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2011年12月31日 (土)

自殺者数に見る平成23年

127日の産経新聞は、「14年連続で自殺者3万人超す見込み」との見出しを掲げた。警察庁の統計によると11月までの自殺者数は28391人(前年同月比874人減)となり、「このまま推移すると、年間の自殺者数は平成10年以降、14年連続の3万人超えとなりそうだ」と報じた。

私は、この見出しはミスリードだと思う。報道された事実からは、むしろ、ささやかな希望を読み取るべきだと考える。なぜなら、これほど酷い年だったのに、自殺者数が減りそうだからだ。

警察庁の統計によれば、わが国の自殺者数は平成10年に前年から8400人以上増えて32863人となり、その後31000人から35000人の間を推移している。特に、平成15年以降は、1年ごとに上下を繰り返し、平成22年には前年を1155人下回って31690人となった。この「順番」で行けば本年の自殺者数は増えるはずだが、もし、本年12月の自殺者数が前年同月と同じ2425人と仮定するなら、平成23年の自殺者総数は30816人となって、前年より874人減る。

これは、わが国の自殺者数が年3万人を超えて以来、最低の数字であり、かつ、平成15年以降初めて、2年連続して減少したことを意味するのだ。繰り返すが、これほど酷い年だったのに、である。

私が自殺者数を調べてみようと思った動機は、一昨年に比べて、年末の殺伐とした空気が減ったと感じたからである。昨年末は入院していたので分からないが、一昨年までの年末には、必ず電車や駅で喧嘩を見かけたのに、今年は見なかったのだ。通勤電車も、年末には何となくぴりぴりした雰囲気をただよわせていたように思うが、それも今年は感じなかった。

もちろん、たったこれだけの統計資料と、超ローカルな皮膚感覚では、何を言えるほどのことでもない。大震災被災者の自殺数は、むしろ、来年以降増えるかもしれないし、日本経済や世界経済は、来年以降さらに低迷するかもしれない。日本人が、希望なき日常に慣れたのかもしれない。私自身、来年が今年よりよくなる理由を挙げろと言われても、一切挙げられない。しかし、自殺者数が7年ぶりに、2年連続して減少した事実は、希望を失う人の数が、減っていることを意味するし、そのことは、案外重要ではないかと思う。

本ブログに1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。皆様の来年が、今年よりよい年でありますように。

Jisatusha2010

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2011年12月28日 (水)

武器輸出三原則は、裸の王様である(9月26日分再掲)

 前原誠司民主党政調会長は25日の討論番組で、武器輸出三原則の見直しに触れ、「(他国との)武器共同生産を例外規定にすべきだ。政府も党も、この考えについてはもう結論が出ている」と強調したと、時事通信が報じた。

だが、この『例外規定』という言葉が正確なら、前原政調会長は、武器輸出三原則の本質を何も知らないことになる。

村上春樹『1Q84には、「武器の輸出は憲法で禁止されています」との下りがあるそうだが、日本国憲法にそんな規定はない。憲法どころか、武器輸出三原則を定めた法律すらない。だから、『例外規定』と言ったところで、原則規定が存在しないのだから、例外規定など定めようがないのだ。

武器輸出三原則は、昭和42年(1967年)の佐藤栄作首相の答弁、昭和51年(1976年)の三木首相による答弁によって表明された政府見解であり、それが継承されているだけのものである。すなわち、表明された政府の考えにすぎず、法律でも何でもない。実際、朝鮮戦争(1950-53)当時、日本製の武器が大量に輸出された。武器を含め、輸出の自由は、新憲法下で保障されているから、法律で規制しない限り、自由なのである。

現在、武器を含め輸出を規制するのは、外為法(外国為替及び外国貿易法)だ。その48条に基づく政令(輸出貿易管理令)が、軍用貨物や兵器など、多種多様な品目に規制をかけているが、これらの法令に「武器」という文字はない。武器輸出三原則は、この政令の下にあって、許可対象になる品目のさらに一部について、「事実上」、許可条件をとても厳しくするという「運用」を行い、その対象品目を「武器」と呼んでいるのだ。

つまり、武器輸出三原則は、外為法と輸出貿易管理令に基づく輸出許可条件の運用方針にすぎないのである。しかも、運用の裁量はとても広いから、事実上どう運用しても、法律違反に問われることはまずない。

それが何を意味するか。たとえば、政府が武器輸出三原則を破り、武器の輸出や、外国との共同開発を許可したとする。この行為は、政治問題を惹起するかもしれないが、違法ではない。法律上、政府が武器輸出三原則を破ることは、自由なのである。実際、政府は、アフガニスタン軍輸送機プロペラの輸出を許可したことがある。これは、従前の例に照らせば、武器輸出三原則違反の可能性が高いと思われるが、そうだとしても、違法ではない。

武器輸出三原則は、平和憲法の体現でもなければ、政府や武器商人を縛る法律でもない。武器輸出三原則は、裸の王様である。詳細は、森本正崇氏の著書を参照されたい。

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東工大イラン人入学拒否事件について(3・終)

東工大が、法的には何の問題もないはずのイラン人の入学を拒否したのは、直接的には、平成19426日付け「国際連合安全保障理事会決議第1737号を受けたイラン人研究者及び学生との交流における不拡散上の留意点について(依頼」と題する文科省通達が原因だろう。だが、その背景には、東北大学の核疑惑留学生指導問題があると思われる。

平成2189日付け読売新聞によると、この事件は、東北大学大学院工学研究科量子エネルギー工学専攻研究室が、平成14年から平成18年まで、イラン人留学生を受け入れたところ、この留学生が来日直前まで所属していた研究所「ジャッベル・イブン・ハヤーン研究所」が平成16年、核兵器開発に関係しているおそれがあるとして経済産業省の規制リストに載ったのに、留学生はその後も東北大で研究を続けたという。この学生は帰国後シャリフ工科大学の教官となり、東北大学の指導教授と共同で米国学会誌に論文を発表したりしたが、当時の報道を見る限り、この学生に核兵器開発につながる技術が提供されたかどうかは分からない。

不勉強のため、この事件が本当に外為法に違反するのか否か、現時点では分からない(高峰康修氏によると、経産省は外為法の違反にはならないと判断したとのことである)が、重要なことは、この事件は他の大学に多大な萎縮効果を及ぼしたであろう、ということだ。核エネルギー工学の研究は、莫大な国庫補助を必要とするだろうから、この種のスキャンダルが、大学経営に多大な影響を及ぼしうることは、容易に想像される。

