991年)ころから法曹一元に関する論考を著し、これをまとめた書籍『官僚司法を変える 法曹一元裁判官』(現代人文社)が、平成11年(1999年)11月に刊行された。平成1111月と言えば、日弁連が「司法改革ビジョン」等を公表し、司法試験合格者数激増と法曹一元に向けた基本方針が事実上確定したときにあたる。その舌鋒は鋭く、日弁連主流派の立場を越えて前衛的であった。たとえば、法曹一元実現の橋頭堡と日弁連が位置づける統一修習については、「無益」と切って捨てている。法曹一元実現のためには国営修習など有害無益という彼女の立場からは、給費制は当然廃止するべし、という結論になる。同書には、当時の法曹一元運動の中心人物であった坂元和夫弁護士が「あとがき」を寄せているが、後藤弁護士をジャンヌ・ダルクに例えたのは言い得て妙だと思う。このとき日弁連中枢は、後藤弁護士のような論客を、法曹一元実現への牽引役として位置づけていたのだ。

さて、それから10年を経て、今の後藤弁護士は、法曹一元をどう見ているのだろうか。

平成19年(2007年)の自由法曹団通信1226号に、後藤弁護士は「新しい時代の到来―統一修習の終焉」と題する論考を寄せている。この年、法科大学院を卒業した「新60期」の司法修習生千余名の修習開始を受け、裁判所や検察庁での実務修習は、受入数が多すぎて機能不全に陥ると予想している。これに代わり豊かな実務修習を提供できる弁護士会が、司法修習を運営することになるという。法科大学院は官僚法曹を養成せず、生の事実に即し、依頼者の立場で法を駆使する法律家を育成するという。一方、合格者増員により、貸与制に移行すれば、修習を強制できなくなるから、国営の司法修習制度は自滅に向かうと予測する。

その後どうなるか。裁判所法42条は、判事補は司法修習生の中から任命すると定めている。だから、司法修習制度がなくなれば、判事補を任命できなくなる。その結果、判事補は絶滅し、判事補の中から判事を任命することができなくなる。

こうして、裁判官のキャリアシステムが消滅し、法曹一元が実現する。つまり、給費制から貸与制へ、司法修正制度の廃止等はすべて、予定された法曹一元への道筋であり、このまま行けば自動的に法曹一元が実現する、裁判官は全て、弁護士の中から任命される社会が到来する、というのである。

後藤弁護士は、上記論考をこう結んでいる。「私は、年来の『法曹一元』論者である。そして、司法試験合格者大幅増員と法科大学院創設が決まった段階で、『勝った』と思った(中略)。弁護士こそが法曹の基本であり、司法制度は弁護士が担うのである。」

果たして後藤弁護士は「勝った」のか。確かに給費制は、司法試験合格者の激増により風前の灯火だし、実務修習が機能不全を来たすという予想はおおむね当たったと言える。だが、司法修習制度が自滅するとの予想は早計だし、その後自動的に法曹一元になるという予言にいたっては飛躍だらけだ。もし司法修習制度がなくなって、判事補を修習生から採用できなくなったら、司法試験合格者から採用する旨、裁判所法を改正すれば良いだけの話だと思う。

若い弁護士、特に給費制維持運動をやっている弁護士は良く考えて欲しい。給費制の廃止や、合格者激増は、弁護士(会)を敵視する経済界など外部の圧力だという見方は、とても一面的な物の見方だということに気づいて欲しい。これらは、まずもって、後藤富士子弁護士ら、弁護士自身がもたらしたものなのだ。

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2011年9月 8日 (木)

大阪発「性犯罪者追跡アプリ」はどないでっか

彼氏追跡アプリ カレログ」という携帯電話用ソフトがあるらしい。
かつて、月額525円の本会委員向けには
・彼氏や家族の携帯の位置をGPSで特定できる
・行動履歴を取得できる
ほか、月額1980円のプラチナ会員には、
・彼氏の携帯電話の通話記録をリアルタイム入手
・彼氏の携帯電話にインストールした(出会系)アプリもわかる
という機能を提供したらしい。
 もちろん、「カノジョ」の携帯にもインストール可能だ。
 ところが、プライバシーの侵害を問題視する指摘があり、その後、端末ユーザーの同意機能を実装したという。
 しかし、端末側の承諾があればよい、というものでもなかろう。「『カレログ』入れてもいいだろ?やましいとこ無いなら」といわれて断れる若い男女はそういない。プライバシーの問題はもちろん、「カレログ」に起因するデートDVすら具体的に想定できる以上、このソフトは法的に、かなり問題だといわざるを得ない。
 このことから分かるのは、「プライバシーの問題は、必ずしも、当事者の同意があればOKとはいえない」ということだ。

