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2011年9月28日 (水)

陸山会判決「推論による有罪」批判に思う

陸山会事件判決の評判が悪い。例えば江川紹子氏は、裁判所が多くの被告人調書を証拠採用しなかったにもかかわらず、他の証拠から「大胆な推論」で有罪認定したと批判している。

しかし、この批判はバランスを欠くと思う。江川氏は、自白に依らなければ、推論に頼るしかない、との反論にどう答えるのだろうか。

特に、「密室の犯罪」や「被害者のいない犯罪」を、自白なしで立証するには、推論による有罪認定以外の方法がない場合が多い。政治資金規正法違反はもちろん、贈収賄罪、多くの経済犯罪は、「密室」かつ「被害者のいない犯罪」だし、強姦や強制わいせつ等(痴漢も含む)、共謀共同正犯は、「密室の犯罪」に分類されよう。これら一定の犯罪について、自白に頼らないことは、他の証拠から有罪を推論することと同義である。しかも、自白に頼らない分、今までより「大胆な推論」が必要だ。それもダメだというなら、自白のない事件は無罪で良いと割り切るか、故意や謀議を不要と法改正するところまで認めなければ、一貫しない。

無罪で良いと割り切るのは一つの見識だが、政治資金の透明化という立法目的が損なわれるリスクがある。だから無罪で良いという人は、政治資金の透明化は不要というのでなければ、どう手当てするのか考える責任がある。

政治資金規正法違反を過失犯に法改正すれば、「単なる記載ミス」との弁解は通用せず、「ミスで結構。有罪!」となる。もちろんこの場合、刑を故意犯なみに重くしないと、立法目的は達成できない。その代わり、本当のうっかりミスも重く罰せられてしまうし、ひいては、故意犯処罰という刑法の原則を大きく崩し、結果処罰に近づける可能性がある。

誤解を恐れず言うと、自白重視は、えん罪を防止する一つの方法だった。「犯罪者でなければ、身代わり等よほどの事情が無い限り、罪を認めるはずがない」という「常識」が存在したからだ。だが、この「常識」は、これを逆手に取り、無理矢理自白させる捜査手法を生み、えん罪につながった。ここに、脱(自白)調書裁判の根拠がある。

だが、脱(自白)調書裁判は、「大胆な推論による有罪認定」を帰結するから、「一貫して否認する無実の被告人」を有罪に陥れるリスクを増やす。あってはならないことだが、裁判官も人間だ。人間は、必ずミスを犯すし、どんな制度にも、絶対安全はない。われわれは、それを半年前に学んだばかりだ。

私は、石川議員らが無実か否かを知らないし、判決文すら読まずに、推論過程の是非を論評する意図もない(大胆な推論が許されるとしても、どんな飛躍も許されるわけではない)。私が言いたいのは、制度というものは、常に長所と短所を抱えているものであり、しかも、多種多様な要素が複雑に絡み合い、かろうじてバランスを保っているものだから、一つの要素を理想に近づければ、必ず全体がうまくいく、というものではないし、逆効果の場合もある、ということである。

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コメント

まるで有罪前提の論理で話にならない。
有罪か無罪かを争っている裁判で中立であるべき三番館が有罪前提の論理を持ち込むなど言語道断だ、弁護士がこんな論理を振り回す様では誰もこの法律事務所に依頼しなくなるだろう。

投稿: Ryuii | 2011年9月30日 (金) 20時16分

>私は、石川議員らが無実か否かを知らないし、判決文すら読まずに、推論過程の是非を論評する意図もない(大胆な推論が許されるとしても、どんな飛躍も許されるわけではない)

一般論とはいいながら、大胆なことをおっしゃりますね。
 あえて「判決を読んでいない」というのも、一般論を言うためでしょうか?
 弁護士様のブログとしては、とても思えません。

 普通の発想では、「一流ホテルの喫茶店で、5000万円の紙袋を受け渡しする」なんて考えられません。だれが見ているか分りませんから。
 受け渡しするなら、もっとうまい方法を考えます。
 それを、「証言は信用できる」とするのは、「その場で受け渡しがあったかどうかわからないが、どこかで金銭の受け渡しをした」と裁判官が推認したということだと思います。

 この判決が認められるのであれば、「どうやって被告を弁護すればいいの」と、私は途方にくれてしまうのですが。
 判決読んでないから、書けるんですよね。

投稿: 田中 三太郎 | 2011年9月30日 (金) 22時01分

田中さん、今この時点で、どうやって判決文を読むのですか?被告人の関係者か検察の関係者でなければ、判決文を読めないと思いますが。もしかして、報道か要約文を読んで判決を読んだ気になっているのですか?

投稿: 通りすがり | 2011年9月30日 (金) 22時16分

メジャーなメディアでは江川さんのような話は紹介されていませんね。よほどバランスにかけます。あなたも弁護士であるならば、今得られる情報を基にするとで結構ですから、バランスのある見解を述べてくださいな。
少なくとも私は、新聞をちらっと読んだだけでも、推認という言葉にとても違和感を持ちました。素人が感じた違和感にどのようにお答えになりますか?また、すべてを傍聴した江川さんの意見をいったん冷静に聞いてから、どのように感じますか?
村木さんはその推論だけで冤罪になったのではなかったですか?
あなたの発言方が、よほどバランスを欠きます。