大学の立場で見れば、イラン国籍と聞いただけで、入学を拒否しておく方が無難だ、と考えても何の不思議もない。本件のように、違法な入学拒否として裁判で負けることがあるかもしれないし、場合によっては損害賠償義務が発生するかもしれないが、イラン人留学生を受け入れたことにより社会的非難を浴びるリスクや、まして、研究開発費を削減されるリスクに比べれば、入学を拒否しておいた方が利口だ。

勝訴判決を得たイラン人も、経済的利益を得たわけではないし、入学資格を獲得したわけでもない。弁護士費用を考えたら、間違いなく大赤字だ。

私ですら、もし大学からイラン人の入学を拒否するか否かと相談を受けたら、「危ないと思うなら拒否しておいた方が無難」とアドバイスをするだろう。当該イラン人自身が「居住者性」の点で問題ないとしても、その背後関係如何によっては、当該イラン人を通じて技術情報が海外に流出し、結果として、大学が社会的非難にさらされるリスクがあるからだ。

このイラン人以外にも、日本で教育を受けるチャンスを奪われ、泣き寝入りした外国人は多いだろう。申し訳ないが、日本の司法制度は、彼らを救済する仕組みにはなっていないのである。

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2011年12月27日 (火)

東工大イラン人入学拒否事件について(2)

東工大イラン人入学拒否事件に関連する外為法の条文は、251項「特定技術を特定国の非居住者に提供することを目的とする取引を行おうとする居住者は、政令で定めるところにより、当該取引について、経済産業大臣の許可を受けなければならない」である。問題となった原子炉工学研究所の取り扱う技術が政令の定める「特定技術」に該当するとするなら、問題は、当該イラン人が「特定国の非居住者」に該当するか、という点になる。

この「特定国」には外国為替令171項により、イランも含まれる。では、本件イラン人は「非居住者」なのだろうか。

外為法第6条によると、「非居住者」とは、「居住者以外の自然人及び法人」〈16号〉だ。そこで「居住者」の定義規定を見ると、15号が「本邦内に住所又は居所を有する自然人及び本邦内に主たる事務所を有する法人」と定めるから、本件のイラン人が「本邦内に住所又は居所を有する」かが問題となる。

しかし、外為法には、住所や居所の定義規定はない。その代わり、「居住者又は非居住者の区別が明白でない場合については、財務大臣の定めるところによる」(62項)と定めがある。ところが、居住者非居住者の区別を定める財務省令(大蔵省令を含む)はない。そこで一般法を見ると、民法は、「各人の生活の本拠をその者の住所とする」(22条)「住所が知れない場合には、居所を住所とみなす」(231項)と定める。この規定と、外為法第6条をあわせて読むと、「生活の本拠」が日本にある者は、国籍を問わず「居住者」になるし、そうでない者は「非居住者」となる。本件イラン人は、平成15年に来日し、平成20年に難民認定を受けて、平成22年に東工大に入学申請をしたというのだから、「生活の本拠」は日本にあるのだろう。そうだとすると、本件イラン人は「居住者」にあたる。だから、「特定国の非居住者」に対する技術情報提供を禁止する外為法の規定は、本件イラン人には適用されない。したがって、東工大が本件イラン人の入学を拒否する理由はない、ということになる。

ちなみに、経済産業省の発行する「安全保障貿易に係る機微技術管理ガイダンス(大学・研究機関用)改訂版」によると、「居住性の判断については、『外国為替法令の解釈及び運用について(蔵国第4672号昭和55年11月29日)』において定められています」(38ページ)とある。これによると、外国人の場合、原則は非居住者となるが、本邦に入国後6ヶ月以上経過するに至った者は、居住者として取り扱うとある。したがって、本件イラン人が、平成15年に来日して以来、国内に生活の本拠を持っていたのであれば、当然、「本邦に入国後6ヶ月以上経過するに至った者」に該当するから、「居住者」に当たるので、やはり、外為法は適用されず、東工大が本件イラン人の入学を拒否する理由はない、ということになる。

つまり本件の場合、「居住者・非居住者」を区分する基準を民法に求めても、大蔵省通達に求めても、結論は同じだ。ただ、注意してほしいのは、裁判所は、法律や政省令には拘束されるが、行政通達には拘束されない。だから、大蔵省通達は、裁判所の解釈の参考になるだけだ。

東工大が本件イラン人を入学させるにあたり、背後関係を調査することは許されるだろうし、一定以上怪しい点があれば、それを理由に入学を拒否することもできるだろうが、特に問題がないのに、イラン国籍であるとの一事をもって、入学を拒否したというのであれば、国籍を理由とする不合理な差別であるとの批判は免れないから、憲法に違反するとした東京地裁判決は、結論において正しい、と考えられる。

ではなぜ、東工大は、入学させるのに何の法的問題もない本件イラン人の入学を拒否したのだろうか。

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2011年12月26日 (月)

東工大イラン人入学拒否事件について(1)

平成231220日の報道によると、19日、東京地裁は、イラン人の入学を許可しなかった東工大の決定を違憲・違法と判決した。

判決によると、このイラン人は、平成15年に来日し平成20年に難民認定を受けた43歳の男性で、平成226月、東工大原子炉工学研究所(平成23年12月23日現在アクセス不能)に入学願書を提出したが、大学は、「イラン人への核開発関連分野の教育が行われないよう要請する国連安全保障理事会決議や文部科学省の指導を踏まえ」入学を拒否した。東京地裁の小林久起裁判長は、「(イラン人男性が)難民であるという事実を容易に確認できたのに調査せず、国籍を不当に重視し、不合理な差別をした」と述べたという。

「イラン人への核開発関連分野の教育が行われないよう要請する国連安全保障理事会決議」というのは、平成18年になされた「国連安保理決議第1737」のことであり、官報に掲載されたその和訳には、「(安全保障理事会は)すべての加盟国に対し、イランの拡散上機微名核活動及び核兵器運搬システムの開発に寄与するであろう分野の、自国の領域内における若しくは自国民によるイラン国民に対する専門教育又は訓練を監視し防止することを要請する。」とある(決議17項)。原文は、” Calls upon all States to exercise vigilance and prevent specialized teaching or training of Iranian nationals, within their territories or by their nationals, of disciplines which would contribute to Iran’s proliferation sensitive nuclear activities and development of nuclear weapon delivery systems;”だ。

