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2011年10月11日 (火)

死刑制度の是非と、原発の安全神話

「死刑執行と法務大臣」の題で、土肥孝治(どいたかはる)もと検事総長のお話を聴く機会があった。ご尊顔を拝するのは、大阪地検検事正時代の同氏を修習生として拝見して以来、20年ぶりである。

刑(刑法9条)の中で、死刑のみが、法務大臣の命令によって執行される。つまり死刑は、法務大臣が執行指揮書にサインしない限り、執行されない。土肥氏は、法務省参事官当時、死刑執行指揮書の起案に携わった経験があり、着任時36件あった未済事件数を16件まで減らしたとのこと。執行指揮書を起案するにあたっては、全ての事件記録を取り寄せ、再審事由や恩赦事由の有無はもちろん、事実関係から情状に至るまで、「万が一にも誤りがないように」、徹底的に事件を検証するという。後に再審無罪となった財田川事件の事件記録もあったが、前任者からの申し送りで保留扱いになっていたという裏話もあった。ちなみに、死刑執行指揮書から死刑執行の実際については、高野和明の江戸川乱歩賞受賞作『13階段』(講談社)が詳しい。

その後、最高裁の基準が変わり、死刑判決が増えた。ところが、歴代法務大臣がなかなかサインをしないため、死刑囚が増え続け、現在は、約120名の死刑囚が滞留しているのだそうだ。

土肥氏は、死刑執行は法務大臣の法的義務と述べた上で、立法論としての死刑制度の是非について、容認の立場から論陣を張った。曰く、死刑の犯罪抑止効果は確かに存在するし、死をもってしか償えない重大事件が存在することを否定はできない。反対派は、死刑囚にも矯正可能性はあると言うが、凶悪犯罪者に矯正可能性はなく、終身刑で良いとの意見に対しては、出所の希望を失った囚人の精神的荒廃を考えると疑問、というものである。その他の反対論もあるが、日本での世論調査では昨年85.6%が死刑容認であり、年々容認派が増えているという。

土肥もと検事総長のご健勝に接し、大いに満足したし、ご高説にはほぼ同意するのだが、一点だけ、異論があるので指摘しておきたい。

それは、誤判の可能性である。もちろん、刑事司法に携わる以上、無実の者を誤判で死刑にすることは、絶対あってはならない。だが、「絶対あってはならない」からといって、「絶対にない」とは言えない。それはほんの半年前、われわれ全員が学んだことだ。「絶対にないことは絶対にない」のである。裁判所が最高裁まで何回も審理し、どれほど優秀な検事が記録を精査しようが、人間の所為である以上、誤判は避けられない。われわれは、「濡れ衣で死刑になる者は絶対にいる」という認識を前提に、死刑制度の是非を論じるべきなのである。

 その前提で、容認するというのなら、一つの見識であり、十分尊重に値すると思う。

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