投稿: yosan | 2011年10月 3日 (月) 21時59分

yosanさんのような素人には分からないと思いますが、民事刑事、全ての判決は推論で書かれてますけど。それから村木さんは冤罪ではなく無罪でしょう。

投稿: ある法曹 | 2011年10月 4日 (火) 13時48分

>田中三太郎様
>普通の発想では、「一流ホテルの喫茶店で、5000万円の紙袋を受け渡しする」なんて考えられません。だれが見ているか分りませんから。

以前、ホテルで働いていました。ホテルのロビーやコーヒーショップは、密談の場所として最適ですよ。小沢信者のひとたちが、よく田中さんのような意見を述べてますが、犯罪者は普通の発想の逆をいくものです。六本木の全日空ホテルの喫茶店はその種の悪事を働くには、目立たず良い所でした。
ついでに言うと、5千万円の現金を手提げ袋に入れられるはずがない。という小沢信者の意見も多いですが、デパートの手提げ袋をバカにしちゃいけない。非常に丈夫です。大きさも十分。
プロなら1枚で、シロウトは怖がって2枚重ねますが、2枚重ねれば絶対安全に運べます。
こういうことは、その道の経験者に聞くべきで、勝手な推論(笑)は×。

投稿: 三浦春彦 | 2011年10月12日 (水) 14時28分

三浦様、コメントありがとうございます。
私も現金5000万円を運んだことはありますが、紙袋に十分入るし、目立ちませんね。男性なら問題なく運べる重さですし。ちなみに、1億円のブロックは、デパートの紙袋には、一番大きな袋でも、たぶん入らないでしょうね。

投稿: 小林正啓 | 2011年10月12日 (水) 16時19分

 私は法律の専門家ではないが日本には「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則があると思います。法律家ならそれくらいはわかってると思います。

投稿: たー | 2011年10月18日 (火) 15時09分

制度というものは、常に長所と短所を抱えているものであり、しかも、多種多様な要素が複雑に絡み合い・・」の下りはまさにその通りだと思います。
小澤氏や元秘書を巡る裁判については色んな立場の方が様々な意見が載っていてその意見に対しても意見が出ていてまるで「ごった煮」状態。
起訴や判決に批判する(当人を含め)意見の多くは八つ当たり気味に検察・裁判所やマスコミを絡めているケースを多くみられる。素人の身ではありますが制度を批判しながら制度で無罪を求める姿には正直・・滑稽で釈然としない物を感じます。

投稿: コヨーテ | 2011年10月22日 (土) 05時39分

江川氏のコメントは、公判の経過や判決、裁判官の証拠評価の手法等々を前提にしたものです。それに対して、当ブログの批判は一般論と仰る。これはフェアとは言えないでしょう。少なくとも、公判の全体像を把握した上でコメントすべきではないでしょうか?

「大胆な推論」を是とするにしても、その許容範囲や基準を確立して行かなければなりません。内容を明らかにせず、「大胆な推論」を持ち出すのは些か乱暴と言うものでしょう。当ブログの他のエントリーを拝見しておりませんので、私のこのコメントは的外れかも知れませんが。

なお、陸山会事件の判決文を読まれた後の、詳細なエントリーを期待しております。

投稿: 50のおじん | 2011年11月 3日 (木) 21時55分

判決の多くは,推論に基づいている。

推論は,経験則に基づく。
ひとそれぞれ経験則は異なるから,推論は人によって異なることがありうる。
100人中100人が同じ結論になる推論。
これを積み重ねて有罪判決を下すなら,文句も出まい。
100人中50人が異を唱える推論を使って有罪判決を出したら,多くの人は,ハテナというだろう。無罪推定の原則に反している,と言われることもあるだろう。

大胆な推論という言葉は,難しい。
100人中100人が納得する推論は,「一般的には」大胆な推論ではない場合が多いであろう。
他方,推論の発想がコペルニクス的にユニークな場合には,その推論は「大胆な推論」と呼ばれるだろう。しかし,発想がユニークであっても,推論の過程が説得的であるならば,100人中100人が納得する推論ともなり得る。

大胆な推論が許されないのではなく
推論の過程に説得力が無く,合理的と言えない推論が許されない。
その場合には,100人中50人,あるいは,10人が異を唱えても,ダメというべきだろうか。

氏が「大胆な推論」と言った意味が分からない。大胆と見るか否かは,客観的な指標ではなく,評価の問題だから,個人差もあるだろう。

推論は全部ダメ,という論旨であったならば,それは,疑わしきは被告人の利益にの原則を誤解していると言うべきだろう。

そのような問題指摘をした,という観点から,この記事には有用な意義がある。

投稿: knob | 2012年3月28日 (水) 03時14分

>「...プロなら1枚で、シロウトは怖がって2枚重ねますが、2枚重ねれば絶対安全に運べます。」(三浦春彦様)
=いいえ、逆です。私なら必ず二枚重ねで使いますがそれでも心配です。百貨店のショッパーは、「5,000万円分の現金程度の重さ」を想定して作られておりません。5kgほどの重さになりますのでね。そして致命的な欠点は水ぬれに弱いこと。重い物の場合は(特に、取っ手がのり付けされている部分から)破けてきます。ですから雨の日にはビニール袋で包み、端を結んでお渡しするのです。しかし「絶対安全に運べます」って...
 『こういうことは、その道の経験者に聞くべきで、勝手な推論(笑)は×。』...そのとおり、まったくな話しですね。ちなみに、私は仏教徒ではありますが「○○信者」などではありませんのであしからず。

投稿: 百貨店人 | 2012年4月24日 (火) 00時51分

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