安保理決議を受け、平成19220日、外務省より文科省に対して、「イラン人研究者及び学生との交流における不拡散上の防止の徹底につき」協力要請があり、これを受けて、426日、文科省大臣官房より国立大学長らに対して「国際連合安全保障理事会決議第1737号を受けたイラン人研究者及び学生との交流における不拡散上の留意点について(依頼)」と題する通知がなされた。これは、平成18324日付、文科省事務次官の国立大学長ら宛「大学及び公的研究機関における輸出管理体制の強化について(依頼)」の徹底を求めるものであり、ここでは、「(安全保障上ゆるがせにできない外為法違反容疑事案が続いている)情勢に鑑み…技術提供が不用意に行われることがないよう、輸出管理の徹底」と、「教育・研究活動を行う上では、貨物の輸出及び非居住者に対する技術の提供等につき規制している外為法の趣旨を十分踏まえる必要がある」として、留学生に対する技術情報提供等への注意を呼びかけている。つまり、文科省の通達は、外為法の遵守を呼びかけているのだ。

では、外為法は留学生に対する技術情報提供をどのように規制しているのだろうか。

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2011年12月22日 (木)

大動脈解離顛末記(3)  〈食事中は読まないでください〉

20101113日、羽田空港で突然の激痛に襲われた私は、搭乗予定の飛行機をキャンセルして医務室への搬送を依頼した。

依頼したときは、「電気自動車に乗りたいな」と思うくらいの余裕があったが、車椅子が到着し、医務室に運ばれた時点では、痛みは耐え難いものになっていた。こちらは脂汗を流してうなっているにもかかわらず、警備服を着たお姉さんに、「医師は昼休み中ですが、規則ですから1時間で退出してください」と冷たく言い放たれたとき、「頼りにならん」と思った私は、救急搬送を要望した。

さすが羽田空港である。10分もしないうちに、救急隊が到着した。ベテランの隊長は、簡単に事情を聴取すると、「たぶん尿路結石ですね」と言った。

尿路結石なら、7年前に経験していた。早朝に自宅で仕事中、背中の左側に強い鈍痛が発生し、1時間してもおさまらなかったので、タクシーを呼んで近くの泌尿器科に駆け込んだ。初めての経験だったが、泌尿器科に直行したのは、尿路結石という確信があったからだ。なぜなら、痛みの中心点がとても小さく明瞭で、しかもその中心点が少しずつ、膀胱目指して移動していたからだ。この中心点の軌跡は尿道だ、だから尿路結石だと確信できた。

ところが今回の痛みは、背中の強い痛みという点では共通だが、尿路結石の痛みではない。中心点がなく、両掌ほどの広い範囲で痛いし、なにより左右両方なのだ。左右の尿道で同時に結石が出ることは、確率的にあり得ない。尿路結石の痛みも、嘔吐するほど激しかったが、今の痛みはそれ以上だ。だから「尿路結石とではないと思います」と抗議したが、聞いてくれない。

すでに痛みは、うなり声を出さないと抑制できないレベルに達していた。救急車用のストレッチャーで空港ロビー内を搬送されるが、点字タイルを越えるときの振動が、ものすごく辛い。大声を出さずにはいられない。1113日のお昼、羽田空港第一ターミナルで、大声で叫びながら搬送されていた中年男性を見た方、すいませんでした。あれは私です。

救急車に私を搬入すると、救急隊員は、「尿路結石の疑い」と無線で宣言して搬送先を探し始めた。1つめの病院に断られ、病院をたらい回しにされて亡くなった妊婦のニュースが頭をよぎったが、2つめの東邦大学医療センター大森病院が受け入れてくれるという。尿路結石という診断は不満だったが、専門家と議論しても始まらないし、その気力もない。それより救急車の振動が辛い。私は息が続く限り声を上げていた。

その間も悪魔は私の背後によりそい、その冷たい両手は、腰から手のひら一枚分、上に移動した。

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2011年12月21日 (水)

交通事故訴訟10年で5割増の謎

交通損害賠償における実務の現状』(判例タイムズ1346号)で、興味深い記述に当たった。交通事故訴訟件数が増えているというのだ。

東京地裁の中西茂判事によると、平成22年度における東京地裁の新受件数は1485件で10年前の1.5倍。簡易裁判所からの控訴事件が増えているという。大阪地裁の田中敦判事によると、平成22年の新受件数は1091件で5年前の1.2倍。簡易裁判所の控訴事件の増え方は、この5年で約2倍の68件という。

交通事故の訴訟件数が10年で5割増えたというのだが、総務省統計局の資料によると、平成12年の93万件余から平成21年の73万件余へと、この10年間、交通事故数は減少している。死者数は11千人余から5千人弱へと半減、負傷者数も115万人余から91万人余へと漸減している。つまり、事故数・被害者数とも2割程度減少しているのに、訴訟件数は5割増しになっているのだ。これは、なぜだろう。

人身自動車事故で、訴訟にまで発展するのは、重大事故すなわち、死亡事故や、後遺障害がのこる事故である場合が多い。このうち、死亡事故が減少していることは上記の通りだが、後遺障害認定数は、平成17年の58千人余から平成21年の67千人弱へと漸増している(自動車保険データにみる交通事故の実態(2009年度日本損害保険協会)。だから、後遺障害認定者数の増加が、訴訟件数増加の一因であるとの仮説は成り立つ。だが、訴訟件数が5割増しにもなる根拠としては、いかにも弱い。

また、増加率で注目されるのは、簡易裁判所からの控訴事件の増加(10年間で倍増)である。簡易裁判所は、140万円以下の事件を管轄するので、係属する交通事故事件の多くは、物損事故と推測される。物損事故訴訟で、多く争われるのは過失割合だ。そして、過失割合は、当事者の納得を得られにくい。不思議なことに、金額で妥協できても、過失割合で妥協できない当事者はとても多い。簡易裁判所の交通事故事案は判決の割合が高い(=当事者が和解に応じない)という両裁判官の指摘も、多くが物損事故であることを示唆している。

弁護士としての経験に照らしても、金額が少ない割には、物損事故は揉めやすい。また、当事者がお互い相手の非を主張して譲らないため、保険会社の示談担当者がさじを投げる例が多い。最近の自動車保険には、弁護士費用特約付きが多いから、本来弁護士費用倒れになってしまう事件でも、気軽に弁護士に依頼することができる。こうして、物損事故が訴訟化する件数が激増している、と考えられる。

もっとも、激増と言ったところで、大阪地裁では5年で倍増の68件、というのだから、全事件数1091件に比べたら、極めて少ない。したがって、物損紛争の増加も、交通事故訴訟件数が10年で5割増えていることの原因としては、弱いことになる。