ところで、96日毎日新聞朝刊によると、大阪府の橋下知事は、未成年者に対する性犯罪者として服役した者に対し、居住地の届出を求める条例の検討に入り、届出を義務とするか任意とするかは今後判断するという。以前GPS端末の携帯義務づけを検討したが人権上の理由から断念し、今回の条例案となったとある。
 GPS端末等による
電子監視については以述べたとおりであり、その携帯義務づけ条例化を表明した村井宮城県知事ついてのコメントも以前述べたとおりだ。今回は、「居住地の届出を求める」とのことだが、出所者でなくても、居住地の届出義務はあるのだから(住民基本台帳法22条)、条例の意味するところは、「未成年者への性犯罪前科を自ら申告する」ことにある。だがどうやって申告させるのだろう?「私はテロリストです」と申告する国際線旅客機搭乗客がいないように、住民票登録用紙の「私は未成年者に対する性犯罪歴があります」のYes欄に丸を付ける前科者は、とても少ないだろうし、自主申告する殊勝者に再犯のおそれは少ないだろう。しかも、個人の前科前歴は、大阪府警を通じて照会可能だし、プライバシー侵害の程度は同じだから、再犯防止の確実性を期すなら、未成年者に対する性犯罪前歴者に限った前科前歴の開示制度を作ればよい。もちろん条例では不可能で、立法が必要だ。
 本当に申告があったらどうするのだろう?「俺、5歳の女の子にイタズラしてムショに行ったことがあるんだけど」「そ、そうですか。で、どこにお住まいですか?」「カルガモ保育園の隣」「えっ。それはすぐ引っ越していただきます」「金がないんだけど」「仕方ない。引越代は府が出しましょう。近くに女の子のいない場所を探しますね。お仕事は?」「府立小学校の用務員」「ええっ。すぐ辞めてください。別の仕事を探します。失業手当は府が。」「それから」「まだあるんですか?」「嫁がいてよ」「奥さんならかまいませんが。」「そいつの連れ娘が5歳」「ええっ」というやりとりが想像される。職員の負担は半端でない。

  結局、橋下知事の提案は、自主申告の徹底が不可能だし、申告されても対応しきれないし、前科を知るなら確実な方法が他にあるので、条例化する意味が無いと思う。おそらくは、議論喚起を目的にした、橋下流のパフォーマンスだろう。

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2011年9月 7日 (水)

嫉妬の国のお殿様

東の果てに、貧しい国がありました。

ある日、この国の殿様は、朝日新聞を読んで、こう考えました。
「民が貧しいのは、役人が金貸しと手を組んで、財宝を隠しているからに違いない」
役人はびっくりして、くちぐちに弁解しましたが、殿様は聞きません。
「弁解するのは、隠している証拠じゃ。ほれ、蔵を開けろ」
蔵を開けると、財宝がたくさんありました。でも、借金の方が多かったので、返したら、何も残りませんでした。

次に殿様は、こう考えました。
「民が貧しいのは、裁判官が弁護士と手を組んで、財宝を隠しているからに違いない」
裁判官はびっくりして、くちぐちに弁解しましたが、殿様は聞きません。
「弁解するのは、隠している証拠じゃ。ほれ、蔵を開けろ」
蔵を開けても、財宝はありませんでした。

すると、民は手に手に朝日新聞を振りかざして、殿様にこう言いました。
「どこにも財宝がないのは、殿様が隠しているからに違いない」
殿様はびっくりして、隠していないと弁解しましたが、民は聞きません。
「弁解するのは、隠している証拠じゃ。ほれ、蔵を開けろ」
蔵の中には、借用書が積んであるだけでした。