こうしてみると、交通事故数、被害者数、後遺障害者数、物損紛争の増加、いずれも、交通事故訴訟がこの10年で5割増えた原因ではない、ということになる。

ところで、この10年間に、1.68倍になったものがある。それは弁護士の数だ。日弁連の統計によると、平成12年の全国の弁護士数は17126人で、平成22年のそれは28789名。Googleで「交通事故」を検索すると、法律事務所の広告が目白押しである。もちろん、これだけで、弁護士数の増加と交通事故訴訟数の増加を結びつけるのは早計だが、全然無関係とも言い切れない。

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2011年12月20日 (火)

従軍慰安婦問題と日韓の司法制度

訪日した李明博(イ・ミョンバク)大統領は1218日、野田首相に対し、いわゆる従軍慰安婦問題の解決を要求し、解決済みとする野田首相との議論は平行線に終わった。

各紙の解説によると、李大統領の強硬姿勢は、「(慰安婦問題を解決しようとしない)政府の不作為は憲法違反」とした韓国憲法裁判所の判決に基づくものだという。

憲法裁判所の制度は、韓国在均(シンジェグン)弁護士によると、1988年に制定された現行憲法によって施行された。韓国の憲法裁判所は、①違憲法律審判、②弾劾審判、③政党解散審判、④権限争議審判、⑤憲法訴願審判を担当するという。

①違憲法律審判権は、日本の裁判所が持つ違憲立法審査権と同じで、特定の法律が憲法違反であるとして、無効にする権限であり、②弾劾審判は、大統領を初めとする政府高官を、国会の訴追に基づき弾劾する権限、③政党解散審判は、民主的基本秩序に反する政党の解散を命ずる権限、④権限争議審判は、国家機関相互間や、国家機関と地方自治体間の紛争を解決する権限である。

従軍慰安婦問題で憲法裁判所に申し立てられたのは、⑤の憲法訴願審判だ。これは、「公権力の行使または不行使によって…国民の基本権が侵害されている場合に、国民が憲法裁判所に対して自分の基本権の救済を要求する制度」であり、この訴えに基づき、憲法裁判所は、公権力の行使を取りやめさせたり、違憲の確認をしたりできる。制度発足以来、1998430日まで3607件の憲法訴願が受け付けられ、このうち、国民の訴えを受け入れて権利を救済したのは159件という。国民側の勝訴率にして4.4%である。

国立国会図書館海外立法情報課藤原夏人レポートによると、2011830日、韓国憲法裁判所は、いわゆる従軍慰安婦と原爆被害者をそれぞれの請求人とする2つの憲法訴願審判において、両審判共に、裁判官9人中6(違憲)対3(却下)の意見により、「(1965年の日韓協定)の解釈をめぐる争いについて、韓国政府がそれを解決するための手続を履行しないこと」が違憲であるとする決定を下した。

この判決を受け、韓国政府は、日本側への積極的な働きかけを行う意思を表明したと、レポートは結んでいる。つまり、韓国憲法裁判所の決定は三権分立原理に基づき、行政府を拘束した。行政府の長である李大統領の強硬姿勢は、この憲法裁判所の決定に基づくものであり、韓国の法制度からすれば、当然のことになる。

さて、日本に憲法裁判所はないから、国民がいきなり最高裁判所に訴えを起こすことはできないが、憲法上、日本の裁判所にも、違憲立法審査権と三権分立が保障されている。だから、日本国民も、裁判所に対して、政府の作為または不作為が憲法違反であると訴えることは可能だし、裁判所がこれに応えて違憲判決を書くことも可能だし、それが確定すれば、政府を拘束するはずだ。

すなわち、たとえて言うなら、従軍慰安婦問題に関する韓国最高裁判所の決定は、日本の最高裁判所が、北方領土問題の解決に及び腰の日本政府の態度は、かつて択捉島の住民だった日本国民の基本的人権を侵害し違憲であると判決することであり、あるいは、北朝鮮による日本人拉致問題に及び腰の日本政府の態度は、拉致され戻って来られない日本人の基本的人権を侵害し違憲であると判決することであり、あるいは、普天間基地の問題の解決に及び腰の日本政府の態度は、基地周辺住民の基本的人権を侵害し違憲であると判決することである。

韓国の憲法裁判所は、わずか4.4%だが、そのような判決を書いてきた。では、日本の裁判所は、1%でも、このような判決を書くだろうか。万一書いたとして、日本の首相は、李大統領のように、きっぱりと判決に従うだろうか。

断っておくが、私は、従軍慰安婦問題に関する韓国憲法裁判所の決定それ自体に賛否を表明するつもりはない。北方領土、拉致、基地問題も同様だ。

私が問題にしたいのは、制度に多少の違いこそあれ、司法の違憲審査権と、三権分立による司法権の優位が、同じく保障された両国制度を比較したとき、どちらの国の制度が憲法に忠実に、憲法上より健全に機能しているのか、という点である。

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2011年12月19日 (月)

スマホとSNSは「不幸な若者の幸福感」を醸成しているのか

「過酷な現実を背負わされた社会的弱者」という若者像に異議を唱え「今が幸せ」と主張する論客が話題を呼んでいるという(1217日日経朝刊文化欄より)。『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿)によると、20代男女の7割前後が現状に満足していて、その割合はこの10年で15%上昇しているという。

上村祐一氏は、この結果は信じがたいとし、「ひょっとしたら誰もが先が見えずに貧しくなっていくこの国に、投げやりになっているだけかもしれない」という。だがおそらく、この推測は当たっていない。この国の若者の7割前後は、実際のところ、他人にどう思われようが、幸福感を持っているようだ。ローカルな例で言えば、司法修習生をめぐる状況は、20年目の我々から見れば、ものすごく不幸だが、彼らは、先輩が思うほどには、自分を不幸と考えていないし、投げやりになってもいない。

すると問題は、この幸福感はなぜか、ということになる。

悪魔の辞典』(A.ピアス)に、「他人の不幸を眺めることから生ずる気持ちのよい感覚」とあるとおり、幸福感は相対的な感覚だ。幸福と感じるのは、自分より不幸な他人を見ているからであり、不幸と感じないのは、自分より幸福な他人を見ていないからだ。そうだとすれば、若者の多くは、幸福な他人を見ていないことになる。

20年前、東欧諸国で革命が起き、共産主義政権が打倒された原因の一つは、衛星テレビの普及にあったと言われている。西側の豊かな生活ぶりが放映されたからだ。もちろん、他人の豊かな生活ぶりを見ただけでは、人は自分を不幸と断定しないし、政府を倒そうとも思わない。ハリウッドのセレブリティや、ドバイの王族の暮らしぶりを見たところで、何とも感じないことと同じだ。だが、ある身近な範囲(たとえば、ベルリンの壁の向こう側、程度の差)で、自分とさほど変わらぬ身分の人間が、理不尽かつ不公平にも、自分よりはるかに豊かな生活を送り、はるかに異性にもて、はるかに社会的意義のある生活を送っていると知ったとき、自分を不幸と感じ、犯人捜しを始めるのだろう。

そうだとすると、日本の若者は、身近なところで、自分より幸福な人間を見たことがない、ということになる。物心のついたときにはバブルは崩壊し、会社の同期は言うに及ばず、10年先輩でも就職氷河期世代。会社に残れているだけで幸せと思わなければバチが当たる世代だ。世代間格差を感じようにも、部長・社長クラスがバブル当時、どれほどオイシイ思いをしたか、知るすべもないのだろう。最近のテレビは、海外の同世代の若者の暮らしぶりなど紹介しないし、そもそも、若者はテレビを見ない。同じような社会的地位の若者とSNSでつながり、身内で情報を共有するだけだ。

かつて日本人は、アメリカのホームドラマに憧れた。日本のトレンディドラマは、アジアの若者に、日本への憧憬を植え付けた。そうだとするなら、例えば中国のトレンディドラマが日本でヒットして、彼の地の若者の豊かな生活ぶりを描いたとき、この程度の実に些細な出来事によって、日本の若者は不幸に打ちのめされるかもしれない。

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2011年12月16日 (金)

司法研修所定員割れへ (平成24年12月2日朝読新聞より)

最高裁判所は平成24121日、司法研修所への入所申込者が1035名であったと発表した。今年度の司法試験に合格し、司法研修所への入所資格を得た2169名のうち、約半数が司法研修所への入所を選択しなかったことになる。

裁判官、検察官、弁護士を法曹というが、法曹になるためには、原則として法科大学院を卒業し、司法試験に合格した上、司法研修所に入所し、卒業試験に合格することが必要であり、ここまでで大学卒業後、最短でも4年を要する。研修期間は1年で、期間中は国庫より貸与金が支給され、5年間、返済が猶予される。卒業しても裁判官と検察官になるためには採用試験をパスしなければならないし、採用人数も少ないので、大半は弁護士を志望する。ところが近年、弁護士業界は就職難が著しく、昨年(平成23年)司法研修所卒業生のうち卒業後直ちに弁護士登録できた者は約1400名にとどまり、約400名がこの時点で就職できなかったとみられている。

これを受けて平成24年は、法科大学院受験者数・入学者数及び司法試験受験者数ともに激減。法科大学院受験者数は頭数で3500人程度とみられ、事実上の全入状態。入学者数は約2500人となり、総定員数3800名を大幅に下回った。また、司法試験の受験者数は4937名であり、うち2169名が合格したため、合格率は4割を超えたが、「馬鹿ばっかり」(採点を担当した裁判官)との声も聞かれ、「外交官試験や国家公務員上級試験と並ぶ難関」と言われた時代も今や昔だ。

昭和の時代は合格率が1%台であった代わり、プラチナチケットと言われた司法試験だが、今や合格しても就職すらおぼつかず、4年制大学卒業生の就職率を下回るため、「何のため年数と費用をかけて法科大学院に行き、何の得にもならない司法試験を受けるのか分からなくなっている」(日弁連幹部)。

昨年12月時点で弁護士登録を行わなかった者は上記のとおり約400名だが、登録できた1400名さえ、その3割は給与の支払いを受けない「ノキ弁」とみられており、登録後3年以内の廃業(=弁護士資格返上)者も年100名を超えているため、多くの司法試験受験者は、弁護士を目指す動機を失っている。これが、司法研修所の大幅な定員割れに結びついたとみられる。

法曹志望者の激減は、司法関係者の多くには危機感をもって受け止められている。他方、「司法試験に合格したからといって弁護士になる必要はない。企業に勤め、コンプライアンスの維持向上に努めれば、『法の支配』は社会の隅々に行き渡る」(久保井英明弁護士)と歓迎する声もある。

また、司法研修所の定員割れを受け、多数の密教系仏教徒が来年度の司法試験に挑戦するべく受験勉強を始めたとの情報もある。彼らは、苦行の末司法試験に合格し、研修所を卒業して弁護士になれば成仏でき、即身仏になれると信じているらしい。

注;本エントリはフィクションです。実在する団体又は個人とは一切関係ありません。ちなみに昨年同時期エントリはこちら

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2011年12月14日 (水)

異界 新宿

事件の相手方と会うため、土曜日の昼に大阪から新宿に行った。

羽田空港から新宿駅西口経由ヒルトンホテル行きのバスに乗ってみる。京急とJRを乗り継げば片道約40分で590円なのに、バス料金は片道50分(しかも渋滞による遅延がありうる)で1200円もする。なぜ経営が成り立つのか、前から不思議だった。

バスは7割程度の乗車率。まず客層と座り方が面白い。前半分には、小綺麗な身なりの中高年男女が多いが、後部座席には若者が多く、長髪を染めたりファンキーに編んだり、金ぴか大ぶりのネックレスや頭蓋骨のプリント生地など、強面(こわもて)の服装が目立つ。最後部席に座り、並びに座る長髪の若者を観察していると、手にしたiPhoneで、首都高速を撮影し始めた。タルコフスキーの『惑星ソラリス』の時代ならともかく、古くさい首都高速を記念撮影する日本人がいるとは思えないので、外国人と分かる。後部座席の会話に日本語はない。南米系の顔立ちも23あるが、ほかはアジア系だ。

新宿駅西口につくと、後部座席の乗客全員が降りた。前半分の乗客は降りない。つまり、前半分の乗客は新宿ヒルトンホテルの宿泊客であり、直行バスを狙って長時間待つので、バスの前半分に座れるが、西口で降りる外国人旅行者は、来たバスに適当に乗るので、後ろ半分にしか座れないのだ。電車に乗らないのは、乗り継ぎが怖いのだろう。

私もヒルトンに用はないので、新宿駅西口で降り、待ち合わせ場所へと歩く。新宿はほぼ20年ぶりだが、駅周辺のビルの変容ぶりは凄まじい。威容を誇るのはNTTドコモ代々木タワー。摩天楼風の外観はともかく、大きすぎる時計が、新宿全体を映画のセットか、巨大な待合室のように見せて煩わしい。