この国は、ますます貧しくなりました。

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2011年9月 6日 (火)

統一修習と給費制のあけぼの(10)

弁護士会の悲願であった法曹一元は、占領下の司法制度改革過程において、どう扱われたのだろうか。

法曹一元は、すでに述べたとおり、昭和20年(1945年)の司法制度改革審議会において採否が議論され、弁護士委員の強硬な主張にもかかわらず積極的賛成者がなく、直ちに採用することは見送られた。しかし将来の有力な選択肢としては残存し、その旨の附帯決議がなされている。その後、政府内部で、法曹一元の採否について議論がなされた記録は見当たらないが、弁護士会としては当然、将来の法曹一元以降に向けた足がかりを確保したいと思っていただろう。

しかし、昭和21年(1946年)88日の司法制度審議会第12回第一小委員会の席上、佐藤藤佐委員が「予備判事制度」の採用を提案した。曰く、「予備判事は裁判の実務に携わるものでありますから、将来裁判官を任用するについて、裁判の経験のない判事補助等より採用するよりも予備判事より採用する方が好成績を収めるでありましょうし、特に刑事事件の増加が著しき予想に対処する為にも、この予備判事の活用がどうしても必要になってくると思います」。

議長が促しても、特に異議発言なく、予備判事制度の採用が決まった。

これについて、幹事として参加していた内藤頼博判事は、「大した議論もなく要綱(案)の別案によったのであるが、ここにいわゆる法曹一元の構想を採ることなく、『判事補』の制度を設けることになった」と記している。

判事補制度の採用により、判事は判事補から採用されることになり、判事補は司法研修所の卒業生から採用されることになった。こうして、裁判所法上、判事を弁護士から採用するという法曹一元制度を採用しないことが確定したのである。

佐藤藤佐とは、「さとうのりすけ」と読むのだろうか(「トウスケ」とのご指摘があったので追記します)。漢字の回文という珍しい名前だが、WIKIPEDIA等によると、当時の司法省刑事局長であり、後の法務府法務総裁官房長、昭和25年(1950年)に検事総長に就任し、昭和29年(1954年)の造船疑獄事件では、犬養健(いぬかいたける)法相の指揮権発動にあって自由党幹事長佐藤栄作の逮捕にはいたらなかった、とある。要するに司法省の幹部官僚であり、法曹一元に反感を持っていたことは間違いないと思われるが、当時、憲法草案上、すでに司法権の独立は確定しているから、この発言に政治的意図はないかもしれない。また、このとき、弁護士委員らによる積極的な異議がなかった理由もよく分からない。予備判事(判事補)制度の採用が法曹一元の否定に直結することに気づかなかったのかもしれないし、当面法曹一元を採用しない以上、やむを得ないと思っていたのかもしれない。当時から裁判所法案の起草にかかわっていたと思われる内藤頼博のメモには「大した議論もなく」とあり、議論が起きなかったことに対する疑問ないし不満が見て取れる。

このように、詳細は不明であるが、いずれにせよこのとき、制定当初の裁判所法が法曹一元を採用しないことが確定した。そして、平成10年(1998年)に復活した法曹一元論は、判事補制度の廃止とワンセットで主張されることになり、平成12年(2000年)の司法制度改革審議会の席上、中坊公平もと弁護士の孤軍奮闘にかかわらず、判事補制度を廃止しないことが決まって、日弁連の法曹一元論は3度目の挫折を迎えたのである。

余談だが、以上の経緯を記した畔上英治もと判事『裁判所法等制定当時の思い出』(自由と正義378号)によると、上記佐藤藤佐刑事局長の発言は、「裁判官は初任から責任のある裁判実務に就き、先輩裁判官から実務をとおして種々学びとって成長するのであるから、司法試験を経て所定の修習後は直ちに裁判を担当させるべきである。」というものであり、これに対して「驚くべきことに弁護士委員をも含む多くの賛成者が現れた。…そして、やがて同局長意見が大勢を占め、現行判事補制度が出現したのである」とある。これは、私が参照した内藤頼博の記録と全然違う。畔上元判事は文脈上、内藤頼博の記録を参照した上で全然違うことを言っているので、どちらを信用するかは悩ましいが、内藤頼博の記録は会議中に作成されたのに対し、畔上もと判事の記述はその40年後であること、畔上元判事自身、「正確な歴史的経過は(内藤頼博作成の)『終戦後の司法制度改革の経緯』に譲る」と述べていることから、内藤頼博の記録を採用することとした。ちなみに後藤富士子弁護士は、『官僚司法を変える』(現代人文社)において、畔上もと判事の文章に基づいて判事補制度採用の経緯を論じているが、内藤頼博作成の資料は参照されたのだろうか。