数軒あるマクドからは皆、長い行列が伸びている。なぜ人気か理解できないので、並んでみると、前後の若者は皆中国語を話している。彼らは日本に海外旅行に来てマクドを食べるのだ。せめて回転寿司を食べればよいのに。ちなみにマクドナルドを、関西弁ではマクドという。

腹もすいたが、マクドを食べる気になれないので、隣の吉野家に入るとやはり満席で、少し待たされる。私の後に入った3人組の中年女性も待たされ、中国語で雑談している。客は肉体労働者風の日本人か、外国人と思われる若者が多い。席が空いたと案内され、注文を聞いてきた店員のお姉さんは、流ちょうな日本語だが、胸の名札には「陳」とあった。

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2011年12月12日 (月)

錦織選手のラケットは外国に狙われている

世界ランク1位のジョコビッチを破った錦織選手のテニスラケットは、諸外国に狙われている。テニス選手にではない。軍関係の諜報機関に、である。なぜなら、錦織選手のテニスラケットは、その原料となる炭素繊維が、ミサイルの原料に転用可能だからだ。

嘘ではない。CISTEC安全保障貿易情報センター)のホームページには、「テニスラケットや釣竿、ゴルフシャフト等に使われる炭素繊維は、ミサイルの構造部材に転用可能」と明記してある。だから、錦織選手のテニスラケットも、石川遼選手のゴルフセットも、輸出が禁止されている。

つまり、恐るべきことだが、ミサイル開発にしのぎを削る諸外国は、錦織選手のラケットを手に入れてようと、熾烈なスパイ合戦を繰り広げているのだ。折れたラケットをその辺のゴミ箱に捨てたりしたら大変である。中国とインドと北朝鮮のスパイが銃撃戦を始めるかもしれない。そんなにテニスラケットが欲しければ、いまどき、中国でもインドでも普通に売っているのにと思うが、錦織選手のラケットの輸出が禁止されているのは、ミサイル開発に重要なノウハウが詰め込まれているのだろう。「エアー・ケイ」が関係しているのかもしれない。

「海外に持ち出しても、持って帰るなら、輸出でないのでは?」との疑問はもっともだ。だが、外為法(外国為替及び外国貿易法)上は、海外に持ち出す行為であれば、自分で使用するためでも、その後持ち帰るとしても、「輸出」にあたるとされている。

テニスラケットやゴルフクラブが輸出禁止であるとして、錦織選手や石川遼選手は、海外遠征用の道具を現地で調達しているのかというと、そうではない。経済産業省の許可をもらっているのだ。許可申請書は、昔に比べれば、かなり簡単なったのではないかと思う。それならいっそ、許可申請書など不要にしたら?といわれそうだが、ミサイル開発のため錦織選手のラケットを虎視眈々と狙う勢力がある以上、油断禁物である。にわかに信じがたいが、日本政府とその官僚は、そう信じて疑わない。 

さて、警視庁は7日、軍事品の検査に使われる炭素繊維製品を不正に輸出したとして、化学メーカー「クレハ」の子会社の合成樹脂製造販売会社「クレファイン」(東京都中央区)の元管理部長と同社を外為法違反(無許可輸出)容疑で書類送検したと公表した。

11日の日本経済新聞によれば、不正輸出の理由の9割は納品遅れへの懸念にあり、クレファインの件もこれに当たるという。同紙は審査の迅速化を課題として掲げているが、問題の本質が審査の迅速化にあるのでないことは、ここまで読んだ読者なら、とうにおわかりだと思う。

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2011年12月 9日 (金)

福島県民は、生かさず、殺さず

128日の各紙は、東京電力が実質的に国有化される見通しを報じた。同日付毎日新聞によると、東京電力は巨額の損害賠償費用のほか、除洗、廃炉費用として巨額の費用が嵩み、将来債務超過に陥るのが確実視されるため、資本注入により実質国有化する方針という。つまり政府は、東電を潰さない、ということだ。

そうだとすると、損害賠償との関係はどうなるのだろう。

原発事故直後は、損害賠償請求権の行使により東電が債務超過に陥り倒産すれば、社債債権者に優先配当されるから、原発事故の被害者はかえって損をするという話だった。この話は、東電に対する国民の怒りとともに盛り上がりかけていた訴訟提起の機運に冷水を浴びせた。その後、ADR等の賠償スキームが整備され、細野特命大臣ができもしない「全部除洗」を連呼し、周辺市町村の住人1人あたり8万円といったニュースが流れ、「労せずして得られる、そこそこの賠償金」が配分されると決まった。こうして国民の怒りをなだめた上での「実質国有化」である。

だが、東電が倒産しないなら、損害賠償請求権を行使しても「かえって損」はない理屈だ。それなら最初に戻って、東電に損害賠償請求訴訟を起こせばよいことになる。裁判は手間暇かかるが、賠償金はADRで認められる金額より多い。まず予算ありきで、これを被害者の頭数で割って配分する賠償スキームより、それぞれの実情と費目に応じて金額を積み上げていく裁判手続の方が、賠償金額の多くなることは自明の理である。被害を受けた国民が、裁判手続で適切な賠償を受ける仕組みこそ法の支配であり、あるべき司法の姿だ。

 いまさら裁判に訴える原発事故被害者は少ないだろう。実際のところ、手間暇かけて多額の賠償金を勝ち取るより、手軽にそこそこの賠償金で手を打つことは、家と収入を失った彼らには一つの選択だ。

 国民統治のあり方としては賢いのかもしれない。しかし、政府の思惑通り懐柔され、本来の権利を失っていく原発被害者の姿は、基地反対を叫びながら基地無しでは生きられない某県民や、原発反対を叫びながら原発無しでは生きられない某県民と、どこかで重なり合う。

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大動脈解離顛末記(2)  〈食事中は読まないでください〉

大動脈は、心臓に端を発し、全身に新鮮な血液を運ぶ、いわば血液の幹線道路だ。最も重要な血管ともいえる大動脈は、心臓から出ると上下に分岐し、上方行きは頭脳と両腕に、下方行きはその他の身体に、血液を運ぶ。1分間に4リットルもの血液が送り出されるという。

下行大動脈は、裂けたらほぼ即死だから、背骨の腹側、体の中心、つまりどこから体を切っても一番遠い場所を通っている。さらに、内膜・外膜という二重構造の強靱な血管の間にスポンジのような中膜を挟み込み、強さと柔軟性を獲得している。3重のホースのようなものだ。

ところが、この内膜が、何かの弾みで破れ、中膜に血流が進入することがある。そして、血流が、血圧の力でスポンジを切り裂きながら内膜と外膜の間に広がっていく。

これが、大動脈解離だ。

大動脈解離が起きると、血流と外との壁は、外膜の一枚しかない。解離が起きるとき、外膜はとても弱くなっている。裂けたら一巻の終わりだ。

大動脈解離の怖いところはもう1つある。内膜の破れ目からは、血の固まりやら何やら、たくさんの固形物が発生する。そのため、解離部分が心臓に近いところに達すると、これらの固形物が頸動脈・冠動脈経由で脳や心臓や脳に流れ込んでしまう。そしてあちこちで血栓を作り、脳梗塞や心筋梗塞を引き起こす。下方大動脈の解離も、内臓の障害や合併症を引き起こすことが多い。

大動脈解離は、突然死から始まることもあると書く医学書もある(本人にとっては終わっているが)。致死率の高い危険な病気といわれるゆえんである。

解離は、心臓側から下半身に向けて進む場合と、まれだが、下から心臓に向けて進む場合がある。私の場合は腰から上下に裂けた。前者なら、助からなかったかもしれない。

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2011年12月 8日 (木)

敗北の歴史を共有できる幸福

70年前の今日、始まった戦争に、日本は負けた。

この歴史的事実の認識に、争いは存在しない。無条件降伏か否かといった、全体から見れば些末な争いはあるが、「負けた」こと自体に相違はない。

これは、幸福なことだ。

敗北の歴史を共有しているからこそ、日本人は「なぜ負けたのか」「負けるようなことを、なぜやったのか」「誰が悪いのか」という議論ができるし、実際に日本人はこの66年間、そうしてきた。こうして、敗戦という歴史認識を共有してきたことは、日本人の政治選択を枠付けしてきたし、それは全体としては、よかったことだと思う。

これに対して、弁護士には、「日弁連は負けた」という共通認識がなかった。2008年の会長選挙事務局に動員された私は、かつて日弁連が負けたという事実を、誰も知らないことにびっくり仰天した。認めたくないのでも、認められないのでもなく、そういう認識がないのだ。認識がないという点では、対抗陣営も同じだった。

いま、「日弁連は負けた」という歴史認識がある程度共有されているとすれば、選挙期間中に『日弁連はなぜ負けたのか?』というニッチな連載を開始したわがブログにも、多少意味があったということだろう。

だが私は不満だ。なぜなら、日弁連が「何を」loseしたのかが、未だ共有されていないからだ。だから、3000人を受け入れたのが負けだの、2000年の決議は間違いだっただの、という低レベルの議論が続いている。

日弁連が失ったのは、人数ではない。「人数を決める権限」である。かつて(1998年頃までの)日弁連には、司法試験合格者数を決める権限があった。全体の3分の1だけれども、ゼロではなかった。だから、そのとき日弁連が行った人数に関する決議には、法的実質的な意味があった。

だが、今の日弁連には、「人数を決める権限」が無い。ゼロだ。権限がないから、人数に関する決議をしても、法的実質的な意味は無い。「司法試験合格者数年3000人」は、日弁連が2000年に決議したから、決まったのではない。すでに決まっていたことだ。

日弁連が失ったのは、法曹人口を決定する権限だ。この事実を弁護士全体が共有して初めて、「なぜ負けたのか」という議論が可能になる。

敗戦という歴史認識を共有する日本人の幸福に、弁護士はまだ、達していない。弁護士には、このことを分かってほしい。

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2011年12月 7日 (水)

弁護士会館に日の丸を掲揚せよ

橋下大阪市長と大阪弁護士会のバトルが新たな展開を見せている。

「弁護士会館前に国旗を掲揚しなければ、市税の優遇措置を見直す」と、市長が発言したからだ。

発端は1年前。就任早々、「職員3割削減」を掲げ、大幅な機構改革と人事処遇を打ち出すとともに、市立小中学校教職員の国歌斉唱義務づけに意欲を燃やす橋下市長だが、これに反発する市労組との間で、裁判闘争が頻発した。

この1年間で、裁判所に提起された市と職員との裁判は、仮処分や労働審判事件を含めると8410件に及ぶ。労組側の弁護士の多くは大阪弁護士会に所属するが、これらの弁護士は、法廷ではもちろん、法廷外でも、「独裁者」「首狩王」と、市長批判のボルテージを上げている。

橋下市長も黙っていない。「市労組は既得権益にたかるダニ」「労組側弁護士はダニにたかる寄生虫」などと反論した。

この「寄生虫」発言に対し、大阪弁護士会長は一昨日、「弁護士は社会正義の実現と人権擁護のため法廷活動を業務としているものであり、特段の理由なくこれを『寄生虫』と表現することはいかがなものか」との談話を発表した。

また、市労組とその弁護士らは、「ダニ」「寄生虫」発言が弁護士としての品位を汚すとして、橋下氏の懲戒請求を行うと発表した。弁護士としての橋下氏は、光市母子殺害事件に関連して、2010年に業務停止2か月の懲戒処分を受けた「前科」があるため、今回懲戒処分がなされると、「相応に重くなる」(大阪弁護士会幹部)という。

冒頭の橋下市長の発言は、大阪弁護士会のこれらの動きを受けたもの。

「社会正義だ、人権だというなら、弁護士会は公益団体ということでしょう。公益団体なら、会館の正面に国旗を掲げなさいよ。裁判所や検察庁は、どちらも国旗を掲げている。司法の一員なら、国旗を掲げて当然だ。民間団体だというなら、自分らだけ税金を減免してもらうのはおかしい。敬礼を強制するわけじゃない。公益団体として当たり前のことを求めたい」と、記者団に向かってまくしたてた。

大阪弁護士会の担当副会長は取材に対し、「市税の減免を受けているのは事実だが、減免額の開示には応じられない。国旗掲揚については、市長の公式な要請があれば検討する」と、煮え切らない答え。「市長発言に反発する弁護士も多いが、『橋下氏は嫌いだが国旗掲揚は当然』と公言する元会長もいるし、最多数の弁護士はおそらく無関心」であるため、会内は分裂ぎみだ。

この記事は、今のところ、フィクションです。

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2011年12月 5日 (月)