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2011年9月 5日 (月)

日米PL訴訟リスク

経産省が旗振れど、次世代ロボット産業が期待ほど発展しない理由の一つに、PL訴訟リスクを指摘する意見がある。事故が起きて、莫大な損害賠償請求訴訟を起こされるリスクのため、メーカーがロボットの開発を渋っているという。そこで経産省は、安全認証基準を定めようとしているが、話がちぐはぐになっていると思う。

わが国でPL法に基づいて提起された訴訟件数の正式な統計はない。平成18年(2006年)に内閣府がまとめた「製造物責任法の運用状況関する実態調査報告書」によると、PLセンターで受け付けた製品事故相談事例は、平成7年(1995年)から平成16年(2004年)までの全相談累計件数で、7747件であり、他方、内閣府が把握したPL訴訟件数は90件である。ここから提訴件数の実数を推測することは困難だが、平成7年(1995年)から平成18年(2006年)までの11年間で、1000件はない、と見て間違いないだろう。一年平均100件ない、ということである。なお、東京海上日動リスクコンサルティング株式会社の調査によれば、平成7年(1995年)7月から平成22年(2010年)423日までに同社が把握したPL訴訟件数は121件であり、このうち、請求金額が1億円を超えたものは28件である。

内閣府の調査によれば、上記90件のうち、一部でも請求額が認められているのは22件(PL法以外の理由により認められたものを加えると29件)であり、認容額が1001万円以上のものは13件あったという。勝訴率は3分の1ということになるが、和解で終わった事件の中には、見舞金ほか、なにがしかの金員支払いで解決したものも多いと思われる。

一方、米国全体のPL訴訟提起件数は、年間10数万件といわれ、連邦地方裁判所に対する提訴件数だけでも年間1万件を超えるといわれている。このうち95%は判決まで行かず終結するとのことだが、その中には、スジ悪で取り下げられたものから、メーカー側が全面的に非を認めて多額の賠償をしたものまで、様々なものがある。

賠償金額について、懲罰的賠償制度のある米国では、近年、上限の設けられる州や事例が一般的になってきたとはいえ、米国司法省司法統計局(Bureau of Justice Statistics調査した結果によれば、平成8年(1996年)度の統計で、懲罰賠償の中央値は46200ドル(1ドル≒約80円として3700万円)、賠償金が認められる判決中、懲罰的賠償が認められる割合は約3割とのことである。

訴訟制度が全然違う両国なので、単純な比較はできないが、どちらの国において訴訟リスクが高いかと言えば、答えは明白である。日本のPLセンターへの相談件数(年平均1000件以下)と、米国におけるPL訴訟提訴件数(年平均10万件以上)を無理矢理比較しただけでも、100倍以上の差がある。もちろん、次世代ロボットに限っても、米国の訴訟リスクが圧倒的に高いことに変わりはない。それなら、米国企業は、訴訟が怖くて、次世代ロボットの開発を渋っているのだろうか?そんなことはない。米国の次世代ロボット技術は、とうに日本を追い越していると言って過言でない。

つまり、訴訟リスクの高さは、米国のロボットメーカを、全く萎縮させていないのである。従って、訴訟リスクが高いから、日本のメーカーがロボット開発を渋っているという見解は、全く根拠がない、ということになる。

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2011年9月 1日 (木)

『自由人 近藤綸二』 内藤頼博・川島武宜編著(日本評論社)

近藤綸二は、明治32年(1899年)医師一家の次男として生まれた。父近藤は、信州松本藩旗本鶴見次喬の次男で、駿河台病院設立者である。東京帝国大学法学部を卒業後、大正13年(1924年)に弁護士登録して(当時は東京帝国大学法学部卒業生は無条件で弁護士資格を取得できたらしい)、第一東京弁護士会の創立者の一人でもある嘉道法律事務所に入所し、約2年間、フランスに遊学して研鑽を積んだ。帰国後、有馬忠三郎法律事務所を経て独立したのち、帝人事件の弁護人団を努めた。原嘉道はのちの司法大臣であり、大臣当時、裁判所を司法省から独立する法改正を試みた人物である。有馬忠三郎は後の日弁連会長であり、帝人事件は戦前の疑獄事件であるが、被告人は全員無罪となった。左陪席を努めた石田(後の最高裁長官)は、起案した判決中、検察のストーリーを「水中に月影を掬するが如し」との名文句で切り捨て、後の司法省と裁判所の確執の伏線になったとも言われている。

戦後の昭和22年(1947年)、第一東京弁護士会の副会長に選任され、GHQのリーガル・セクションと交渉を重ね、司法修習制度と弁護士法制定に尽力する中、アルフレッドオプラーや、内藤頼博らと親交をもった。

東西冷戦が始まり、いわゆる「逆コース」の中、近藤綸二らは、自由人権協会の創立に奔走し、松川事件の弁護も手がけるが、田中太郎最高裁長官の強い勧めにより、設立されたばかりの東京家庭裁判所の所長に就任する。自由人権協会や松川事件にかかわった弁護士が任官する、そのうえ、「右」に分類される田中耕太郎最高裁長官が勧誘して裁判所所長に就任するなど、現在の法曹界の常識では考えられない。近藤が抜擢された背景として、「法曹一元制の実現が早急には困難であるとしても、しかるべきポストに弁護士出身者を配置することにより、多少の新風を司法部に吹き入れようとのオプラーらGHQの示唆、関与があったのではないかと推定される」とあるが、田中長官が「イヤイヤ」勧誘したのでない証拠には、当時妻と別居中で、妻がカトリックであるため離婚に応じないとして、「家裁だけは勘弁してくれ」と嘆く近藤を説得するため、同じくカトリックである田中長官自身が妻の説得に動いたと記されている。

6年半ののち、広島高裁長官に転出、原水禁世界大会に出席した後、名古屋高裁長官を経て定年退官した。高裁長官が原水禁大会に出席するなど、やはり現在の法曹界の常識からは考えられない。

昭和38年(1963年)、近藤は最高裁判所裁判官就任と報じられたが実現せず、代わって謹吾が任命された。その背後には、近藤を「リベラルに過ぎる」「左傾的である」として、「第一東京弁護士会の二、三の有力者からの任命阻止工作があった」ともいわれている。

綸二は、退官後古巣の第一東京弁護士会ではなく、東京弁護士会に登録して晩年を過ごした。昭和40年(1965年)の少年法改正問題と、昭和44年(1969年)にはじまる「司法の危機」問題に関しては精力的に執筆活動を行い、青年法律家協会の有力判事と対談する等したが、全般には、弁護活動や会務活動から遠のき、「うるさ型」の老法曹として畏れられていた風情が垣間見える。

昭和44年(1969年)、古希を迎えた近藤に勲一等叙勲の内示が伝えられたが、これを辞退する。「だいたい人間に勝手な等級をつけるなんて愉快じゃないよ。僕の趣味にあわないよ」と語ったと記されている。

昭和57年(1982年)412日、「法曹一元は近藤綸二をもってはじまり、近藤綸二をもって終わった」ともいわれたリベラリスト、近藤綸二は82歳の生涯を閉じた。

内藤頼博は、「真のリベラリストの軌跡を残したいという念願から」本書をまとめたとして、昭和61年(1986年)、「はしがき」にこう記している。

「(いまが幸せだ、このままが一番いい。できれば、大学を卒業したくないという大学生を見て)私は、驚くというより、恐ろしくなった。理想に燃える、若い人たちの魂は、どこに消えてしまったのだろう。ワクの中で育てられて、やりたいこともワクの中だけ。自分を閉ぢ込めているワクの存在さえ意識しなくなっている。若者らしく生きる場を失った彼ら、後は無気力と陰湿しかない。」

昭和61年当時の大学生というのは、私です。すいません。

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