TPPは弁護士業界に何をもたらすか

今回はToo Poor Partners(貧乏すぎるパートナー弁護士)ではなく、Trans-Pacific Partnership(環太平洋戦略的経済連携協定)のお話。

私自身が賛否を表明するには甚だしく情報不足だが、弁護士業界は反対論一色だ。日本全体に与える影響についてはもちろん、日本の弁護士にも不利益との論調しかない。

そこで、思考実験のため、TPP賛成の立場から弁護士業界を見るとどうなるか、考えてみた(日本全体に対する影響は手に余るので除外する)。すると、それなりに面白いことが分かる。

第一に、TPPに参加すれば、大量の米国弁護士が日本になだれ込み、日本の裁判や法律事務を席巻するとの主張がある。

これは眉唾だと思う。現在、日本の弁護士業界は大変な不景気だ。弁護士志望の司法修習生が就職難にあえぎ、4分の1がまともに就職できない現状がその証拠だ。この状況が一過性のものでないとするなら、そんな市場に遠く米国からわざわざやってくる弁護士がどれほどいるのだろう。

第二に、それでもなお、来日する米国弁護士がいるなら、日本企業の国際業務と、外資の国内業務とにビジネスチャンスを見いだしてのことだろう。あるいは、米国では卯建の上がらない弁護士が、日本に勝機を求めてやって来るかもしれない。

これについていえることは、第1に、国内弁護士の大半を占める「街弁」よりも、大手企業法務・渉外法務系の弁護士に関係があるということだ。第2に、米国弁護士が、当事者双方の代理人に付くことはまずない、ということだ。つまり、米国弁護士が代理人として何か要求をしてきたとき、対応する日本人・日本企業の多くは日本人弁護士を依頼する、ということである。

このことは、日本の弁護士業界に明らかな朗報だと思う。米国弁護士が事件をどんどん掘り起こし、作りだしてくれれば、日本の弁護士には労せずして、事件の依頼が多数舞い込むことになる。上述のとおり、日本の弁護士業界は大変な不景気だが、その原因は、日本の弁護士の「事件創出能力」が欠けていることにもある。米国弁護士は、日本人が思いも付かないやり方で、法的トラブルを作りだしてくれるだろうし、そのノウハウを盗むチャンスをくれるだろう。また、米国で卯建の上がらない弁護士の能力は、相当低いとみて間違いない。日本というホームグランドで、日本人弁護士が負けることはない。つまり、米国弁護士がもし流入してくれば、既存の日本の弁護士に、巨大な利益をもたらす可能性がある。

日本人はそんな訴訟社会を望まないって?そう言う人には問い返したい。訴訟社会化は、TPP問題以前に、日本人自身が選択したことだ。弁護士を増やして、訴訟社会化が進まないなんて、思っていたのか。

第三に、日本の弁護士が海外で法律業務を行えるようになるかもしれない。これも、渉外事務所にとっては朗報だ。また、私のような街弁にも関係あるかもしれない。

グローバル化により、多くの日本企業が海外で活動し、多くの日本人が海外で生活している。それは、海外での日本人同士、あるいは日本人と外国人との法的トラブルが増えるということでもある。その市場規模は当面、多数の日本人弁護士を養うほどにはならないが、老齢の日本人弁護士が海外でつつましく暮らす足しにはなろう。米国やオーストラリア、今後参加するアジア各国で、近所の日本人社会とつき合い、法律相談や簡単な裁判をこなして小銭を稼ぎながら暮らすのも悪くないと、半ば本気で、私は思う。

しかし、このように考えてくると、大手渉外事務所がTPP参加に賛成の論陣を張らないのが、とても奇妙に思えてくる。二言目には「弁護士の国際化」と言っていた彼らが、なぜTPP問題に沈黙しているのだろう。今後注意深く観察してみたい。

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2011年12月 2日 (金)

大動脈解離顛末記(1)

悪魔が私を背中から抱きしめた。その冷たい両手が、下腹部から腰部を包み込むように触れた。

20101113日正午。私は羽田空港第一ターミナル内トイレの個室にいた。

「痛み」と一言では表現できない、経験したことのない種類の感覚に、悪寒が走った。単純な痛みではない。重い衝撃が腰椎の周辺に走り、下腹部から腰周りの筋肉が、すさまじく緊張して、全力で収縮したまま固まった、そんな感じだ。下品だが「金玉が縮み上がった」という表現が近い。

「下痢か?」と思ってしばらく頑張ったが何も出ないのでトイレを出る。手を洗いながら鏡を見ると、顔が異様に青白い。重い痛みは続いていたが、歩くのに支障はない。

1210分、徒歩で搭乗ゲート前に着き、待合の椅子に座るが、痛みは増す一方。脂汗が出はじめていた。

搭乗予定だったのは、1230分発の伊丹空港行きJALだ。15分には搭乗が始まる。当面の問題は、この飛行機に乗るか否かだ。

異常な腰と下腹部の痛みに、そのときの私は、「ぎっくり腰」の可能性が一番高いと考えていた。だが、「ぎっくり腰」は経験したことがないので、この痛みが「ぎっくり腰」か否かは分からない。もし「ぎっくり腰」なら、無理をおして飛行機に乗り、伊丹空港で車椅子に乗るなり、医者に行くなりすればよい。多少痛くても、笑い話で済む。しかし、この症状は本当に「ぎっくり腰」なのか。「ぎっくり腰」なら、トイレから搭乗ゲートまで、なぜ歩けたのか。もし「ぎっくり腰」ではなく、何か重大な病気で、しかも痛みが悪化したらどうなるのか。「どなたか医師のお客様はいらっしゃいませんか」とCAが尋ねて回るドラマのような展開になるのか。

この痛みが、何か重大な病気なら、搭乗をキャンセルするしかない。だが今更キャンセルしても、払い戻しは受けられない。15000円はもったいないし…。

どうしよう、と5分ほど逡巡した後、こうひらめいた。

「この飛行機は、墜ちる。」

この痛みはきっと、飛行機に乗るな、という神の啓示に違いない。神は私に、生きろ、という啓示を下さったのだ。無信心のくせに、無理矢理こう考えて割り切ることにして、地上係員にキャンセルと医務室への案内を依頼した。目の前で乗客が搭乗ゲートを通り、タラップに向かって進んでいた。

内心のこととはいえ、この飛行機に搭乗した方々には、申し訳ないことを考えたものだ。

私の「ひらめき」は半分当たり、半分間違っていた。飛行機に乗らない判断は正解だったが、墜落したのは飛行機でなく、私だった。

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